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*<span style="color:red">'''※この項目は八田靖史の独自研究を含んでいます'''</span> | *<span style="color:red">'''※この項目は八田靖史の独自研究を含んでいます'''</span> | ||
=== 開化期から日本統治時代 === | === 開化期から日本統治時代 === | ||
− | :朝鮮時代のソウルには氷庫(빙고)と呼ばれる氷の貯蔵施設が置かれ、これを宮中では[[ファチェ(宮中式の清涼飲料/화채)]]などに仕立てて楽しんだ。こうした氷の利用をパッピンスの歴史としてとらえることもあるが、直接的には開化期から日本統治時代にかけて、日本から伝えられたと考えられる。韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년- | + | :朝鮮時代のソウルには氷庫(빙고)と呼ばれる氷の貯蔵施設が置かれ、これを宮中では[[ファチェ(宮中式の清涼飲料/화채)]]などに仕立てて楽しんだ。こうした氷の利用をパッピンスの歴史としてとらえることもあるが、直接的には開化期から日本統治時代にかけて、日本から伝えられたと考えられる。韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』で、「1900年代から輸入された砂糖を利用した洋菓子および各種甘味製品の市販で在来の餅菓類はやがて退化し、西洋のパン、ケーキ、アイスクリーム、菓子などが嗜好品として根付いていった」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P167</ref>と述べ、日本の菓子店がチンゴゲ(現在の忠武路2街あたり)にできて、アズキ入りの大福餅などを販売したことにも触れている。また、この時期の甘味としてカキ氷の販売形態についても、「夏にはカキ氷とアイスクリームが人気を集めた。カキ氷販売はリアカーに氷をかく機械を載せて歩き、カンナをかけるように氷を削り、器に盛って真ん中にスプーン1杯の砂糖をうずめ、ビンに入れた赤や黄色のシロップをかけて、スプーンを刺した。アズキを載せたカキ氷もある」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P170</ref>と詳述している。1910年に初めての製氷工場が釜山にできたことを考えても、カキ氷が一般に普及したのはその後と考えるのが自然である。<ref>[http://www.iincheon.net/news/articleView.html?idxno=95223/ 인천냉면, 그리고 추억의 화평동] 、仁川新聞(2012年7月15日)、2014年7月1日閲覧</ref> |
:【原文】「1900년대부터 수입한 설탕을 이용한 양과자 및 각종 당 제품의 시판으로 재래의 병과류는 점차 퇴화되고 서양의 빵, 케이크, 아이스크림, 과자 등이 기호 식품으로 뿌리 내리게 되었다」 | :【原文】「1900년대부터 수입한 설탕을 이용한 양과자 및 각종 당 제품의 시판으로 재래의 병과류는 점차 퇴화되고 서양의 빵, 케이크, 아이스크림, 과자 등이 기호 식품으로 뿌리 내리게 되었다」 |