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− | :忠清南道はかつて百済(백제、BC18年~660年)の勢力範囲であった。当初は漢城(現在の[[ | + | :忠清南道はかつて百済(백제、BC18年~660年)の勢力範囲であった。当初は漢城(現在の[[ソウル市の料理|ソウル]])に都を置いたが、475年より熊津(웅진、現在の[[公州市の料理|公州]])、538年より泗沘(사비、現在の[[扶余郡の料理|扶余]])へと遷都した。百済は敬虔な仏教国として栄えたことから、忠清南道の各地域では仏教にちなんだ蓮の葉、蓮の花などを使った郷土料理が見られる。[[扶余郡の料理|扶余郡]]のヨンニプパプ(蓮の葉蒸しごはん、[[연잎밥]])、ヨンコッパン(蓮花饅頭、[[연꽃빵]])、唐津市のペンニョンマッコリ(白蓮マッコリ、백련막걸리)などがその好例である。 |
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