この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。 |
咸安郡(ハマングン、함안군)は慶尚南道の中央部に位置する地域。本ページでは咸安郡の料理、特産品について解説する。
地域概要
咸安郡は慶尚南道の中央部に位置する地域。郡の北部は慶尚南道の昌寧郡と山清郡、東部から南部にかけては慶尚南道の昌原市、南西部は慶尚南道の晋州市、北西部は慶尚南道の宜寧郡と接する。人口は6万0203人(2023年12月)[1]。
南部に艅航山(ヨハンサン、여항산)、五峰山(オボンサン、오봉산)、西部に防禦山(パンオサン、방어산)といった山々があり、北部には洛東江(ナクトンガン、낙동강)と支流の南江(ナムガン、남강)が流れる。北部の川沿いには平野部が広がり、全体として南高北低の地形をしている。南部の山々から洛東江、南江へと注ぐ河川も多く、南東部は南海岸の馬山湾(マサンマン、마산망)とも近い。広域市の釜山市や大邱市、慶尚南道の昌原市や晋州市といった主要都市の中間地点に当たり、古来より交通の要衝として栄えた。
代表的な観光地としては、伽耶諸国のひとつ阿羅伽倻(アラガヤ、아라가야)時代の陵墓とされる末伊山古墳群(マリサン コブングン、말이산고분군)や、咸安博物館(ハマン パンムルグァン、함안박물관)、城山山城(ソンサンサンソン、성산산성)、載寧李氏(チェリョン イシ、재령이씨)の集姓村(同族村)である高麗洞村(コリョドンマウル、고려동마을)、1542年に建てられた楼亭の無尽亭(ムジンジョン、무진정)、蓮の花テーマパーク(ヨンコッテーマパーク、연꽃테마파크)、入谷郡立公園(イプコク クンニプコンウォン、입곡군립공원)などがある。無尽亭前の蓮池では、陰暦4月8日(初八日)に「落火遊び(낙화놀이)」という朝鮮時代からの祭りが行われて賑わう。
ソウル市から咸安郡までのアクセスは、ソウル駅から咸安駅までITX-セマウル号で約5時間10分の距離。2024年1月現在、ソウル市からの直行バスはないため、近隣である昌原市の馬山(マサン、마산)などを経由する方法がある。釜山市の釜山西部市外バスターミナル(沙上)から、咸安市外バスターミナルまでは市外バスで約1時間の距離である。
阿羅伽倻の歴史
- 阿羅伽倻(アラガヤ、아라가야)は、現在の咸安郡を中心として慶尚南道の昌原市、宜寧郡、晋州市の一部に存在した伽耶諸国のひとつ。高麗時代の僧侶、一然(イリョン、일연)によって1281年に編纂された歴史書『三国遺事(삼국유사)』には、「阿羅伽耶は現在の咸安」と記されている[2]。561年に新羅との戦いに敗れて滅亡した。中心地であった咸安郡には、阿羅伽倻の時代に作られた末伊山古墳群(マリサン コブングン、말이산 고분군)が残るほか、隣接する咸安博物館には古墳群とその周辺から出土した土器や馬鎧(말갑옷)などが展示されている。咸安郡では阿羅伽倻こそが「我が町の伽耶」として大切にされており、伽耶諸国の位置付けについて「前期伽耶の代表は金官伽耶と阿羅伽耶。後期の代表は大伽耶と阿羅伽耶。前期と後期にまたがって伽耶を代表するのは阿羅伽耶だけ」との主張をしばしば耳にする(八田靖史の取材記録より、2023年11月27日)。
- 伽耶古墳群(가야고분군)
- 伽耶古墳群は、紀元前1世紀頃から6世紀まで朝鮮半島南部に存在した伽耶諸国の古墳群。2023年9月にユネスコの世界文化遺産に登録された。咸安郡の末伊山古墳群に加え、慶尚南道固城郡の松鶴洞古墳群(송학동 고분군)、慶尚南道金海市の大成洞古墳群(대성동 고분군)、慶尚南道昌寧郡の校洞と松峴洞古墳群(교동과 송현동 고분군)、慶尚南道陜川郡の玉田古墳群(옥천고분군)、慶尚北道高霊郡の池山洞古墳群(지산동 고분군)、全羅北道南原市の酉谷里と斗楽里古墳群(유곡리와 두락리 고분군)の計7地域にまたがっている。
城山山城と阿羅紅蓮
- 城山山城(ソンサンサンソン、성산산성)は、伽倻邑(カヤウプ、가야읍)に残る山城跡。国の史跡第67号に指定されている。新羅によって6世紀半ばに建てられたとされるが、それ以前にも阿羅伽倻の故地であった可能性がある。無尽亭(ムジンジョン、무진정)から出発して城山山城をぐるっと回る散策コース(2.5km、約50分)があり、城壁の一部を見られるほか、山城の北側からは末伊山古墳群(マリサン コブングン、말이산 고분군)を一望できる。発掘調査によって新羅時代の土器、木簡、鬼面瓦(귀면와)に加え、蓮池跡から蓮の種が出土した。その一部を分析した結果、高麗時代(分析した2個のうち、ひとつは760年前、もうひとつは650年前)のものと判明した。その後、発芽試験を行ったところ、見事にピンク色の花を咲かせ、その色合いから阿羅紅蓮(アラホンニョン、아라홍련)と命名された。この成果をきっかけとして、2013年には伽倻邑伽倻里(カヤウプ カヤリ、가야읍 가야리)に「蓮の花テーマパーク(ヨンコッテーマパーク、연꽃테마파크)」がオープンしている。
食文化の背景
- 牛肉料理が発達しており、市場料理のハヌクッパプ(韓牛のスープごはん、한우국밥)が代表的な名物として知られる。北部を中心に河川の多い地域であるため、川魚料理が豊富である。遺蹟から発掘された高麗時代の蓮の種が花を咲かせたエピソードから、蓮の葉や、花を用いた料理、茶、酒などが見られる。特産品に柿や、スイカなどの果物があり、これらを活用した菓子作りも行われている。
『咸州志』の記録
- 『咸州志(ハムジュジ、함주지)』は、朝鮮時代中期の学者であり咸安郡守の鄭逑(チョン・グ、정구)によって1587年に編纂された咸安郡の郷土地理誌[3]。同書には当時の名産品や進上品が記されており、現在の食文化とのつながりを知ることができる。咸州(ハムジュ、함주)は咸安の旧称であり、現在の咸鏡南道咸州郡とは関係がない。後世の咸安郡守である李彙晋(イ・フィジン、이휘진、18世紀半ば)と、李徳熙(イ・ドキ、이덕희、19世紀の半ば)によって増補がなされており、前者を第1巻、後者を第2巻と呼び分ける。第2巻には市場や牧場などの記述が追加されている。『咸州志』を現代語訳したものとして、1990年に咸安郡誌編纂委員会が出版した『咸安郡誌 : 咸州誌, 漆原邑誌』(咸安郡)などがある[4]。
- 水牛の放牧
- 咸安郡の名所を記した「古跡」の項目には、現在の伽耶邑(カヤウプ、가야읍)一帯の湿地に、琉球国から献納された水牛(물소)が放牧されていたとの記述がある[5]。現在の伽耶邑末山里(マルサルリ、말산리)、道項里(トハンニ、도항리)に当たる地域はかつて放牧里(パンモンニ、방목리)と呼ばれ、現在も道路名として放牧1~3キルとして名称が残っている。
- 川魚
- 柿
代表的な料理
ハヌクッパプ(韓牛のスープごはん/한우국밥)
- ハヌクッパプ(한우국밥)は、韓牛のスープごはん。ハヌ(한우)は韓牛、クッパプ(국밥)はスープごはん(クッパ)を意味する(「クッパプ(クッパ/국밥)」の項目も参照)。ソゴギクッパプ(牛肉のスープごはん/소고기국밥)の一種である。器に盛ったごはんに、牛肉、牛骨を煮込んだピリ辛のスープを注ぎ、牛肉、ソンジ(煮固めた牛血、선지)、豆モヤシ、大根、長ネギなどの具が入る。ごはんはククス(素麺、국수)にも変更できるほか、ごはんとククスの両方を入れた「チャンポン(짬뽕)」というメニューがあってもっとも人気が高い。
- 咸安面北村里(ハマンミョン プクチョンニ、함안면 북촌리)の名物として知られ、元祖店の「大邱食堂(대구식당)」をはじめ、「ハンソン食堂(한성식당)」「市場韓牛クッパプ(시장한우국밥)」の3軒が並ぶ一帯を「ハヌクッパプ村(한우국밥촌)」と呼ぶ。
- 咸安面は16世紀に咸安邑城(ハマンウプソン、함안읍성)が建てられた場所であり、かつては咸安郡庁や邑内市場(ウムネシジャン、읍내시장)があって賑わった。1918年には牛市場が開設され、事情により1年ほどで閉鎖されたものの、1929年に再開して賑わいを見せたとの新聞報道もある[8][9]。しかし、咸安面は朝鮮戦争(1950~53年)によって甚大な被害を受け、庁舎が焼失してしまったことから、咸安郡庁は1954年に当時の伽倻面(カヤミョン、가야면)に移転。地域の中心となったことから、1979年には伽倻邑(カヤウプ、가야읍)へと昇格した。咸安面は地域における中心的な役割を失ってしまったが、「ハヌクッパプ村(한우국밥촌)」の存在は、かつての賑わいを現代に伝えるものと言える。
川魚料理
- 北部を流れる(ナクトンガン、낙동강)、南江(ナムガン、남강)や、市内を流れる咸安川(ハマンチョン、함안천)などの川沿い地域では川魚料理が豊富である。代表的なメニューに、ミンムルコギメウンタン(淡水魚の辛い鍋/민물고기매운탕)、オタンクッパプ(川魚のスープごはん、어탕국밥)、オタングクス(川魚のスープ麺、어탕국수)などがある。
テンジャンシャブシャブ(牛肉の味噌しゃぶしゃぶ/된장샤브샤브)
- テンジャンシャブシャブ(된장샤브샤브)は、牛肉の味噌しゃぶしゃぶ。薄切りにした牛肉を、野菜やキノコとともに味噌仕立てのダシにくぐらせて味わう。
高麗洞村の料理
- 高麗洞村(コリョドンマウル、고려동마을)は、山仁面茅谷里(サニンミョン モゴンニ、산인면 모곡리)に位置する載寧李氏(チェリョン イシ、재령이씨)の集姓村(同族村)。高麗洞遺蹟地(コリョドンユジョクチ、고려동유적지)とも呼ばれる。高麗時代末期の文官、李午(イ・オ、이오)によって開かれた。李午は1392年に朝鮮王朝が誕生した際、自身は高麗の臣下であって朝鮮に仕えるのは義理を欠くことであるとして、中央を離れてこの村に隠遁した。以来、載寧李氏の一族がこの地に住み続けており、李午が建てた住居の高麗宗宅(コリョジョンテク、고려종택)や、井戸の鰒井(ポクチョン、복정)などが現在も文化財として残る。高麗洞村内では高麗時代からの歴史にちなみ、高麗時代に発達した韓菓(한과)の体験プログラムを実施しているほか、高麗時代の蓮の種子が花を咲かせたエピソードをもとにヨンニプパプ(蓮の葉包みごはん/연잎밥)や、ヨンコッチャ(蓮の花茶、연꽃차)を提供する飲食店がある。
プルパン(火焰形マドレーヌ/불빵)
代表的な特産品
農業が盛んな地域であり、柿、スイカ、メロンなどの果物類や、黒トマト、ニンニク、レンコン、パプリカなどが名産として知られる。
干し柿(곶감)
- 咸安郡は古くから柿(감)の名産地であり、咸安面巴水里(ハマンミョン パスリ、함안면 파수리)を中心に干し柿(곶감)の生産も盛んである。地名を冠して、パスコッカム(巴水干し柿、파수곶감)とも呼ぶ。市内のカフェでは、熟柿(홍시)を用いたジュースやラテなどの飲料を味わえる。
冬スイカ(겨울 수박)
- ビニールハウスで栽培し、冬に出荷をするスイカが名産である。
白磁メロン(백자메론)
黒トマト(흑토마토)
代表的な酒類・飲料
マッコリ
- 郡北面月村里(クンブンミョン ウォルチョルリ、군북면 월촌리)に位置する「ハナウォン(하나원)」では、アラマッコリ(아라막걸리)を生産している。
伝統酒
- 郡北面月村里(クンブンミョン ウォルチョルリ、군북면 월촌리)に位置する「ピチョル醸造研究所(빛올양조연구소)」では、主材料のもち米に蓮の葉を加えた醸造酒「一月三舟(일월삼주)」や、ローストしたもち米で造るマッコリの「落火酒(낙화주)」を生産している。
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
- カウォン(가원)
- 住所:慶尚南道咸安郡伽倻邑王宮キル170-21(伽倻里190-10)
- 住所:경상남도 함안군 가야읍 왕궁길 170-21(가야리 190-10)
- 電話:055-584-5500
- 料理:カルビチム
- 高麗白蓮(고려백연)
- 住所:慶尚南道咸安郡山仁面茅谷2キル35-24(茅谷里634-9)
- 住所:경상남도 함안군 산인면 모곡2길 35-24(모곡리 634-9)
- 電話:010-3151-7318
- 料理:ヨンニプパプ(蓮の葉包みごはん)
- 備考:要予約
- DAMAN(담안)
- 住所:慶尚南道咸安郡山仁面茅谷2キル37-4(茅谷里580)
- 住所:경상남도 함안군 산인면 모곡2길 37-4(모곡리 580)
- 電話:未確認
- 料理:伝統菓子作り体験
- 備考:要予約
- 大邱食堂(대구식당)
- 住所:慶尚南道咸安郡咸安面北村2キル50-27(北村里957-16)
- 住所:경상남도 함안군 함안면 북촌2길 50-27(북촌리 957-16)
- 電話:055-583-4026
- 料理:ハヌクッパプ(韓牛のスープごはん)
- MATIN(마틴)
- 住所:慶尚南道咸安郡山仁面咸馬大路1828-1(松汀里789)
- 住所:경상남도 함안군 산인면 함마대로 1828-1(송정리 789)
- 電話:055-582-0011
- 料理:プルパン(火焰形マドレーヌ)、ホンシジュース(熟柿ジュース)
エピソード
韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2023年11月に初めて咸安郡を訪れた。翌年のグルメツアーに向けた下見が目的であったが、咸安郡庁、阿羅伽倻協同組合などの協力を得て、短期間で咸安郡の魅力を学ぶことができた。改めてここに感謝する次第である。
脚注
- ↑ 주민등록 인구 및 세대현황 、行政安全部ウェブサイト、2024年1月28日閲覧
- ↑ 三国遺事 巻1 紀異第一/五伽耶 、韓国史データベース、2024年2月24日閲覧
- ↑ 『함주지』 、デジタル咸安文化大典、2024年1月25日閲覧
- ↑ 咸安郡誌 : 咸州誌, 漆原邑誌 、韓国国立中央図書館、2024年1月25日閲覧
- ↑ 咸安郡誌 : 咸州誌, 漆原邑誌 : 1990(咸安郡誌編纂委員会), P38(コマ番号47/801), P205(コマ番号213/801) 、韓国国立中央図書館、2024年1月25日閲覧
- ↑ 咸安郡誌 : 咸州誌, 漆原邑誌 : 1990(咸安郡誌編纂委員会), P20-21(コマ番号29-30/801), P170(コマ番号178/801) 、韓国国立中央図書館、2024年1月25日閲覧
- ↑ 咸安郡誌 : 咸州誌, 漆原邑誌 : 1990(咸安郡誌編纂委員会), P112(コマ番号120/801), P350(コマ番号357/801) 、韓国国立中央図書館、2024年1月25日閲覧
- ↑ 咸安邑内牛市開設(朝鮮日報1929年7月26日記事) 、NAVERニュースライブラリー、2024年1月29日閲覧
- ↑ 咸安邑内牛市盛況(朝鮮日報1929年8月2日記事) 、NAVERニュースライブラリー、2024年1月29日閲覧
外部リンク
- 関連サイト
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)