カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)

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京畿道抱川市のカルビグイ(二東カルビ)

カルビグイ갈비구이)は、牛カルビ焼き。

概要

慶尚南道金海市のカルビグイ(進永カルビ)

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カルビグイ(갈비구이)は、牛カルビ焼き。カルビ(갈비)は肋骨、およびそのまわりの肉のこと。グイ(=クイ、구이)とは焼き物の総称。焼肉店ではクイを省略し、カルビと呼ぶことも多い。ソカルビ(소갈비)とも呼ぶ。肋骨まわりの肉を薄く切り広いて、網や鉄板などで焼いて味わう。下味をつけずにそのまま焼いたものをセンカルビ(生カルビ、생갈비)と呼び、甘い醤油ダレに漬け込んだものをヤンニョムカルビ(양념갈비)と呼ぶ。日本では骨を外したものもカルビと称するが、韓国では骨付きが前提であり、骨を外したものはカルビサル(骨なしの牛カルビ焼き/갈비살)と呼び分ける。牛焼肉の部位としては定番のひとつであり、カルビサル(骨なしの牛カルビ焼き/갈비살)トゥンシム(牛ロースの焼肉/등심)アンチャンサル(牛ハラミの焼肉/안창살)チャドルバギ(薄切り牛バラ肉の焼肉/차돌박이)などともに、牛焼肉店のメニューに並ぶことが多い。なお、豚のカルビを焼いた料理はテジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)と呼ぶ。類似の料理には、トッカルビ(叩いた牛カルビ焼き/떡갈비)がある。

歴史

文献上の記録

『信使通筋覚書朝鮮人好物附之写』(1711年)
江戸時代に朝鮮通信使の接待を担当した山口県の岩国藩は、饗応の記録として『信使通筋覚書朝鮮人好物附之写』(岩国徴古館蔵)を作成した。好物のひとつとして、カルビグイが記録されている。名称を「カルヒ」と記したうえで、詳細な調理法や提供のタイミングについて、以下のようにまとめている。なお、同資料にはキムチについても「沈菜」「きみすい」の名前で記録されている。
「肋 アハラ也 彼国にてカルヒトいふて 賞味する物なり 長さ三寸程宛に切 肋に付たる肉少宛有 此肉を五歩程宛に切目入 油せうゆにて能炙 すゝむ 肋 胃一方には肉付けす 肉付たる方を五歩程つゝ 胃きわ迄切目入て炙たるへし ゆてもよし 大人小人によらす賞味するなり 膳部の時は不用 吸物す間々見合肴に出し候時は 百味もこれには不及ほと賞翫也」[1]
『是議全書』(19世紀末)の記述
19世紀末に書かれた料理書『是議全書(시의전서)』(原著者不詳)には、カリグイ(가리구이)の名前でカルビグイの調理法が記載されている。記述は以下の通りである。
「カルビを2尺3〜4分(約8cm)幅に切ってきれいに洗い、肉の筋に対して横方向にとても細かく表裏に切れ目を入れる。 次に、縦方向にも切れ目を入れ、中央をを切って左右に広げる。各種の調味料で味付けをし、アミの塩辛汁で味を調え、揉み込んでから焼く」【原文1】[2]
【原文1(現代語訳)】「갈비를 2치 3~4푼(약 8cm) 길이씩 잘라 깨끗이 씻어서 고기의 가로결로 매우 잘게 안팎을 자른다. 그 다음에 세로도 잘라 가운데를 갈라 좌우로 젖히고, 갖은 양념을 하여 새우젓국으로 간을 맞추어 주물러 재웠다가 굽는다」

1920年代

『別乾坤』(1929年)の記述
1929年9月発行の雑誌『別乾坤(第23号)』に「京城名物集」と題された記事があり、当時の流行料理としてヨンゲタン(若鶏のスープ、연계탕)とともに、クンカルビ(焼きカルビ、군갈비)の呼び名でカルビグイを紹介している。同記事では「三年前までヨンゲタン〈若鶏のスープ〉やカルビを焼いて売る店がなかった」としたうえで、ソウル市中区貞洞(チュング チョンドン、중구 정동)のテグタン(牛肉の辛いスープ/대구탕)専門店を皮切りとして提供店が増えていると伝えている。この記事を根拠とするならば、カルビグイは1920年代後半から外食店でのメニュー化が進んだと考えられる。記事の該当部分は以下の通りである。
「ヨンゲタンとカルビ 元山に若鶏料理の店ができてずいぶんになり、平壌にも最近、クンカルビ〈カルビ焼き〉の店ができたという。ソウルには三年前までヨンゲタン〈若鶏のスープ〉やカルビを焼いて売る店がなかった。だが、貞洞のテグタン専門店で、ペクスクヨンゲ〈若鶏の丸茹で〉とクンカルビを売り始めたところいくつかの飲食店ができ、店ごとに判で押したかのように決まってテグタン、ペクスクヨンゲ、クンカルビを売るようになった。まだテグタン専門店のほか数店にすぎないが、いずれにせよヨンゲタンとクンカルビはソウルの名物料理になった。味はそこまで特別なものはないが、食べやすいのでみなから歓迎されている。」【原文2】[3][4]
【原文2】「軟鷄湯과 갈비 元山에 軟鷄집이 잇는지는 벌서 오랫고 平壤에도 近來에 갈비집이 생겻다 한다. 서울에는 三年前까지도 軟鷄湯이나 갈비 구어 파는 집이 업섯더니 典洞 大邱湯집에서 白熟軟鷄와 갈비를 구어 팔기 시작한 뒤로 여러 식당이 생긔여 집집마다 寫眞판에 박은 것처럼 依例이 大邱湯, 白熟軟鷄, 군갈비를 팔게 되엿다. 지금은 大邱湯집 外 몃집에 不過하지만은 何如間 軟鷄湯과 군갈비는 서울의 飮食에 한 名物이 되얏다. 맛이야 무슨 特別한 것이 업지만은 먹기에 便利한 까닭에 누구나 歡迎한다.」

1930年代

『京城日報』(1938年)の記述
1938年1月5日の紙面に連載記事「京城の味覚極樂」が掲載されており、カルビ(갈비)をテーマに取り上げている[5]。同記事によれば当時は京畿道議政府市のカルビが高く評価されており、飲食店としては「天香園(천향원)」の評判がよかったようだ。
「カルビにくつついてゐる肉は元來が少々固いものだから、年の若い牛ほど柔かくてうまい、京城附近では議政府のカルビが一番といふのが定評である、あそこの屠場では二歳位のモー公をどしどし屠殺してゐるからだ、だから京城の料理屋で『このカルビは何處から来た?』と聞いてみるがよい、たとえ場末の飲食店でも或は裏チョンローの立飲屋あたりでも、きつと卽座に『えゝ勿論議政府ですよ』と答へるであらう、議政府のカルビと聞いただけではや味覺極楽の境地にひたれるのである」
「明月舘よりも食道園よりもカルビだけは天香園が第一だとは通の認める所だが、先づかう云つた一流の料理屋ではカルビだけは食はしてくれない、カルビはせいぜい一人前五六十銭しかとれないものだから……それでカルビを食ふためには定食のテーブルを注文しなければならない、テーブルが出れば酒も飲みたくなる、ついでに妓生も呼べといふことになるあら忽ちにして十數金を投ずることになる、瑞麟町の八珍園などはカルビだけ御一人前五十銭で簡單に食はしてくれるが、勿論味は天香園あたりに及びもつかない」
趙豊衍の報告(1939年)
1914年生まれの随筆家、趙豊衍(조풍연)によれば、1939年にソウル市鍾路区楽園洞(チョンノグ ナグォンドン、종로구 낙원동)のネンミョン(冷麺/냉면)店でカルビグイを提供したのが外食における始まりだったとしている[6]。当時はネンミョン1杯が20銭であり、カルビグイも同じく1皿20銭であった。本書は多くの媒体で引用されているが、前述のように1920年代からカルビグイを提供する店はあったため、外食の始まりを1939年と考えるのは誤りである。

種類

エルエイカルビ(LAカルビの焼肉/엘에이갈비)

LAカルビ
LAカルビ(엘에이갈비)は、牛カルビ焼きの一種(「エルエイカルビ(LAカルビの焼肉/엘에이갈비)」の項目も参照)。LAカルビグイ(엘에이갈비구이)とも呼ぶ。カルビグイと同じく甘い醤油ダレに漬けたのち、鉄板や網などで焼いて調理をする。一般的なカルビグイは肋骨に沿って包丁を入れて薄く切り開くのに対し、LAカルビは肋骨ごと断ち切ってカットするとの違いがある。後者はアメリカで「Flanken Style」と呼ばれ、LAはアメリカのロサンゼルスを意味するとの説と、「Lateral Axis(側面の軸)」の頭文字を取ったとの説がある。ロサンゼルス説の中でも、同地域に多く住む韓国移民らが「Flanken Style」の牛カルビ焼きをLAカルビと呼んだのが始まりとする説と、アメリカ牛を輸入する際にロサンゼルス在住の同胞らが親しんでいる牛カルビとの意味で名付けられたとの説に分けられる。同じくロサンゼルスのコリアンタウンで普及したスンドゥブチゲ(柔らかい豆腐の鍋/순두부찌개)の専門店では、サイドメニューとしてLAカルビを提供することが多い。

地域

水原カルビ
  • 京畿道水原市
京畿道水原市は、郷土料理としてカルビグイが有名であり、サイズが大きいことからワンガルビ(왕갈비、直訳では王カルビ)、または地名を冠して水原カルビ(수원갈비)、水原ワンガルビ(수원왕갈비)の名前でも広く知られる。水原カルビの特徴としては、骨の長さを10~15cm程度に大きく取ること、味付けに醤油を用いず天日塩をベースとした塩ダレに漬け込むことがあげられる。水原カルビの骨をいったん厨房に下げて、テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)を作るのも定番である。水原カルビの歴史や有名店については、「水原市の料理#カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)」を参照。
  • 京畿道抱川市
京畿道抱川市の二東面場岩里(イドンミョン チャンアムニ、이동면 장암리)にカルビグイ専門店が集まっており、地名から二東カルビ(이동갈비)と呼ばれる。1960年代から専門店が増え始め、近隣の基地に服務する軍人らを対象としてボリュームたっぷりに提供するサービスで有名になった。周囲の山々を訪れる登山客や観光客からも人気が高い。一帯は「二東カルビ村(이동갈비촌)」と呼ばれる。
  • 忠清南道礼山郡
礼山カルビ
忠清南道礼山郡はカルビグイの老舗が多く、地名を冠して「礼山カルビ(예산갈비)」と呼ばれる。1942年創業の「ソボクカルビ(소복갈비)」を筆頭に、「コドクカルビ(고덕갈비)」「サムカルビ(삼우갈비)」の3軒を「礼山3大カルビ」と呼ぶ。
  • 釜山市
釜山市の海雲台区(ヘウンデグ、해운대구)はカルビグイが有名で、地名を冠して海雲台カルビ(해운대갈비)と呼ばれる。1964年に創業した「ヘウンデアムソカルビチプ(해운대암소갈비집)」が元祖店として知られ、創業者のユン・ソクホ(윤석호)氏は、牛カルビに無数の包丁目を入れて柔らかくするダイヤモンドカット(다이아몬드 컷팅)を考案したとされる。
  • 慶尚南道金海市
慶尚南道金海市の進永邑(チニョンウプ、진영읍)にカルビグイの専門店が多く、地名を冠して進永カルビ(진영갈비)と呼ばれる。国道14号線の一部に含まれる金海大路(キメデロ、김해대로)沿い、または道路を挟んだ一帯に専門店が点在する。古くから金海市は畜産物の集散地であり、酒村面(チュチョンミョン、주촌면)などに屠畜場があったことから、カルビグイや、ティッコギ(豚端肉の焼肉/뒷고기)などの焼肉料理が発達したと語られる。進永カルビを掲げる専門店ではソガルビ(牛カルビ、소갈비)に加えて、テジカルビ(豚カルビ焼き/돼지갈비)を提供する店も多く、どちらも人気メニューとなっている。進永カルビは「金海9味(김해9미)」のひとつとして、金海3味に選定されている。

エピソード

  • コカルビ
釜山市ではコドゥンオグイ(サバ焼き/고등어구이)を「コカルビ(고갈비)」と呼ぶことがある(韓国語の発音ではコガルビがより近い)。これはサバを意味するコドゥンオ(고등어)と、牛のあばら肉を指すカルビ(갈비)の合成語で、なかなか牛肉を食べられなかった時代に、サバの焼き魚をあえてカルビと呼びながら食べることで気持ちだけでも贅沢をしたという名残である。かつては釜山市中区光復洞2街(チュング クァンボクトンイガ、중구 광복동2가)に専門店が集まっていたが、いまは店舗数がだいぶ減少している。なお、このコカルビが転じてホッケ(イミョンス、이면수)の焼き魚をイカルビ(이갈비)と呼んだりもする。

脚注

  1. 高正晴子, 2010, 『朝鮮通信使をもてなした料理』, 明石書店, P117-118
  2. 이효지 외(엮음), 2004,『시의전서』, 신광출판사, P222
  3. 京城名物集 、韓国史データベース、2026年4月26日閲覧
  4. イ・サン編, 八田靖史訳, 2025, 『書かずにいられない味がある: 100年前の韓食文学』, CUON, P221-222
  5. 京城の味覚極樂(に), "カルビ"の卷 、大韓民国新聞アーカイブ(京城日報1938年1月5日記事)、2025年9月7日閲覧
  6. 著:趙豊衍、訳:尹大辰, 1995, 『韓国の風俗 -いまは昔-』, 南雲堂, P30-31

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目