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タンスユク탕수육)は、酢豚。

名称

タンスユク(탕수육)は漢字で「糖水肉」と書いて、日本でいう酢豚のこと。中国語の「糖醋肉」を漢字として当てる場合が多く、その場合、韓国語の読み方では「タンチョユク(탕초육)」となるが、それとは関係なしにタンスユクと読ませる場合がほとんどである。「糖醋肉」をタンスユクと呼んだ経緯は明らかでないが、中国語の「糖醋肉(탕추러우、tangcurou)」から「탕추」が「탕수」へと変化し、漢字語の「肉()」と結びついたのではないかとの説がある[1]。なお、タンスユクとの呼び名は1920~30年代から新聞、雑誌などに多く見られる(本項目「歴史」参照)。日本での表記は「タンスユッ」とすることもある。本辞典においては「タンスユク」を使用する。発音表記は[탕수육]。

概要

細切りの豚肉に片栗粉の衣をつけて揚げ、別途作った甘酢ソースをかけて作る。甘酢ソースにはニンジン、タマネギ、ピーマン、キュウリ、キクラゲなどの具を加えることが多く、醤油、砂糖、酢などで味付けをする。韓国では中華料理店における代表的な大皿料理として人気が高く、チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)や、チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)といった麺料理を各人が注文したうえで、タンスユクをシェア用として注文することが多い。

衣には片栗粉(감자전분)やトウモロコシのでんぷん(옥수수전분)を用いるが、近年はもち粉を使ってサクサクもっちりとした食感に仕上げることも多く、これをチャプサルタンスユク(찹쌀탕수육)と呼ぶ(本項目「チャプサルタンスユク」参照)。

甘酢あん

甘酢あんにケチャップやパイナップルなどのフルーツを加えた、広東式酢豚の「古老肉」風タンスユクもあり、ケチャップタンスユク(케찹탕수육케첩탕수육)などと呼ばれる。1980年代頃に普及したが、現在の主流ではなく、懐かしのテイストとして語られることが多い。

つけダレ

粉唐辛子を振った醤油を、つけダレにして食べることも多い。酢を足す場合もある。

歴史

1883年に仁川市で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。現在の韓国で親しまれている主要な中華料理は、19世紀後半から20世紀初頭に伝えられ、時代とともにローカライズしていった。タンスユクに関する記録は1920年代から新聞、雑誌などに見られ、早くからウドン(ダールー麺、우동)、チャプチェ(春雨炒め/잡채)、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、양장피)などと並んで、代表的な中華料理として親しまれた。1950年代以降は、チャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)が中華料理の代表格として台頭していくが、タンスユクはこれらの麺料理と組み合わせて注文する大皿料理として定着する。1990年代にはタンスユク専門のフランチャイズ店が急増する大きなブームがあり、2000年代に入ってからもチャプサルタンスユク(もち粉酢豚、찹쌀탕수육)、キムピタン(キムチピザ酢豚、김피탕)の登場や、後述する甘酢あんにまつわる論争など、途切れることなく話題を集め続けている。

1920~30年代

タンスユクは1920~30年代から、主要な中華料理として新聞、雑誌記事に記述が多く見られる。外食としての需要のみならず、レシピの紹介や講習会の案内もあり、家庭料理としての普及も進んでいたとみられる。

飲食店での普及

飲食店では、中国酒のパイカル(高粱酒、배갈)と一緒に注文している例も多く、酒肴として人気があったと考えられる。
『別乾坤』(1927~32年)の記述
  • 1927年1月1日発行号(第3号)[2]
ルポ記事「変装記者暗夜探査記」内に出前料理としてタンスユクの記述がある。饅頭売りに変装した記者が夜の町を探査する内容で、記者は「色酒家(女性の接待する居酒屋、색주가)」に中華料理の出前が届いた際、「女性主人がチャプチェ(肉炒め))、タンスユク、テンプラ(豚肉の唐揚げ、덴뿌라)の器を受け取っている間に」(カッコ内は訳注)、饅頭を売るふりをして中にどんな客がいるのかを確かめた。
  • 1930年1月1日発行号(第25号)[3]
記事「大大風刺 社会成功 秘術」内に、文人になる皮肉的な秘訣として、「知り合いの文士にタンスユクとパイカル(高粱酒)をご馳走して新聞に『文人印象記』を書いてもらうよう懇願せよ」(カッコ内は訳注)との記述がある。
  • 1931年9月1日発行号(第43号)[4]
記事「万が一、私が結婚するなら新式家庭にするか? 旧式家庭にするか?」内で、回答者のひとりが新式家庭を指し、「義理の両親が『ライスカレー』や『タンスユク』のようなものをよく召し上がるのが新式だろう(もちろんすべてがそうだという訳ではないが)」と述べている。
  • 1932年7月1日発行号(第53号)[5]
記事「連作滑稽小説、田舎のおじさんソウル見物」内に、ソウルの中国料理店に入り、「タンスユク、チャプチェ(肉炒め)マンドゥ(餃子))、そしてパイカル(高粱酒)」(カッコ内は訳注)を注文した記述がある。
『東亜日報』(1932~34年)の記述
  • 1932年1月3日記事[6]
戯曲「昼から夢見る者たち(二)」内に、登場人物のひとりが仕事を円滑に進める賄賂がわりとして、「タンスユク1皿に、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、양장피)、チャプチェ(肉炒め)に、パイカル(高粱酒)でも準備しろ」(カッコ内は訳注)と語るセリフがある。
  • 1933年11月3日記事[7]
小説「虹(40)」内に、登場人物のひとりが「食べ終えてソースだけ残ったタンスユクを私のほうにひっくり返し」たとの描写がある。
  • 1935年2月5日記事[8]
小説「三曲線」内に、中華料理店に入った登場人物に対し、店員が「お酒にしましょうか。チャプチェ(肉炒め)になさいますか? タンスユクは?」(カッコ内は訳注)と問いかける描写がある。
『朝鮮日報』(1936年)の記述
  • 1932年5月25日記事[9]
小説「私の力」内に、中国料理店で登場人物のひとりが「タンスユクひとつ、テンプラ(豚肉の唐揚げ)ひとつ、麺をふたつ、それとビールと牛肉の缶詰をひとつ先に持って来て!」と注文する描写がある。
  • 1936年2月14日[10]
さまざまな中国料理を紹介する記事。「注文しやすいタンスユクとチャプチェ(肉炒め)) しかし中国料理は世界的 探求すると限りがない」(カッコ内は訳注)と見出しにあり、タンスユクやチャプチェを身近な中国料理と表現しつつ、中国の地方料理や調理法ごとの種類を紹介。
  • 1936年4月21日記事[11]
記事「市内中国料理価引き上げ」は、原材料の高騰を理由に京城府内の中国料理店が4月21日から各料理を5~10銭値上げすることを伝えるもの。「『ウドン(ダールー麺、우동)、タンスユク、『テンプラ(豚肉の唐揚げ)』などは大衆がよく食べる料理だけに、与える影響が相当に大きいだろうと思われる」(カッコ内は訳注)と分析した。

家庭料理としての普及

1936年3月10日の「東亜日報」に、中国料理の講習会を告知する記事があり、「中国料理を私たちの家庭で習っておく必要については言うまでも」ないと表現している。また、同記事ではタンスユク、ヤンジャンピチャプチェ(板春雨の冷菜、양장피잡채)、テンプラ(豚肉の唐揚げ、덴뿌라)を例示したうえで、これらを出前で取るありふれた料理のように表現し、おそらく講習会で習えるだろう料理をより本格的なものとして比較する書き方をしている。裏を返すと、それだけこの時代にタンスユクなどの料理が身近な存在として根付いていたと推測できる。
『朝鮮中央日報』(1935年)の記述
  • 1935年1月26日記事[12]
レシピ記事「中国料理の作り方」としてタンスユクを紹介。料理名はハングルと併記して、漢字で「唐酢肉」と書かれている。
『東亜日報』(1936年)の記述
  • 1936年3月10日記事[13]
料理講習会の告知記事「待ちに待った中国料理講習会」内で以下の記述がある。「中国料理を私たちの家庭で習っておく必要については言うまでもなく、ご存じの通りですが、技術もなく、レシピもわからず、お客様のおもてなしに便利で費用も掛からないからといって『タンスユク』『ヤンジャンピチャプチェ(板春雨の冷菜)』や『テンプラ(豚肉の唐揚げ)』の出前を取るお宅が多いようです。また、中国料理とはこのようなものが代表的なものだと思っている方もいらっしゃるようです。しかし、中国料理のようにメニュー数が多く、変化にも富み、美味しく、見栄えもする料理において、『タンスユク』『チャプチェ(肉炒め)』のようなものは、もっとも価値の低い料理です。それ以上の料理は名前ですら、ご存じの方はどれだけになるでしょうか」
  • 1936年8月14日記事[14]
料理紹介記事「夏に食べやすい中国料理いろいろ」内に、料理名を漢字で「酢豚」と書いたレシピがある。
『毎日申報』(1937年)の記述
  • 1937年12月7日記事[15]
レシピ記事「家庭で作る簡単な中国料理」で、テンプラ(豚肉の唐揚げ)とタンスユクを取り上げている。先にテンプラのレシピを紹介したうえで、それを踏まえてタンスユクを「テンプラに汁を作ってかけたもの」と表現している。

日中戦争の影響

1937年7月7日に起きた盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まると、飲食店を経営した華僑の帰国が増え、休廃業が増加した。
『東亜日報』(1937年)の記述
  • 1937年9月20日記事[16]
コラム「横説堅説」内に、「日支事変(日中戦争)によって京城市内の支那料理店が八割以上廃、休業! "ウドン(ダールー麺、우동)" "タンスユク" "チャプチェ(肉炒め)" はおろか、あれほど身近で安価なホットク(蜜入りのお焼き/호떡)さえも味わえなくなる」(カッコ内は訳注)との記述がある。

1950年代

現在の韓国で中華料理の代表格として知られるチャジャンミョン(韓国式ジャージャー麺/짜장면)は、1950~60年代に普及が進んだ。1950年代の新聞には、タンスユクとチャジャンミョンを今日のように定番の組み合わせとして扱う記述がすでに見られる。

『京郷新聞』(1953、58年)の記述
  • 1953年3月9日記事[17]
小説「熱風(54)」内で、登場人物のふたりが中華料理店に入り、ひとりがあれこれ注文しようとすると、もうひとりが「料理の展覧会でもするんですか? チャジャンミョン1杯とタンスユク1皿でいいものを」と返す描写がある。
  • 1958年1月11日記事[18]
童話「砂粒古今(123)」内に、登場人物が出された食事に不満をぶつけながら、「なんだこれは! チャジャンミョンとタンスユクを頼んでこい。急いで」と語る描写がある。

種類

チャプサルタンスユク

チャプサルタンスユク(찹쌀탕수육)は、もち粉を衣にした酢豚。チャプサル(찹쌀)はもち米を意味する。揚げたてのサクサクとした衣に、もっちりとした食感が加わるのが特徴。

クォバロウ

クォバロウ(꿔바로우)は、豚肉の唐揚げ。中国・東北地域の料理である「鍋包肉(锅包肉)」が韓国で定着したものである。クォバオロウ(궈바오러우)と呼ぶこともある。クォバロウ、クォバオロウともに中国での呼び名をハングルで表記したものだが、「鍋包肉」という漢字を韓国式に読んでクァポユク(과포육)と表記する場合もある。薄切りにした豚肉に片栗粉(ジャガイモのでんぷん)で衣をつけて揚げ、甘酢ソースを絡めて味わう。食感や調理法がチャプサルタンスユクと似るため、野菜を抜いたチャプサルタンスユクという感覚で、両者の呼び名が混用されることもある。韓国ではヤンコチ(羊肉の串焼き/양꼬치)とともに2010年代前半から人気が高まり、延辺料理(中国・延辺朝鮮自治州の料理)の専門店や中華料理店において提供されるようになった。

キムピタン

日本における定着

エピソード

地域

脚注

  1. 탕수육은 왜 탕수육일까? 、프레시안、2022年3月2日閲覧
  2. 別乾坤變裝記者暗夜探査記(별건곤 제3호) 、韓国史データベース、2022年3月3日閲覧
  3. 大大風刺 社会成功 秘術(別乾坤 第25号) 、韓国史データベース、2022年3月3日閲覧
  4. 내가 만일 싀집을 간다면 新式 家庭으로 갈까? 舊式 家庭으로 갈까?(별건곤 제43호) 、韓国史データベース、2022年3月3日閲覧
  5. 連作滑稽小說, 시골아저씨의 서울구경 (별건곤 제53호) 、韓国史データベース、2022年3月3日閲覧
  6. 한낮에 꿈꾸는 사람들(二) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  7. 무지개(40) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  8. 三曲線(101) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  9. 二等當選長篇小説 제 힘(27) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  10. 불르기쉬운 탕수육과잡채 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  11. 市内中國料理價引上 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  12. 中國料理맨드는 法 탕수육 (二) 、国立中央図書館大韓民国新聞アーカイブ、2022年3月3日閲覧
  13. 기다리시든 중국료리강습회 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  14. 여름철에 먹기조흔 중국요리몇가지 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  15. 집안에서할수 잇는 뎀뿌라·탕수육 간단한 중국료리 뎀뿌라 、国立中央図書館大韓民国新聞アーカイブ、2022年3月3日閲覧
  16. 横説堅説 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月3日閲覧
  17. 熱風(54) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月4日閲覧
  18. 모래알 고금(123) 、NAVERニュースライブラリー、2022年3月4日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目