ネンミョン(冷麺/냉면)
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ネンミョン(냉면)は、冷麺。麺を冷たいスープに入れて食べるか、または辛い薬味ダレと絡めて味わう。前者をムルネンミョン(冷麺/물냉면)、後者をピビムネンミョン(混ぜ冷麺/비빔냉면)とも呼ぶ。韓国では主に専門店で食べられるほか、焼肉店では食事メニューとしても提供される。現在は北朝鮮に位置する平壌(ピョンヤン)、咸興(ハムン)が本場とされ、韓国においてもこれら地域の出身者やその子孫らが専門店を営んでいることが多い。類似の料理に、マッククス(冷やしそば/막국수)、ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)、チョルミョン(生野菜入りの和え麺/쫄면)がある。
名称
ネンミョンは漢字で「冷麺」と書き、朝鮮半島で食べられている冷たい麺料理を指す。北朝鮮では同様の漢字語をレンミョン(랭면)と発音するか、またはククス(麺、국수)と呼ぶことも多い。日本では冷麺(れいめん)と呼ばれることも多いが、本辞典では「ネンミョン」を使用する。発音表記は[냉면]。
概要
ネンミョンはそば粉、でんぷん(サツマイモ、ジャガイモ、緑豆など)を原料とし、押し出し式(生地に圧力をかけて小さな穴から押し出す方式)で麺を作るのが大きな特徴である。麺を冷たいスープに入れて食べるムルネンミョンと、辛い薬味ダレと絡めて食べるピビムネンミョンに大別される。そのほか具や麺の原料によって、さまざまな種類の冷麺が存在する。もともとは朝鮮半島の北部で盛んに作られた料理であり、現在は北朝鮮に位置する平壌、咸興の2地域が本場とされる。平壌式では麺をそば粉中心で作り、咸興式ではでんぷんを主体として麺を作るとの違いがある。これらを平壌冷麺(ピョンヤンネンミョン、평양냉면)、咸興冷麺(ハムンネンミョン、함흥냉면)とも呼び分ける。具には茹でた牛肉や豚肉の薄切り、大根、キュウリ、ゆで卵、梨などが載る。
ムルネンミョン
ムルネンミョン(물냉면)は、冷たいスープに麺を入れて味わうネンミョン(「ムルネンミョン(冷麺/물냉면)」の項目も参照)。ムル(물)は水を意味する。本来は発音変化によってムルレンミョン(発音表記は[물랭면])と発音される。スープは牛骨、牛肉、豚肉、鶏肉(またはキジ肉)などを煮込んで作る場合や、ムルキムチ(水キムチ/물김치)、トンチミ(大根の水キムチ/동치미)を主体とする場合、あるいはそれらを混ぜ合わせたものが代表的である。味付けには塩、醤油、酢、砂糖などを用い、店によっては韓方材を加えることもある。
ピビムネンミョン
ピビムネンミョン(비빔냉면)は、辛い薬味ダレを麺と絡めて味わうネンミョン(「ピビムネンミョン(混ぜ冷麺/비빔냉면)」の項目も参照)。ピビム(비빔)は混ぜるという動詞の名詞形。薬味ダレは粉唐辛子、醤油、ゴマ油、砂糖、ニンニク、ネギなどを混ぜ合わせて作り、店によっては果物の汁などを混ぜることもある。
平壌冷麺と咸興冷麺
ネンミョンはもともと北部地域の郷土料理であり、現在は北朝鮮に位置する平壌、咸興の2地域が有名である。平壌冷麺はそば粉を主として麺を作るのが特徴であり、咸興冷麺に比べて麺はやや太めであるが、コシは強くとも噛み切れないほどではなく、ぷっつりと心地よい食感を残す程度である。対して、咸興冷麺はジャガイモやサツマイモのでんぷんだけで麺を作り、極細の麺でありながらも噛み切るのが容易でなく、むしろその強靭なコシを楽しむのが粋とされる。咸興においてはノンマグクス(농마국수)と呼ばれることも多く、ノンマ(농마)はでんぷん(녹말)の咸鏡道方言、グクス(국수)は麺を意味する。
- 南北における認識の違い
- 韓国においては麺の原材料だけでなく、平壌冷麺はムルネンミョンを主体とし、咸興冷麺はピビムネンミョンを主体とするとの認識が一般的である。ただし、本場である北朝鮮では事情が異なり、韓食ペディアの執筆者である八田靖史の調査によれば、平壌在住のガイド、咸興在住の旅行社スタッフ、咸興でもっとも有名な冷麺店の「新興館」店員にそれぞれ確認したところ、咸興冷麺もスープのあるムルネンミョンが主流であるとの回答を得た[1]。もちろんピビムネンミョンが存在しない訳ではなく、平壌でも咸興でもピビムネンミョンは食べることができる。また一連の報告は八田靖史著『食の日韓論 ボクらは同じものを食べている』(三五館)にも詳しい[2]。
- 朝鮮3大料理
- 20世紀初頭の新聞記者で歴史家、独立運動家の文一平(ムン・イルピョン、문일평)は、1936年8月27日の『朝鮮日報(조선일보)』紙面で「朝鮮人と飲食物」[3]というコラムを書き、地方の代表的な名物料理として「ケソンタンバン(開城湯飯=開城式のクッパ、개성탕반)」「ピョンヤンネンミョン(平壌式の冷麺、평양냉면)」「チョンジュコルトンバン(全州骨董飯=全州式のビビンバ、전주골동반)」の3種をあげた。この評価は現代まで継承されており、今日では「朝鮮3大料理(조선3대음식)」と称される。
食べ方
- ハサミ
- ネンミョンの麺はたいへんコシが強いため、とくにでんぷんだけで作る麺の場合は、容易に噛み切れない場合も多い。事前に飲み込みやすい長さにしておくため、韓国の飲食店では提供時に店員がハサミで麺を切ってくれる場合や、最初からハサミが卓上に用意されている場合が多い。ただし、北朝鮮においては麺を切ることは人の縁を切ることに通ずると避ける場合が多く、韓国においても冷麺通の間ではハサミの利用は邪道とされる風潮がある。
- 酢とカラシ
- 飲食店の卓上には酢とカラシが用意され、客が好みでこれらを入れて味わう。
- ユクス
- ネンミョンの専門店ではお茶がわりにユクス(肉ダシのスープ、육수)を提供する。主にヤカンで提供されるので、これをコップに注いで飲む。
- サイドメニュー
- 冷麺店では同じく北部地域の郷土料理である、マンドゥ(餃子/만두)、ピンデトク(緑豆のお焼き/빈대떡)、スユク(牛茹で肉の薄切り/수육)といったサイドメニューを置いているところが多い。韓国には「先酒後麺(선주후면)」という言葉があり、これらを肴に酒を飲んだ後、最後にネンミョンを食べるのが粋とされる。
- 裏メニュー
- 老舗冷麺店では好みに応じて注文のカスタマイズができる。例えば、コネン(거냉)はスープをぬるめに(または氷抜き)。ヤンマニ(양많이, 양마니)は麺を少し多め。ミンチャ(민자)は具の肉を除いてそのぶん麺を多めに。オポマリ(엎어말이)は麺を2玉にといった具合である。冷麺店におけるいわば隠語であり、すべての冷麺店で注文できるとは限らない。
- 替え玉
- 冷麺店にはサリ(사리)というメニューがあり、麺だけの追加注文を指す。
歴史
文献上の記録
ネンミョンに関する文献上の記録は17世紀から見られ、19世紀以降にその数がぐっと増える。
- 『谿谷集』(1635年)の記述
- 張維によって書かれた『谿谷集(계곡집)』27巻には「紫漿冷麺」と題された五言律詩がある[4]。冷麺に関する文献上の記録としてはもっとも古く、朝鮮時代中期にはネンミョンが一般的な料理であったと推測される。
- 『山林経済』(1700年代前半)の記述
- 17世紀末から18世紀初めにかけて洪萬選(1643~1715年)が編纂した『山林経済(산림경제)』には、「木麦麺法」として木製の押し出し機で作るそば麺の製法が次のように紹介されている。「粉にしたそばに水をかけて殻を取り、布の上に広げて天日で干し、そば粉1斗を準備する。皮をむいた緑豆2升を普通のやり方で粉にする。細い製麺機で押し出して白い麺を作ると味がよい。または細かくひいたそば粉に水をよく混ぜて生地を作り、包丁で切ってもよい」(原文1)。この時代にはすでに押し出し式で作る麺が普及していることがわかる。
- 【原文1】「木麥取米作末,水飛鋪布上晒乾一斗,去皮菉豆二升作末如常法,細板壓作白麵味勝,或作末搜水刀切作麫亦佳」[5]
- 『東国歳時記』(1849年)の記述
- 洪錫謨によって1849年に書かれた『東国歳時記(동국세시기)』には、当時の歳時風俗が月ごとにまとめられており、11月の項目にはネンミョンに関する記述がある。文献上におけるネンミョンの記録はこれが初出とされる。「そば麺を大根キムチや白菜キムチを加え、豚肉と和えたものを冷麺と呼ぶ。また、いろいろな野菜や梨、栗、牛肉、豚肉と、油と醤油をそば麺に入れたものを骨董麺と呼ぶ。冷麺は関西地方のものがもっともよい」(原文2)と書かれており、冷麺が冬の季節料理であったことに加え、現在のピビムネンミョンに相当する骨董麺(골동면)の存在も見てとれる。もっともよいと書かれた関西地方は、現在の平壌あたりを指すもので、この時代から平壌冷麺の評判が高かったことを示す。
- 【原文2】「用蕎麥麵 沈菁菹菹 和猪肉 名曰冷麵 又和雜菜梨栗牛猪切肉 油醬於麵 名曰骨董麵 關西之麵最良」[6]
- 『是議全書』(1800年代後半)の記述
- 1800年代後半に書かれた『是議全書(시의전서)』(原著者不詳)の麺部という項目にはネンミョン(原文では令麺)、ピビムネンミョン(原文では汨董麺、부븸국슈)、チャンクッネンミョン(原文では장국냉면、肉スープの冷麺を意味する)の調理法が紹介されている。それぞれの記述は以下の通りである。
- ネンミョン「澄んでさっぱりとしたナバッキムチ(ダイコンを薄く切り多目の塩水でつけたキムチ、나박김치)や、よくできたトンチミ(大根の水キムチ/동치미)の汁に蜂蜜を足し、麺を入れて味わう。上には牛肩バラ肉、梨、丸ごと漬けた白菜キムチの3種をすべて千切りにして載せ、粉唐辛子と松の実を振る」(原文3)
- ピビムネンミョン「牛肉は細かく刻んだ後、薬味ダレに漬けて炒め、緑豆モヤシとセリは下茹でする。ムク(緑豆などのでんぷんを固めたもの、묵)を和え、薬味ダレを整えておき、麺を混ぜて器に盛り付ける。上には肉を炒めたものと、粉唐辛子と、すりごまを振りかけるが、食卓に供する際には澄まし汁を一緒に置く」(原文4)
- チャンクッネンミョン「肉の澄まし汁を冷やして麺を加える。上には塩でさっと漬けてキュウリを洗って絞り、さっと炒めてすりゴマ、粉唐辛子、油、醤油で和えて、細切りにした牛肩バラ肉と一緒に混ぜて載せる。また、その上には糸唐辛子、イワタケ、錦糸卵を載せる。エホバク(カボチャの未熟果実、애호박)もキュウリと同じく炒める」(原文5)
- 【原文3】「청신한 나박김치나 좋은 동침이 국에 꿀을 넣어 말아 먹는다. 위에는 양지머리·배·좋은 통김치 세 가지를 모두 채쳐서 얹고 고춧가루와 잣을 뿌린다.」
- 【原文4】「쇠고기는 다진 후 양념에 재워서 볶고, 숙주와 미나리는 삶는다. 묵을 무치고 양념을 갖추어 넣고, 국수를 비벼 그릇에 담는다. 위에는 고기 볶은 것과 고춧가루와 깨소금을 뿌리는데 상에 낼 때에는 장국을 함께 놓는다.」
- 【原文5】「고기장국을 끓여 싸늘하게 식혀서 국수를 만다. 위에는 외를 채쳐 소금에 잠깐 절였다가 헹구어 짠 다음에 살짝 볶아 깨소금·고춧가루·유장에 무치고 양지머리 채 친 것을 같이 섞어 얹는다. 또 그 위에는 실고추·석이·달걀 부친 것을 채쳐서 얹는다. 호박도 외와 같이 볶는다.」[7]
- 『婦人必知』(1915年)の記述
- 憑虚閣李氏によって1915年に書かれた『婦人必知(부인필지)』では、1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」のネンミョンを紹介している。「トンチミの汁に麺を入れる。大根、梨、柚子を薄切りにして入れ、薄切りの茹で豚と、錦糸卵を載せる。コショウ、梨、松の実を入れると、明月館冷麺と呼ぶ」(原文6)と記述されており、飲食店のレシピを紹介したものとしてはこれが初めてである。
- 【原文6】「동치밋국에 국수를 만다. 무, 배, 유자를 얇게 저며 넣고, 제육을 썰고 달걀을 부쳐 채 썰어 넣는다. 후추, 배, 잣을 넣으면 명월관냉면이라 한다.」[8]
開化期から日本統治時代
朝鮮半島では19世紀末から民間の飲食店が普及し始め、20世紀に入ると冷麺店も誕生した。1910年代にはすでに冷麺店が存在したとされ、1920年代に入って増えていった。
- 明月館の開店
- 1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」でネンミョンを提供していた。
- トンチュン麺屋の開店
- 釜山で1953年に創業し、ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)の元祖店として知られる「内湖冷麺」は、もともと1919年に咸鏡南道興南市で開いた「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を前身とする。
- 韓福眞の報告
- 韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にソウルの敦義洞で創業したという「東洋楼」という店を紹介している。また、1939年に同じくソウルの楽園洞で創業した冷麺店では、カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)を一緒に販売し、その値段は冷麺の普通が1杯10銭、特製が30銭、カルビグイ1本が20銭であったとしている[9]。
- 文一平の日記
- 独立運動家であり歴史学者でもある文一平は、朝鮮日報の編集顧問として在籍していた1934年当時の日記を残している。1年分の日記には飲食にかかわる記述が多く、中でもネンミョンに触れた日は合計で17日分ある。日記内ではネンミョンを食べた店として「又春屋」、「真平屋」の名前があがっている。月別に見ると12月が5回ともっとも多く、次いで4月が3回、6、8、9月には登場せず残りの月は1~2回である[10]。
1940年代
- 又来屋の開店
- ソウル市中区舟橋洞に位置する「又来屋(우래옥)」は1946年創業で、現存する韓国の冷麺店としてはもっとも古い。
- 江西麺屋の開店
- ソウル市中区西小門洞に位置する「江西麺屋(강서면옥)」は1948年に平安南道江西郡で開店した。朝鮮戦争によって避難し、1953年に京畿道平沢市に店を構えた後、1968年に現在の場所へ移転している。
1950年代
朝鮮戦争(1950~1953)によって北部から避難してきた人や、その子孫らが韓国で冷麺店を多く営んでいる。
- 五壮洞冷麺通りの形成
- ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。1954年には「五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)」が創業している。
- 釜山におけるミルミョンの誕生
- 朝鮮戦争によって多くの人が釜山へと避難した。休戦後もそのまま釜山に留まった人たちは多く、釜山では北部地域の出身者が当時、米軍からの救援物資などで入手のしやすかった小麦粉を用いてネンミョンを作った。これをミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)と呼び、現在は釜山では郷土料理として親しまれている。その発祥は諸説あるが、1953年に釜山の牛巌洞でオープンした「内湖冷麺(내호냉면)」が元祖格として知られる。
2010年代
- ユクサムネンミョンのブーム
- 韓国では2010年頃からテジプルコギ(豚肉の味付け焼肉/돼지불고기)とネンミョンをセットにしたメニューがブームとなった。もともとネンミョンは焼肉の後に食べる習慣があり、残った肉を麺と絡めて味わう習慣もあった。それを最初から食事用のセットとして提供したもので、こうしたスタイルをコギチュヌンネンミョン(肉を出す冷麺、고기 주는 냉면)、ユクサムネンミョン(肉を包む冷麺、육쌈냉면)、サムネンミョン(包み冷麺、쌈냉면)などと表現する。
- 南北首脳会談と平壌冷麺
- 2018年4月27日に板門店で南北首脳会談が行われた。このとき金正恩委員長は、晩餐会で名物である平壌冷麺を振舞うため、平壌の冷麺専門店である「玉流館(옥류관)」のスタッフをはじめ材料や製麺機までを運んできた。これについて金正恩委員長は会談で「어렵사리 평양에서부터 평양냉면을 가져왔습니다.(苦労して平壌から平壌冷麺を持ってきました)」と語り、また文在寅大統領に向けて「대통령께서 편한 마음으로 멀리 온...(大統領におかれましては気楽な気持ちで遠くからきた……)」と冷麺を薦める発言の途中で、「멀다고 말하면 안 되겠구나(遠いと言ってはまずいな)」と修正する場面もあった。一連の発言はメディアでも大きく報道され、平壌冷麺の知名度が世界的に向上した。午前中の会談だったこともあり、韓国ではランチタイムに多くの冷麺店で大行列ができるに至った。
種類
ネンミョンには次のような種類がある。
基本形
- ムルネンミョン(물냉면)
- 冷たいスープに麺を入れたネンミョン
- ピビムネンミョン(비빔냉면)
- 辛い薬味ダレを麺と和えて食べるネンミョン
麺の種類
- チンネンミョン(칡냉면)
- 葛粉を麺に加えたネンミョン
- トトリネンミョン(도토리냉면)
- どんぐりのでんぷんを麺に加えたネンミョン
- ノクチャネンミョン(녹차냉면)
- 緑茶を麺に練り込んだネンミョン
- ミルネンミョン(밀냉면)
- 小麦粉を原料としたネンミョン。ミルミョン(밀면)とも呼ぶ。
具の種類
- フェネンミョン(회냉면)
- エイやカレイ、スケトウダラなどの刺身を具としたネンミョン
- コダリネンミョン(코다리냉면)
- スケトウダラの生干しを薬味ダレと和えて具としたネンミョン。スケトウダラの刺身冷麺という意味で、ミョンテフェネンミョン(명태회냉면)とも呼ぶ。
その他
- チョゲタン(초계탕)
- 鶏ダシのスープに酢、カラシ、砂糖、醤油、すりゴマなどを加え、茹でて裂いた鶏肉や生野菜などを加えた冷製スープ(「チョゲタン(鶏の冷製スープ/초계탕)」の項目も参照)。麺を入れて食べることが多く、ネンミョンの専門店でも提供される。
日本における定着
日本では戦前に朝鮮半島から渡ってきた人たちがネンミョンを伝えた。焼肉店を中心にネンミョンを食べられる店は多く、盛岡冷麺のように郷土料理となった事例もある。
- 元祖平壌冷麺屋の開店
- 神戸の新長田に本店がある「元祖平壌冷麺屋」は1939年に平壌出身の張模蘭、全永淑夫婦が創業した。当初は家庭料理として作り、同郷の人たちにふるまう程度であったが、評判がよかったため店を開くに至った。現存する平壌冷麺の専門店としては朝鮮半島を含めてもっとも古い。
- 盛岡冷麺の誕生
- 岩手県盛岡市では冷麺が郷土料理として親しまれている。咸鏡南道咸興市出身の青木輝人(楊龍哲)が1954年に「食道園」を開き、故郷の料理であるネンミョンを提供したのが始まりである。当初はコシの強い麺が不評だったが、やがてその魅力が浸透し、盛岡冷麺として定着した。その詳細な経緯については、小西正人著『盛岡冷麺物語』(リエゾンパブリッシング)に詳しい[11]。
エピソード
- マッククスとの違い
- ネンミョンとよく似た料理としてマッククス(冷やしそば/막국수)がある。両者には重複する部分が多く、その違いを明確にするのは難しい。曖昧な線引きではあるが、比較できる部分を列挙する。
- 地域性
- ネンミョンが朝鮮半島北部の平安道(ピョンアンド、평안도)や咸鏡道(ハムギョンド、함경도)を本場とするのに対し、マッククスは江原道を本場として語られることが多い。
- チョルミョンの誕生
- 1970年代初め、仁川市中区(인천시 중구)の製麺工場「クァンシン製麺(광신제면)」でネンミョン用の麺を製造していたところ、麺を押し出す穴のサイズを間違えて、普段よりも太い麺ができてしまった。捨てるのはもったいないので近隣の粉食店に持ち込み、使ってもらうことにしたところ、その麺で作った料理が意外な評判を得た。冷麺よりもシコシコと食感がよいことから、チョルミョンと名付けられ、これが周囲にも広まって現在は仁川市の郷土料理となった。
- 本場の冷麺を食べに
- 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2015年4月に初めて北朝鮮を訪れ、本場の平壌冷麺と咸興冷麺をそれぞれ現地で食べた。その感動はひとしおであり、これまでに食べたどのネンミョンよりも美味しかったと確信している。
地域
- ソウル市
- ソウル市には平壌冷麺の老舗店が各地に点在している。1946年創業の「又来屋(우래옥)」を筆頭に、1948年創業の「江西麺屋(강서면옥)」、1950年創業の「平来屋(평래옥)」などがある。
- ソウル市中区五壮洞
- ソウル市の中区五壮洞(チュング オジャンドン、중구 오장동)には咸興冷麺の専門店が3軒集まっている。1953年創業の「五壮洞興南家(오장동흥남집)」がもっとも古く、1954年創業の「五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)」、1980年創業の「五壮洞新昌麺屋(오장동 신창면옥)」と続く。
- 仁川市中区花平洞
- 京畿道楊平郡玉泉面
- 京畿道楊平郡の玉泉面(オクチョンミョン、옥천면)は豚肉を煮込んだスープの冷麺が有名。地域名にちなんで玉泉冷麺(オクチョンネンミョン、옥천냉면)と呼ばれる。もともとは黄海道海州市の出身者が広めた。冷麺とともにワンジャ(완자)と呼ばれるトングランテン(ひき肉のチヂミ/동그랑땡)を注文するのが定番。玉泉面玉泉里(オクチョンミョン オクチョンニ、옥천면 옥천리)にある1952年創業の「玉泉冷麺(옥천냉면)」が元祖として知られる。
- 大田市儒城区新城洞
- 大田市儒城区新城洞(ユソング シンソンドン、유성구 신성동)の旧称はスッコル(炭谷の意、숯골)であり、この地域で作られる平壌式のネンミョンはスッコルネンミョン(숯골냉면)と呼ばれる。朝鮮戦争時に平壌から避難してきた人たちが、この地域に住み着いて作り始めた。そば粉の比率が高い麺と、鶏ダシにトンチミ(大根の水キムチ/동치미)の汁を加えたスープが特徴。大田の6種類ある名物料理「大田6味」のひとつに数えられる。
- 慶尚南道晋州市
- 慶尚南道晋州市は平壌、咸興と並ぶネンミョンの本場とされ、この地域で作られるネンミョンを晋州冷麺(チンジュネンミョン、진주냉면)と呼ぶ。タコやムール貝、干しダラなどでとった魚介スープに、そば粉とサツマイモのでんぷんで作った麺を入れ、具には細切りにしたユッチョン(牛肉のチヂミ/육전)を載せるのが特徴。二峴洞(イヒョンドン、이현동)に位置する「ハヨノク(하연옥)」が有名。
- 平壌市
- 平壌冷麺の本場であり、1960年創業の「玉流館(옥류관)」を筆頭に、「清流館(청류관)」、「ヘダンファ館(해당화관)」、「平壌麺屋(평양면옥)」といった有名専門店がある。また外国人も多く宿泊する「高麗ホテル(고려호텔)」1階レストランも有名。
- 咸鏡南道咸興市
- 咸興冷麺の本場であり、専門店としては「新興館(신흥관)」が有名。平壌にも支店がある。
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
<ソウル・平壌冷麺>
- 南浦麺屋(남포면옥)
- 住所:ソウル市中区乙支路3キル24(茶洞121-4)
- 住所:서울시 중구 을지로3길 24(다동 121-4)
- 電話:02-777-3131
- 備考:1965年創業の平壌冷麺店。自家製のトンチミが自慢
- 綾羅パプサン(능라밥상)
- 住所:ソウル市鍾路区敦化門路5キル42、2階(楽園洞197-1)
- 住所:서울시 종로구 돈화문로5길 42, 2층(낙원동 197-1)
- 電話:02-747-9907
- 備考:北朝鮮料理の専門店。開城料理、海州料理なども扱う
- 又来屋(우래옥)
- 住所:ソウル市中区昌慶宮路62-29(舟橋洞118-1)
- 住所:서울시 중구 창경궁로 62-29(주교동 118-1)
- 電話:02-2265-0151
- 備考:1945年創業の平壌冷麺店。韓国ではもっとも古い
- 乙密台(을밀대)
- 住所:ソウル市麻浦区崇文キル24(塩里洞147-6)
- 住所:서울시 마포구 숭문길 24(염리동 147-6)
- 電話:02-717-1922
- 備考:1966年創業の平壌冷麺店。他店に比べて太麺が特徴
- 乙支麺屋(을지면옥)
- 住所:ソウル市中区忠武路14キル2-1(笠井洞161)
- 住所:서울시 중구 충무로14길 2-1(입정동 161)
- 電話:02-2274-6863
- 備考:1985年創業の平壌冷麺店。議政府平壌冷麺の系列
- 平来屋(평래옥)
- 住所:ソウル市中区マルンネ路21-1(苧洞2街18-1)
- 住所:서울시 중구 마른내로 21-1(저동2가 18-1)
- 電話:02-2267-5892
- 備考:1950年創業の平壌冷麺店。牛肉にキジ肉を加えたスープが特徴
- 平壌麺屋(평양면옥)
- 住所:ソウル市中区奨忠壇路207(奨忠洞1街26-14)
- 住所:서울시 중구 장충단로 207(장충동1가 26-14)
- 電話:02-2267-7784
- 備考:1985年創業の平壌冷麺店。店内で製粉も行う
- 筆洞麺屋(필동면옥)
- 住所:ソウル市中区西崖路26(筆洞3街1-5)
- 住所:서울시 중구 서애로 26(필동3가 1-5)
- 電話:02-2266-2611
- 備考:1985年創業の平壌冷麺店。議政府平壌冷麺の系列
<ソウル・咸興冷麺>
- 五壮洞興南チプ(오장동 흥남집)
- 住所:ソウル市中区マルンネ路114(五壮洞101-7)
- 住所:서울시 중구 마른내로 114(오장동 101-7)
- 電話:02-2266-0735
- 備考:1953年創業の咸興冷麺店。咸興冷麺店としてはもっとも古い
- 五壮洞新昌麺屋(오장동 신창면옥)
- 住所:ソウル市中区マルンネ路106(五壮洞90-8)
- 住所:서울시 중구 마른내로 106(오장동 90-8)
- 電話:02-2273-4889
- 備考:1978年創業の咸興冷麺店。五壮洞咸興冷麺の料理長が独立して開店
- 五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)
- 住所:ソウル市中区マルンネ路108(五壮洞90-10)
- 住所:서울시 중구 마른내로 108(오장동 90-10)
- 電話:02-2267-9500
- 備考:1954年創業の咸興冷麺店。咸興冷麺としても麺のコシが強い
<地方>
- 西部冷麺(서부냉면)
- 住所:慶尚北道栄州市豊基邑人参路3番キル26(西部里132-2)
- 住所:경상북도 영주시 풍기읍 인삼로3번길 26(서부리 132-2)
- 電話:054-636-2457
- 備考:1973年創業の平壌冷麺店
- 玉泉冷麺本店(옥천냉면 본점)
- 住所:京畿道楊平郡玉泉面古邑路136(玉泉里760)
- 住所:경기도 양평군 옥천면 고읍로 136(옥천리 760)
- 電話:031-772-9693
- 備考:1952年創業の玉泉冷麺店。黄海道式の冷麺を定着させた
- 元山麺屋(원산면옥)
- 住所:釜山市中区光復路56-8(昌善洞1街37-1)
- 住所:부산시 중구 광복로 56-8(창선동1가 37-1)
- 電話:051-245-2310
- 備考:1953年創業の平壌冷麺店。南浦洞の繁華街に位置
- ハヨノク(하연옥)
- 住所:慶尚南道晋州市晋州大路1317-20(二峴洞1191)
- 住所:경상남도 진주시 진주대로 1317-20(이현동 1191)
- 電話:055-741-0525
- 備考:1945年創業の晋州冷麺店。晋州冷麺の元祖店として知られる
脚注
- ↑ 北朝鮮報告(1)~平壌、開城、元山、咸興の各地域を食べ歩いてきました。 、韓食生活、2015年5月7日閲覧
- ↑ 八田靖史, 2016, 『食の日韓論 ボクらは同じものを食べている』, 三五館, P174-216
- ↑ 朝鮮人과飲食物 、NAVERニュースライブラリー(朝鮮日報1936年8月27日記事)、2023年10月5日閲覧
- ↑ 계곡집 、한국문집총간、2017年2月4日閲覧
- ↑ 메밀국수 、한국전통지식포탈、2017年2月4日閲覧
- ↑ 최대림(약), 1989, 『동국세시기』, 홍신문화사, P121
- ↑ 이효지 외(엮음), 2004,『시의전서』, 신광출판사, P187
- ↑ 이효지 외(엮음), 2010,『부인필지』, 교문사, P192~193
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311-312
- ↑ 문일평 지음, 이한수 옮김, 2008, 『문일평 1934년』, 산림출판사, P21-166
- ↑ 小西正人 2007, 『盛岡冷麺物語』, リエゾンパブリッシング
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)