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ホットクは小麦粉の生地に黒砂糖の蜜を入れて焼いた料理。シナモンの香りを効かせることが多い。鉄板に油やマーガリンをひき、表面を揚げ焼くようにして作る。主に冬季の屋台料理として軽食、間食用に販売されるが、店によっては通年で販売しているところもある。近年は生地や具、トッピングなどが多様化し、さまざまな種類のホットクが作られるようになっている。スーパーなどでは家庭用としてホットクミックス(ホットクの素)も販売されている。 | ホットクは小麦粉の生地に黒砂糖の蜜を入れて焼いた料理。シナモンの香りを効かせることが多い。鉄板に油やマーガリンをひき、表面を揚げ焼くようにして作る。主に冬季の屋台料理として軽食、間食用に販売されるが、店によっては通年で販売しているところもある。近年は生地や具、トッピングなどが多様化し、さまざまな種類のホットクが作られるようになっている。スーパーなどでは家庭用としてホットクミックス(ホットクの素)も販売されている。 | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
+ | [[ファイル:22041104.JPG|thumb|300px|イェンナルホットク]] | ||
=== 開化期から日本統治時代 === | === 開化期から日本統治時代 === | ||
19世紀末に中国(清)から渡った人たちが伝えたというのが定説。20世紀初頭には全国へと広まり、間食として人気を集めた。当時のホットクは現在のものとは異なり、油を使わずに焼く方式が主流だった。このスタイルは現在の韓国にも残り、[[イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)]]と呼ばれている。 | 19世紀末に中国(清)から渡った人たちが伝えたというのが定説。20世紀初頭には全国へと広まり、間食として人気を集めた。当時のホットクは現在のものとは異なり、油を使わずに焼く方式が主流だった。このスタイルは現在の韓国にも残り、[[イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)]]と呼ばれている。 | ||
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== 種類 == | == 種類 == | ||
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ホットクには次のような種類がある。 | ホットクには次のような種類がある。 | ||
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=== トッピングのバリエーション === | === トッピングのバリエーション === | ||
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*[[シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)]] | *[[シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)]] | ||
:トッピングとしてナッツをまぶしたホットク。具にもナッツを混ぜることがある。釜山の名物として有名。直訳では「種ホットク」という意味になる。詳細は「[[釜山市の料理#釜山のB級グルメ|釜山市の料理/シアッホットク]]」の項目を参照。 | :トッピングとしてナッツをまぶしたホットク。具にもナッツを混ぜることがある。釜山の名物として有名。直訳では「種ホットク」という意味になる。詳細は「[[釜山市の料理#釜山のB級グルメ|釜山市の料理/シアッホットク]]」の項目を参照。 | ||
== 日本における定着 == | == 日本における定着 == | ||
+ | [[ファイル:22041204.jpg|thumb|300px|あんこ入りのホットク]] | ||
1995年に「ジョンノホットク」の社長が東京の新大久保や赤坂に屋台を出し、ホットクを売り出したのが始まりとされる。「ジョンノホットク」では黒砂糖入りのホットクを「はちみつ」としてわかりやすく表記し、また日本人の舌に合わせてあんこ入り、チーズ入りといったバリエーションも加えた。<ref>[http://www.hotok.jp/hotok.html/ ジョンノホットクについて] 、ジョンノホットクウェブサイト、2014年4月24日閲覧</ref> このスタイルは日本におけるホットクの定番となった。韓流以降は新大久保ではコリアンタウンの名物スイーツとして定着し、提供する店が増えるとともに、中に入れる具もバリエーションが増えた。現在は[[チャプチェ(春雨炒め/잡채)]]入り、チョコレート入り、サツマイモ入りなどが登場している。 | 1995年に「ジョンノホットク」の社長が東京の新大久保や赤坂に屋台を出し、ホットクを売り出したのが始まりとされる。「ジョンノホットク」では黒砂糖入りのホットクを「はちみつ」としてわかりやすく表記し、また日本人の舌に合わせてあんこ入り、チーズ入りといったバリエーションも加えた。<ref>[http://www.hotok.jp/hotok.html/ ジョンノホットクについて] 、ジョンノホットクウェブサイト、2014年4月24日閲覧</ref> このスタイルは日本におけるホットクの定番となった。韓流以降は新大久保ではコリアンタウンの名物スイーツとして定着し、提供する店が増えるとともに、中に入れる具もバリエーションが増えた。現在は[[チャプチェ(春雨炒め/잡채)]]入り、チョコレート入り、サツマイモ入りなどが登場している。 | ||
== 地域 == | == 地域 == | ||
− | * | + | *ソウル市 |
− | : | + | :[[ソウル市の料理|ソウル市]]の中区南倉洞(チュング ナムチャンドン、중구 남창동)に位置する南大門市場(ナムデムンシジャン、남대문시장)では、[[ヤチェホットク(春雨入りのお焼き/야채호떡)]]が名物となっている。2番ゲート近くに専門の屋台がある。 |
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− | : | + | *仁川市 |
− | * | + | :[[仁川市の料理|仁川市]]の中区新浦洞(チュング シンポドン、중구 신포동)に位置する新浦国際市場(シンポクッチェシジャン、신포국제시장)は、1883年の仁川港開港をきっかけとして移り住んだ中国人らが、高級野菜の販売を始めたことが前身となっている。現在も市場内にはイェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)をはじめ、[[マンドゥ(餃子/만두)]]、[[チンパン(あんまん/찐빵)]]、[[コンガルパン(中国式の大きなパン/공갈빵)]]といった中国由来の料理を販売する店が多数ある。 |
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− | * | + | *江原道束草市 |
− | : | + | :[[江原道の料理|江原道]][[束草市の料理|束草市]]の中央洞(チュンアンドン、중앙동)に位置する束草観光水産市場(ソクチョ クァングァン スサンシジャン、속초관광수산시장)では、[[シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)]]が名物になっている。 |
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− | * | + | :[[釜山市の料理|釜山市]]は、[[シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)]]の発祥地であり、西面(ソミョン、서면)地区のロッテ百貨店裏や、中区南浦洞(チュング ナムポドン、중구 남포동)のBIFF広場(BIFF광장)に屋台が多く出ている。 |
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+ | :[[全羅北道の料理|全羅北道]][[群山市の料理|群山市]]では、1899年に群山港が開かれたのを機に、中国からやって来た人たちが居留を始め、朝鮮総督府の調査によれば1923年末の時点で16軒のホットク(原文では「支那パン」)店があった<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/983969/1/61 朝鮮に於ける支那人(朝鮮総督府)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61)、2023年1月14日閲覧</ref>。京岩洞(キョンアムドン、경암동)には、1943年創業のホットク専門店「仲洞ホットク(중동호떡)」があり、[[イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)]]を販売している。 | ||
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+ | :[[済州道の料理|済州道]]の済州市二徒1洞(チェジュシ イドイルトン、제주시 이도1동)に位置する済州東門市場(チェジュ トンムンシジャン、제주 동문시장)ではヨモギ([[쑥]])入りのスッホットク(ヨモギ入りのお焼き、[[쑥호떡]])が名物として知られる。 | ||
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*[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト) | *[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト) | ||
*[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール) | *[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール) | ||
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2025年3月6日 (木) 23:12時点における最新版
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ホットク(호떡)は、蜜入りのお焼き。
名称
ホットクのホは漢字で「胡」と書いて中国のこと。ットクは餅。中国から伝わった餅菓子との意。日本ではホットッ、ホットック、ホトッといった表記も見られるが、本辞典においては「ホットク」を使用する。発音表記は[호떡]。
概要
ホットクは小麦粉の生地に黒砂糖の蜜を入れて焼いた料理。シナモンの香りを効かせることが多い。鉄板に油やマーガリンをひき、表面を揚げ焼くようにして作る。主に冬季の屋台料理として軽食、間食用に販売されるが、店によっては通年で販売しているところもある。近年は生地や具、トッピングなどが多様化し、さまざまな種類のホットクが作られるようになっている。スーパーなどでは家庭用としてホットクミックス(ホットクの素)も販売されている。
歴史
開化期から日本統治時代
19世紀末に中国(清)から渡った人たちが伝えたというのが定説。20世紀初頭には全国へと広まり、間食として人気を集めた。当時のホットクは現在のものとは異なり、油を使わずに焼く方式が主流だった。このスタイルは現在の韓国にも残り、イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)と呼ばれている。
- 韓福眞の報告
- 当時ソウルに伝わったホットク店の様子は韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 に詳しい。以下に引用する。「1900年代初頭、ソウルの太平路2街・明洞・鍾路5街、西小門・小公洞などにあったホットク店の看板は黒く塗った厚い板に金粉で店名を書き、両側に赤い布を房のように垂らしたものを入口にかけ、小さなガラスの陳列台にホットクを置いて売った。店内には机のような座席がいくつかと松の板に足をつけた長椅子があった」「ホットクを焼く窯があり、まず鉄板の上に置いて焼き、次に鉄板の下の窯に入れてひっくり返しながら膨らむ時まで焼く。1930年代には1個5銭で大きさは普通直径16cmほどとひとつ食べても腹がふくれ、学生たちが多く通った」(原文1)。
- 【原文1】「1900년대 초기 서울의 태평로2가, 명동, 종로5가, 서소문, 소공동, 등에 있던 호떡집의 간판은 검은 칠한 두꺼운 널에 금가루로 가게 이름을 쓰고, 양쪽에 붉은 천을 술처럼 늘인 것을 입구에 걸고 작은 유리 진열장에 호떡을 넣고 팔았다. 안에는 책상 같은 상 몇 개와 소나무 널에 다리를 단 긴 걸상이 있었다.」「호떡을 굽는 화덕이 있어 먼저 철판 위에 놓아 굽다가 다음에 철판 아래의 화덕에 넣어서 뒤집어가며 부풀어오를 때까지 굽는다. 1930년대에는 한 개 5전씩으로 크기는 보통 지름이 16cm 정도로 하나만 먹어도 요기가 되어 학생들이 많이 드나들었다.」[1]
- キム・チャンビョルの報告
- キム・チャンビョルは著書『韓国料理、その美味しい誕生(한국음식 그 맛있는 탄생)』の中で日本統治時代(1910~1945年)の新聞報道や公判記録などからホットクに関する記事を抜粋し紹介した。文中で「私が探し出したもっとも古い記録は1919年までさかのぼる。南大門付近のホットク店でホットクを食べた後、三一独立運動に加担したある学生の公判記録である」と述べ、その公判記録(「韓民族独立運動史資料集-18」三一独立宣言関連者公判始末書(被告、鄭信煕))を引用している。また、これらを元に「1919年に中国ホットク店がソウル市内に当たり前に存在していたことがわかる」(原文2)と結論づけた。
- 【原文2】「내가 찾아낸 가장 옛 기록은 1919년으로 거슬러 올라간다. 남대문 부근의 호떡집에서 호떡을 먹다가 졸지에 3.1운동에 가담한 어느 학생의 공판 기록이다.」「1919년에 중국호떡집이 서울 시내에 흔하게 존재했음을 알 수 있다.」[2]
1940年代
- 仲洞ホットクの事例
- 全羅北道群山市仲洞にある「仲洞ホットク」は1943年の創業で、現在まで続くホットク店としては最古だと考えられる。屋台ではなく店舗を構えて営業しており、注文ごとに焼いて提供する。「鉄板に油をひかずに焼く昔ながらのスタイルで、生地は小麦粉をベースに少量の重曹を加え、卵や塩は用いない。具には黒砂糖のみを入れている」(八田靖史の取材記録より、2010年4月7日)
1970~80年代
- キム・チャンビョルの報告
- キム・チャンビョルは著書『韓国料理、その美味しい誕生(한국음식 그 맛있는 탄생)』の中で自身の経験から、「窯で焼くホットクが油の上で揚げ焼くホットクに変わったのは、70年代後半から80年代初めぐらいのことであるようだ」(原文3)と述べている。
- 【原文3】「화덕에서 굽는 호떡이 기름 위에서 지지는 호떡으로 바뀐 것은 70년대 후반에서 80년대 초반 정도의 일인 것 같다.」[3]
2000年代以降
2000年代以降、ホットクのバリエーションはどんどん増加し、生地、具、トッピングなどの要素において店ごとのオリジナリティがアピールされている。ホットクにフルーツやアイスクリームなどをトッピングし、レストランでのデザートとして活用する例も出てきている。
種類
ホットクには次のような種類がある。
生地のバリエーション
- ノクチャホットク(녹차호떡)
- 生地に緑茶を練り込んだホットク。
- スッホットク(쑥호떡)
- 生地にヨモギを練り込んだホットク。
- オクススホットク(옥수수호떡)
- 生地にトウモロコシの粉を練り込んだホットク。
- チャプサルホットク(찹쌀호떡)
- 生地にもち米の粉を用いたホットク。
焼き方のバリエーション
- 油を用いず、鉄板や窯で焼くホットク。生地に油分がなくパンのような食感になる。油を使わないため従来品に比べてヘルシーだとの人気も高い。中国ホットク(중국호떡)、バブルホットク(버블호떡)といった呼び方もある。2013年5月24日にMBCの番組「シングル男のハッピーライフ(原題「나 혼자 산다」)」で、タレントのノ・ホンチョルがバブルホットクを好む姿が放送されて話題となった。その後の韓国ではバブルホットクを提供する屋台が急増した。
具のバリエーション
- 具にチャプチェ(春雨炒め/잡채)を入れたホットク。醤油ダレを塗って味わう。ソウルの南大門市場名物として有名。直訳では「野菜ホットク」という意味になる。
- チーズホットク(치즈호떡)
- 具にチーズを入れたホットク。
トッピングのバリエーション
- トッピングとしてナッツをまぶしたホットク。具にもナッツを混ぜることがある。釜山の名物として有名。直訳では「種ホットク」という意味になる。詳細は「釜山市の料理/シアッホットク」の項目を参照。
日本における定着
1995年に「ジョンノホットク」の社長が東京の新大久保や赤坂に屋台を出し、ホットクを売り出したのが始まりとされる。「ジョンノホットク」では黒砂糖入りのホットクを「はちみつ」としてわかりやすく表記し、また日本人の舌に合わせてあんこ入り、チーズ入りといったバリエーションも加えた。[4] このスタイルは日本におけるホットクの定番となった。韓流以降は新大久保ではコリアンタウンの名物スイーツとして定着し、提供する店が増えるとともに、中に入れる具もバリエーションが増えた。現在はチャプチェ(春雨炒め/잡채)入り、チョコレート入り、サツマイモ入りなどが登場している。
地域
- ソウル市
- ソウル市の中区南倉洞(チュング ナムチャンドン、중구 남창동)に位置する南大門市場(ナムデムンシジャン、남대문시장)では、ヤチェホットク(春雨入りのお焼き/야채호떡)が名物となっている。2番ゲート近くに専門の屋台がある。
- 仁川市
- 仁川市の中区新浦洞(チュング シンポドン、중구 신포동)に位置する新浦国際市場(シンポクッチェシジャン、신포국제시장)は、1883年の仁川港開港をきっかけとして移り住んだ中国人らが、高級野菜の販売を始めたことが前身となっている。現在も市場内にはイェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)をはじめ、マンドゥ(餃子/만두)、チンパン(あんまん/찐빵)、コンガルパン(中国式の大きなパン/공갈빵)といった中国由来の料理を販売する店が多数ある。
- 江原道束草市
- 江原道束草市の中央洞(チュンアンドン、중앙동)に位置する束草観光水産市場(ソクチョ クァングァン スサンシジャン、속초관광수산시장)では、シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)が名物になっている。
- 釜山市
- 釜山市は、シアッホットク(ナッツ入りのお焼き/씨앗호떡)の発祥地であり、西面(ソミョン、서면)地区のロッテ百貨店裏や、中区南浦洞(チュング ナムポドン、중구 남포동)のBIFF広場(BIFF광장)に屋台が多く出ている。
- 全羅北道群山市
- 全羅北道群山市では、1899年に群山港が開かれたのを機に、中国からやって来た人たちが居留を始め、朝鮮総督府の調査によれば1923年末の時点で16軒のホットク(原文では「支那パン」)店があった[5]。京岩洞(キョンアムドン、경암동)には、1943年創業のホットク専門店「仲洞ホットク(중동호떡)」があり、イェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)を販売している。
- 済州道
- 済州道の済州市二徒1洞(チェジュシ イドイルトン、제주시 이도1동)に位置する済州東門市場(チェジュ トンムンシジャン、제주 동문시장)ではヨモギ(쑥)入りのスッホットク(ヨモギ入りのお焼き、쑥호떡)が名物として知られる。
脚注
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P322
- ↑ 김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P80~82
- ↑ 김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P87
- ↑ ジョンノホットクについて 、ジョンノホットクウェブサイト、2014年4月24日閲覧
- ↑ 朝鮮に於ける支那人(朝鮮総督府) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61)、2023年1月14日閲覧
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)