水原市の料理

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水原市(スウォンシ、수원시)は京畿道の南西部に位置する地域。本ページでは水原市の料理、特産品について解説する。

水原華城の華虹門

地域概要

 
スターフィールド水原のピョルマダン図書館

水原市は京畿道の道庁所在地。道の南西部に位置し、市の北部は京畿道義王市、北東部から東部にかけては京畿道龍仁市、南部から南西部にかけては京畿道華城市、西部は京畿道安山市と接する。人口は119万3477人で、京畿道ではもっとも多く、市郡としては特別市や広域市を含めても、広域市の蔚山市を上回って7番目に多い(2024年11月)[1]

代表的な観光地に、ユネスコの世界文化遺産に登録される水原華城(スウォンファソン、수원화성)があり、王の行幸時に居所として用いられた華城行宮(ファソンヘングン、화성행궁)のほか、東西南北の四大門を構成する蒼龍門(チャンニョンムン、창룡문)、華西門(ファソムン、화서문)、八達門(パルタルムン、팔달문)、長安門(チャンアンムン、장안문)や、北水門の華虹門(ファホンムン、화홍문)、かつて兵士の訓練場だった錬武台/東将台(ヨンムデ/トンジャンデ、연무대/동장대)など数多くの見どころがある。華城行宮の近隣には飲食店やカフェ、工房などが多く、行理団キル(ヘンニダンキル、행리단길)と呼ばれる人気のストリートがあり、一帯にはドラマのロケ地も多く集まる。そのほか、大規模商業施設のスターフィールド水原(스타필드 수원)とその内部に位置するピョルマダン図書館(별마당 도서관)や、水原博物館(수원박물관)、サムスンイノベーションミュージアム(삼성이노베이션뮤지엄)、西洋画家の羅蕙錫(ナ・ヘソク、나혜석)にちなんだ羅蕙錫通り(나혜석거리)などがある。

ソウル市からのアクセスは、ソウル駅から水原駅までKTXやムグンファ号などで30~40分の距離。また、首都圏電鉄1号線、水仁・盆唐線で水原駅などと結ばれているほか、ソウル市と水原市を行き来する市内バスも数多く運行している。

食文化の背景

 
水原華城の八達門

水原華城を中心として古くから大規模な商圏があり、数々の名物料理が生まれている。水原市といえば、まず何よりもカルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)が有名で、地名を冠して水原カルビ(수원갈비)と呼ばれるが、これは八達門(南門)近くの水原栄洞市場(スウォンヨンドンシジャン、수원영동시장)で1945年に創業した「華春屋(ファチュノク、화춘옥)」を元祖とする。近隣の南水洞(ナムスドン、남수동)では1970年代からトンダク(丸鶏揚げ/통닭)の専門店が増えて「水原トンダク通り(수원통닭거리)」が生まれ、池洞(チドン、지동)の「池洞市場(チドンシジャン、지동시장)」ではスンデコプチャンボックム(腸詰と豚ホルモンの炒め物、순대곱창볶음)が名物となっている。華城行宮の周辺は飲食店やカフェが多く、行理団キル(ヘンニダンキル、행리단길)と呼ばれて人気を集める。

代表的な料理

 
水原カルビ

カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)

カルビグイ(갈비구이)は、牛カルビ焼き(「カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)」の項目も参照)。サイズが大きいことからワンガルビ(왕갈비、直訳では王カルビ)、または地名を冠して水原カルビ(수원갈비)、水原ワンガルビ(수원왕갈비)の名前でも広く知られる。水原カルビの特徴としては、骨の長さを10~15cm程度に大きく取ること、味付けに醤油を用いず天日塩をベースとした塩ダレに漬け込むことがあげられる。水原市内には水原カルビを専門とする焼肉店が多く、地域を代表する郷土料理となっている。1985年4月には、水原市から「水原市固有郷土料理(수원시 고유 향토음식)」として指定された。
  • 有名店
一般に「佳甫亭(가보정)」「本水原カルビ(본수원갈비)」「新羅カルビ(신라갈비)」の3軒を指して、水原3大カルビと呼ぶことが多い。これに「三父子カルビ(삼부자갈비)」を加えて、水原4大カルビとする場合もある。
  • サイドメニュー
水原カルビの骨はいったん厨房に下げて、テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)を作るのが定番である。

水原カルビの歴史

 
水原行宮の正門で1790年に建てられた新豊楼(신풍루)
  • 水原牛市場(수원우시장)
朝鮮王朝の第22代王、正祖(チョンジョ、정조)は1789年に父、思悼世子(サドセジャ、사도세자)の陵墓を拝峰山(ペボンサン、배봉산、現在のソウル市東大門区)から現在の京畿道華城市安寧洞(アンニョンドン、안녕동)へと移すとともに、その場にあった水原都護府(スウォントホブ、수원도호부)の行政機関を水原市の八達山(パルタルサン、팔달산)付近に移して水原華城を築城した[2][3]。1796年に水原華城が完工すると、城門の付近には一緒に移転をしてきた市場が開かれ、中でも牛市場は全国3大牛市場と呼ばれるほどに賑わった[4](ただし、3大市場を名乗る市場は全国に数多くある)。あくまでも間接的ではあるが、交通と物流の要衝として牛市場が栄えたことを、のちに水原カルビが発展した要因の源流とする見解はよく見られる。水原牛市場は移転を繰り返しながら現代まで命脈を保ってきたが、1996年に谷伴亭洞牛市場(コクパンジョンドン ウシジャン、곡반정동 우시장)が閉鎖されたことで幕を閉じた。
  • 華春屋の創業
水原カルビの直接的な原点とされるのが、1945年に八達門近くの水原栄洞市場(スウォンヨンドンシジャン、수원영동시장)で創業した「華春屋(ファチュノク、화춘옥)」である。水原市史編纂委員会が1986年に発刊した『水原市史』によれば、「華春屋」は創業者の李貴成(イ・グィソン、이귀성)氏が市場内に27坪の木造2階建て店舗を購入して立ち上げたもので、当初は牛カルビ入りのヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)カルビチム(牛カルビの煮物/갈비찜)が看板メニューであった[5]カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)の提供を始めた時期については、「華春屋」の親族(3代目の叔母)から得た証言をもとに1946年から[6][7]とする説と、上述の『水原市史』などが記録する1956年からとする説に大きく分かれ、1946年説では1950年からの朝鮮戦争時に釜山市へと店を閉めて避難をした李貴成氏が、地元民に製法を伝えたことから海雲台(ヘウンデ、해운대)地区の名物として海雲台カルビ(해운대갈비)が生まれたとも語られる。
提供を始めた当初は一般的なサイズよりも大きく切って提供したことから赤字となり、一時は借金で店を閉めることすらあったものの、息子の李栄根(イ・ヨングン、이영근)氏が経営を引き継いで軌道に乗ったとされる。地元で評判を得た「華春屋」は、やがて全国的に知名度を高めていくが、その過程には同店を訪れた政治家たちのエピソードが大きい。
張沢相の事例
国務総理や首都警察庁長官を務めた張沢相(チャン・テクサン、장택상)は、1950年代初めに別荘のあるソウル市衿川区始興洞(クムチョング シフンドン、금천구 시흥동)から、約60里(約24km)の距離を馬に乗って、三日にあげず「華春屋」へ通ったとの逸話が残っている[8]
朴正熙の事例
1968年1月4日に朴正熙大統領は、ソウル市釜山市を結ぶ高速道路用地の視察途中、予告なしに水原市を訪れ、朴泰元(パク・テウォン、박태원)京畿道知事ら関係者と「華春屋」で夕食をとった[9]。大統領の動向は翌日の新聞などで報道されており、大統領も訪れる店として「華春屋」の名声拡大に一役買ったとされる。
金鍾泌の事例
1969年10月3日に初代中央情報部 (KCIA) 長で、のちに国務総理などの要職に就く国会議員の金鍾泌(キム・ジョンピル、김종필)が「華春屋」を訪れ、地元の共和党員ら30余名と会合を行った[10]
その後、1979年に「華春屋」は看板を下ろし、跡地には地下3階、地上4階建ての「水原百貨店(수원백화점)」ができた。閉店前の2年ほどは、「華春屋」の従業員として働いていたキム・スギョン(김수경)氏と、1974年から八達門の近くで焼肉店「カルビセンター(갈비센타)」を運営していた妻のキム・ジョンエ(김정애)氏が経営を引き継ぎ、のちに同夫婦は東水原(トンスウォン、동수원)地区で1981年に「ウォンドゥマクカルビ(원두막갈비)」を始め、これを前身として1983年に「三父子カルビ(삼부자갈비)」を創業した[11]。同時に八達門近くの「カルビセンター」は親族に引き継いだのち、現在は「本水原カルビ(본수원갈비)」として営業が続いている。同様に「華春屋」で働いていた調理人が他店に移ったり、新しく店を開いたりした事例は数多く、「華春屋」から始まった水原カルビの系譜は広く受け継がれている。また、「華春屋」自体も李貴成氏の孫にあたるイ・グァンムン(이광문)氏が1999年に再度店を開き、現在はソウル市の江南区論峴洞(カンナムグ ノニョンドン、강남구 논현동)に移転をして営業を続けている。
  • 京釜高速道路の開通
1968年12月に京釜高速道路が開通すると、水原カルビを目当てにソウル市から足を伸ばす人たちが増えた。1969年3月7日付の毎日経済新聞には、ファッションデザイナーの徐寿延(ソ・スヨン、서수연)氏が京釜高速道路の開通に触れつつ、ソウル市から水原市の「華春屋」まで頻繁に通うようになったとのコラムを書いている[12]。また、ソウル市から水原市へと向かう際、水原新葛(スウォンシンガル、수원신갈)インターチェンジから国道42号線を利用するルートが主流になったことで、玄関口となった東水原地区の宅地開発が進むことになった。国道42号線では、1983年に「三父子カルビ(삼부자갈비)」、1985年に「新羅カルビ(신라갈비)」などの店が相次いで創業し、水原栄洞市場や八達門近辺に集まっていた専門店が、より広範なエリアへと拡大することになった。

トンダク(丸鶏揚げ/통닭)

 
水原トンダク通り
トンダク(통닭)は、丸鶏揚げ(「トンダク(丸鶏揚げ/통닭)」の項目も参照)。市中心部の行宮洞(ヘングンドン、행궁동)が管轄する八達路1街(パルタルロイルガ、팔달로1가)、南水洞(ナムスドン、남수동)地区に専門店が集まっており、一帯を「水原トンダク通り(수원통닭거리)」と呼ぶ。多くの店ではトンダクのほか、フライドチキンヤンニョムチキン(辛口のフライドチキン/양념치킨)なども一緒に提供し、2019年以降は後述するワンガルビトンダク(焼肉味の丸鶏揚げ、왕갈비통닭)が地域の新名物として人気を集める。
  • 突き出し
他のチキン専門店と同じく、ヤンベチュセルロドゥ(キャベツサラダ、양배추샐러드)や、チキンム(角切り大根の酢漬け、치킨무)などが提供されるのに加え、多くの店でタットンチプティギム(砂肝揚げ、닭똥집튀김)が定番になっている。タッパルティギム(鶏足揚げ、닭발튀김)を出すところもある。
  • サイドメニュー
一部の新興店を中心に、モーニングパン(丸パン、모닝빵)や、パックごはん(즉석밥)を提供している。好みによって、チキンをパンに挟んでチキンバーガー(치킨버거)にしたり、チバプ(チキンとごはん、치밥)にして食べたりする。

水原トンダクの歴史

1970年11月に南水洞で創業した「梅香トンダク(매향통닭)」が元祖店として知られる。創業者のコ・ビョンヒ(고병희)氏が新聞のインタビューに答えた話によると、かつては水原川(スウォンチョン、수원천)で食鳥処理を行っており、それを見たことから着想を得て、近隣でトンダクの店を始めることにしたという[13]。鮮度のよい丸鶏を大釜の油で揚げて提供をすると、これが人気を集めて次第に周囲へと広まった。近隣の古株店に、1978年創業の「龍城トンダク(용성통닭)」、1981年創業の「チンミトンダク(진미통닭)」、1999年創業の「장안통닭(長安トンダク)」などがある。

ワンガルビトンダク(焼肉味の丸鶏揚げ/왕갈비통닭)

ワンガルビトンダク(왕갈비통닭)は、焼肉味の丸鶏揚げ。ワンガルビ(왕갈비)は水原市の名物であるサイズの大きなカルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)を意味し、焼肉味のタレを絡めたトンダクを意味する。2019年1月に公開された映画『エクストリーム・ジョブ(극한직업)』の劇中に、「水原ワンガルビトンダク(수원왕갈비통닭)」の名前で登場して一躍有名になった。登場人物のひとり、マ・ボンパル(마봉팔)刑事は父母が水原市で焼肉店を営んでおり、自身も調理経験があったことから、焼肉味のワンガルビトンダクを作って好評を得た。同作品は韓国で歴代2位となる1600万人超の観客を動員し、歴代興行収入では1位となるほどの人気を集めたうえ、映画を見た人たちが実際に水原市の「水原トンダク通り」を訪れたことでも話題となった。映画とは直接関係がなかったものの、「水原トンダク通り」内の「南門トンダク(남문통닭)」では創業時の2017年に一時ワンガルビトンダクを提供していたことがあり、当時は売上が伸びずにメニューから消えていたが、映画をきっかけに再発売をしたところおおいに人気を集めた[14]。その後、近隣でもワンガルビトンダクをメニューに載せる店が増えたことから、現在は地域の新たな名物となっている。
  • 余談
韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、映画『エクストリーム・ジョブ(극한직업)』が日本で公開された際、パンフレットにチキンをテーマとしたコラムを書き、「シネマート新宿」では上映後にトークショーも行った。

マンドゥ(餃子/만두)

 
チンマンドゥ
マンドゥ(만두)は、餃子(「マンドゥ(餃子/만두)」の項目も参照)。水原華城の長安門(チャンアンムン、장안문)外に、1975年創業を掲げる「ポヨンマンドゥ(보용만두)」と、1977年創業を掲げる「ポヨンマンドゥ(보영만두)」の2軒が通りを挟んで向かい合っており、店名がよく似ている(カタカナだと同じになるがハングルでは異なる)ことや、両店のどちらを元祖と見るか、どちらの店が美味しいかなど、話題が豊富であることから有名になっている。
ネット上で見られる情報を照らし合わせる限り、1975年に創業した「ポヨンマンドゥ(보용만두)」を、1977年から現「ポヨンマンドゥ(보영만두)」(当初は創業者の知人)が名前をそのまま引き継いで運営し、1998年にもともとの「ポヨンマンドゥ(보용만두)」側がIMF危機による経済的な理由により退去を求めたことから、通りの向かいに「ポヨンマンドゥ(보영만두)」と名前を変えてオープンし、1975年創業の「ポヨンマンドゥ(보용만두)」は大元の経営者一族の手に戻った、というのがおおよその経緯であるらしい[15]。どちらを元祖と見るかは両店を含めて見解が分かれ、どちらの店にもファンがいるうえ、場合によってはメニューごとに評価を分けるような声もある。
両店ともチンマンドゥ(蒸し餃子、찐만두)、クンマンドゥ(焼餃子/군만두)キムチマンドゥ(キムチ餃子/김치만두)マンドゥクッ(餃子スープ/만두국)など、種類豊富なマンドゥがあり、チョルミョン(生野菜入りの和え麺/쫄면)ピビムパプ(ビビンバ/비빔밥)などの食事メニューも用意する。

スンデコプチャンボックム(腸詰と豚ホルモンの炒め物/순대곱창볶음)

スンデコプチャンボックム(순대곱창볶음)は、腸詰と豚ホルモンの炒め物。スンデ(순대)は腸詰め、コプチャン(곱창)は牛や豚の小腸、ボックム(볶음)は炒め物を意味する。スンデボックム(腸詰炒め/순대볶음)に豚の小腸(돼지곱창)を加えた料理であり、四角い鉄板を卓上に据えて調理をしながら食べるスンデチョルパンボックム(腸詰の鉄板炒め、순대철판볶음)の一種と言える。スンデコプチャン(순대곱창)とも呼ばれる。鉄板の上にスンデ、豚の小腸、各種野菜とともに、タンミョン(春雨、당면)、チョルミョン(でんぷん麺、쫄면)、インスタントラーメン(라면)、餅()などを加え、辛口のタレで炒め煮るように調理をして作る。食べ終えた後に、残ったタレでごはんを炒めて食べるのも定番である。八達区池洞(パルタルグ チドン、팔달구 지동)の池洞市場(チドンシジャン、지동시장)名物として知られ、スンデコプチャンボックムの専門店が集まったエリアを「池洞市場スンデタウン(지동시장 순대타운)」、または「池洞市場スンデコプチャンタウン(지동시장 순대곱창타운)」と呼ぶ。

サデンイ(豚の背骨とジャガイモの鍋/사뎅이)

サデンイ(사뎅이)は、豚の背骨とジャガイモの鍋。サデンイクッ(사뎅이국)、サデンイタン(사뎅이탕)、サデンイジョンゴル(사뎅이전골)などとも呼ぶ。見た目も味もカムジャタン(ジャガイモ鍋/감자탕)とそっくりであり、サデンイはカムジャタンの方言と解釈されることが多いが、酷似した別の料理と考える見方もある。一例として、サデンイには背骨以外のさまざまな骨が使用され、カムジャタンには背骨が主に使われるとの違いがあげられるが、その場合も近年のサデンイはほぼ背骨を煮込んで作るため違いはほとんどないと言える[16]。韓食ペディアの執筆者である八田靖史がサデンイを提供する飲食店でカムジャタンとの違いを店主に尋ねたところ、即答で「同じ、方言!」との回答であった(八田靖史の取材記録より、2024年11月24日)。
サデンイの提供店は水原市の各地に点在するほか、同じ京畿道南部の烏山市華城市などにも専門店があるものの、近年はカムジャタンとの同化が進み、以前よりも数が減少しているとの指摘がある。店によっては、1人前の定食としてサデンイを提供するところもある。
  • 語源
サデンイ(사뎅이)の語源として、サルドンイ(肉塊、살덩이)が変化したとするもの(サルドンイの全羅道方言がサデンイとの説もある)と、サドゥンイピョ(背骨、사등이뼈)が変化したもの、との説が多く語られる。

ポリパプ(麦飯の定食/보리밥)

ポリパプ(보리밥)は、麦飯の定食(「ポリパプ(麦飯の定食/보리밥)」)。市北部の光教山(クァンギョサン、광교산)へと続く登山道沿いに専門店が多く、登山客らに人気が高い。

代表的な特産品

都市部ゆえに大々的ではないが、トマト(토마토)やイチゴ(딸기)の栽培が行われている。1960~70年代まではイチゴが特産品として知られ、韓国発の国産品種である大学1号(대학1호)は1965年に水原市で栽培された[17]

代表的な酒類・飲料

マッコリ

地元銘柄として、梅山醸造場の「螺角望月(나각망월)」、水原醸造協同組合の「行宮ドゥンイ(행궁둥이)」などがある。

飲食店情報

以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。

  • 佳甫亭カルビ(가보정갈비)
住所:京畿道水原市八達区チャンダリ路282(仁渓洞958-1)
住所:경기도 수원시 팔달구 장다리로 282(인계동 958-1)
電話:031-238-3883
料理:カルビグイ(牛カルビ焼き)
  • ポヨンマンドゥ北門本店(보영만두 북문본점)
住所:京畿道水原市長安区八達路271(迎華洞282-3)
住所:경기도 수원시 장안구 팔달로 271(영화동 282-3)
電話:031-255-1085
料理:マンドゥ(餃子)
  • 本水原カルビ(본수원갈비)
住所:京畿道水原市八達区中部大路223番キル41(牛満洞51-20)
住所:경기도 수원시 팔달구 중부대로223번길 41(우만동 51-20)
電話:031-211-8434
料理:カルビグイ(牛カルビ焼き)

エピソード

韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2012年8月に初めて水原市を訪れた。水原カルビを食べて、水原華城を見学するだけの、慌ただしいわずか4時間ほどの滞在だったが、それでも超ボリュームの水原カルビと、その骨を煮込んで作るテンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)のインパクトは大きかった。

脚注

  1. 주민등록 인구 및 세대현황 、行政安全部ウェブサイト、2025年1月3日閲覧
  2. 화성 융릉과 건릉 、国家遺産デジタルサービス、2024年12月24日閲覧
  3. 수원 화성 (水原 華城) 、国家遺産デジタルサービス、2024年12月24日閲覧
  4. 水原牛市場(수원우시장) : 2018年(水原文化院/京畿道文化院連合会),P147~149 、知識N文化(コマ番号147/460)、2024年12月24日閲覧
  5. 『水原市史』, 水原市, 1986年(P1664~1665) 、京畿道メモリー、2024年12月29日閲覧
  6. 이재규. (2003). 수원갈비의 역사성 탐구에 관한 소고. 외식경영연구, 6(1), 169-181. 、教保文庫SCHOLAR、2024年12月31日閲覧
  7. 周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P259
  8. 40여년 傅統 감칠맛 자랑 水原갈비 、NAVERニュースライブラリー(東亜日報1993年4月17日記事)、2024年12月28日閲覧
  9. 朴大統領 水原시찰 、NAVERニュースライブラリー(京郷新聞1968年1月5日記事)、2024年12月29日閲覧
  10. "安定確立…앞으로6年必要" 金鍾泌氏、水原有志들에 첫改憲說得 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1969年10月4日記事)、2024年12月29日閲覧
  11. 〔쉿! 우리동네〕 수원은 어떻게 갈비의 본고장이 됐나 、聯合ニュース(2018年5月19日記事)、2024年12月31日閲覧
  12. 花春屋(화춘옥) 、NAVERニュースライブラリー(毎日経済新聞1969年3月7日記事)、2025年1月3日閲覧
  13. 〔장인의 발견〕 경기 최초 통닭집 대표 고병희 、仁川日報(2019年2月15日記事)、2025年1月1日閲覧
  14. '수원왕갈비통닭'…영화 '극한직업' 열풍에 실제 메뉴로 탄생 、聯合ニュース(2019年2月4日記事)、2025年1月1日閲覧
  15. "프랜차이즈 대표의 맛집 사냥" vs "계약 전과 후 말 달라"… 깡우동 갈등 、中部日報(2020年6月11日記事)、2025年1月2日閲覧
  16. 〔석창인 박사의 오늘 뭐 먹지?〕감자탕과 똑닮은 ‘사뎅이’ 아시나요 、東亜日報(2020年2月26日記事)、2025年1月2日閲覧
  17. 딸기 、韓国民俗大百科事典、2025年1月3日閲覧

外部リンク

関連サイト
制作者関連サイト

関連項目