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=== 文献上の記録 === | === 文献上の記録 === | ||
− | + | *『謏聞事説』(18世紀前半?)の記述 | |
− | 18世紀前半と推定される時期に、李時弼(李杓との説もある)によって書かれた『謏聞事説(소문사설)』という文献には、「可麻甫串(가마보곶)」という料理が記載されている。可麻甫串は「カマボコッ」と読み、日本料理のかまぼこが伝えられたものと見られる。魚肉を用いた日本由来の練り製品として、韓国ではオデンのルーツとして紹介されることが多い。その原文は以下の通りである<ref>[http://www.koreantk.net/ktkp2014/kfood/kfood-view.view?foodCd=104496 Somunsaseol(謏聞事說) ] 、韓国伝統知識ポータル、2017年10月28日閲覧</ref>。 | + | :18世紀前半と推定される時期に、李時弼(李杓との説もある)によって書かれた『謏聞事説(소문사설)』という文献には、「可麻甫串(가마보곶)」という料理が記載されている。可麻甫串は「カマボコッ」と読み、日本料理のかまぼこが伝えられたものと見られる。魚肉を用いた日本由来の練り製品として、韓国ではオデンのルーツとして紹介されることが多い。その原文は以下の通りである<ref>[http://www.koreantk.net/ktkp2014/kfood/kfood-view.view?foodCd=104496 Somunsaseol(謏聞事說) ] 、韓国伝統知識ポータル、2017年10月28日閲覧</ref>。 |
:可麻甫串(かまぼこ) | :可麻甫串(かまぼこ) | ||
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=== 19世紀後半 === | === 19世紀後半 === | ||
− | + | *韓福眞の報告 | |
:韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 には、19世紀後半頃の水産加工品についての記述があり、「日本の伝統食品であるカマボコを統営で作り始め」たとしている(原文2)。[[統営市の料理|統営市]]は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]に属し、南海岸に面する港町である。その典拠については書内で明らかにされていない。 | :韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 には、19世紀後半頃の水産加工品についての記述があり、「日本の伝統食品であるカマボコを統営で作り始め」たとしている(原文2)。[[統営市の料理|統営市]]は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]に属し、南海岸に面する港町である。その典拠については書内で明らかにされていない。 | ||
:【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref> | :【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref> | ||
− | + | *釜山日報の記事 | |
:釜山日報は2011年3月8日付けの記事「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」にて釜山とオデンの関係について歴史を紐解いており、記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料となっているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。 | :釜山日報は2011年3月8日付けの記事「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」にて釜山とオデンの関係について歴史を紐解いており、記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料となっているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。 | ||
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=== 20世紀前半 === | === 20世紀前半 === | ||
− | + | *東亜日報の記事 | |
:1927年9月25日付けの「東亜日報」には、「優良水産製品に補助金を交付」という記事があり、統営郡の優良水産製品として「蒲鉾」があげられている<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1927092500209204010&editNo=1&printCount=1&publishDate=1927-09-25&officeId=00020&pageNo=4&printNo=2539&publishType=00020 優良水產製品에 補助金을交付] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。 | :1927年9月25日付けの「東亜日報」には、「優良水産製品に補助金を交付」という記事があり、統営郡の優良水産製品として「蒲鉾」があげられている<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1927092500209204010&editNo=1&printCount=1&publishDate=1927-09-25&officeId=00020&pageNo=4&printNo=2539&publishType=00020 優良水產製品에 補助金을交付] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。 | ||
− | + | *『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事 | |
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。 | :1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。 | ||
− | + | *東亜日報の記事 | |
:1934年6月28日付けの「東亜日報」(二面)には東京の隅田川で起きた事件についての記事があり、その被害者の職業として「オデン(오뎅)」の商売をしている人物との記載がある。<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1934062800209102004&editNo=2&printCount=1&publishDate=1934-06-28&officeId=00020&pageNo=2&printNo=4869&publishType=00010 大都市(대도시)의 그늘 밑 임자잃은손목발목] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。 | :1934年6月28日付けの「東亜日報」(二面)には東京の隅田川で起きた事件についての記事があり、その被害者の職業として「オデン(오뎅)」の商売をしている人物との記載がある。<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1934062800209102004&editNo=2&printCount=1&publishDate=1934-06-28&officeId=00020&pageNo=2&printNo=4869&publishType=00010 大都市(대도시)의 그늘 밑 임자잃은손목발목] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。 | ||
=== 1950年代 === | === 1950年代 === | ||
− | + | *サムジンオムクの創業 | |
:釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。 | :釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。 | ||
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=== 2000年代 === | === 2000年代 === | ||
− | + | *パルガンオデンのブーム | |
:2004年に[[プルタク(激辛のグリルチキン/불닭)]]の流行をきっかけとした激辛ブームが起こった。このブームに乗って屋台でも、パルガンオデン(辛口のオデン、[[빨간오뎅]])を出す店が増えた。 | :2004年に[[プルタク(激辛のグリルチキン/불닭)]]の流行をきっかけとした激辛ブームが起こった。このブームに乗って屋台でも、パルガンオデン(辛口のオデン、[[빨간오뎅]])を出す店が増えた。 | ||
− | + | *オデンバーのブーム | |
:2004年から2005年にかけて、テーブルやカウンターの中央に大きなオデンのケースを用意する、オデンバー([[오뎅바]])と呼ばれる日本風居酒屋が流行した。 | :2004年から2005年にかけて、テーブルやカウンターの中央に大きなオデンのケースを用意する、オデンバー([[오뎅바]])と呼ばれる日本風居酒屋が流行した。 | ||
=== 2010年代 === | === 2010年代 === | ||
− | + | *オデンコロッケ(オムクコロッケ)のブーム | |
+ | 釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、練り製品の中に具を詰めて揚げた「オムクコロッケ(어묵고로케)」を2014年より発売した。韓国におけるコロッケ([[고로케]])とは日本の芋コロッケなどとは異なり、パン生地に具を詰めて揚げた揚げパンの一種を意味する。韓国では2012年末からコロッケのブームがあり、それがオムクコロッケの背景にもなっている。 | ||
== 種類 == | == 種類 == |