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;ソウルのコンニャク売り | ;ソウルのコンニャク売り | ||
− | :釜山や統営を中心に練り物製造の文化が発達したのに対し、ソウルでは1920年代後半から屋台で料理としてのオデンを扱った。作家、趙豊衍(조풍연)の回顧によれば、当時は「天ぷらと肉、それにコンニャクの三種類」を大鍋で扱ったとしている<ref name="tenpura">趙豊衍, 1995, 『韓国の風俗-いまは昔-』, 南雲堂, P37</ref> | + | :釜山や統営を中心に練り物製造の文化が発達したのに対し、ソウルでは1920年代後半から屋台で料理としてのオデンを扱った。作家、趙豊衍(조풍연)の回顧によれば、当時は「天ぷらと肉、それにコンニャクの三種類」を大鍋で扱ったとしている<ref name="tenpura">趙豊衍, 1995, 『韓国の風俗-いまは昔-』, 南雲堂, P37</ref>。それぞれの具についての説明はないが、西日本でも揚げた練り製品を天ぷらと呼ぶ地域があるように、ここでの天ぷらも練り製品であると考えられる。 |
*趙豊衍の報告 | *趙豊衍の報告 |