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;『朝鮮日報』(1923年)の記述 | ;『朝鮮日報』(1923年)の記述 | ||
− | : | + | :1923年1月23日発行の紙面に「物産奨励会に与する」という見出しの記事があり、文中に漢字で「炸醤麺」との記述がある。朝鮮物産奨励会の発足を伝える内容で、自国内で生産される物産が少なく、外国から入ってきたものが多いことの例として、裕福な人は洋食を食べ、庶民とてそれが日常食のすべてではないものの、「チャジャンミョンや、ヤンジャンピ(板春雨の冷菜、[[양장피]])を食べ、貧しい者でもできたてのマンドゥ(餃子、[[만두]])や固いローピン(小麦粉のお焼き、[[낙병]])などを食べる」(カッコ内は訳注)としている<ref>[https://newslibrary.chosun.com/view/article_view.html?id=86619230123e1012&set_date=19230123&page_no=1 물산장려회(物產奬勵會)에 여(與)하노라] 、朝鮮ニュースライブラリー100、2022年2月19日閲覧</ref>。 |
;『東亜日報』(1930年)の記述 | ;『東亜日報』(1930年)の記述 | ||
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;『朝鮮日報』(1938年)の記述 | ;『朝鮮日報』(1938年)の記述 | ||
− | : | + | :1938年11月9日発行の紙面に「秋収記(三)衣・食」とのエッセイがあり、田舎に行くとろくな食べ物がないとの文脈から、「(村の中心部でも)せいぜい『チャジャンミョン』か『チャンクッパプ(醤油味のクッパ、[[장국밥]])』だが、これも名前は同じでもソウルとは比較にならない」(カッコ内は訳注)との記述がある<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1938110900239205015&editNo=1&printCount=1&publishDate=1938-11-09&officeId=00023&pageNo=5&printNo=6287&publishType=00020 秋収記(三)衣・食] 、NAVERニュースライブラリー、2022年2月19日閲覧</ref>。 |
=== 1940~60年代 === | === 1940~60年代 === |