烏山市の料理
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烏山市(オサンシ、오산시)は京畿道の南西部に位置する地域。本ページでは烏山市の料理、特産品について解説する。
地域概要
烏山市は京畿道の南西部に位置する地域。市の南部は京畿道の平沢市と接し、残りの地域は京畿道の華城市に囲まれている。人口は24万1295人(2024年11月)[1]。
代表的な観光地に、烏山竹美嶺平和公園(오산 죽미령 평화공원)、ムルヒャンギ樹木園(물향기 수목원)、烏山ドラマセット場(오산 드라마세트장)、烏山ミニチュアビレッジ(오산 미니어처빌리지)、烏山五色市場(오산오색시장)、16世紀初めに建てられた祠堂の闕里祠(クォルリサ、궐리사)などがあり、三国時代からの城跡である禿山城(トクサンソン、독산성)には、文禄・慶長の役(壬辰倭乱)の際に城内の水不足を悟られないよう米を用いて馬を洗ったふりをしたとの伝承が残る洗馬台(セマデ、세마대)や、百済時代の401年に創建されたと伝わる宝積寺(보적사、ポジョクサ)が残る。
ソウル市からのアクセスは、首都圏電鉄1号線で洗馬(セマ、세마)駅、烏山大(オサンデ、오산대)駅、烏山(オサン、오산)駅に向かえるほか、市内バスも数多く運行している。
- 烏山の戦い
- 烏山市は朝鮮戦争の際に、米軍と朝鮮民主主義人民共和国軍による初めての本格的な戦闘(烏山の戦い、오산 전투)が行われた地域である。その跡地である外三美洞(ウェサムミドン、외삼미동)には烏山竹美嶺平和公園(오산 죽미령 평화공원)が設けられており、敷地内には戦闘の歴史を伝えるUN軍初戦記念館(UN군 초전기념관)や、部隊の指揮官であったチャールズ・B・スミス (Charles B. Smith)中佐の名前にちなんだスミス平和館(스미스 평화관)、UN軍初戦記念碑(UN군 초전기념비、1955年建立の旧記念碑と、1982年建立の新記念碑の2基)などがある。スミス平和館では指令を受けた米軍兵士が、自宅を出発するところから戦闘に至るまでの足跡を、VRなどを通じて1人称視点で体験できるようになっている。
食文化の背景
代表的な料理のひとつとしてソンドゥブジョンゴル(手作り豆腐の鍋、손두부전골)があり、文禄・慶長の役(壬辰倭乱)の際にこの地で戦った兵士らがそのまま残って定住し、伝統遊戯のユンノリ(韓国式すごろく、윷놀이)に興じる際に作って食べたとの逸話が残る。市内各地に専門店があるほか、烏山洞(オサンドン、오산동)の烏山五色市場(オサンオセクシジャン、오산오색시장)にもソンドゥブ(手作り豆腐、손두부)料理の店があってメニューに載る。烏山洞は老舗店として、1943年創業のソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)専門店「烏山ハルモニチプ(오산할머니집)」が知られる。
代表的な料理
- サデンイ(豚の背骨とジャガイモの鍋/사뎅이)
- ソンドゥブジョンゴル(手作り豆腐の鍋/손두부전골)
代表的な特産品
代表的な酒類・飲料
烏山マッコリ(오산막걸리)や米焼酎の禿山30(독산30)などを生産する烏山醸造(오산양조)は、2024年に農林畜産食品部が推進する「訪ね行く醸造場(찾아가는 양조장)」に選定された[2]。
老舗
- 烏山ハルモニチプ(오산할머니집)
- 1943年創業の5代続くソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん/소머리국밥)専門店。メニュー上は「ソモリソルロンタン(소머리설렁탕)」としている。
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
- 烏山ハルモニチプ(오산할머니집)
- 住所:京畿道烏山市烏山路300番キル3(烏山洞432-1)
- 住所:경기도 오산시 오산로300번길 3(오산동 432-1)
- 電話:031-374-4634
- 料理:ソモリクッパプ(牛頭部のスープごはん)
エピソード
脚注
- ↑ 주민등록 인구 및 세대현황 、行政安全部ウェブサイト、2024年12月14日閲覧
- ↑ 농업회사법인 오산양조(주) 、訪ね行く醸造場ウェブサイト、2024年12月14日閲覧
外部リンク
- 関連サイト
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)