「羅州市の料理」の版間の差分

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:羅州市には広大な羅州平野があり、稲作が盛んであるとともに労働力として牛が多く使役されていた。また、物流の要衝として栄山浦牛市場(영산포 우시장)が売買の拠点となっていたこともあり、そもそも米と牛が身近であったことがナジュコムタンの発達した背景にあると語られる。
 
:羅州市には広大な羅州平野があり、稲作が盛んであるとともに労働力として牛が多く使役されていた。また、物流の要衝として栄山浦牛市場(영산포 우시장)が売買の拠点となっていたこともあり、そもそも米と牛が身近であったことがナジュコムタンの発達した背景にあると語られる。
  
:本格的に[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]が普及したのは、1930年代後半以降とされ、この時期に日本から進出した缶詰工場の存在が大きくかかわっている。京都に本社を置く「竹中罐詰製造所(現、竹中罐詰株式会社)」は、1920年代に[[済州道の料理|済州島]]を皮切りとして、1934年には羅州郡羅州邑月見町(現、羅州市竹林洞)にも工場を開いた<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?#viewKey=CNTS-00128707727&viewType=C 羅州の蔬菜鑵詰, 竹中社長を迎へて懇談し將來の擴張を期す(京城日報社1935年5月30日付記事)] 、韓国国立中央図書館、2024年11月14日閲覧</ref>。当初はグリンピースや黄桃などの缶詰を生産しつつ、1937年頃から牛肉の缶詰を作り始めると、頭部や骨、内臓などの不要な部位が周囲へ大量に流れていった<ref>[https://ncms.nculture.org/long-standing-shops/story/8316 4대를 잇는 나주곰탕의 원조 명가, 나주 하얀집] 、地域N文化、2024年11月14日閲覧</ref>。これらを利用して煮込んだ[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]が近隣の名物となり、現在の名声につながったと説明される。
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:本格的に[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]が普及したのは、1930年代後半以降とされ、この時期に日本から進出した缶詰工場の存在が大きくかかわっている。京都に本社を置く「竹中罐詰製造所(現、竹中罐詰株式会社)」は、1920年代に[[済州道の料理|済州島]]を皮切りとして、1934年には羅州郡羅州邑月見町(現、羅州市竹林洞)にも工場を開いた<ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?#viewKey=CNTS-00128707727&viewType=C 羅州の蔬菜鑵詰, 竹中社長を迎へて懇談し將來の擴張を期す(京城日報社1935年5月30日付記事)] 、韓国国立中央図書館、2024年11月14日閲覧</ref>。当初はグリンピースや黄桃などの缶詰を生産しつつ、1937年頃から牛肉の缶詰を作り始めると、頭部や骨、内臓などの不要な部位が大量に周囲へと流れていった<ref>[https://ncms.nculture.org/long-standing-shops/story/8316 4대를 잇는 나주곰탕의 원조 명가, 나주 하얀집] 、地域N文化、2024年11月14日閲覧</ref>。これらを利用して煮込んだ[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]が近隣の名物となり、現在の名声につながったと説明される。
  
 
:一帯ではもっとも歴史の古い「ハヤンチプ(하양집)」は1910年の創業であるが、初代のウォン・パルレ(원판례)氏が前身となる「リュムン食堂(류문식당)」を開いた頃は[[ヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)]]や[[クッパプ(クッパ/국밥)]]を主に提供し、2代目(嫁)のイム・イスン(임이순)氏の時代に[[ユッケピビムパプ(牛刺身載せビビンバ/육회비빔밥)]]や[[ポックッ(フグのスープ/복국)|ポクタン(フグのスープ/복탕)]]といったメニューを増やしたものの、[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]の専門店となるのは3代目(孫)のキル・ハンス(길한수)氏が跡を継いだ1960年からである<ref>[http://www.hayanjib.com/history.php HAYANJIB HISTORY] 、ハヤンチプ公式ウェブサイト、2024年11月14日閲覧</ref>。1969年に現在の「ハヤンチプ」に店名変更。現在はウォン・パルレ氏のひ孫にあたるキル・ヒョンソン(길형선)氏が4代目を継承している。
 
:一帯ではもっとも歴史の古い「ハヤンチプ(하양집)」は1910年の創業であるが、初代のウォン・パルレ(원판례)氏が前身となる「リュムン食堂(류문식당)」を開いた頃は[[ヘジャンクッ(酔い覚ましのスープ/해장국)]]や[[クッパプ(クッパ/국밥)]]を主に提供し、2代目(嫁)のイム・イスン(임이순)氏の時代に[[ユッケピビムパプ(牛刺身載せビビンバ/육회비빔밥)]]や[[ポックッ(フグのスープ/복국)|ポクタン(フグのスープ/복탕)]]といったメニューを増やしたものの、[[コムタン(牛スープ/곰탕)|コムタン]]の専門店となるのは3代目(孫)のキル・ハンス(길한수)氏が跡を継いだ1960年からである<ref>[http://www.hayanjib.com/history.php HAYANJIB HISTORY] 、ハヤンチプ公式ウェブサイト、2024年11月14日閲覧</ref>。1969年に現在の「ハヤンチプ」に店名変更。現在はウォン・パルレ氏のひ孫にあたるキル・ヒョンソン(길형선)氏が4代目を継承している。
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