「英陽郡の料理」の版間の差分

サイズ変更なし 、 2016年4月23日 (土) 19:48
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[[ファイル:16041203br.JPG|thumb|300px|ハニャググイ]]
 
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『飲食知味方』は1670年頃に書かれた料理書。載寧李氏の一族が住むトゥドゥル村(두들마을)に伝わるもので、1640年にこの村を開いた李時明(イ・シミョン、이시명)の妻、張桂香(チャン・ゲヒャン、장계향)が子孫のために台所仕事の要点を書き残したものである。本書には当時の両班家庭で作られていた料理のレシピが詳細に紹介されているほか、酒類の醸造法や、食品の保管方法についても記されている。その項目は実に146種類にも及び、当時の食文化を知るうえでたいへん貴重な資料である。また、『飲食知味方』より以前にも料理のレシピを記した文献はあるが、それらはすべて漢文であり、ハングルで記された料理書としてはもっとも古い。
 
『飲食知味方』は1670年頃に書かれた料理書。載寧李氏の一族が住むトゥドゥル村(두들마을)に伝わるもので、1640年にこの村を開いた李時明(イ・シミョン、이시명)の妻、張桂香(チャン・ゲヒャン、장계향)が子孫のために台所仕事の要点を書き残したものである。本書には当時の両班家庭で作られていた料理のレシピが詳細に紹介されているほか、酒類の醸造法や、食品の保管方法についても記されている。その項目は実に146種類にも及び、当時の食文化を知るうえでたいへん貴重な資料である。また、『飲食知味方』より以前にも料理のレシピを記した文献はあるが、それらはすべて漢文であり、ハングルで記された料理書としてはもっとも古い。
 
*飲食知味方のタイトル
 
:トゥドゥル村で保管された文書の表紙には、『閨壼是議方(규곤시의방)』というタイトルがつけられている。これは「女性の心得」を意味する言葉であるが、当初からのものでなく子孫によって後日付け加えられたものと見られる。一般的には本文の冒頭に書かれた『飲食知味方』が本書のタイトルとして用いられ、これは「料理の味を知る方法」を意味する。なお、現在の表記法では「음식지미방」となるが、本書には「음식디미방」と記されており、現在の呼び名もそれに則るのが通例である。
 
  
 
*体験プログラム
 
*体験プログラム
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==== 飲食知味方の特徴 ====
 
==== 飲食知味方の特徴 ====
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*飲食知味方のタイトル
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:トゥドゥル村で保管された文書の表紙には、『閨壼是議方(규곤시의방)』というタイトルがつけられている。これは「女性の心得」を意味する言葉であるが、当初からのものでなく子孫によって後日付け加えられたものと見られる。一般的には本文の冒頭に書かれた『飲食知味方』が本書のタイトルとして用いられ、これは「料理の味を知る方法」を意味する。なお、現在の表記法では「음식지미방」となるが、本書には「음식디미방」と記されており、現在の呼び名もそれに則るのが通例である。
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*唐辛子の伝来と普及
 
*唐辛子の伝来と普及
 
:『飲食知味方』の大きな特徴のひとつに唐辛子が一切使われていないことがあげられる。中米を原産とする唐辛子は16世紀後半から17世紀初頭にかけて日本を経由して伝わったとされ、もっとも古い記録は1614年に書かれた『芝峰類説(지봉유설)』に見られる。『飲食知味方』の執筆年代よりも50年以上もさかのぼるが、少なくとも英陽郡の周辺ではまだ一般的な食材でなかったと考えられる。韓国料理は唐辛子の普及によって大きく姿を変えたが、『飲食知味方』のレシピはそれ以前の姿を知るのに役立つ。なお、唐辛子が料理のレシピに登場するのは、1766年に書かれた『増補山林経済』が初めてであり、この時期には普及が進んでいたと見られる。
 
:『飲食知味方』の大きな特徴のひとつに唐辛子が一切使われていないことがあげられる。中米を原産とする唐辛子は16世紀後半から17世紀初頭にかけて日本を経由して伝わったとされ、もっとも古い記録は1614年に書かれた『芝峰類説(지봉유설)』に見られる。『飲食知味方』の執筆年代よりも50年以上もさかのぼるが、少なくとも英陽郡の周辺ではまだ一般的な食材でなかったと考えられる。韓国料理は唐辛子の普及によって大きく姿を変えたが、『飲食知味方』のレシピはそれ以前の姿を知るのに役立つ。なお、唐辛子が料理のレシピに登場するのは、1766年に書かれた『増補山林経済』が初めてであり、この時期には普及が進んでいたと見られる。
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