「ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회)」の版間の差分

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*ホンタク
 
*ホンタク
 
:ホンオフェはマッコリとの相性がよいことから、ホンオとタクチュ(濁酒、[[탁주]])の頭文字を取ってこのセットをホンタクとも呼ぶ。
 
:ホンオフェはマッコリとの相性がよいことから、ホンオとタクチュ(濁酒、[[탁주]])の頭文字を取ってこのセットをホンタクとも呼ぶ。
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== 歴史 ==
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ホンオ(ガンギエイ、[[홍어]])を発酵させる食べ方は、高麗時代の14世紀にさかのぼる。主産地である[[全羅南道の料理|全羅南道]][[新安郡の料理|新安郡]]の黒山島(フクサンド、흑산도)から、島民の多くが現在の[[全羅南道の料理|全羅南道]][[羅州市の料理|羅州市]]に属する南浦(現在の栄山浦)へと移り住んだ。歴史書の『高麗史』には「(黒山島の)島民が陸地に出て南浦の川辺で臨時に移住し、栄山県と呼んだ。恭愍王12年(1363年)に昇格して郡になった」<ref>[https://db.history.go.kr/goryeo/compareViewer.do?levelId=kr_057r_0010_0020_0090_0010 高麗史 > 志 巻第11 > 地理 二 > 全羅道 > 羅州牧 > 沿革] 、韓国史データベース、2024年9月6日閲覧</ref>【原文1】との記述が残る。これは倭寇の侵略による空島政策だったと見られ、南浦にかわる名称の栄山県は、黒山島と隣接する栄山島(ヨンサンド、영산도)から取ったものと推定される。このとき島民が故郷の味を懐かしんでガンギエイを栄山浦まで運んだところ、その間に発酵が進んだことから、現在のような食べ方が定着したと考えられている。黒山島の島民は本来、鮮度のよいガンギエイを刺身で食べており、現在の黒山島でも発酵させず新鮮な状態で刺身にするのが主流である。
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:【原文1】「島人出陸, 僑寓南浦江邊, 稱榮山縣. 恭愍王十二年, 陞爲郡」
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;『茲山魚譜』(1814年)の記述
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:1814年に丁若銓の書いた魚類学書『茲山魚譜(자산어보)』には、ガンギエイについての記述があり、「刺身、焼き物、汁物、干物によい」【原文2】としたうえで、「羅州近郊に住む人たちは発酵させたガンギエイを好んで食べ、嗜好がまた異なる」【原文3】と紹介している<ref>[https://library.korea.ac.kr/detail/?cid=CAT000000733434&ctype=o 玆山魚譜 / 筆寫本 / 巻2 無鱗類 鱝魚(P48)] 、高麗大学校図書館、2024年9月6日閲覧</ref>。
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:【原文2】「宣鱠炙羹腊」
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:【原文3】「羅州近邑之人好食其鮾者嗜好之不全也」
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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