「ソルロンタン(牛スープ/설렁탕)」の版間の差分

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ソルロンタンという名称は、朝鮮時代に行われた豊作祈願の祭祀、先農祭(ソンノンジェ、선농제)に由来するという説と、モンゴル語のシュル(スープの意、шөл)が転化したとする2つの説がある。国立国語院が編纂する『標準国語大辞典』においては「설렁탕」を標準語としているが、非標準語として「설농탕(雪濃湯)」も掲載がある。日本ではソロンタン、ソーロンタンといった表記も見かけるが、本辞典ではソルロンタンと表記する。発音表記は[설렁탕]。
 
ソルロンタンという名称は、朝鮮時代に行われた豊作祈願の祭祀、先農祭(ソンノンジェ、선농제)に由来するという説と、モンゴル語のシュル(スープの意、шөл)が転化したとする2つの説がある。国立国語院が編纂する『標準国語大辞典』においては「설렁탕」を標準語としているが、非標準語として「설농탕(雪濃湯)」も掲載がある。日本ではソロンタン、ソーロンタンといった表記も見かけるが、本辞典ではソルロンタンと表記する。発音表記は[설렁탕]。
  
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*日本語訳
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:牛の各部位を煮込んで作るスープであり、「牛肉や牛骨、内臓などを煮込んだスープ」のように説明をするか、端的に「牛骨スープ」「牛肉スープ」とする例が多い。本辞典では牛肉、牛骨、内臓などすべての部位を網羅する意味から「牛スープ」としているが、[[コムタン(牛スープ/곰탕)]]の日本語訳も同様なので、差別化ができていないとの瑕疵がある。
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=== 語源 ===
 
*先農祭
 
*先農祭
 
[[ファイル:23072001.jpg|thumb|300px|[[ソウル市の料理|ソウル市]]東大門区祭基洞の先農壇跡]]
 
[[ファイル:23072001.jpg|thumb|300px|[[ソウル市の料理|ソウル市]]東大門区祭基洞の先農壇跡]]
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*モンゴル語のシュル
 
*モンゴル語のシュル
:13世紀に高麗王朝は元(モンゴル)の支配を受け、第25代の忠烈王(충렬왕)から第31代の恭愍王(공민왕)までは元の王族と婚姻をした。このことから高麗時代末期の宮中にはモンゴルの文化が流入し、食文化においても大きな影響を与えるに至った。代表的な例のひとつが仏教の伝来以降、公には避けられてきた肉食の復活である。ソルロンタンは、モンゴル料理のシュル(ヒツジのスープ、шөл)を牛肉で応用された料理と考えられ、シュルが変化してソルロンタンになったと考えられる。また、宮中では王、王妃、王大妃の食事を水剌(スラ、수라)と呼ぶが、これも同じくシュルが語源とされる。
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:13世紀に高麗王朝は元(モンゴル)の支配を受け、第25代の忠烈王(충렬왕)から第31代の恭愍王(공민왕)までは元の王族と婚姻をした。このことから高麗時代末期の宮中にはモンゴルの文化が流入し、食文化においても大きな影響を与えるに至った。代表的な例のひとつが仏教の伝来以降、公には避けられてきた肉食の復活である。ソルロンタンは、モンゴル料理のシュル(ヒツジのスープ、шөл)を牛肉で応用された料理と考えられ、シュルが変化してソルロンタンになったと考えられる。また、宮中では王、王妃、王大妃の食事を水剌(スラ、[[수라]])と呼ぶが、これも同じくシュルが語源とされる。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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