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== 概要 == | == 概要 == | ||
− | + | ミルミョンは小麦麺を用いた冷たい麺料理で、[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]と同じく、麺を冷たいスープに入れて食べるムルミルミョンと、辛い薬味ダレと絡めて食べるピビムミルミョンに大別される。具もまたネンミョンと同様に、茹でた牛肉や豚肉の薄切り、大根、キュウリ、ゆで卵、梨などが載る。麺は小麦粉にでんぷんを加えて生地を作り、押し出し式(生地に圧力をかけて小さな穴から押し出す方式)で麺を作る。釜山を発祥とし、釜山および慶尚南道地域で普及する郷土料理である。ソウルなどの他地域で提供する店を見かけることは少ない。主に専門店で提供されるメニューだが、もともとがネンミョンの代替として開発されたため、ネンミョンの専門店でも提供したり、あるいはミルミョンを専門として掲げる店でネンミョンを扱うことは多い。 | |
*ムルミルミョン | *ムルミルミョン | ||
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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
− | + | 1953年に釜山市牛巌洞に店を開いた「内湖冷麺(내호냉면)」がミルミョンの元祖店として知られる。創業者であるイ・ヨンスン(이영순)氏(姑)と鄭漢金(정한금)氏(嫁)は、1919年に咸鏡南道興南市内湖面の興南埠頭近くで創業した[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]の専門店「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を経営していた。1950年に朝鮮戦争が起こると、イ・ヨンスン氏と鄭漢金氏は戦火を避けて釜山まで逃れた。当初は戦争が終わったらまた興南市へと戻るつもりであったが、一時的にと始めた店が結果として現在まで代を継いで続いている。店の入口に掲げられた来歴を示す看板には、鄭漢金氏の語った話として以下のようにミルミョンの由来が説明されている。「その当時はそば粉やサツマイモのでんぷんを入手するのがとてもたいへんでした。高すぎて……。それで米軍基地から小麦粉を手に入れて生地を作ったのですが、食べた人たちが『おー、これはおいしい』と。それで冷麺と一緒に売り始めたんです」(原文1)。なお、同様の経緯で誕生した釜山の郷土料理に[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]がある。 | |
:【原文1】「그 당시에는 메밀가루나 고구마 전분을 구하기가 너무 어려웠어요. 너무 비싸서... 그래서 미군부대에서 밀가루를 얻어 가지고는 반죽을 했는데 사람들이 먹오보고는 '야~ 이거 맛이 꽤 괸찮다' 그러대요. 그래서 국수랑 같이 팔기 시작했지요」<ref>内湖冷麺店頭の看板、2017年2月13日閲覧</ref> | :【原文1】「그 당시에는 메밀가루나 고구마 전분을 구하기가 너무 어려웠어요. 너무 비싸서... 그래서 미군부대에서 밀가루를 얻어 가지고는 반죽을 했는데 사람들이 먹오보고는 '야~ 이거 맛이 꽤 괸찮다' 그러대요. 그래서 국수랑 같이 팔기 시작했지요」<ref>内湖冷麺店頭の看板、2017年2月13日閲覧</ref> | ||
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== 地域 == | == 地域 == | ||
*釜山市 | *釜山市 | ||
− | : | + | :釜山市発祥の料理でありミルミョンの専門店が各地に点在している。1953年創業の「内湖冷麺(내호냉면)」を筆頭に、1966年創業の「開琴ミルミョン(개금밀면)」、1969年創業の「伽耶ミルミョン(가야밀면)」などが有名である。 |
== 脚注 == | == 脚注 == |