チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)
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チャジャンミョン(짜장면)は、韓国式ジャージャー麺。
名称
中国料理の「炸醤麺(zhajiangmian)」に由来。チャジャン(炸醤、짜장)は炒め味噌、ミョン(麺、면)は麺を意味する。
標準語表記
- 国立国語院の認めるチャジャンミョンの標準語表記は「짜장면」「자장면」の2種類がある。1986年に当時の文教部が外来語表記法を告示し、「zh」の音を子音「ㅈ」で表記すると定めたことで、それ以降は「자장면」のみが標準語とされてきた。2011年8月に「짜장면」など39語が標準語として新たに追加されたことで、両表記とも認められるようになった[1]。本辞典では「짜장면」を項目名として使用する。発音表記は[짜장면]。
概要
チャジャンミョンは、韓国式ジャージャー麺。チュンジャン(春醤、춘장)という黒味噌に豚肉や野菜を加えて炒め、水溶き片栗粉でとろみをつけたものを中華麺にかけて作る。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされるが、定着の過程でローカライズされ、中国のものや、あるいは日本の盛岡で郷土料理となった「じゃじゃ麺」などとも異なる独自の料理として発展している。韓国式の主な特徴としては、韓国で独自に開発されたチュンジャン(春醤、춘장)の使用や、豚肉とともにタマネギ、ジャガイモ、キャベツ、ニンジンなどの野菜を具として加えること、水溶き片栗粉を加えて全体にとろみをつけること、などがあげられる。1960~80年代には外食の代名詞的な存在となり、その後も現在に至るまで老若男女に愛されることから国民食(국민음식)とも表現される。中華料理店を代表する看板メニューとして親しまれるほか、手軽な一品料理として粉食店(분식점)やフードコートでも提供される。インスタント麺としても多くの商品が販売されている。調理法や具の違いによってたくさんのバリエーションがあり、カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)、サムソンチャジャンミョン(海鮮ジャージャー麺、삼선짜장면)、ユニチャジャンミョン(豚ひき肉ジャージャー麺、유니짜장면)、ユスルチャジャンミョン(豚細切り肉ジャージャー麺、유슬짜장면)などがある(「種類」参照)。また、チャジャンを麺ではなくごはんにかけたものはチャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)と呼ぶ。
チュンジャン(春醤)
- チャジャンミョンに用いる黒味噌をチュンジャン(春醤、춘장)と呼ぶ。1948年にソウル市龍山区文培洞の「龍華醤油(용화장유)」(現、龍華食品株式会社)が発売し、飲食店でも広く使われるようになった。1950年代にカラメル(캐러멜)を入れる工夫が追加され[2]、これが普及したことにより、韓国式のチャジャンミョンは「黒さ」と「濃厚な甘さ」を大きな特徴として持つに至った。春醤の語源や命名の時期は定かでないが、(1)春に作ったから、(2)甜面醤の略称である甜醤(チョムジャン、첨장)が変化した、(3)ネギをつけて食べる味噌という意味の「葱醤(チョンジャン、총장)」が変化した、またはその味噌を春に出る長ネギにつけて食べたからなどの説がある[3][4]。
- 副菜としての利用
- 中華料理店では副菜として、タンムジ(たくあん、단무지)、生タマネギ、チュンジャンを出すのが定番である。生タマネギはチュンジャンにつけて食べる。
麺
- 小麦粉(中力粉)に、でんぷん、塩、水、製麺用のアルカリ剤(食用ソーダ、식소다)などを混ぜて生地を作る。もともとはスタミョン(手打麺、수타면)と呼ばれる手延ばし麺が主流だったが、現在はキゲミョン(機械麺、기계면)と呼ばれる製麺機で作った麺も多く使用される。
トッピング
- 千切りのキュウリや、グリンピースを彩りとして載せることが多い。
食べ方
- 箸で全体をよくかき混ぜ、麺に黒味噌を絡めてから食べる。箸を両手に1本ずつ持ち、下からすくいあげるようにして混ぜる姿もよく見かける。
出前
- チャジャンミョンは出前(배달)料理としても代表的な存在である。中華料理店の出前は1920年代から見られるが[5]、本格的に需要が増えたのは各家庭に電話が普及した1960年代以降である。オートバイに直訳で「鉄カバン(철가방)」を意味する岡持ちを載せ、「迅速配達(신속배달)」を掲げて届けた。
歴史
1883年に仁川市で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。彼らの伝えた代表的な中華料理のひとつがチャジャンミョンであり、当初は同胞向けに作って食べたものが、徐々に韓国でもローカライズして浸透した。当時の代表的な中華料理店としては1905 年頃(1907年、1908年説もあり)に創業した「共和春(공화춘)」があり、1983年に閉店したが、その跡地は現在「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として歴史を伝えている。
- 共和春
- 共和春(コンファチュン、공화춘)は、中国・山東省出身の于希光(ウ・ヒグァン、우희광)氏によって開かれた中華料理店。創業年代は1905年、1907年、1908年などの説があり、当初は「山東会館(산동회관)」という名称の宿泊施設を兼ねた飲食店であった。店名を「共和春」に変更したのは辛亥革命によって中華民国が誕生した1912年で「共和国の春」という意味が込められている。韓国における中華料理店の草分けとして長らく愛されてきたが、1983年に閉店。同店の建物は2006年4月に登録文化財第246号として指定されたのち[6]、2012年4月より「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として利用されるに至った。現在のチャイナタウンには「共和春」の後継とされる店がふたつあり、ひとつは2004年2月に開店した同名の「共和春」で、かつて「共和春」で料理長を務めていた人物を株式会社共和春フランチャイズの代表イ・ヒョンデ(이현대)氏が招聘し新たに始めたものである[7][8]。もうひとつは于希光氏の娘であるウ・ランヨン(우란영)氏と結婚したワン・イビョン(왕입영)氏が、閉店前の「共和春」で修行をし、1980年に開店した「新勝飯店(신승반점)」である[9]。現在「新勝飯店」の代表はワン・イビョン、ウ・ランヨン夫婦の娘であり、また于希光の孫に当たるワン・エジュ(왕애주)氏が受け継いでおり、店名は異なるもののこちらを直系の後継店と考える人も多い。
1920~30年代
チャジャンミョンに関する記録は、1920~30年代の新聞、雑誌記事に見られ、当時から大衆的な中華料理として根付いていたと推測される。ただし、ウドン(中華風の五目麺、우동)や、タンスユク(酢豚/탕수육)、チャプチェ(春雨炒め/잡채)、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、양장피)といった他の中華料理に比べると登場の頻度は少なく、現在のように国民食として親しまれるのは1950年代以降と見られる。
- 『朝鮮日報』(1923年)の記述
- 1923年1月23日発行の紙面に「物産奨励会に与する」という見出しの記事があり、文中に漢字で「炸醤麺」との記述がある。朝鮮物産奨励会の発足を伝える内容で、自国内で生産される物産が少なく、外国から入ってきたものが多いことの例として、裕福な人は洋食を食べ、庶民とてそれが日常食のすべてではないものの、「チャジャンミョンや、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、양장피)を食べ、貧しい者でもできたてのマンドゥ(餃子、만두)や固いローピン(小麦粉のお焼き、낙병)などを食べる」(カッコ内は訳注)としている[10]。
- 『東亜日報』(1930年)の記述
- 1930年9月6日発行の紙面に「欧州行(五)インド洋を越えて立ち」という旅行記があり、文中に漢字で「炸醤麺」との記述がある。イタリアで食べた「マカロニ(パスタ?)」の中には中国の麺を彷彿させるものもあるとしたうえで、ケチャップ味のものを「燕京食堂で食べた炸醤麺と、なぜこんなにも似ているのでしょう」と描写している[11]。
- 『別乾坤』(1934年)の記述
- 1934年1月1日発行の雑誌『別乾坤 第69号』に、「ユーモア オーケストラ、漫談」との記事があり、文中にチャジャンミョンの記述がある。大ボラを吹くような話として、登場人物のひとりがビルのような厨房に世界中のシェフを集め、「インド式の冷麺や、ブラジル式のニシン焼き、満州国式のチャジャンミョンでもなんでも好きなものを食べろ」と語るセリフがある[12]。
- 『朝鮮日報』(1935年)の記述
- 1935年2月23日発行の紙面に「汽車(一)」との紀行文があり、知人を訪ねて忠清南道礼山郡の挿橋駅で降り、「なんとか楼と書かれた中国料理店に入って所謂『チャジャンミョン』というものを食べ」たとの記述がある[13]。
- 『東亜日報』(1936年)の記述
- 1930年2月16日発行の紙面に「第三回全朝鮮男女専門学校卒業生大懇親会後期」との特集記事があり、その中に「大会余禄 印象の点描」としてチャジャンミョンの記述がある。卒業生への祝辞として、「(先生方は)ウドン、チャジャンミョンを食べ、冷めた弁当を食べてあなたたちを教えた」との一節があったことを紹介している[14]。
- 『朝鮮日報』(1938年)の記述
- 1938年11月9日発行の紙面に「秋収記(三)衣・食」とのエッセイがあり、田舎に行くとろくな食べ物がないとの文脈から、「(村の中心部でも)せいぜい『チャジャンミョン』か『チャンクッパプ(醤油味のクッパ、장국밥)』だが、これも名前は同じでもソウルとは比較にならない」(カッコ内は訳注)との記述がある[15]。
1940~60年代
- 1940~60年代にかけては、中国から伝わった外来の料理がローカライズし、韓国式のチャジャンミョンとして普及が進んでいった時代である。今日の韓国で国民食と呼ばれるに至る原点がこの時代にあり、その大きな要因としては、朝鮮戦争(1950~53年)後に、アメリカからの援助を受けて大量の小麦粉が流通し、パンや麺類が多く食卓にのぼるようになり、政府もまたこれを奨励したこと(混粉食奨励運動)[16][17]。1961年の「外国人土地法」施行によって、外国人の土地所有が厳しく制限され、それまで農業を営んでいた華僑らが都市部に出て飲食店を始めるケースが増えたこと[18]。政府による物価安定政策によってチャジャンミョンの価格が安価に抑えられ、外食として利用しやすかったこと[19]、などがあげられる。
- チュンジャンの発売(1948年)
- 1948年に「龍華醤油(용화장유)」(現、龍華食品株式会社)が、チュンジャン(春醤、춘장)を発売した(概要/チュンジャン(春醤)参照)。
- 剰余農産物協定の締結(1955年)
- 1955年5月31日に韓国とアメリカ締結した協定。正式名称は「米国農業交易発展および援助法第1章による大韓民国およびアメリカ合衆国間の剰余農産物協定(미국 농업교역발전 및 원조법 제1장에 의한 대한민국 미합중국간의 잉여농산물 협정)」[20]。1954年にアメリカが制定した「農産物貿易促進援助法(公法480号)」に基づいており、同法は当時のアメリカで過剰生産により余っていた食料を、各国への食糧援助として利用しながら、それを現地通貨で決済し、同国への経済援助や共同の軍事費などに利用するものであった。この協定により韓国には原綿、レーヨン、小麦、大麦、米などが供給され、中でも小麦の比率が高かったことから、それまでの米を中心とした食生活から、パン、麺類の比率が高まるようになった。
- 節米運動と混粉食奨励運動
- 節米運動(절미운동)と混粉食奨励運動(혼분식장려운동)は、主として1960~70年代に、主食である米の生産量不足を補うため、米と雑穀を混ぜて食べる「混食(혼식)」と、麺やパンなどの小麦粉製品を食事とする「粉食(분식)」を、政府が中心となって奨励した運動[21][22]。それ以前からも混食や粉食は推奨されてきたが、1960年代前半は自然災害が重なって米価が大幅に高騰した。政府は1962年の凶作を受け、翌1963年1月1日から家庭での食事に対し、2日に1度の粉食を励行することや、米穀店や飲食店では米に2割以上の雑穀を混ぜて販売することなどを要綱として発表している[23]。こうした施策は1970年代後半まで断続的に行われたが、経済成長とともに米の生産量も増加し、次第に解消されていった。
1970~80年代
1970~80年代は経済が急速に成長し、外食が身近になっていく時代であった。チャジャンミョンは外食の代名詞的な存在となり、子どもの誕生日や卒業式など特別な日に食べる定番のメニューとして根付いていった。1960年代からの混粉食奨励運動は、1963年に初の国産商品が発売されたラミョン(ラーメン/라면)(インスタント麺)が普及していく要因ともなったが、1970年にはチャジャンミョンも相次いで商品化された(種類/インスタント麺参照)。
2000年代以降
2005年10月7日から9日までの3日間、仁川市は中区北城洞のチャイナタウン一帯でチャジャンミョン誕生100周年を記念したイベントを開催した[24]。最古の中華料理店とされる「共和春」が創業した1905年(異説あり)から数えたもので、厳密にはチャジャンミョンの誕生から100年とは言えないものの、その後も歴史を振り返るひとつの目安になっている。
- 100大民族文化象徴(2006年)
種類
チャジャンミョンには次のような種類がある。
味噌の種類
- カンチャジャンミョン(간짜장면)
- 水溶き片栗粉を入れずに作るとろみ抜きのチャジャンミョン。カンチャジャン(간짜장)と呼ぶことも多い。一般的なチャジャンミョンは黒味噌を作り置きすることもあるが、カンチャジャンミョンは都度炒めて作ることから、常にできたてを楽しめると評価する人も多い。麺と黒味噌は別盛りで提供される。南部地方を中心に目玉焼きを載せることもある(「カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)」の項目も参照)。
- サチョンチャジャンミョン(사천짜장면)
- サチョンは中国の「四川」を意味し、四川料理のイメージで作った辛口のチャジャンミョン。チュンジャンと豆板醤を混ぜたり、あるいは豆板醤だけで味噌を作る。サチョンチャジャン(사천짜장)とも呼ぶ。
- プルチャジャンミョン(불짜장면)
- プルは「火」を意味し、粉唐辛子や刻んだ青唐辛子を加えて激辛に作ったチャジャンミョン。プルチャジャン(불짜장)とも呼ぶ。
具の種類
- サムソンチャジャンミョン(삼선짜장면)
- サムソンは漢字で「三鮮」と書き、3種の魚介を使用したチャジャンミョンを指す。ナマコ、イカ、エビ、ムール貝、アサリなどが用いられる。サムソンチャジャン(삼선짜장)とも呼ぶ。
- ユニチャジャンミョン(유니짜장면)
- ユニは漢字で「肉泥」と書いて、豚ひき肉を用いたチャジャンミョンを指す。ユニチャジャン(유니짜장)とも呼ぶ。
- ユスルチャジャンミョン(유슬짜장면)
- ユスルは「肉絲」と書いて、豚の細切り肉を用いたチャジャンミョンを指す。ユスルチャジャン(유슬짜장)とも呼ぶ。
その他
- チャジャンパプ(짜장밥)
- 麺ではなく、ごはんにチャジャンをかけた料理(「チャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)」の項目も参照)。
インスタント麺
- チャジャンミョンのインスタント製品は、1970年2月にロッテ工業(現、農心)が「ロッテチャジャンミョン(롯데짜짱면)」を、同3月に三養食品が「三養チャジャンミョン(삼양짜짱면)」を発売したことに始まる。価格は当時、中華料理店でチャジャンミョン1人前が60ウォン程度だったのに対し、「ロッテチャジャンミョン」が30ウォン、「三養チャジャンミョン」が25ウォンだった。1980年代には、現在まで続くロングセラー商品が誕生し、1984年3月に農心が「チャパゲティ(짜파게티)」を、1985年4月に三養食品が「チャチャロニ(짜짜로니)」を発売した。当時の価格はいずれも200ウォンであった。
チャパグリ
- チャパグリ(짜파구리)は、農心が発売するインスタント麺「チャパゲテイ(짜파게티)」と「ノグリ(너구리)を一緒に混ぜて作ったもの。その起源には諸説あり、「チャパゲテイ」が1984年発売、「ノグリ」が1982年発売といずれもロングセラーであるため、1980年代後半から90年代頃に軍隊で広まったとする説や、パソコン通信のコミュニティに投稿されていた説など、古くから存在していた可能性はある。
- より具体的には、2008年12月6日に、当時農心が運営していたインターネットコミュニティ「ラミョンチャン(라면짱)」において、ユーザーらがオリジナルレシピを紹介する「秘法伝授(비법전수)」のコーナーで、「짜파구리!!(짜파게티+너구리)」とのタイトルで投稿がなされたのがひとつのきっかけと考えられる[27])。これが話題となって広まり、2009年1月2日には、当時アメリカ進出中であった歌手のBoAが新聞社のインタビューに対し、チャパグリの美味しさを語ったりもしている[28]。
- その後も、断続的にブームが起こっては知名度が拡大していく。2013年2月17日に、MBCのテレビ番組『パパどこに行くの?(아빠!어디가?)』内で、タレントのキム・ソンジュ(김성주)が子どもにチャパグリを作って食べさせ[29]、これが話題となってブームが大きく再燃した。
- 2019年に公開された映画『パラサイト 半地下の家族(기생충)』では、高価な牛肉を加えて作るチャパグリが劇中に登場した。同作品は2020年2月9日(現地時間)、米アカデミー賞の作品賞など4冠に輝き、同時にチャパグリも世界中から注目を集めることとなった(英語ではラーメンとウドンを掛け合わせて「Ram-Don」と訳された)。両商品の発売元である農心は2月11日に、公式YouTubeチャンネルでチャパグリの作り方を公開するとともに[30]、4月21日にはカップ麺タイプのチャパグリを正式に発売している。韓国における2020年のインスタント麺輸出は前年比29.3%増と急上昇し、歴代で初めて6億ドル以上の輸出高を記録したことから[31]、メディアでは「チャパグリ効果」との報道が見られた[32]。
日本における定着
東京では歌舞伎町にある1983年創業の「北京」や、同じく歌舞伎町の区役所通り沿いで1990年にオープンした「新宿飯店」(2000年に職安通りへ移転)などが古株として知られる。韓流の到来とともに、2005年頃から新大久保エリアに韓国式中華料理の専門店が増えていった。
- 香港飯店0410
- 2016年11月に東京、東新宿で、著名な料理研究家であるペク・ジョンウォン氏の経営する「香港飯店0410」日本1号店がオープンした。
エピソード
ブラックデー
ブラックデー(블랙데이)は、4月14日にチャジャンミョンを食べるイベントデー。2月14日のバレンタインデー(밸런타인데이)、3月14日のホワイトデー(화이트데이)に縁のなかった人たちが集まり、全身を黒い服装で包み、嫉妬交じりのどす黒い気持ちを共有しながら、真っ黒い食べ物であるチャジャンミョンを味わう黒尽くしの1日を指す。凝る人であればアクセサリーなども黒で統一し、食後にはブラックコーヒーを飲む。単にチャジャンミョンを食べるだけでなく、合コンを兼ねることでカップルが誕生することもある。ブラックデーに付き合い始めたカップルは1ヶ月後の5月14日にローズデー(로즈데이)を迎えてバラを贈り合うなどの習慣もあるが、ブラックデーにチャジャンミョンを食べる友人さえいなかった人は、5月14日のイエローデー(옐로우데이)に黄色い服を着てカレライス(カレーライス/카레라이스)を食べなければならない。
ブラックデーの由来
- 『京郷新聞』(1993年3月15日)の記述
- 1993年3月15日付けの京郷新聞には「"私を困らせたらひどい目に遭う" 『ブラックデー』まで登場("나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장)」という記事があり、百貨店などにおけるホワイトデーの盛り上がりを取り上げたうえで、「今年は『ブラックデー』というまた違った正体不明の記念日が新しく作られ漸入佳境である(올해는 「블랙데이」라는 또다른 정체불명의 기념일이 새롭게 만들어져 점입가경이다)」と伝えている[33]。この記事によればブラックデーとは、「普段、自身を困らせている人に"飴を食べろ(俗語で「クソくらえ」「ひどい目に遭え」という意味を指す)"という意味で飴をプレゼントするもの(평소 자신의 속을 썩였던 사람에게 "엿먹어라"는 뜻으로 엿을 선물한다는 것)」であり、また「ホワイトデーをもとに日付も1ヶ月後の同じ日である4月14日と定めたブラックデーは、その名前が示すように、青少年たちにとっては『恐喝性』の愛情表現として受け入れられている(화이트데이를 본떠 날짜도 한달뒤 같은 날인 4월14일로 잡혀있는 블랙데이는 그 이름이 보여주듯 청소년들에게는 「공갈성」 애정표현으로 받아들여지고 있다)」と説明されている。この記事から判断するに、日付は当初から4月14日であったものの、その内容は現在と大きく異なるものであった[33]。
- 『東亜日報』(1996年2月10日)の記述
- 現在のようにチャジャンミョンを食べる日としてのブラックデーは、1996年2月10日付けの東亜日報に見える。同記事では「最近は『ブラックデー』まで登場した。4月14日のブラックデーはバレンタインデーやホワイトデーに何ももらえなかった『ハズレ男』と『ハズレ女』たちが黒い服を着て、食事も真っ黒いチャジャンミョンを食べ、ブラックコーヒーだけを飲む日だということで名付けられた名称(최근에는 「블랙데이」까지 등장했다. 4월14일인 블랙데이는 밸런타인데이나 화이트데이에 아무것도 못받은 「꽝맨」과 「꽝우먼」들이 검은 옷으로만 차려입고 식사도 시커먼 자장면을 먹고 블랙커피만 마시는 날이라고 해서 붙여진 명칭)」[34]としている。両記事における2種類のブラックデーに直接の関連性があるかはこれだけで判断できないものの、時代的な変遷から考えると、ホワイトデーに飴を贈る習慣が1990年代前半に「飴を食べろ」という俗語と結びつき、反語としてブラックデーという用語が生まれたところへ、1990年代半ばになってブラックという色からの連想で黒い料理、すなわちチャジャンミョンを食べる日としてさらに転じた可能性は推測できる。
- 『京郷新聞』(1997年3月17)の記述
- 毎月14日にいろいろなイベントデーを行う文化もこの時期から始まったと見られ、5月14日にカレーライスを食べるイエローデーの記事も1997年には複数見える。1997年3月17日付けの京郷新聞には「新世代たち'愛の14日'熱病(신세대들 '사랑의 14일'열병)」という記事があり、バレンタインデーから始まる「恋人の日」と「相手のいないソロの日」を分類し、「5月14日の『イエローデー』はまだ相手を探せていない人たちが集まってカレーライスを食べる日(5월14일「옐로데이」에는 아직도 짝을 못찾은 사람들이 모여 카레라이스를 먹는 날)」と紹介している[35]。
地域
- 仁川市
- 仁川市中区には韓国最大のチャイナタウンが広がり、チャジャンミョン発祥の地として地域の代表的な名物となっている。詳細は「仁川市の料理/代表的な料理」を参照。
- 慶尚南道統営市
- 慶尚南道統営市では、チャジャンミョンにウドン(うどん/우동)のつゆをかけたウッチャ(우짜)が地域の名物として親しまれる。
- 全羅北道全州市
- 全羅北道全州市では、ムルチャジャン(물짜장)と呼ばれる中華麺に辛口の海鮮あんをかけたものが中華料理店の定番として親しまれる。とろみをつけてあんかけにしたチャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)のようでもある。
- 全羅南道木浦市
- 全羅南道木浦市では、薄くてぴらぴらとした食感の麺を特徴とするカンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)が、チュンカン(중깐)の名で定着している。チュンカンは「チュン」グッチプ(中華料理店、중국집)」の「カン」チャジャンを意味する。
- 済州道
- 済州道に属する離島の馬羅島(マラド、마라도)は、島の魚介を利用したチャジャンミョンが名物となっている。詳細は「済州道の料理/済州道のB級グルメ」を参照。
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
<ソウル>
- 東宝城(동보성)
- 住所:ソウル市中区退渓路18キル5(南山洞2街6-1)
- 住所:서울시 중구 퇴계로18길 5(남산동2가 6-1)
- 電話:02-754-8002
- 料理:チャジャンミョン、中華料理全般
- 弘大迎賓楼(홍대영빈루)
- 住所:ソウル市麻浦区臥牛山路21キル19-16、2階(西橋洞364-4)
- 住所:서울시 마포구 와우산로21길 19-16, 2층(마포구 서교동)
- 電話:02-322-8884
- 料理:チャジャンミョン、チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)、中華料理全般
- 永和楼(영화루)
- 住所:ソウル市鍾路区紫霞門路7キル65(楼下洞25-1)
- 住所:서울시 종로구 자하문로7길 65(누하동 25-1)
- 電話:02-738-1218
- 料理:チャジャンミョン、中華料理全般
<仁川>
- 共和春(공화춘)
- 住所:仁川市中区チャイナタウン路43(北城洞3街5-6)
- 住所:인천시 중구 차이나타운로 43(북성동3가 5-6)
- 電話:032-765-0571
- 料理:チャジャンミョン、中華料理全般
- 萬多福(만다복)
- 住所:仁川市中区チャイナタウン路36(北城洞2街9-11)
- 住所:인천시 중구 차이나타운로 36(북성동2가 9-11)
- 電話:032-773-3838
- 料理:100年前のチャジャンミョン、中華料理全般
<釜山>
- 元香齋(원향재)
- 住所:釜山市東区大瀛路243番キル62(草梁洞561)
- 住所:부산시 동구 대영로243번길 62(초량동 561)
- 電話:051-468-5220
- 料理:チャジャンミョン、中華料理全般
<地方>
- 元祖ハルメウッチャ(원조할매우짜)
- 住所:慶尚南道統営市セトキル42-7(西湖洞177-423)
- 住所:경상남도 통영시 새터길 42-7(서호동 177-417)
- 電話:055-644-9867
- 料理:ウッチャ(汁かけジャージャー麺、우짜)
- ノーベル飯店(노벨반점)
- 住所:全羅北道全州市完山区豊南門2キル100(殿洞3街56-4)
- 住所:전라북도 전주시 완산구 풍남문2길 100(전동3가 56-4)
- 電話:063-284-4318
- 料理:ムルチャジャン(あんかけチャンポン、물짜장)
- 中華楼(중화루)
- 住所:全羅南道木浦市栄山路75番キル6(常楽洞2街12-7)
- 住所:전라남도 목포시 영산로75번길 6(상락동2가 12-7)
- 電話:061-244-6525
- 料理:チュンカン(木浦式ジャージャー麺、중깡)
- 元祖馬羅島チャジャンミョンチプ(원조 마라도 짜장면집)
- 住所:済州道西帰浦市大静邑馬羅路101番キル46(加波里600)
- 住所:제주도 서귀포시 대정읍 마라로101번길 46(가파리 600)
- 電話:064-792-8506
- 料理:チャジャンミョン
脚注
- ↑ ‘짜장면’ 등 39항목 표준어로 인정 、国立国語院ウェブサイト、2022年2月19日閲覧
- ↑ 양세욱, 2009, 『짜장면젼』, 프로네시스, 電子書籍版P140/270(52%)
- ↑ 周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P341-342
- ↑ 양세욱, 2009, 『짜장면젼』, 프로네시스, 電子書籍版P137/270(51%)
- ↑ 별건곤 제3호 變裝記者暗夜探査記 、韓国史データベース、2022年2月28日閲覧
- ↑ 등록문화재 제246호 인천 선린동 공화춘(共和春) 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2022年2月28日閲覧
- ↑ 대표인사말 、共和春ウェブサイト、2022年2月28日閲覧
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- ↑ 신세대들'사랑의 14일'열병 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)