「カムジャタン(ジャガイモ鍋/감자탕)」の版間の差分

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== 名称 ==
 
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[[ファイル:25022801.JPG|300px|thumb|市場で売られている豚の背骨]]
 
カムジャタンのカムジャ([[감자]])は、ジャガイモ。タン([[탕]])は鍋料理の意。老舗店ではカムジャクッ([[감자국]])と呼ぶこともある。日本ではガムジャタン、カンジャタン、ガンジャタンなどの表記も見かけるが、本辞典においては「カムジャタン」を使用する。発音表記は[감자탕]。
 
カムジャタンのカムジャ([[감자]])は、ジャガイモ。タン([[탕]])は鍋料理の意。老舗店ではカムジャクッ([[감자국]])と呼ぶこともある。日本ではガムジャタン、カンジャタン、ガンジャタンなどの表記も見かけるが、本辞典においては「カムジャタン」を使用する。発音表記は[감자탕]。
  
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== 概要 ==
 
== 概要 ==
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[[ファイル:25022802.JPG|300px|thumb|カムジャタン専門店の厨房。仕上げの段階で注文が入ったら鍋に盛って提供する]]
 
カムジャタンは、豚の背骨([[등뼈]])を長ネギ、ニンニク、ショウガなどの香味野菜とともに長時間煮込み、塩、粉唐辛子、味噌([[된장]])などで味付けをしてスープを作る。具には煮込んだ豚の背骨に加え、下茹でをしたジャガイモを入れる。店によって、ウゴジ(白菜の外葉、[[우거지]])、シレギ(大根の干し葉、[[시래기]])、エゴマの葉([[깻잎]])などの野菜を足したり、エゴマの粉([[들깨가루]])や刻みネギをあしらったりすることもある。ごはんを添えて食事の主菜とするほか、[[ソジュ(焼酎/소주)|焼酎]]に合わせる酒肴としても人気が高い。
 
カムジャタンは、豚の背骨([[등뼈]])を長ネギ、ニンニク、ショウガなどの香味野菜とともに長時間煮込み、塩、粉唐辛子、味噌([[된장]])などで味付けをしてスープを作る。具には煮込んだ豚の背骨に加え、下茹でをしたジャガイモを入れる。店によって、ウゴジ(白菜の外葉、[[우거지]])、シレギ(大根の干し葉、[[시래기]])、エゴマの葉([[깻잎]])などの野菜を足したり、エゴマの粉([[들깨가루]])や刻みネギをあしらったりすることもある。ごはんを添えて食事の主菜とするほか、[[ソジュ(焼酎/소주)|焼酎]]に合わせる酒肴としても人気が高い。
  
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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
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[[ファイル:25022803.JPG|300px|thumb|1970年代に創業した老舗店のカムジャタン]]
 
カムジャタンの歴史ははっきりとした記録がなく、いつから食べられているのかは不明である。語り手によって三国時代から紐解く場合もあるが、ジャガイモの伝来が19世紀前半であることを考えると、さすがに無理があると言わざるをえない。19世紀末から20世紀初頭にかけて発達したとの説が有力とされるが、それを裏付ける資料は乏しく、具体的な情報は1950年代まで待たなければならない。以下に詳述するが、類似の料理である[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]が普及したのち、具としてジャガイモを加える工夫が生まれ、これがカムジャタンと呼ばれて独立していったのではないかと推測される。1970~80年代には、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の各地に専門店ができて広まった。
 
カムジャタンの歴史ははっきりとした記録がなく、いつから食べられているのかは不明である。語り手によって三国時代から紐解く場合もあるが、ジャガイモの伝来が19世紀前半であることを考えると、さすがに無理があると言わざるをえない。19世紀末から20世紀初頭にかけて発達したとの説が有力とされるが、それを裏付ける資料は乏しく、具体的な情報は1950年代まで待たなければならない。以下に詳述するが、類似の料理である[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]が普及したのち、具としてジャガイモを加える工夫が生まれ、これがカムジャタンと呼ばれて独立していったのではないかと推測される。1970~80年代には、[[ソウル市の料理|ソウル市]]の各地に専門店ができて広まった。
  
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=== ジャガイモの伝来 ===
 
=== ジャガイモの伝来 ===
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[[ファイル:25022804.JPG|300px|thumb|市場で売られているジャガイモ]]
 
:朝鮮半島にジャガイモ([[감자]])が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷([[북저]])」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2536029/1/61 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧</ref>と記録している。関北は[[北朝鮮の料理|咸鏡道]]を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
 
:朝鮮半島にジャガイモ([[감자]])が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷([[북저]])」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2536029/1/61 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧</ref>と記録している。関北は[[北朝鮮の料理|咸鏡道]]を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
  
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=== 1970~80年代 ===
 
=== 1970~80年代 ===
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[[ファイル:25022805.JPG|300px|thumb|新龍山駅周辺にかつてあったカムジャタンの専門店通り(2011年10月4日撮影)]]
 
:1970~80年代にかけては豚肉の消費量が大きく伸びた時期で、1人当たりの消費量は1970年2.6kg、1975年2.8kgから、1980年6.3kg、1985年8.4kg、1990年11.8kgと急速に増え、1970年から1990年までの増加率は4.54倍で、同時期の牛肉3.42倍(1.2kg→4.1kg)、鶏肉2.85倍(1.4kg→4.0kg)に比べても顕著と言える<ref>[https://www.mafra.go.kr/home/5102/subview.do?enc=Zm5jdDF8QEB8JTJGYmJzJTJGaG9tZSUyRjc4OSUyRjU3MjU2NyUyRmFydGNsVmlldy5kbyUzRg%3D%3D 2024 농림축산식품 주요통계(P379)] 、農林畜産食品部、2025年2月26日閲覧</ref>。背景には大規模な養豚事業の拡大と、所得向上による外食産業の活発化に加え、かつては夏場になると食中毒への憂慮から豚肉が避けられていたが、冷蔵庫の普及によって季節を問わなくなったことなどがあげられる。こうした消費量の増加は、副産物の流通拡大にもつながり、カムジャタンの主材料である豚の背骨が安価に入手できることから、各地で専門店が増えていったと解釈される。
 
:1970~80年代にかけては豚肉の消費量が大きく伸びた時期で、1人当たりの消費量は1970年2.6kg、1975年2.8kgから、1980年6.3kg、1985年8.4kg、1990年11.8kgと急速に増え、1970年から1990年までの増加率は4.54倍で、同時期の牛肉3.42倍(1.2kg→4.1kg)、鶏肉2.85倍(1.4kg→4.0kg)に比べても顕著と言える<ref>[https://www.mafra.go.kr/home/5102/subview.do?enc=Zm5jdDF8QEB8JTJGYmJzJTJGaG9tZSUyRjc4OSUyRjU3MjU2NyUyRmFydGNsVmlldy5kbyUzRg%3D%3D 2024 농림축산식품 주요통계(P379)] 、農林畜産食品部、2025年2月26日閲覧</ref>。背景には大規模な養豚事業の拡大と、所得向上による外食産業の活発化に加え、かつては夏場になると食中毒への憂慮から豚肉が避けられていたが、冷蔵庫の普及によって季節を問わなくなったことなどがあげられる。こうした消費量の増加は、副産物の流通拡大にもつながり、カムジャタンの主材料である豚の背骨が安価に入手できることから、各地で専門店が増えていったと解釈される。
  
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== 種類 ==
 
== 種類 ==
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[[ファイル:23010610.JPG|thumb|300px|ピョダグィヘジャンクッ]]
 
=== ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국) ===
 
=== ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국) ===
 
:ピョダグィヘジャンクッ([[뼈다귀해장국]])は、豚の背骨のスープ(「[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]」の項目も参照)。ピョダグィ([[뼈다귀]])は骨のかけらを意味し、ヘジャンクッ([[해장국]])は酔い覚ましに食べるスープを総称する。ピョヘジャンクッ([[뼈해장국]])とも呼ぶ。調理法はカムジャタンともよく似るが、名称が「カムジャ(ジャガイモ、[[감자]])」タンでないことから、ジャガイモが入らないことがままある。ジャガイモが入る場合、カムジャタンとの違いはなくなるが、カムジャタンの専門店では1人前の定食として提供するものをピョダグィヘジャンクッと呼び分けることが多い。
 
:ピョダグィヘジャンクッ([[뼈다귀해장국]])は、豚の背骨のスープ(「[[ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)]]」の項目も参照)。ピョダグィ([[뼈다귀]])は骨のかけらを意味し、ヘジャンクッ([[해장국]])は酔い覚ましに食べるスープを総称する。ピョヘジャンクッ([[뼈해장국]])とも呼ぶ。調理法はカムジャタンともよく似るが、名称が「カムジャ(ジャガイモ、[[감자]])」タンでないことから、ジャガイモが入らないことがままある。ジャガイモが入る場合、カムジャタンとの違いはなくなるが、カムジャタンの専門店では1人前の定食として提供するものをピョダグィヘジャンクッと呼び分けることが多い。
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== 日本における定着 ==
 
== 日本における定着 ==
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[[ファイル:25022806.jpg|300px|thumb|東京・東新宿「松屋」の外観]]
 
1991年に東京・東新宿でカムジャタン専門店「松屋」が創業した。同店は「日本で初めてカムジャタンを始めた」<ref>[https://www.instagram.com/matsuya_korea/ 伝統韓国家庭料理 | 松屋] 、Instagram、2025年2月26日閲覧</ref>と掲げており、相反する情報も見当たらないので、この時期に日本へ入ってきたと考えてよいと思われる。
 
1991年に東京・東新宿でカムジャタン専門店「松屋」が創業した。同店は「日本で初めてカムジャタンを始めた」<ref>[https://www.instagram.com/matsuya_korea/ 伝統韓国家庭料理 | 松屋] 、Instagram、2025年2月26日閲覧</ref>と掲げており、相反する情報も見当たらないので、この時期に日本へ入ってきたと考えてよいと思われる。
  
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:電話:02-444-5281
 
:電話:02-444-5281
 
:最終訪問日:2015年2月8日
 
:最終訪問日:2015年2月8日
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*;太祖大林カムジャクッ(태조대림감자국)
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:鷹岩洞カムジャクッ通りでは古株の専門店。以前は春菊を山盛りにしていたが、現在はエゴマの葉と生の白菜を煮込んで仕上げるのを特徴としている。
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:住所:ソウル市恩平区鷹岩路172(鷹岩洞603-74)
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:住所:서울시 은평구 응암로 172(응암동 603-74)
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:電話:02-306-6535
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:最終訪問日:2008年3月31日
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2025年2月27日 (木) 23:44時点における最新版

この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。
カムジャタン

カムジャタン감자탕)は、ジャガイモ鍋。

名称

市場で売られている豚の背骨

カムジャタンのカムジャ(감자)は、ジャガイモ。タン()は鍋料理の意。老舗店ではカムジャクッ(감자국)と呼ぶこともある。日本ではガムジャタン、カンジャタン、ガンジャタンなどの表記も見かけるが、本辞典においては「カムジャタン」を使用する。発音表記は[감자탕]。

  • 日本語訳
カムジャタンの日本語訳には、主材料である「豚の背骨」と「ジャガイモ」を用いたものが多い。「豚の背骨とジャガイモの鍋」や「ジャガイモと豚の背骨鍋」といった形で併記をするか、どちらかを取り上げて「豚の背骨鍋」「ジャガイモ鍋」とする例が一般的である。豚の背骨を「豚背骨」「豚骨」と表記することもある。日本では豚の背骨をスペアリブなどの骨付き肉で代用することも多いことから、「スペアリブ鍋」「骨付き肉の鍋」といった訳も見られる。韓食ペディアの執筆者である八田靖史は「豚の背骨とジャガイモの鍋」を使用することも多いが、本辞典では簡潔さを優先して「ジャガイモ鍋」としている。

語源

カムジャタンを直訳すると「ジャガイモ鍋」になるが、料理としては豚の背骨(등뼈)が目立っており、こちらがむしろ主役に見えることもあって、料理名の語源も、カムジャ(감자)を文字通りにジャガイモと理解するものと、豚の背骨(등뼈)の別名と考えるものに大きく分かれる。後者の場合は、豚の背骨(または首骨)をカムジャッピョ(감자뼈、直訳はジャガイモ骨)と呼び、ジャガイモとは本来無関係な料理であるが、名前が共通することから入れるようになったと考える(なくてもよいとの意見もある)。カムジャッピョの語源については、見た目がジャガイモに似ているから、または背骨の間にある黄色いスジ(힘줄)をカムジャと呼んだから、などこちらも諸説ある。
カムジャの語源を豚の背骨とする説は、話としても面白いことからメディアでも多く取り上げられるが、2000年代に入って登場した俗説として否定される傾向にある。多く引用される検証記事のひとつとして、2003年2月10日にニュースサイト「タンジ日報(딴지일보)」で発表されたコラムがあり、読者から寄せられた「カムジャタンのカムジャはジャガイモでなく豚の背骨を意味する」との投稿をきっかけとして取材を重ね、老舗のカムジャタン専門店や、養豚協会、肉加工関連業者から、豚にカムジャと呼ばれる骨や部位はないとの回答を得ている[1]
有名コラムニストの黄橋益 (ファン・ギョイク、황교익)氏も、自身の執筆したコラムやテレビ番組などで、カムジャは豚の背骨ではないとたびたび否定しており、こちらも有識者の見解として引用されることが多い[2][3]
料理の語源とは無関係に、精肉店や飲食店で「カムジャタンに用いる豚の背骨」との意味から「カムジャッピョ(감자뼈)」「カムジャタンッピョ(감자탕뼈、直訳はカムジャタンの骨)」といった表現を用いることはある。こういった用例から、カムジャの語源を豚の背骨とする説が拡大していったのではないかとも推測される。

概要

カムジャタン専門店の厨房。仕上げの段階で注文が入ったら鍋に盛って提供する

カムジャタンは、豚の背骨(등뼈)を長ネギ、ニンニク、ショウガなどの香味野菜とともに長時間煮込み、塩、粉唐辛子、味噌(된장)などで味付けをしてスープを作る。具には煮込んだ豚の背骨に加え、下茹でをしたジャガイモを入れる。店によって、ウゴジ(白菜の外葉、우거지)、シレギ(大根の干し葉、시래기)、エゴマの葉(깻잎)などの野菜を足したり、エゴマの粉(들깨가루)や刻みネギをあしらったりすることもある。ごはんを添えて食事の主菜とするほか、焼酎に合わせる酒肴としても人気が高い。

主に専門店で食べられるメニューだが、同じ豚肉料理のスンデ(韓国式の腸詰/순대)や、ポッサム(茹で豚の葉野菜包み/보쌈)チョッパル(豚足の煮物/족발)などの専門店で提供されることも多い。1人前のカムジャタンはピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)の名前でも呼び、ヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)の専門店でもメニューに並ぶ。豚の背骨を長時間煮込む必要があることから、24時間営業の店が多く、朝食としての利用や、飲んだ後のシメとして深夜に食べることも多い料理である。

ジャガイモを用いた料理としては、ほかにカムジャジョン(ジャガイモのチヂミ/감자전)カムジャソンピョン(ジャガイモ餅/감자송편)カムジャジョリム(ジャガイモの煮物/감자조림)などがある。

食べ方

かつてはできあがったものを器に盛って出していたが、現在は卓上のコンロで煮込みながら食べるスタイルが一般的である。主材料は火を通した状態で出てくるが、店によっては生のジャガイモを用いるところもある。長ネギやエゴマの葉、エノキダケなどの副材料を足す場合は、これらに火が通るのを待ってから食べる。
豚の背骨についた肉を丹念にはがしながら食べるのが妙味であり、手で持ってかぶりついて食べることが推奨される。慣れた人であれば骨の継ぎ目を外しながら、隙間の肉も余すことなく味わう。かつては正肉部位をとった残りの背骨で作ったため、骨まわりにつく肉は少なかったが、近年は最初からカムジャタン用として肉を多く残して解体した背骨が用いられる。店によってはつけダレとして、ワサビ醤油が用意されることもある。
残った煮汁には、ラーメン(라면)や、うどん(우동)を入れるほか、ごはんを炒めて食べることも多い。

歴史

1970年代に創業した老舗店のカムジャタン

カムジャタンの歴史ははっきりとした記録がなく、いつから食べられているのかは不明である。語り手によって三国時代から紐解く場合もあるが、ジャガイモの伝来が19世紀前半であることを考えると、さすがに無理があると言わざるをえない。19世紀末から20世紀初頭にかけて発達したとの説が有力とされるが、それを裏付ける資料は乏しく、具体的な情報は1950年代まで待たなければならない。以下に詳述するが、類似の料理であるピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)が普及したのち、具としてジャガイモを加える工夫が生まれ、これがカムジャタンと呼ばれて独立していったのではないかと推測される。1970~80年代には、ソウル市の各地に専門店ができて広まった。

三国時代

中国の歴史書『三国志』の「魏書」第30巻「烏丸鮮卑東夷伝」には、夫余(中国・東北部で紀元前4世紀頃~494年まで勢力を誇った国家)に関する記述があり、家畜にちなんで「馬加、牛加、豬加、狗加」などの官職があったとしている[4]。このうち「豬加」は豚の飼育に携わっていたとみられ、同書が編纂された3世紀末頃には豚肉が食用されていたと推測できる。高句麗と百済は扶余にルーツがあるとされ、現在の韓国で親しまれている豚肉料理を三国時代までさかのぼって語る場合には、こうした史料が根拠として利用される。特にカムジャタンの場合は、百済を発祥地とみなす場合が多く、全羅道(チョルラド、전라도)を本場とする見解にもつながる。ただし、いずれの説も想像の域を出ず、カムジャタンの歴史として語るには関連性が希薄である。

ジャガイモの伝来

市場で売られているジャガイモ
朝鮮半島にジャガイモ(감자)が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷(북저)」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】[5]と記録している。関北は咸鏡道を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
以降、園芸書などに栽培に関する記述が登場するほか、19世紀半ばに実学者の李圭景(イ・ギュギョン、이규경)が書いた百科事典の『五洲衍文長箋散稿(오주연문장전산고)』には、「北藷」について「別名を土甘藷と呼ぶ。純祖24年、25年に関北から初めて入って来た」【原文2】[6]と書かれている。純祖24年、25年は、1824、25年なので、『杏蒲志(행포지)』の内容とも共通する。
【原文1】「北藷近自關北來」
【原文2】「一名土甘藷 純廟甲申 乙酉之間 始自關北出來」
  • 語源
韓国語ではジャガイモのことを「カムジャ(감자)」と呼び、伝来当初に「北から来た甘藷(サツマイモ)」の意味で「北藷(북저)」「北甘藷(북감저)」「北方甘藷(북방감저)」などと呼ばれたものが、省略されて「甘藷(カムジョ、감저)」だけが残り、「カムジャ」へと変化したとされる。現在の韓国ではサツマイモを「コグマ(고구마)」と呼ぶのが一般的だが、「甘藷」もサツマイモを意味し、結果として「甘藷」はジャガイモとサツマイモの両方を指す言葉になっている。国立国語院が編纂する『標準国語大辞典』では、「甘藷(감저)」について「ジャガイモの原語」「サツマイモの塊根」とふたつの意味を掲載している[7]

19世紀後半

カムジャタンの発祥地を仁川市と考える説があり、1883年1月の仁川港(インチョンハン、인천항)開港と、1897年3月に着工して、1899年9月に開業した京仁線(キョンインソン、경인선)の鉄道工事が大きくかかわっているとされる。大筋で以下のような内容が語られる。
仁川港の開港によって外国人が多く訪れ、居留地が作られたことで外国人向けの食材として肉類の需要が拡大し、副産物として骨などが残ったことから、これを煮込んで作ったスープが大衆的な食事として定着する。これをピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)のルーツと考える見解もある。そこに京仁線の工事が始まったことで、全国から大勢の労働者が集まり、ジャガイモや菜っ葉を入れる工夫を生み出され、これがカムジャタンのルーツになった。
新聞記事や書籍などにも頻繁に登場する有名な説ではあるが、裏付けとなる史料がなく、いつ頃から語られているのかもはっきりしない。傍証のひとつとして、1916年に仁川府営の屠畜場が作られたことを肉類需要の増加に絡めた例も見かける[8]。ジャガイモや菜っ葉を入れる工夫については、全羅道(チョルラド、전라도)の出身者が考案したと限定する場合もあり、以下に記すハン・ドンギルのエピソードが関係していると思われる。
ハン・ドンギルのエピソード
ハン・ドンギル(한동길)は、カムジャタンの考案者として語られる人物。具体的な史料がない中で、多く根拠として引用されているのが、カムジャタン専門店「ハンドンギルカムジャタン(한동길감자탕)」のウェブサイトで、ブランドの由来として語られていた以下の内容である(現在は削除されているため、書籍から引用)。
【訳文】全羅北道の淳昌(スンチャン、순창)で韓方薬局を営む韓方医の息子として生まれたハン・ドンギル(한동길)は、父の影響で韓方医学を学んでいたところ、1894年の東学農民運動に巻き込まれ、仁川に移住することになりました。傾いた一家の生計を立てるために、京仁鉄道会社の人夫として働いていたハン・ドンギルは、食事も抜いたまま作業していた人夫たちのために、持ち合わせていた韓医学の知識を活用し、もっとも安価な材料だった菜っ葉、ジャガイモ、豚の背骨を利用したスープを作って労働者たちに提供しました。栄養価が高く、健康によい、豚の背骨とジャガイモの鍋は人気を得て、1900年に漢江鉄橋の工事が大詰めを迎えた鷺梁津の近くで、飯場を本格的に運営し始めました。【原文1】※丸カッコ内は訳注
【原文1】전라북도 순창에서 한약방을 운영하던 한의사의 아들로 태어난 한동길은 부친의 영향으로 한의학 교육을 받던 중 1894년 동학농민운동에 휘말려 인천으로 이주하게 되었습니다. 가문이 기울고 일가의 생계를 위해 경인철도 회사의 인부로 일하던 한동길은 끼니도 거른 채 작업하던 인부들을 위해 평소에 갖고 있던 한의학 지식을 활용하여 가장 싼재료였던 시래기, 감자, 돼지뼈를 이용한 탕국을 만들어 노동자들에게 제공하게 되었는데 영양가가 높고 건강에 좋은 통뼈 감자탕이 인기를 얻게 되어 1900년 한강철교 공사가 막바지에 이른 노량진 근처에서 함바집을 본격적으로 운영하기 시작했습니다.<ref>김찬별, 2008, 『한국음식 그 맛있는 탄생』, 로크미디어, P80~82</ref>
同店の名前は上記のハン・ドンギルから取ったと見られ、内容もたいへん具体的ではあるが、ウェブサイトに書かれていた以上の情報は現状として見つけることができず、実質的に検証が不可能である。裏付けの調査は今後の課題と言える。

1920年代

『別乾坤』(1927年)の記述
1927年10月1日発行の『別乾坤』(第9号)には、チュオタン(ドジョウ汁/추어탕)専門店のアルバイトとして潜入取材を行った記者のルポ記事が掲載されており、店のメニューとしてピョダグィックッ(豚の背骨のスープ/뼈다귓국)が登場する[9]。料理についての詳細な説明はないので、必ずしも豚の背骨を使用したものとは言い切れず、ジャガイモが入っているかも不明だが、料理の名称からこれをカムジャタンのルーツとして考える場合がある。

1950年代

『東亜日報』(1958年)の記述
1958年6月29日の『東亜日報』には、児童文学作家の馬海松(マ・ヘソン、마해송)によるコラム「趣味の妙境(3)珍食」が掲載されており、自身がよく行く店として「タグィチプ(따귀집)」(=ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)の専門店)を紹介している。文中では「肉をはがした豚骨だけを、夏であればジャガイモと、煮るというよりも煮込んだスープの鍋に、50ファン(当時の通貨単位)の薬酒が長安第一である」【原文2】[10]と述べており、豚骨を煮込んだスープにジャガイモを入れた例としては、これが初出と見られる。
【原文2】돼지뼈다귀 살점다긁어버린 뼈다귀만여름이면 감자하고 삶는다기보다 곤국물 한뚝배기에 五十환藥酒가 長安第一일게다.
「太祖カムジャクッ」の創業
ソウル市の城北区東仙洞1街(ソンブック トンソンドンイルガ、성북구 동선동1가)に位置する「太祖カムジャクッ(태조감자국)」は1958年1月の創業で、現存する最古のカムジャタン専門店として知られる。かつてはカムジャタンという料理名が一般的でなかったため、現在に至るまで店名や料理名にはカムジャクッ(감자국)を採用している。初代のイ・ドゥファン(이두환)氏は当初、東仙洞5街(トンソンドンオガ、동선동5가)にて「プアムチプ(부암집)」の屋号で営業を始めた。初期はカムジャクッのほか(資料によっては1960年代から[11])、ピジチゲ(おからの鍋/비지찌개)ペッパン(定食/백반)などを提供していたが、1971年に息子のイ・ギュフェ(이규회)氏が代を継いだ頃からカムジャクッの専門店としてメニューを単一化し、店名も変更した。

1970~80年代

新龍山駅周辺にかつてあったカムジャタンの専門店通り(2011年10月4日撮影)
1970~80年代にかけては豚肉の消費量が大きく伸びた時期で、1人当たりの消費量は1970年2.6kg、1975年2.8kgから、1980年6.3kg、1985年8.4kg、1990年11.8kgと急速に増え、1970年から1990年までの増加率は4.54倍で、同時期の牛肉3.42倍(1.2kg→4.1kg)、鶏肉2.85倍(1.4kg→4.0kg)に比べても顕著と言える[12]。背景には大規模な養豚事業の拡大と、所得向上による外食産業の活発化に加え、かつては夏場になると食中毒への憂慮から豚肉が避けられていたが、冷蔵庫の普及によって季節を問わなくなったことなどがあげられる。こうした消費量の増加は、副産物の流通拡大にもつながり、カムジャタンの主材料である豚の背骨が安価に入手できることから、各地で専門店が増えていったと解釈される。
  • ソウル市のカムジャタン通り
ソウル市では、1970年代後半から1980年代にかけて、主要駅や市場の周辺に専門店が増えてカムジャタン通りを形成した。規模は縮小しているが、現在も恩平区鷹岩洞(ウンピョング ウンアムドン、은평구 응암동)や、鍾路区昌信洞(チョンノグ チャンシンドン、종로구 창신동)には専門店通りが残り、再開発で消えてしまった地域としても、永登浦区永登浦洞(ヨンドゥンポグ ヨンドゥンポドン、영등포구 영등포동)の永登浦駅周辺や、龍山区漢江路2街(ヨンサング ハンガンノイガ、용산구 한강로2가)の新龍山駅周辺、江東区千戸洞(カンドング チョノドン、강동구 천호동)などが有名であった。ソウル市のカムジャタン通りについては、2013年に韓国で刊行された、黄橋益(황교익)・鄭銀淑(정은숙)著『ソウルを食べる(서울을 먹다)』(図書出版タビ、도서출판 따비)に詳しい[13]

1990~2000年代

1990年代後半から、2000年代にかけてカムジャタン専門店のフランチャイズ化が進み、全国的な展開を行う専門店が増えた。代表的な店舗に「チョマルカムジャタン(조마루감자탕)」(1997年~)、「イバドムカムジャタン(이바돔감자탕)」(2001年~)、「イバドムカムジャタン(이바돔감자탕)」(2001年~)、「ウォンダンカムジャタン(원당감자탕)」(2003年~)「チャミマッカムジャタン(참이맛감자탕)」(2005年~?)などがある。

種類

ピョダグィヘジャンクッ

ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)

ピョダグィヘジャンクッ(뼈다귀해장국)は、豚の背骨のスープ(「ピョダグィヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈다귀해장국)」の項目も参照)。ピョダグィ(뼈다귀)は骨のかけらを意味し、ヘジャンクッ(해장국)は酔い覚ましに食べるスープを総称する。ピョヘジャンクッ(뼈해장국)とも呼ぶ。調理法はカムジャタンともよく似るが、名称が「カムジャ(ジャガイモ、감자)」タンでないことから、ジャガイモが入らないことがままある。ジャガイモが入る場合、カムジャタンとの違いはなくなるが、カムジャタンの専門店では1人前の定食として提供するものをピョダグィヘジャンクッと呼び分けることが多い。

トゥンピョチム(豚の背骨の蒸し煮/등뼈찜)

トゥンピョチム(등뼈찜)は、豚の背骨の蒸し煮。トゥンピョ(등뼈)は背骨、チム()は蒸し煮を意味する。ピョチム(뼈찜)とも呼ぶ。豚の背骨を豆モヤシなどと辛口のあんかけにする場合と、テジカルビチム(豚カルビの蒸し煮/돼지갈비찜)チムタク(鶏と野菜の醤油煮/찜닭)のように甘辛い醤油味に仕立てる場合がある。具としてジャガイモが入る場合もあり、その場合は汁なしのカムジャタンといった雰囲気にもなる。エビ(새우)やテナガダコ(낙지)などの魚介が入ったものは、ヘムルピョチム(해물뼈찜)と呼ぶ。カムジャタンの専門店でも提供される。

具のバリエーション

ムグンジ(熟成キムチ、묵은지)を加えたカムジャタン
ウゴジ(白菜の外葉、우거지)を加えたカムジャタン
シレギ(시래기)を加えたカムジャタン
ヘムル(海産物、해물)を加えたカムジャタン
ナクチ(テナガダコ、낙지)を加えたカムジャタン
コンビジ(おから、콩비지)を加えたカムジャタン

その他のバリエーション

具材を山盛りにしたカムジャタン。サンドミ(산더미)が山盛りを意味する。

日本における定着

東京・東新宿「松屋」の外観

1991年に東京・東新宿でカムジャタン専門店「松屋」が創業した。同店は「日本で初めてカムジャタンを始めた」[14]と掲げており、相反する情報も見当たらないので、この時期に日本へ入ってきたと考えてよいと思われる。

エピソード

韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、留学時代の1999~2000年にソウル市の新村(シンチョン、신촌)でカムジャタンをよく食べていた。当時、友人らと飲みに行くと、1軒、2軒とハシゴをしたあと、3次会でカラオケに行き、4次会にカムジャタンという流れが多かった。2001年6月15日発行のメールマガジン「コリアうめーや!!第7号」では、「4次会のヒーロー、カムジャタン」とのタイトルで当時の話を記している[15]

地域

  • ソウル市恩平区鷹岩洞
ソウル市の恩平区鷹岩洞(ウンピョング ウンアムドン、은평구 응암동)にはカムジャクッ(カムジャタン)の専門店が並ぶ「鷹岩洞カムジャクッ通り(응암동 감자국거리)」がある。「大林市場(テリムシジャン、대림시장)」に隣接することから、「大林市場カムジャクッ通り(대림시장 감자국거리)」とも呼ぶ。大林市場を中心として1980年代半ば以降にカムジャクッを提供する飲食店が増えていった[16]。隣接する碌磻洞(ノクポンドン、녹번동)にも老舗店がある。
  • ソウル市鍾路区昌信洞
ソウル市の鍾路区昌信洞(チョンノグ チャンシンドン、종로구 창신동)にはカムジャタンやスンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)の専門店が並んでおり、「東大門カムジャタン通り(동대문 감자탕 골목)」と呼ばれる。
  • 京畿道南部
京畿道南部の水原市烏山市華城市などには、サデンイ(豚の背骨とジャガイモの鍋、사뎅이)と呼ばれるカムジャタンと酷似した料理がある。サデンイクッ(사뎅이국)、サデンイタン(사뎅이탕)、サデンイジョンゴル(사뎅이전골)などとも呼ぶ。カムジャタンの方言と解釈されることが多いが、酷似した別の料理と考える見方もある。一例として、サデンイには背骨以外のさまざまな骨が使用され、カムジャタンには背骨が主に使われるとの違いがあげられるが、その場合も近年のサデンイはほぼ背骨を煮込んで作るため違いはほとんどないと言える[17]。韓食ペディアの執筆者である八田靖史がサデンイを提供する飲食店でカムジャタンとの違いを店主に尋ねたところ、即答で「同じ、方言!」との回答であった(八田靖史の取材記録より、2024年11月24日)。サデンイの語源として、サルドンイ(肉塊、살덩이)が変化したとするもの(サルドンイの全羅道方言がサデンイとの説もある)と、サドゥンイピョ(背骨、사등이뼈)が変化したもの、との説が多く語られる。

飲食店情報

以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。

  • トンウォンチプ(동원집)
カムジャクッ(2人前~)は豚の背骨とジャガイモだけのシンプルな組み立てで、味付けも塩をベースに味噌は使わないのが特徴。チョプシスンデ(腸詰/접시순대)スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)モリモドゥム(茹でた豚頭肉や腸詰めの盛り合わせ/머리모듬)も提供。1987年創業。2022年に乙支路3街(ウルチロサムガ、을지로3가)から現住所に移転。
住所:ソウル市中区退渓路27キル48(草洞158-14)
住所:서울시 중구 퇴계로27길 48(초동 158-14)
電話:02-2265-1339
最終訪問日:2024年12月5日
  • 元祖カムジャタン(원조감자탕)
新村駅近くのカムジャタン専門店。具にはシレギ(大根の干し葉、시래기)がたっぷりと入る。タットリタン(鶏と野菜の鍋料理/닭도리탕)プデチゲ(ソーセージ鍋/부대찌개)などの鍋料理も提供。韓食ペディアの執筆者である八田靖史が留学時代に通った思い出の店でもある。
住所:ソウル市西大門区延世路5タキル8(滄川洞62-63)
住所:서울시 서대문구 연세로5다길 8(창천동 62-63)
電話:02-332-6400
最終訪問日:2004年7月18日
  • イルミチプ(일미집)★
創業から50年以上の歴史を誇るカムジャタン専門店。皮をむいた丸ごとのジャガイモがごろんと入って目を引く。残った煮汁にはラーメン(라면)を入れて食べるのが定番。2020年代に入ってソウル市内京畿道の各地に支店を増やしている。
住所:ソウル市龍山区厚岩路1-1(厚岩洞194-3)
住所:서울시 용산구 후암로 1-1(후암동 194-3)
電話:02-776-0670
最終訪問日:2018年5月25日
  • 紫陽カムジャタン(자양감자탕)
建国大学近くのカムジャタン専門店。1人前のピョヘジャンクッ(豚の背骨のスープ/뼈해장국)や、ウゴジ(白菜の外葉、우거지)を加えたピョウゴジヘジャンクッ(豚の背骨と菜っ葉のスープ/뼈우거지해장국)も提供する。
住所:ソウル市広津区峨嵯山路309(紫陽洞224-23)
住所:서울시 광진구 아차산로 309(자양동 224-23)
電話:02-444-5281
最終訪問日:2015年2月8日
  • 太祖大林カムジャクッ(태조대림감자국)
鷹岩洞カムジャクッ通りでは古株の専門店。以前は春菊を山盛りにしていたが、現在はエゴマの葉と生の白菜を煮込んで仕上げるのを特徴としている。
住所:ソウル市恩平区鷹岩路172(鷹岩洞603-74)
住所:서울시 은평구 응암로 172(응암동 603-74)
電話:02-306-6535
最終訪問日:2008年3月31日

脚注

  1. 〔별걸다디벼보기〕 감자탕에 감자가 그 감자가 아니란 말이여? 、タンジ日報(2003年2月10日記事/Internet Archive)、2025年2月22日閲覧
  2. 〔별걸다디벼보기〕 감자탕엔 왜 감자가 없을까 、時事IN(2011年12月30日記事)、2025年2月22日閲覧
  3. 황교익, 정은숙, 2013, 『서울을 먹다』, 도서출판 따비
  4. 三國志/卷30 、維基文庫、2025年2月26日閲覧
  5. 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧
  6. 李圭景『五洲衍文長箋散稿(오주연문장전산고)』萬物篇 / 草木類 / 穀種 / 北藷辨證說 、韓国古典総合DB、2025年2月21日閲覧
  7. 감저2 、国立国語院「標準国語大辞典」、2025年2月21日閲覧
  8. '인천식 해장국'을 아시나요 、YouTube(ch B tv 인천チャンネル)、2025年2月26日閲覧
  9. 變裝出動 臨時OO되여본記, 추탕(鰌湯)집 머슴으로 잇흘동안의 더부사리 、韓国史データベース、2025年2月25日閲覧
  10. 趣味의妙境(3)珍食 、NAVERニュースライブラリー、2025年2月25日閲覧
  11. (재)한식재단, 2012, 『한국인이 사랑하는 오래된 한식당』, 한국외식정보, P198-199
  12. 2024 농림축산식품 주요통계(P379) 、農林畜産食品部、2025年2月26日閲覧
  13. 황교익, 정은숙, 2013, 『서울을 먹다』, 도서출판 따비
  14. 伝統韓国家庭料理 | 松屋 、Instagram、2025年2月26日閲覧
  15. コリアうめーや!!第7号 、韓食生活、2025年2月26日閲覧
  16. 대림시장 감자국거리 、VISIT SEOUL NET、2025年2月26日閲覧
  17. 〔석창인 박사의 오늘 뭐 먹지?〕감자탕과 똑닮은 ‘사뎅이’ 아시나요 、東亜日報(2020年2月26日記事)、2025年1月2日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目