「羅州市の料理」の版間の差分

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*五日市場の発祥地
 
*五日市場の発祥地
:羅州市を指して五日市場(오일장)の発祥地と呼ぶことがある。『成宗実録(성종신록)』1473年(成宗4年)2月11日の記録には、凶作だった1470年(庚寅年)に「全羅道の農民が自ら集まって市場を開き、これを「場門(장문)」と呼んだ」<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kia_10402011_003 朝鮮王朝実録(成宗実録 成宗4年2月11日)] 、朝鮮王朝実録、2024年5月12日閲覧</ref>とある。これに対して取り締まりの動きが出たが、羅州牧使の李永肩(イ・ヨンギョン、이영견)が反対を訴えたともあり、この記述から羅州市を発祥地のひとつと推測するものである。同じく『成宗実録(성종신록)』1472年(成宗3年)7月27日の記録には、「全羅道の務安などすべての村で商人たちが場門と呼び」<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kia_10307027_006 朝鮮王朝実録(成宗実録 成宗3年7月27日)] 、朝鮮王朝実録、2024年5月12日閲覧</ref>との記述があり、羅州市とともに[[全羅南道の料理|全羅南道]][[務安郡の料理|務安郡]]も五日市場の発祥地として語られることが多い。朝鮮時代から続く在来市場の「羅州邑内場(나주읍내장)」は、1970年代に城北洞(ソンブクトン、성북동)に移転したのち、2021年に他市場と統合する形で三都洞(サムドドン、삼도동)へと再移転し、現在は「羅州牧使コウル市場(나주목사고을시장)」の名前で歴史を受け継いでいる<ref>[https://ncms.nculture.org/market/story/11156 나주읍내장의 명맥을 이은 나주목사고을시장] 、知識N文化、2024年5月12日閲覧</ref>。
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:羅州市を指して五日市場([[오일장]])の発祥地と呼ぶことがある。『成宗実録(성종신록)』1473年(成宗4年)2月11日の記録には、凶作だった1470年(庚寅年)に「全羅道の農民が自ら集まって市場を開き、これを「場門(장문)」と呼んだ」<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kia_10402011_003 朝鮮王朝実録(成宗実録 成宗4年2月11日)] 、朝鮮王朝実録、2024年5月12日閲覧</ref>とある。これに対して取り締まりの動きが出たが、羅州牧使の李永肩(イ・ヨンギョン、이영견)が反対を訴えたともあり、この記述から羅州市を発祥地のひとつと推測するものである。同じく『成宗実録(성종신록)』1472年(成宗3年)7月27日の記録には、「全羅道の務安などすべての村で商人たちが場門と呼び」<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kia_10307027_006 朝鮮王朝実録(成宗実録 成宗3年7月27日)] 、朝鮮王朝実録、2024年5月12日閲覧</ref>との記述があり、羅州市とともに[[全羅南道の料理|全羅南道]][[務安郡の料理|務安郡]]も五日市場の発祥地として語られることが多い。朝鮮時代から続く在来市場の「羅州邑内場(나주읍내장)」は、1970年代に城北洞(ソンブクトン、성북동)に移転したのち、2021年に他市場と統合する形で三都洞(サムドドン、삼도동)へと再移転し、現在は「羅州牧使コウル市場(나주목사고을시장)」の名前で歴史を受け継いでいる<ref>[https://ncms.nculture.org/market/story/11156 나주읍내장의 명맥을 이은 나주목사고을시장] 、知識N文化、2024年5月12日閲覧</ref>。
  
 
== 代表的な料理 ==
 
== 代表的な料理 ==
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