この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。 |
群山市(クンサンシ、군산시)は全羅北道の北西部に位置する地域。本ページでは群山市の料理、特産品について解説する。
地域概要
群山市は全羅北道の北西部に位置する地域。市の北部は錦江(クムガン、금강)を挟んで忠清南道の舒川郡と向かい合い、東部は全羅北道の益山市、南東部は全羅北道の金堤市と接する。西部は西海岸に面するとともに、島嶼地域の古群山群島を経由して、全羅北道の扶安郡までセマングム防潮堤で結ばれている。人口は26万2467人で、全羅北道では全州市、益山市に次いで3番目に多い(2022年12月)[1]。
食文化の背景
群山市は北部に韓国四大河川のひとつ錦江(クムガン、금강)が、南部には万頃江(マンギョンガン、만경강)が流れており、これらが西海岸へと注ぐ河口部に位置する肥沃な地域である。周辺地域を含めて広大な湖南平野(ホナムピョンヤ、호남평야)が広がっており、米を中心とする農業が古くから盛んであった。1899年に群山港(クンサナン、군산항)が開港すると、周辺地域の米が群山市に集められて日本へと輸送する拠点となり(韓国側からの視点では多く「収奪」と表現される)、一連の事業に従事するため日本から米穀商や精米業者らが集まったことから、この地域には大きな日本人町が生まれ、最盛期となる1936~37年には日本人の人口が1万人を超えて地域全体の2割以上を占めた[2]。[3]。こうした経緯から、群山市には現在も日本建築の民家、寺院、蔵などが残り、食文化においても老舗ベーカリーのアングムパン(あんパン、앙금빵)が名物となっていたり、日本語の奈良漬けが「ナナスキ(나나스끼)」と呼ばれて定着している(「ウルェチャンアチ(울외장아찌)」とも呼ぶ)。また、西海岸に面した港町であることから、コッケジャン(ワタリガニの醤油漬け/꽃게장)や、アグチム(アンコウの蒸し煮/아구찜)が郷土料理として知られ、カラアカシタビラメ(박대)の干物や、乾燥させたサルエビ(꽃새우)などの乾物類が特産品となっている。
代表的な料理
コッケジャン(ワタリガニの醤油漬け/꽃게장)
- コッケジャン(꽃게장)は、ワタリガニの醤油漬け。カンジャンケジャン(간장게장)とも呼ぶ(「カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け/간장게장)」の項目も参照)。群山市は西海岸に面した港町であり、ワタリガニ(꽃게)の名産地として知られる。専門店ではコッケジャンのほか、ヤンニョムコッケジャン(ワタリガニの辛味ダレ漬け/양념꽃게장)、コッケタン(ワタリガニ鍋/꽃게탕)、コッケチム(ワタリガニ蒸し/꽃게찜)などの料理も提供する。
アングムパン(あんパン/앙금빵)
- アングムパン(앙금빵)は、あんパン。タンパッパン(단팥빵)などとも呼ぶ。中央路1街(중앙로1가)に位置する「李盛堂(イソンダン、이성당)」は1945年の創業で、韓国に現存するもっとも古いベーカリーとして知られる。アングムパンは創業当時から「李盛堂」の看板商品であり、現在はソウル市など他地域にも出店して全国的な知名度を誇る。現在は米粉を用いて作っている。群山市民のソウルフードとして長らく愛されており、韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2010年4月に初めて群山市を訪れ、地元民へのリサーチを重ねた結果、「幼いころから『イソンダン』のパンを食べて育ち、学生時代は店の飲食スペースでデートを重ね、大人になってからも月に1、2度はウキウキと通ってしまうのが、正しい群山市民の姿であるらしい」と結論づけている[4]。
- 李盛堂(이성당)
- 1945年にイ・ソグ(이석우)氏が創業。和菓子店「出雲屋(いづもや)」の店舗を引き継いで営業を始めた。看板商品であるアングムパンのほか、ヤチェパン(野菜パン、야채빵 ※キャベツ、タマネギ、ニンジンなどの野菜を炒めてマヨネーズで和えたサラダ風の具が入っている)も肩を並べる人気を誇り、ソボロパン(そぼろ状のクッキー生地を表面に貼ったメロンパン風のパン、소보로빵)、コロッケ(揚げパン、고로케)など種類豊富なパンを販売している。イートインコーナーでは、自慢のあんこを利用したパッピンス(氷アズキ/팥빙수)も有名である。2014年5月にソウル市の「ロッテ百貨店蚕室店」に出店したのを皮切りに、各地へと支店を増やしている。
- 出雲屋(いづもや)
- 1906年に群山市へと渡った廣瀬安太郎氏が1910年代に創業した和菓子店。当初は和菓子や餅がメインの商品だったが、息子が日本で製パン技術を学びベーカリーへと転換した。1945年に太平洋戦争で日本が敗戦すると、廣瀬家は「出雲屋」を閉店して帰国。その店舗を引き継いでイ・ソグ(이석우)氏が「李盛堂」を開いた。両店ともあんパン/アングムパンを看板商品とするが、直接の面識はなく技術や商品の継承にかかわる接点はなかった。
ウルェチャンアチ(シロウリの粕漬/울외장아찌)
- ウルェチャンアチ(울외장아찌)は、シロウリの粕漬。ウルェ(울외)はシロウリ、チャンアチ(장아찌)は漬け物を意味する。日本語の「奈良漬け」が転化した「ナナスキ(나나스끼)」の呼び名が定着しており、日本統治時代に日本人が多く住んでいた名残のひとつと語られる。「ナナスキ(나나스키)」「ナナスケ(나나스케、나나스께)」といった表記も見られる。韓国ではシロウリ自体が稀であり、ウルェ(울외)の語源も日本語の「瓜(うり)」と固有語の「외(うり)」を組み合わせたものと考える説がある。
ソゴギムクッ(牛肉と大根のスープ/소고기무국)
- ソゴギムクッ(소고기무국)は、牛肉と大根のスープ。ソゴギムックッ(소고기뭇국)、ムウクッ(무우국)などとも表記される。新昌洞(シンチャンドン、신창동)地区に位置する「韓日屋(한일옥)」の看板メニューとして有名であり、ハンジョンシク(韓定食/한정식)や、ヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)の専門店でも提供される。
- 韓日屋(한일옥)
- 韓日屋の店舗は1937年に、金外科病院(김외과병원)として建てられた日本家屋をリフォームしたものである。
チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)
- チャンポン(짬뽕)は、激辛スープの海鮮麺(「チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)」の項目も参照)。1899年に群山港が開かれると、中国からも大勢の人が渡って居留するに至り、1941年10月には「群山華僑小学校(군산화교소학교)」が開校した。市内には現在もたくさんの中国料理店があり、1952年創業と群山市の中国料理店としてはもっとも古い「濱海園(빈해원)」や、俗に言う「韓国5大チャンポン」のひとつに数えられる「福成楼(복성루)」など、数多くの有名店が点在する。2019年には、中国料理店の多く集まる蔵米洞(チャンミドン、장미동)地区の一角が、群山市によって「群山チャンポン特化通り(군산짬뽕특화거리)」として指定された。
ホットク(蜜入りのお焼き/호떡)
- ホットク(호떡)は、蜜入りのお焼き。(「ホットク(蜜入りのお焼き/호떡)」の項目も参照)。1899年に群山港が開かれたのを機に、中国からやって来た人たちが居留を始め、朝鮮総督府の調査によれば1923年末の時点で16軒のホットク(原文では「支那パン」)店があった[5]。京岩洞(キョンアムドン、경암동)には、1943年創業のホットク専門店「仲洞ホットク(중동호떡)」があり、油を使わずにパサッと焼き上げるイェンナルホットク(昔風ホットク/옛날호떡)を販売している。
スンデクッパプ(腸詰めのクッパ/순대국밥)
- スンデクッパプ(순대국밥)は、腸詰のクッパ(「スンデクッ(腸詰入りのスープ/순대국)」の項目も参照)。新栄洞(シニョンドン、신영동)地区の「群山公設市場(군산공설시장)」と「新栄市場(신영시장)」に隣接して、専門店の立ち並ぶ「スンデクッパプ通り(スンデクッパプ通り)」がある。
アグチム(アンコウの蒸し煮/아구찜)
- アグチム(아구찜)は、アンコウの蒸し煮(「アグチム(アンコウの蒸し煮/아구찜)」の項目も参照)。1973年に創業した「キョンサノク(경산옥)」が草分けとなり、周囲に店が増えていったとされる。
ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회)
- ホンオフェ(홍어회)は、ガンギエイの刺身(「ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회)」の項目も参照)。ガンギエイ(홍어)は群山市の特産品であり、近年漁獲量が増えて、2021年には全国の45%に当たる3121トンを水揚げした[6]。
代表的な特産品
モチ麦(흰찰쌀보리)
- モチ麦(찰보리) の一種である「ヒンチャルサルボリ(흰찰쌀보리)」は、市西部の米星洞(ミソンドン、미성동)地区を中心に栽培されている特産品のひとつ。市内ではポリパプ(麦飯の定食/보리밥)の専門店で味わえるほか、パンやマッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)の原料としても利用されている。毎年春にはヒンチャルサルボリの広報を目的として2006年に始まった「群山コンダンボリ祭り(군산꽁당보리축제)」が開催され、コンダンボリ(꽁당보리)は「米を含まない麦、またはその麦飯」を意味する。2008年7月には、農林畜産食品部が地域の名産品を認証する地理的表示農産物の第49号として登録された[7]。
カラアカシタビラメ(박대)
サルエビ(꽃새우)
- 乾燥させたサルエビ(꽃새우)が特産品である。韓国のロングセラー菓子「セウカン(새우깡)」の原料としても長らく使用されている。製造元の農心は2019年に、異物混入などの問題から全量を米国産のエビへと切り替える方針を示したが、生産者らと協議のうえこれを撤回し、現在も米国産に加えて群山産を一部使用している[8][9]。
- 1930年の記録
- サルエビに限定した情報ではないが、1930年に朝鮮総督府が発行した『朝鮮の都邑』には当時の群山府を紹介する中で、「味魚・海老霰(エビあられ)等は土産品として優秀である」(カッコ内は筆者補足)との記述がある[10]。
代表的な酒類・飲料
清酒
- 1899年の開港以降、米の集散地となった群山市では、日本人によって清酒の醸造所が作られた。1930年に朝鮮総督府が発行した『朝鮮の都邑』には当時の群山府を紹介する中で、「特産品には清酒・醤油等あり」との記述がある[11]。
- 朝鮮酒造株式会社群山分工場
- 白花醸造(백화양조)
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
- 群山フェッチプ(군산횟집)
- 住所:全羅北道群山市内港2キル173(錦洞1-76)
- 住所:전라북도 군산시 내항2길 173(금동 1-76)
- 電話:063-442-1114
- 料理:センソンフェ(刺身)
- トゥメゴル(두메골)
- 住所:全羅北道群山市白土路284-20(羅雲洞191-60)
- 住所:전라북도 군산시 백토로 284-20(나운동 191-60)
- 電話:063-461-0611
- 料理:ポリパプ(麦飯の定食)
- 楽園(락원)
- 住所:全羅北道群山市具瑩3キル21-1(月明洞13-6)
- 住所:전라북도 군산시 구영3길 21-1(월명동 13-6)
- 電話:063-446-9255
- 料理:ハンジョンシク(韓定食)
- ユソンガーデン(유성가든)
- 住所:全羅北道群山市聖山面チョルセ路6-1(聖徳里476-1)
- 住所:전라북도 군산시 성산면 철새로 6-1(성덕리 476-1)
- 電話:063-453-6670
- 料理:カンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)
- 李盛堂(이성당)
- 住所:全羅北道群山市中央路177(中央路1街12-2)
- 住所:전라북도 군산시 중앙로 177(중앙로1가 12-2)
- 電話:063-445-2772
- 料理:パッアングムパン(あんパン)
- チュンドンチプ(중동집)
- 住所:全羅北道群山市新金キル14(新栄洞14-5)
- 住所:전라북도 군산시 신금길 14(신영동 14-5)
- 電話:063-446-8876
- 料理:スンデクッ(腸詰入りのスープ)
- チュンドンホットク(중동호떡)
- 住所:全羅北道群山市ソレ路52(京岩洞365)
- 住所:전라북도 군산시 서래로 52(경암동 365)
- 電話:063-445-0849
- 料理:イェンナルホットク(昔風ホットク)
エピソード
脚注
- ↑ 주민등록 인구 및 세대현황 、行政安全部ウェブサイト、2023年1月14日閲覧
- ↑ 昭和十一年朝鮮総督府統計年報 、国立国会図書館デジタルコレクション、2023年4月22日閲覧
- ↑ 昭和十二年朝鮮総督府統計年報 、国立国会図書館デジタルコレクション、2023年4月22日閲覧
- ↑ 八田靖史, 2010, 「群山、歴史を感じる食模様」(『韓国語ジャーナル第34号』), アルク, P31
- ↑ 朝鮮に於ける支那人(朝鮮総督府) 、国立国会図書館デジタルライブラリー(コマ番号61)、2023年1月14日閲覧
- ↑ '군산 홍어' 풍년…전국 위판량의 45% 차지 、聯合ニュース2022年9月14日記事、2023年4月30日閲覧
- ↑ 지리적표시 농산물 、国立農産物品質管理院ウェブサイト、2023年4月29日閲覧
- ↑ 농심 ‘새우깡’, 다시 국산 꽃새우 쓴다 、時事ウィーク(2019年7月31日記事)、2023年5月1日閲覧
- ↑ [결정적 한끗②새우깡 '꽃새우'의 비밀] 、Bizwatch(2020年12月29日記事)、2023年5月1日閲覧
- ↑ 朝鮮の都邑(朝鮮総督府) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号24)、2023年5月1日閲覧
- ↑ 朝鮮の都邑(朝鮮総督府) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号24)、2023年5月1日閲覧
- ↑ [다시쓰는 전북 기업사 ④백화양조-(1)백화에서 롯데까지] 、全北日報(2010年1月21日記事)、2023年5月1日閲覧
- ↑ 사업장 현황/주류/공장 소개/군산공장 、ロッテ七星飲料ウェブサイト、2023年5月1日閲覧
外部リンク
- 関連サイト
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)