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*ピビムミルミョン | *ピビムミルミョン | ||
− | [[ファイル: | + | [[ファイル:17021802.JPG|thumb|300px|ピビムミルミョン]] |
:辛い薬味ダレに麺を絡めて味わうミルミョン。ピビムミョン([[비빔면]])とも呼ぶ。薬味ダレは粉唐辛子、醤油、ゴマ油、砂糖、ニンニク、ネギ、韓方材などを混ぜ合わせて作り、店によっては果物の汁などを混ぜることもある。 | :辛い薬味ダレに麺を絡めて味わうミルミョン。ピビムミョン([[비빔면]])とも呼ぶ。薬味ダレは粉唐辛子、醤油、ゴマ油、砂糖、ニンニク、ネギ、韓方材などを混ぜ合わせて作り、店によっては果物の汁などを混ぜることもある。 | ||
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*ユクス | *ユクス | ||
− | [[ファイル: | + | [[ファイル:17021803.JPG|thumb|300px|ユクスなどを提供するセルフサービスコーナー]] |
:専門店ではお茶がわりにユクス(肉ダシのスープ、[[육수]])を提供する。主にヤカンで提供されるので、これをコップに注いで飲む。 | :専門店ではお茶がわりにユクス(肉ダシのスープ、[[육수]])を提供する。主にヤカンで提供されるので、これをコップに注いで飲む。 | ||
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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
− | [[ファイル: | + | [[ファイル:17021804.JPG|thumb|300px|1919年創業を掲げる「内湖冷麺」の看板。屋号の下には「釜山最初ミルミョン製造」との文字がある]] |
1953年に釜山市牛巌洞に店を開いた「内湖冷麺(내호냉면)」がミルミョンの元祖店として知られる。創業者であるイ・ヨンスン(이영순)氏(姑)と鄭漢金(정한금)氏(嫁)は、1919年に咸鏡南道興南市の興南埠頭近くで創業した[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]の専門店「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を経営していた。1950年に朝鮮戦争が起こると、イ・ヨンスン氏と鄭漢金氏は戦火を避けて釜山まで逃れた。当初は戦争が終わったらまた興南市へと戻るつもりであったが、一時的にと始めた店が結果として現在まで代を継いで続いている。店の入口に掲げられた来歴を示す看板には、鄭漢金氏の語った話として以下のようにミルミョンの由来が説明されている。「その当時はそば粉やサツマイモのでんぷんを入手するのがとてもたいへんでした。高すぎて……。それで米軍基地から小麦粉を手に入れて生地を作ったのですが、食べた人たちが『おー、これはおいしい』と。それで冷麺と一緒に売り始めたんです」(原文1)。なお、創業自体は1953年であるが、ミルミョンを開発して提供を始めたのは翌1954年であった。また、同様の経緯で誕生した釜山の郷土料理に[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]がある。 | 1953年に釜山市牛巌洞に店を開いた「内湖冷麺(내호냉면)」がミルミョンの元祖店として知られる。創業者であるイ・ヨンスン(이영순)氏(姑)と鄭漢金(정한금)氏(嫁)は、1919年に咸鏡南道興南市の興南埠頭近くで創業した[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]の専門店「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を経営していた。1950年に朝鮮戦争が起こると、イ・ヨンスン氏と鄭漢金氏は戦火を避けて釜山まで逃れた。当初は戦争が終わったらまた興南市へと戻るつもりであったが、一時的にと始めた店が結果として現在まで代を継いで続いている。店の入口に掲げられた来歴を示す看板には、鄭漢金氏の語った話として以下のようにミルミョンの由来が説明されている。「その当時はそば粉やサツマイモのでんぷんを入手するのがとてもたいへんでした。高すぎて……。それで米軍基地から小麦粉を手に入れて生地を作ったのですが、食べた人たちが『おー、これはおいしい』と。それで冷麺と一緒に売り始めたんです」(原文1)。なお、創業自体は1953年であるが、ミルミョンを開発して提供を始めたのは翌1954年であった。また、同様の経緯で誕生した釜山の郷土料理に[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]がある。 | ||
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== 種類 == | == 種類 == | ||
− | [[ファイル: | + | [[ファイル:17021805.JPG|thumb|300px|スッミルミョン]] |
ミルミョンには次のような種類がある。 | ミルミョンには次のような種類がある。 | ||
*ムルミルミョン([[물밀면]]) | *ムルミルミョン([[물밀면]]) |