カムジャジョン(ジャガイモのチヂミ/감자전)

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カムジャジョン

カムジャジョン감자전)は、ジャガイモのチヂミ。

概要

カムジャ(감자)はジャガイモ。ジョン(チョン、)は漢字では「煎」と書いて、野菜、魚介、肉などに、小麦粉や溶き卵の衣をつけて鉄板で焼いたものを表す(「チョン(チヂミ/전)」の項目も参照)。カムジャジョンの場合は、すりおろしたジャガイモを鉄板でお好み焼き状に平たく焼いて作る。カムジャチヂミ(감자지짐이)、カムジャブチム(감자부침)と呼ばれることもある。家庭料理として作られるほか、居酒屋、民俗酒場などでも提供される。ジャガイモを用いた料理としては、ほかにカムジャタン(ジャガイモ鍋/감자탕)カムジャソンピョン(ジャガイモ餅/감자송편)カムジャジョリム(ジャガイモの煮物/감자조림)などがある。

歴史

ジャガイモの伝来

市場で売られているジャガイモ
朝鮮半島にジャガイモ(감자)が伝来した時期は19世紀前半とみられ、1825年に実学者の徐有榘(ソ・ユグ、서유구)が書いた『杏蒲志(행포지)』が文献上の初出とされる。同書ではジャガイモを「北藷(북저)」の名前で紹介し、「近頃、関北に伝来した」【原文1】[1]と記録している。関北は咸鏡道を指し、この時期に中国経由で伝わったと推測される。
以降、園芸書などに栽培に関する記述が登場するほか、19世紀半ばに実学者の李圭景(イ・ギュギョン、이규경)が書いた百科事典の『五洲衍文長箋散稿(오주연문장전산고)』には、「北藷」について「別名を土甘藷と呼ぶ。純祖24年、25年に関北から初めて入って来た」【原文2】[2]と書かれている。純祖24年、25年は、1824、25年なので、『杏蒲志(행포지)』の内容とも共通する。
【原文1】「北藷近自關北來」
【原文2】「一名土甘藷 純廟甲申 乙酉之間 始自關北出來」
  • 語源
韓国語ではジャガイモのことを「カムジャ(감자)」と呼び、伝来当初に「北から来た甘藷(サツマイモ)」の意味で「北藷(북저)」「北甘藷(북감저)」「北方甘藷(북방감저)」などと呼ばれたものが、省略されて「甘藷(カムジョ、감저)」だけが残り、「カムジャ」へと変化したとされる。現在の韓国ではサツマイモを「コグマ(고구마)」と呼ぶのが一般的だが、「甘藷」もサツマイモを意味し、結果として「甘藷」はジャガイモとサツマイモの両方を指す言葉になっている。国立国語院が編纂する『標準国語大辞典』では、「甘藷(감저)」について「ジャガイモの原語」「サツマイモの塊根」とふたつの意味を掲載している[3]

地域

  • 江原道江陵市
カムジャジョンは江陵市江陵市の城南市場(ソンナムシジャン、성남시장)名物として知られ、毎年7月には「江陵城南市場カムジャジョン祭り(강릉성남시장 감자전 축제)」が開催される。

脚注

  1. 1825, 『杏蒲志 卷4』, 徐有榘著 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号61/84)、2025年2月21日閲覧
  2. 李圭景『五洲衍文長箋散稿(오주연문장전산고)』萬物篇 / 草木類 / 穀種 / 北藷辨證說 、韓国古典総合DB、2025年2月21日閲覧
  3. 감저2 、国立国語院「標準国語大辞典」、2025年2月21日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目