「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

提供: 韓食ペディア
ナビゲーションに移動 検索に移動
63行目: 63行目:
  
 
=== 1950年代 ===
 
=== 1950年代 ===
 +
;サムジンオムクの創業
 +
:釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。
  
 
=== 1960年代 ===
 
=== 1960年代 ===

2017年10月29日 (日) 03:17時点における版

このページは現在編集作業中です。

この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。

オデン오뎅)は、おでん。日本語のおでんという言葉が、韓国でも定着して使われている。オデン(오뎅)は料理名だけでなく、オデンに使用される練り製品の総称としても使用される。主に屋台料理として町中で販売され、練り製品を串に刺して煮込み、薬味醤油をつけて食べるのが一般的である。居酒屋などではオデンを鍋料理として提供し、オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)という名前で呼ぶ。

名称

平壌の冷麺店「玉流館」

オデンは、日本語の「おでん」に由来する。料理名であるとともに、魚の練り製品のこともオデンと呼ぶことが多い。韓国語の固有語では練り製品をオムク(어묵)とも呼ぶ。本辞典では「オデン」を使用する。発音表記は[오뎅]。

概要

オデンは魚の練り製品を串に刺し、煮干し、昆布、大根などを煮込んだスープで煮込んで作る。日本のおでんにルーツがあるが、韓国では主に屋台料理として発達し、キムパプ(海苔巻き/김밥)トッポッキ(餅炒め/떡볶이)などとともに、小腹を満たすための軽食として定着している。日本料理のおでんに比べると具の種類が少なく、練り製品を主として、稀に餅やコンニャクが同じく串に刺した状態で加わる程度である。練り製品としてはきりたんぽのような棒状に成形したもの、薄い板状に仕上げたものの2種類が大半であり、板状のものはジグザグに折り畳んで串に刺す。大根、卵、はんぺん、ちくわといった日本で定番の具はまず見かけない。

食べ方

屋台では串に刺さったオデンを自由に取って食べてよい。会計は最後に食べた本数を申告して計算する。

  • オデンの汁
オデンの汁は屋台においてスープがわりに飲まれる。紙コップやプラスチックのひしゃくが用意されており、オデンや他の料理を注文した客は自由に飲んでよいことになっている。韓国でも屋台のオデンは冬の風物詩であり、オデンの汁が恋しくて屋台に足を運ぶと語られることも多い。
  • 薬味醤油
屋台の店頭には薬味醤油が用意されており、串に刺したオデンをこれにつけて味わう。薬味醤油には刻んだ青唐辛子も入ってピリ辛に仕上げてある。店によっては霧吹きに薬味醤油を入れ、シュッと吹きかける方式を採用しているところもある。

食材としての利用

韓国では魚の練り製品のこともオデン(またはオムク)と呼び、さまざまな料理に利用する。そのまま野菜と炒めたものは、オデンボックム(練り製品の炒め物、오뎅볶음)と呼んで家庭での常備菜や飲食店での副菜として多く用いられる。キムパプ(海苔巻き/김밥)や、トッポッキ(餅炒め/떡볶이)といった料理の具に加えることも多い。

歴史

文献上の初出は18世紀前半頃であるが、本格的に日本から伝えられたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてと考えられる。韓国では日本から近い釜山がオデンの本場とされており、1876年の釜山港開港を機に、日本人が増加したことがきっかけになった。

文献上の記録

  • 『謏聞事説』(18世紀前半?)の記述

18世紀前半と推定される時期に、李時弼(李杓との説もある)によって書かれた『謏聞事説(소문사설)』という文献には、「可麻甫串(가마보곶)」という料理が記載されている。可麻甫串は「カマボコッ」と読み、日本料理のかまぼこが伝えられたものと見られる。魚肉を用いた日本由来の練り製品として、韓国ではオデンのルーツとして紹介されることが多い。その原文は以下の通りである[1]

可麻甫串(かまぼこ)
ボラやスズキ、タイを薄切りにする。また、牛肉と豚肉、キクラゲ、イワタケ、シイタケ、ナマコなど、さまざまな材料と、長ネギ、唐辛子、セリなどの薬味を刻んで具を作る。薄切りにした魚1層に、具を1層載せ、また魚を1層、具を1層と載せて3~4層を載せた後、巻物のように丸く巻いて片栗粉の衣をつけて沸騰した湯で茹で、包丁で薄切りにする。魚肉と具が交互に巻かれているのがまるで太極模様のようである。これをコチュジャンにつけて食べる。具として入れたさまざまな薬味を5色にそれぞれ分けて作っても、包丁を入れたときに模様が美しく見える(原文1)。
【原文1】
可麻甫串
秀魚或鱸魚농어或道味魚切作片,另以牛肉猪肉木耳石耳蔈古海蔘諸味等及葱苦艸芹諸物為末,魚片一層加饀物一層,又魚片一層又加饀物一層,如是三四層後,捲如周紙樣,以菉末為衣以沸湯煮出後,以刀切作片則魚片及饀物相捲回回如太極樣,乃以苦艸醬食之,饀物諸味分五色為之,刀切後紋理尤佳
가마보곶(韓国伝統知識ポータルによる現代語訳)
숭어나 농어, 도미를 썰어서 엷은 조각으로 만든다. 따로 쇠고기와 돼지고기와 목이버섯, 석이버섯, 표고버섯, 해삼 등 여러 가지 재료와 파, 고추, 미나리 등 여러 가지 양념을 다져 소를 만든다. 생선편육 한 층에 소를 한 층 놓고 또 생선편육을 한 층 놓고 소를 한 층 놓고 이와 같이 3~4층 놓은 후에 두루마리 종이를 말듯이 둥글게 말아서 녹말 가루로 옷을 입혀 펄펄 끓는 물에 삶아내어 칼로 썰어 편육을 만든다. 어육편과 소가 서로 말려 돌아간 것이 마치 태극모양과도 같다. 이것을 고추장에 찍어 먹는다. 소로 넣는 여러 가지 양념을 5색으로 각각 나누어서 넣어 만들면 칼로 자른 후에 문채 나는 조리가 더욱 아름답게 보인다.

19世紀後半

  • 韓福眞の報告
韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 には、19世紀後半頃の水産加工品についての記述があり、「日本の伝統食品であるカマボコを統営で作り始め」たとしている(原文2)。統営市慶尚南道に属し、南海岸に面する港町である。その典拠については書内で明らかにされていない。
【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」[2]
  • 釜山日報の記事
釜山日報は2011年3月8日付けの記事「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」にて釜山とオデンの関係について歴史を紐解いており、記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料となっているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない[3]
【原文3】「1924년 조선총독부에서 발행한 '조선의 시장'이란 책에 '부평시장은 쌀, 어묵, 채소, 청과물 등이 주종을 이루었다'라는 기록이 나온다. 아마도 부산어묵의 역사를 확인할 수 있는 최초의 기록이 아닐까 싶다.」[4]

20世紀前半

  • 東亜日報の記事
1927年9月25日付けの「東亜日報」には、「優良水産製品に補助金を交付」という記事があり、統営郡の優良水産製品として「蒲鉾」があげられている[5]
  • 『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている[6]。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
  • 東亜日報の記事
1934年6月28日付けの「東亜日報」(二面)には東京の隅田川で起きた事件についての記事があり、その被害者の職業として「オデン(오뎅)」の商売をしている人物との記載がある。[7]

1950年代

サムジンオムクの創業
釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。

1960年代

2000年代

パルガンオデンのブーム
2004年にプルタク(激辛のグリルチキン/불닭)の流行をきっかけとした激辛ブームが起こった。このブームに乗って屋台でも、パルガンオデン(辛口のオデン、빨간오뎅)を出す店が増えた。
オデンバーのブーム
2004年から2005年にかけて、テーブルやカウンターの中央に大きなオデンのケースを用意する、オデンバー(오뎅바)と呼ばれる日本風居酒屋が流行した。

2010年代

オデンコロッケのブーム

種類

オデンには次のような種類がある。

パルガンオデン
パルガンオデン(빨간오뎅)は、オデンの煮汁に粉唐辛子やコチュジャン(고추장)などを加えて辛口に仕立てたもの。パルガン(빨간)は「赤い」という意味を表す。ヤンニョムオデン(양념오뎅)とも呼び、ヤンニョム(양념)は薬味ダレを表す。韓国では2004年に激辛ブームが起こり、ソウルなどでもパルガンオデンが人気を博した。大邱市や、忠清北道堤川市の郷土料理としても知られる。
オデンタン
オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)は、鍋で提供する一品料理としてのオデン。タンは漢字で「湯」と書いて鍋料理を意味する。串に刺した練り製品のオデンを春菊、豆腐などとともに鉄鍋、土鍋などで提供する。主に居酒屋や、アルコールを販売する屋台などで提供されるメニューである。
オデンボックム
オデンボックム(오뎅볶음)は、魚の練り製品をフライパンなどで炒めたもの。ボックム(볶음)は炒め物を表す。練り製品のみならず、タマネギやニンジンなどの野菜も加えることが多い。家庭で作られる惣菜のひとつで、飲食店では副菜のひとつとして登場することが多い。
オデンウドン
オデンウドン(오뎅우동)は、串に刺したオデンをウドン(うどん/우동)の具として載せたもの。
オデンコロッケ
オデンコロッケ(오뎅고로케)は、魚の練り製品に具を詰めて揚げた料理。オムクコロッケ(어묵고로케)とも呼ぶ。コロッケ(発音はコロケ)は、日本の芋コロッケなどとは異なり、韓国では具を詰めた揚げパンを指す。パン生地を練り製品に変えたアレンジ料理であり、2014年に釜山の「サムジンオムク(삼진어묵)」によって発売された。

日本における定着

オデンはもともと日本料理であるため、本項目では韓国式のオデンが再び日本に戻ってきてからの定着について述べる。韓国式のオデンがいつ日本へ入ってきたかは不明だが、韓食ペディアの執筆者である八田靖史は少なくとも2004年末には、東京の新大久保の韓国スーパー「南大門市場」の店頭にて串に刺さった韓国式のオデンを食べている。

エピソード

  • 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は留学時代にオデンウドンを食べ、串に刺さったオデンがウドンの具として載って出てくるのを見て大きな衝撃を受けた。また、韓国人が魚の練り製品をオデンと呼ぶことにも違和感を覚え、留学後の2001年3月21日より書き始めたメールマガジン「コリアうめーや!!」の創刊号にて激しくオデンウドンを糾弾している[8]

地域

  • 忠清北道堤川市
辛いタレで煮込んだパルガンオデン(ヤンニョムオデン)が有名。堤川中央市場の名物として人気が高い。
  • 大邱市
辛いタレで煮込んだパルガンオデン(ヤンニョムオデン)が有名。ワタリガニを加えて魚介の風味を効かせ、大量のモヤシと一緒に提供するのが特徴。西門市場の名物としても知られる。
  • 釜山市
韓国ではオデンの本場として知られる。老舗の練り製品メーカーや、大皿にたくさんの具を盛り付ける日本風の老舗オデン店が多数存在する。

飲食店情報

以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。

<釜山>

  • 白光商会(백광상회)
住所:釜山市中区南浦キル25-3(南浦洞2街15-1)
住所:부산시 중구 남포길 25-3(남포동2가 15-1)
電話:051-246-3089
備考:南浦洞の老舗オデン店。大皿に約15種類の具材を盛り付けて提供。

脚注

  1. Somunsaseol(謏聞事說) 、韓国伝統知識ポータル、2017年10月28日閲覧
  2. 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31
  3. 朝鮮の市場 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧
  4. [부산의 老鋪 ① '부산어묵' 삼진식품·영진식품] 、釜山日報、2017年10月28日閲覧
  5. 優良水產製品에 補助金을交付 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧
  6. 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧
  7. 大都市(대도시)의 그늘 밑 임자잃은손목발목 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧
  8. コリアうめーや!!創刊号 、韓国伝統知識ポータル、2017年10月28日閲覧

外部リンク

関連項目