「ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)」の版間の差分

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== 名称 ==
 
== 名称 ==
ヤックァは漢字で「薬果」と書いて、ヤッ(薬、약)は蜂蜜やゴマ油など栄養価の高いものが入っているということ。クァ(果、과)は「果物」を意味する(後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#語源|語源]]」の項目も参照)。「薬菓」と表記される場合もあるが、菓子の「菓」ではなく、果物の「果」である<ref>[https://stdict.korean.go.kr/search/searchView.do?word_no=456954&searchKeywordTo=3 약과] 、国立国語院「標準国語大辞典」、2023年8月9日閲覧</ref>。日本ではヤッカなどの表記も見られるが、本辞典では「ヤックァ」を使用する。発音表記は〔약꽈〕。
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ヤックァは漢字で「薬果」と書いて、ヤッ(薬、약)は蜂蜜やゴマ油など栄養価の高いものが入っているということ。クァ(果、과)は「果物」を意味する(後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#語源|語源]]」の項目も参照)。菓子の「菓」ではなく、果物の「果」が正しい<ref>[https://stdict.korean.go.kr/search/searchView.do?word_no=456954&searchKeywordTo=3 약과] 、国立国語院「標準国語大辞典」、2023年8月9日閲覧</ref>。日本語ではヤッカなどの表記も見られるが、本辞典では「ヤックァ」を使用する。発音表記は〔약꽈〕。
  
 
*日本語訳
 
*日本語訳
:端的な訳として定着した事例は確認できず、「〇〇な揚げ菓子」「〇〇な伝統菓子」などと説明調に訳したり、似た菓子になぞらえて「韓国式ドーナツ」「蜂蜜クッキー」としたりする訳が多く見られる。「伝統的な」「小麦粉生地の」「花模様の」「蜜入りの」「蜂蜜入りの」といった補足を加えることも多い。本辞典では当初「小麦粉生地の揚げ菓子」を用いていたが、生地にもち粉を加える調理法があることや、名称の由来に蜂蜜がかかわっていることなどを考慮して「蜜入りの揚げ菓子」と変更した。「蜂蜜入りの~」としなかった理由は、蜂蜜のかわりに水飴や溶かした砂糖を加える場合もあるからである。
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:端的な訳として定着した事例は確認できず、「〇〇な揚げ菓子」「〇〇な伝統菓子」と説明調の訳や、似た菓子になぞらえて「韓国式ドーナツ」「蜂蜜クッキー」とする訳が見られる。「伝統的な」「小麦粉生地の」「花模様の」「蜜入りの」「蜂蜜入りの」といった補足を加えることも多い。本辞典では当初「小麦粉生地の揚げ菓子」を用いていたが、生地にもち粉を加える調理法があることや、名称の由来に蜂蜜がかかわっていることなどを考慮して「蜜入りの揚げ菓子」と変更した(2023年8月9日)。「蜂蜜入りの~」としなかった理由は、蜂蜜のかわりに水飴や溶かした砂糖を加える調理法もあるからである。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
小麦粉に蜂蜜、ゴマ油、酒、ショウガ汁などを混ぜて生地を作り、花模様などに成形して油で揚げ、全体に蜂蜜や水飴を絡める。主材料にもち粉を加える場合や、形状を四角形や、半月型に仕立てたもの、ナツメや松の実などを飾りとしてあしらったものなどもある。韓国の伝統菓子としてはもっとも代表的なひとつであり、著名な作家、歴史家の崔南善(チェ・ナムソン、최남선)が1946年に出版した『朝鮮常識問答(조선상식문답)』で、「朝鮮でこしらえる菓子の中で一番高級なものである」と語った話がよく知られている<ref>崔南善 著, 相場清 訳, 1965, 『朝鮮常識問答 朝鮮文化の研究』, 宗高書房, P35-36</ref><ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?resultType=&pageNum=1&pageSize=10&order=&sort=&srchTarget=total&kwd=%EC%A1%B0%EC%84%A0%EC%83%81%EC%8B%9D%EB%AC%B8%EB%8B%B5&systemType=&lnbTypeName=&category=%EB%8F%84%EC%84%9C&hanjaFlag=&reSrchFlag=&licYn=N&kdcName1s=&manageName=&langName=&ipubYear=&pubyearName=&seShelfCode=&detailSearch=&seriesName=&mediaCode=&offerDbcode2s=&f1=&v1=&f2=&v2=&f3=&v3=&f4=&v4=&and1=&and2=&and3=&and4=&and5=&and6=&and7=&and8=&and9=&and10=&and11=&and12=&isbnOp=&isbnCode=&guCode2=&guCode3=&guCode4=&guCode5=&guCode6=&guCode7=&guCode8=&guCode11=&gu2=&gu7=&gu8=&gu9=&gu10=&gu12=&gu13=&gu14=&gu15=&gu16=&subject=&sYear=&eYear=&sRegDate=&eRegDate=&typeCode=&acConNo=&acConNoSubject=&infoTxt= 조선상식문답(館外利用無料図書の検索結果)] 、韓国国立中央図書館、2023年7月25日閲覧</ref>。日常の間食として親しまれるほか、伝統的な祝い膳や、儀礼膳、祖先を祀る祭祀膳にも用いられる。伝統菓子店、餅店で販売されるほか、スーパー、コンビニなどでも広く扱われる。近年はアイスクリームや生クリームを載せて食べたり、他の菓子類と融合させるなど、新たな楽しみ方も見出されている。かつて高麗の都であった[[北朝鮮の料理|黄海北道開城市]]が本場として知られ、四角形に作ったものはケソンヤックァ(開城式の揚げ菓子、[[개성약과]])とも呼ばれる。[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]の郷土菓子でもある。
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小麦粉に蜂蜜、ゴマ油、酒、ショウガ汁などを混ぜて生地を作り、花模様などに成形して油で揚げ、全体に蜂蜜や水飴を絡める。主材料にもち粉を加える場合や、形状を四角形や、半月型に仕立てたもの、ナツメや松の実などを飾りとしてあしらったものなどもある。韓国の伝統菓子としてはもっとも代表的なひとつであり、著名な作家、歴史家の崔南善(チェ・ナムソン、최남선)は、1946年に出版した『朝鮮常識問答(조선상식문답)』で、ヤックァについて「朝鮮でこしらえる菓子の中で一番高級なものである」と語っている<ref>崔南善 著, 相場清 訳, 1965, 『朝鮮常識問答 朝鮮文化の研究』, 宗高書房, P35-36</ref><ref>[https://nl.go.kr/NL/contents/search.do?resultType=&pageNum=1&pageSize=10&order=&sort=&srchTarget=total&kwd=%EC%A1%B0%EC%84%A0%EC%83%81%EC%8B%9D%EB%AC%B8%EB%8B%B5&systemType=&lnbTypeName=&category=%EB%8F%84%EC%84%9C&hanjaFlag=&reSrchFlag=&licYn=N&kdcName1s=&manageName=&langName=&ipubYear=&pubyearName=&seShelfCode=&detailSearch=&seriesName=&mediaCode=&offerDbcode2s=&f1=&v1=&f2=&v2=&f3=&v3=&f4=&v4=&and1=&and2=&and3=&and4=&and5=&and6=&and7=&and8=&and9=&and10=&and11=&and12=&isbnOp=&isbnCode=&guCode2=&guCode3=&guCode4=&guCode5=&guCode6=&guCode7=&guCode8=&guCode11=&gu2=&gu7=&gu8=&gu9=&gu10=&gu12=&gu13=&gu14=&gu15=&gu16=&subject=&sYear=&eYear=&sRegDate=&eRegDate=&typeCode=&acConNo=&acConNoSubject=&infoTxt= 조선상식문답(館外利用無料図書の検索結果)] 、韓国国立中央図書館、2023年7月25日閲覧</ref>。日常の間食として親しまれるほか、伝統的な祝い膳や、儀礼膳、祖先を祀る祭祀膳にも用いられる。伝統菓子店、餅店で販売されるほか、スーパー、コンビニなどでも広く扱われる。近年はアイスクリームや生クリームを載せて食べたり、他の菓子類と融合させるなど、新たな楽しみ方も見出されている。かつて高麗の都であった[[北朝鮮の料理|黄海北道開城市]]が本場として知られ、四角形に作ったものはケソンヤックァ(開城式のヤックァ、[[개성약과]])とも呼ばれる。[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]の郷土菓子でもある。
  
 
=== 韓菓>油蜜菓>ヤックァ ===
 
=== 韓菓>油蜜菓>ヤックァ ===
:ヤックァを語るうえで、「韓菓(ハングァ、[[한과]])」、「油蜜菓(ユミルグァ、[[유밀과]])」といった用語の使い分けで混乱を招くことがある。
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:ヤックァを語る際に、「韓菓(ハングァ、[[한과]])」、「油蜜菓(ユミルグァ、[[유밀과]])」といった用語の使い分けで混乱を招くことがままある。
 
:韓菓は伝統菓子の総称であり、油蜜菓は韓菓の中のひとつである。韓菓にはほかに、ユグァ(油菓、小麦粉や米粉の生地を揚げて蜜や炒り米を貼った菓子、[[유과]])、チョングァ(果物や野菜の蜜漬け、[[정과]])、カンジョン(穀物を蜜で固めた菓子、[[강정]])などがある。
 
:韓菓は伝統菓子の総称であり、油蜜菓は韓菓の中のひとつである。韓菓にはほかに、ユグァ(油菓、小麦粉や米粉の生地を揚げて蜜や炒り米を貼った菓子、[[유과]])、チョングァ(果物や野菜の蜜漬け、[[정과]])、カンジョン(穀物を蜜で固めた菓子、[[강정]])などがある。
:油蜜菓は小麦粉や米粉の生地を練って油で揚げ、蜂蜜や水飴などを絡めた菓子を総称する。ヤックァは油蜜菓の中の代表的なひとつである。油蜜菓にはほかに、マンドゥグァ([[マンドゥ(餃子/만두)]]の形を模した半月型の揚げ菓子、[[만두과]])、タシックァ(タシク(らくがん、[[다식]])の型を用いた揚げ菓子、[[다식과]])、メジャックァ(生地を手綱型にねじった揚げ菓子、[[매작과]])などがある。
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:油蜜菓は小麦粉や米粉の生地を練って油で揚げ、蜂蜜や水飴などを絡めた菓子を総称する。ヤックァは油蜜菓の中の代表的なひとつである。油蜜菓にはほかに、マンドゥグァ(半月型の揚げ菓子、[[만두과]])、タシックァ(型を用いた揚げ菓子、[[다식과]])、メジャックァ(生地を手綱型にねじった揚げ菓子、[[매작과]])などがある。
:高麗時代、朝鮮時代の文献にはヤックァ(薬果)だけでなく、油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)と書かれたものも多い。用語としてはヤックァを含むさまざまな菓子の総称であるが、ヤックァの歴史を紐解く場合、これらの表記で書かれた文献も参照する必要がある。結果として、ヤックァの話をしながらも油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)などの用語が混在するので注意が必要である。
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:ヤックァの歴史を紐解く場合、高麗時代、朝鮮時代の文献には油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)として書かれているものも多く、これらはヤックァを含む
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ヤックァ(薬果)だけでなく、油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)と総称して書かれたものも多い。用語としてはヤックァを含むさまざまな菓子の総称であるが、ヤックァの歴史を紐解く場合、これらの表記で書かれた文献も参照する必要がある。結果として、ヤックァの話をしながらも油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)などの用語が混在するので注意が必要である。
  
 
=== 語源 ===
 
=== 語源 ===
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==== 薬(약)の語源 ====
 
==== 薬(약)の語源 ====
:ヤックァの「ヤッ([[약]])」は漢字で「薬」と書いて薬を意味する。薬食同源([[약식동원]])の思想から、韓国では身体によいものを「薬([[약]])」と表現することが多い。類例に[[ヤッパプ(薬ごはん=韓国式のおこわ/약밥)]]、ヤクス(薬水=湧水、[[약수]])、ヤクチュ(薬酒、清酒、[[약주]])、ヤッコチュジャン(薬コチュジャン=モチ米を材料にトウガラシを多めに入れ作った良質のコチュジャン、[[약고추장]])などがある。ヤックァに用いる小麦粉、蜂蜜、ゴマ油はいずれも栄養価が高く、かつては貴重な食材であった。ヤックァを「薬」と表現する理由については朝鮮時代の文献でも多く解説されており、代表的なものに以下がある。
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:ヤックァの「ヤッ([[약]])」は漢字で「薬」と書いて薬を意味する。薬食同源([[약식동원]])の思想から、韓国では身体によいものを「薬([[약]])」と表現することが多い。類例に[[ヤッパプ(韓国式のおこわ/약밥)|ヤッパプ(薬ごはん=韓国式のおこわ/약밥)]]、ヤクス(薬水=湧水、[[약수]])、ヤクチュ(薬酒=薬酒、清酒、[[약주]])、ヤッコチュジャン(薬コチュジャン=モチ米を材料にトウガラシを多めに入れ作った良質のコチュジャン、[[약고추장]])などがある。ヤックァに用いる小麦粉、蜂蜜、ゴマ油はいずれも栄養価が高く、かつては貴重な食材であった。ヤックァを「薬」と表現する理由については朝鮮時代の文献でも多く解説されており、代表的なものに以下がある。
  
 
:;『芝峰類説』(1614年)の記述
 
:;『芝峰類説』(1614年)の記述
 
::朝鮮時代中期の学者、李睟光(イ・スグァン、이수광)が1614年に編纂した『芝峰類説([[지봉유설]])』にはヤックァについての記述があり、「蜜果のことを薬果と呼ぶ。麦は四季の精力を受けて育ち、蜂蜜は百薬の長、油は虫を殺すことができる」【原文1】とその薬効を紹介している。
 
::朝鮮時代中期の学者、李睟光(イ・スグァン、이수광)が1614年に編纂した『芝峰類説([[지봉유설]])』にはヤックァについての記述があり、「蜜果のことを薬果と呼ぶ。麦は四季の精力を受けて育ち、蜂蜜は百薬の長、油は虫を殺すことができる」【原文1】とその薬効を紹介している。
  
【原文1】蜜果謂之藥果者 麥爲四時之精 蜜是百藥之長 油能殺蟲故也
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::【原文1】蜜果謂之藥果者 麥爲四時之精 蜜是百藥之長 油能殺蟲故也
  
 
:;『雅言覚非』(1819年)の記述
 
:;『雅言覚非』(1819年)の記述
 
::朝鮮時代後期の学者、丁若銓(チョン・ヤクチョン、정약전)が1819年に書いた語源研究書『雅言覚非(아언각비)』にはヤックァについての記述があり、「我が国の言葉では蜜を薬と呼ぶ。ゆえに蜜酒を薬酒、蜜飯を薬飯、蜜果を薬果と呼ぶ」【原文2】と説明している。
 
::朝鮮時代後期の学者、丁若銓(チョン・ヤクチョン、정약전)が1819年に書いた語源研究書『雅言覚非(아언각비)』にはヤックァについての記述があり、「我が国の言葉では蜜を薬と呼ぶ。ゆえに蜜酒を薬酒、蜜飯を薬飯、蜜果を薬果と呼ぶ」【原文2】と説明している。
  
【原文2】按東語蜜謂之藥 故蜜酒曰藥酒 蜜飯曰藥飯 蜜果曰藥果
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::【原文2】按東語蜜謂之藥 故蜜酒曰藥酒 蜜飯曰藥飯 蜜果曰藥果
  
 
==== 果(과)の語源 ====
 
==== 果(과)の語源 ====
:ヤックァは後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#歴史|歴史]]」の項目でも触れるように、三国時代から高麗時代にかけて仏教とのかかわりの中で普及が進んだ。茶菓子や仏教行事の宴会食として用いられたほか、祖先を祀る祭祀膳にも捧げられたが、仏教では殺生を禁じるため、魚肉の代わりとして油蜜菓が用いられた。朝鮮時代前期の学者、成俔(ソン・ヒョン、성현)が1525年に刊行した『慵斎叢話(용재총화)』には、「蜜果はすべて鳥や動物の形に作って用いる」【原文3】と書かれており、単なる代替ではなく形状を模して作っていたことがわかる。同様に祭祀用の果物を模して作ることもあり、朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)は著書『星湖僿説(성호사설)』の中で、果物の「果」がヤックァの名称として残ったと説明している。現代でも祭祀膳([[제사상]])の5列目には、一般に「棗栗梨柿(ナツメ、クリ、ナシ、カキ、[[조율이시]])」と総称される果物と並んでヤックァなどの韓菓([[한과]])が配置される。
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:ヤックァは後述する「[[ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)#歴史|歴史]]」の項目でも触れるように、三国時代から高麗時代にかけて仏教とのかかわりの中で普及が進んだ。茶菓子や仏教行事の宴会食として用いられたほか、祖先を祀る祭祀膳にも捧げられたが、仏教では殺生を禁じるため、魚肉の代わりとして油蜜菓(蜜を絡めた揚げ菓子、[[유밀과]])が用いられた。朝鮮時代前期の学者、成俔(ソン・ヒョン、성현)が1525年に刊行した『慵斎叢話(용재총화)』には、「蜜果(=油蜜菓)はすべて鳥や動物の形に作って用いる」【原文3】と書かれており、単なる代替ではなく形状を模して作っていたことがわかる。同様に祭祀用の果物を模して作ることもあり、朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)は著書『星湖僿説(성호사설)』の中で、果物の「果」がヤックァの名称として残ったと説明している(下記参照)。現代でも祭祀膳([[제사상]])の5列目には、一般に「棗栗梨柿(ナツメ、クリ、ナシ、カキ、[[조율이시]])」と総称される果物と並んでヤックァなどの韓菓([[한과]])が配置される。
  
【原文3】蜜果皆用鳥獸之形
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::【原文3】蜜果皆用鳥獸之形
  
 
:;『星湖僿説』(1760年頃?)の記述
 
:;『星湖僿説』(1760年頃?)の記述
 
::朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)が1760年頃に書いたとされる百科事典『星湖僿説(성호사설)』には、ヤックァに関する記述があり、以下のように名称のルーツと形状の変化について述べている。
 
::朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)が1760年頃に書いたとされる百科事典『星湖僿説(성호사설)』には、ヤックァに関する記述があり、以下のように名称のルーツと形状の変化について述べている。
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::「このような菓子を我が国の人は通称『造果』と言うが、たいてい本物の果物ではなく偽物として作ったものを世間ではすべて『造果』と呼ぶ。 推測するに、最初は小麦生地で果物の形を真似て作ったもののようだ。 それでこのような名前を持つようになり、後世の人たちがその形に習って作るのに、丸いと器に高く積み上げられないため、四角く切って作ったのだが、果物という名前はそのまま残っている。 今日の風俗でも祭祀を行うときには、この『造果』を果物の間に並べることから見て、よりいっそう推察できる」<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=BT#dir/node?dataId=ITKC_BT_1368A_0050_010_1210&viewSync=OT 星湖僿説 / 第4巻萬物門(粔籹蜜餌)] 、韓国古典総合DB、2023年7月2日閲覧</ref>【原文4】
  
「このような菓子を我が国の人は通称『造果』と言うが、たいてい本物の果物ではなく偽物として作ったものを世間ではすべて『造果』と呼ぶ。 推測するに、最初は小麦生地で果物の形を真似て作ったもののようだ。 それでこのような名前を持つようになり、後世の人たちがその形に習って作るのに、丸いと器に高く積み上げられないため、四角く切って作ったのだが、果物という名前はそのまま残っている。 今日の風俗でも祭祀を行うときには、この『造果』を果物の間に並べることから見て、よりいっそう推察できる」<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=BT#dir/node?dataId=ITKC_BT_1368A_0050_010_1210&viewSync=OT 星湖僿説 / 第4巻萬物門(粔籹蜜餌)] 、韓国古典総合DB、2023年7月2日閲覧</ref>【原文4】
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::【原文4】此類東人又通謂之造果凡非真而假為者俗諺皆謂之造意者其初以蜜麪造為果品之形扵是有是名後人妨其形圓不能累髙故方㘦為之而果之稱猶存也今祀享陳扵果品之間則尤驗矣
 
 
【原文4】此類東人又通謂之造果凡非真而假為者俗諺皆謂之造意者其初以蜜麪造為果品之形扵是有是名後人妨其形圓不能累髙故方㘦為之而果之稱猶存也今祀享陳扵果品之間則尤驗矣
 
  
 
:;『古芸堂筆記』(1792~1793年頃?)の記述
 
:;『古芸堂筆記』(1792~1793年頃?)の記述
::朝鮮時代後期の学者、柳得恭(ユ・ドゥッコン、유득공)が1792~1793年にかけて書いたとされる『古芸堂筆記(고운당필기)第3巻』には、「俗語改正」と題された文章があり、「油と蜂蜜を加えて揚げた小麦粉の生地を『ヤックァ(薬果)』と呼ぶが、もともと薬ではなく、かといって果物でもない。蜜に漬けた果物を『チョングァ(正果)』と呼ぶが、であれば蜜に漬けていないものは『邪果』であるか?」<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=BT#dir/node?dataId=ITKC_BT_1550A_0030_000_0400&viewSync=KP 古芸堂筆記 第3巻/俗語改正] 、韓国古典総合DB、2023年7月24日閲覧</ref>【原文5】と批判的に述べている。
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::朝鮮時代後期の学者、柳得恭(ユ・ドゥッコン、유득공)が1792~1793年にかけて書いたとされる『古芸堂筆記(고운당필기)第3巻』には、「俗語改正」と題された文章があり、「油と蜂蜜を加えて揚げた小麦粉の生地を『薬果(ヤックァ)』と呼ぶが、もともと薬ではなく、かといって果物でもない。蜜に漬けた果物を『正果(チョングァ)』と呼ぶが、であれば蜜に漬けていないものは『邪果』であるか?」<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=BT#dir/node?dataId=ITKC_BT_1550A_0030_000_0400&viewSync=KP 古芸堂筆記 第3巻/俗語改正] 、韓国古典総合DB、2023年7月24日閲覧</ref>【原文5】と批判的に述べている。
  
【原文5】油蜜煎麪曰“藥果”,旣非藥也,又非果也。以蜜漬果曰“正果”,不漬蜜者爲邪果耶?
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::【原文5】油蜜煎麪曰“藥果”,旣非藥也,又非果也。以蜜漬果曰“正果”,不漬蜜者爲邪果耶?
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
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=== 高麗時代 ===
 
=== 高麗時代 ===
:高麗王朝は仏教を手厚く保護し、国家的な行事として燃灯会や八関会といった仏教儀式を行った。こうした大々的な行事の宴会食に油蜜菓は多く用いられ、また王族や両班らの私的な宴会や祭祀においても盛んに作られた<ref>[http://contents.history.go.kr/front/km/view.do?levelId=km_010_0040_0030_0060#ftid_92 『韓国文化史10巻』(자연과 정성의 산물, 우리 음식 > 제2장 국가 의례의 음식 > 3. 왕과 왕비가 혼인하다)] 、国史編纂委員会(우리역사넷)、2023年7月22日閲覧</ref>。1296年には、忠烈王(第25代)が王太子(のちの忠宣王、第26代)の婚姻に際して元まで赴いた際、宴席に油蜜菓を持参したことが『高麗史』に記されている<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_031r_0030_0110_0080 高麗史 > 世家 巻第31 > 忠烈王22年 > 11月 > 王太子が晋王の娘と結婚(세자가 진왕의 딸에게 장가들다)] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>。当時の元では高麗の文化が「高麗様」と呼ばれて流行したが、油蜜菓も「高麗餅(コリョビョン、고려병)」の名前で人気を博した。
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:高麗王朝は仏教を手厚く保護し、国家的な行事として燃灯会や八関会といった仏教儀式を行った。こうした大々的な行事の宴会食に油蜜菓は多く用いられ、また王族や両班らの私的な宴会や祭祀においても盛んに作られた<ref>[http://contents.history.go.kr/front/km/view.do?levelId=km_010_0040_0030_0060#ftid_92 『韓国文化史10巻』(자연과 정성의 산물, 우리 음식 > 제2장 국가 의례의 음식 > 3. 왕과 왕비가 혼인하다)] 、国史編纂委員会(우리역사넷)、2023年7月22日閲覧</ref>。1296年には、忠烈王(第25代)が王太子(のちの忠宣王、第26代)の婚姻に際して元まで赴いた際、宴席に油蜜菓を持参したことが『高麗史』に記されている<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_031r_0030_0110_0080 高麗史 > 世家 巻第31 > 忠烈王22年 > 11月 > 王太子が晋王の娘と結婚(세자가 진왕의 딸에게 장가들다)] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>。当時の元では高麗の文化が「高麗様」と呼ばれて流行したが、油蜜菓も「高麗餅(コリョビョン、[[고려병]])」の名前で人気を博した。
 
:一方で、油蜜菓は小麦粉、油、蜂蜜など、当時としてはたいへん高価な材料ばかりを使っていたため、国家の財政逼迫を招く一因ともなり、贅沢と浪費を戒める意味から高麗王朝ではたびたび禁止令を出した。『高麗史』には1192年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0380 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1282年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_029_0040_0090_0100 高麗史 > 世家 巻第29 > 忠烈王8年 > 9月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref><ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0520 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1310年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0660 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>、1333年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_035_0130_0030_0030 高麗史 > 世家 巻第35 > 忠粛王(後)2年 > 陰3月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1353年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_038_0040_0070_0020 高麗史 > 世家 巻第38 > 恭愍王2年 > 8月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1391年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0990 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>に油蜜菓を禁じた記録が残り、その後の朝鮮時代においても何度となく禁止令が出されている。
 
:一方で、油蜜菓は小麦粉、油、蜂蜜など、当時としてはたいへん高価な材料ばかりを使っていたため、国家の財政逼迫を招く一因ともなり、贅沢と浪費を戒める意味から高麗王朝ではたびたび禁止令を出した。『高麗史』には1192年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0380 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1282年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_029_0040_0090_0100 高麗史 > 世家 巻第29 > 忠烈王8年 > 9月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref><ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0520 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1310年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0660 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧</ref>、1333年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_035_0130_0030_0030 高麗史 > 世家 巻第35 > 忠粛王(後)2年 > 陰3月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1353年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_038_0040_0070_0020 高麗史 > 世家 巻第38 > 恭愍王2年 > 8月] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>、1391年<ref>[https://db.history.go.kr/KOREA/item/compareViewer.do?levelId=kr_085_0010_0010_0020_0990 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令] 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧</ref>に油蜜菓を禁じた記録が残り、その後の朝鮮時代においても何度となく禁止令が出されている。
  
 
=== 朝鮮時代 ===
 
=== 朝鮮時代 ===
:ヤックァに関する記録は朝鮮時代の文献に数多く見られる。『飲食知味方([[음식디미방]])』、『閨閤叢書([[규합총서]])』、『是議全書([[시의전서]])』といった有名な料理書にレシピが掲載されているほか、『芝峰類説(지봉유설)』、『星湖僿説(성호사설)』といった百科辞典的な書籍では語源や歴史的背景について紹介されている。朝鮮王朝の公的な記録にも残り、宮中での宴会料理や、王への進上品としても用いられていたことがわかる。『朝鮮王朝実録(조선왕조실록)』には1424年10月(世宗6年)に、第4代王の世宗が狩りに出た際、臣下からヤックァを献上された記録が残っている(未確認:油蜜菓ではなく「ヤックァ(藥果)」として書かれた文献的な記録はこれが初出ではないだろうか?)<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kda_10610002_001 朝鮮王朝実録(世宗実録 世宗6年10月2日)] 、朝鮮王朝実録、2023年7月24日閲覧</ref>。
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:ヤックァに関する記録は朝鮮時代の文献に数多く見られる。『飲食知味方([[음식디미방]])』、『閨閤叢書([[규합총서]])』、『是議全書([[시의전서]])』といった有名な料理書にレシピが掲載されているほか、『芝峰類説([[지봉유설]])』、『星湖僿説(성호사설)』といった百科辞典的な書籍では語源や歴史的背景について紹介されている。朝鮮王朝の公的な記録にも残り、宮中での宴会料理や、王への進上品としても用いられていたことがわかる。『朝鮮王朝実録(조선왕조실록)』には1424年10月(世宗6年)に、第4代王の世宗が狩りに出た際、臣下からヤックァを献上された記録が残っている(未確認メモ:油蜜菓ではなく「ヤックァ(藥果)」として書かれた文献的な記録はこれが初出ではないだろうか?)<ref>[https://sillok.history.go.kr/id/kda_10610002_001 朝鮮王朝実録(世宗実録 世宗6年10月2日)] 、朝鮮王朝実録、2023年7月24日閲覧</ref>。
  
 
=== 現代 ===
 
=== 現代 ===
 
==== 2020年代 ====
 
==== 2020年代 ====
 
:2020年代の前半より、YouTubeなどの動画サイトにおいてヤックァを扱ったモッパン(食事動画、[[먹방]])が流行した。ヤックァの食感を活かしたASMR動画や、アイスクリームや生クリームをトッピングして食べる動画が人気を集め、トレンドのアイテムとして注目されるようになった。中でも、人気YouTuberのヨスオンニ チョン・ヘヨン(여수언니 정혜영)氏が2021年3月15日に投稿した動画<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=85FYgTzALjo&t=5s SUB)먹방 VLOG)엽떡로제떡볶이&허니콤보&노랑고래 차돌떡볶이 인생약과 아귀찜&버터치킨&대왕치즈스틱 디저트파티 빵어디까지먹어봤니 크로플 틈새떡볶이 신상과자들 MUKBANG] 、여수언니 정혜영[Yeosu Unnie]チャンネル、2023年8月9日閲覧</ref>は、[[京畿道の料理|京畿道]][[議政府市の料理|議政府市]]の伝統菓子店「匠人韓菓(장인한과)」のパジヤックァ(形の崩れたヤックァ、[[파지약과]])を全国的な人気商品に押し上げるきっかけとなり、後にオンライン購入の難易度から「ヤッケッティング(ヤックァとチケットを購入することを意味するチケッティングの合成語、[[약켓팅]])」という流行語を生むにも至った。2021年11月24日に放送されたKBS「統合ニュースルームET(통합뉴스룸ET)」では、KB国民カードの売上高データをもとに、2021年に店舗数や売上高の伸びた4料理として、マーラータン(麻辣湯、[[마라탕]])、ロゼソース([[로제소스]])料理、[[マッククス(冷やしそば/막국수)|トゥルギルムマッククス(エゴマ油そば/들기름막국수)]]とともにヤックァを取り上げた<ref>[https://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=5332900 [ET] ‘마라’부터 ‘약과’까지…올 유행 음식템은?] 、KBSニュース、2023年8月9日閲覧</ref>。
 
:2020年代の前半より、YouTubeなどの動画サイトにおいてヤックァを扱ったモッパン(食事動画、[[먹방]])が流行した。ヤックァの食感を活かしたASMR動画や、アイスクリームや生クリームをトッピングして食べる動画が人気を集め、トレンドのアイテムとして注目されるようになった。中でも、人気YouTuberのヨスオンニ チョン・ヘヨン(여수언니 정혜영)氏が2021年3月15日に投稿した動画<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=85FYgTzALjo&t=5s SUB)먹방 VLOG)엽떡로제떡볶이&허니콤보&노랑고래 차돌떡볶이 인생약과 아귀찜&버터치킨&대왕치즈스틱 디저트파티 빵어디까지먹어봤니 크로플 틈새떡볶이 신상과자들 MUKBANG] 、여수언니 정혜영[Yeosu Unnie]チャンネル、2023年8月9日閲覧</ref>は、[[京畿道の料理|京畿道]][[議政府市の料理|議政府市]]の伝統菓子店「匠人韓菓(장인한과)」のパジヤックァ(形の崩れたヤックァ、[[파지약과]])を全国的な人気商品に押し上げるきっかけとなり、後にオンライン購入の難易度から「ヤッケッティング(ヤックァとチケットを購入することを意味するチケッティングの合成語、[[약켓팅]])」という流行語を生むにも至った。2021年11月24日に放送されたKBS「統合ニュースルームET(통합뉴스룸ET)」では、KB国民カードの売上高データをもとに、2021年に店舗数や売上高の伸びた4料理として、マーラータン(麻辣湯、[[마라탕]])、ロゼソース([[로제소스]])料理、[[マッククス(冷やしそば/막국수)|トゥルギルムマッククス(エゴマ油そば/들기름막국수)]]とともにヤックァを取り上げた<ref>[https://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=5332900 [ET] ‘마라’부터 ‘약과’까지…올 유행 음식템은?] 、KBSニュース、2023年8月9日閲覧</ref>。
:その後もヤックァのブームは拡大し、2022~23年にはヤックァをアレンジしたスイーツがカフェやコンビニなどに急増した。ヤックァをクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子と組み合わせたものや、ヤックァ味のアイスクリーム、ヤックァをトッピングした[[ピンス(氷アズキ/팥빙수)|ピンス(かき氷/빙수)]]などが話題を集めている。
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:その後もヤックァのブームは拡大し、2022~23年にはヤックァをアレンジしたスイーツがカフェやコンビニなどに急増した。ヤックァをクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子と組み合わせたものや、ヤックァ味のアイスクリーム、ヤックァをトッピングした[[パッピンス(氷アズキ/팥빙수)|ピンス(かき氷/빙수)]]などが話題を集めている。
  
 
== 種類 ==
 
== 種類 ==
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== エピソード ==
 
== エピソード ==
 
*その程度はヤックァ
 
*その程度はヤックァ
:韓国語の慣用表現に「그 정도는 약과(その程度はヤックァ)」があり、この場合のヤックァは「たいしたことではないこと」「たやすいこと」を意味する。一説によれば、かつて貴重品だったヤックァを、来客がなんの遠慮もなしに食べたことに対し、そういう厚顔な人物がほかにもあれこれご馳走を要求せず、ヤックァだけで済んだことをむしろよかったと表現したことが転じて、上記の意味となった<ref>[https://www.ytn.co.kr/_ln/0485_201703130603127411 '그 정도면 약과' 왜 약과가 다행을 의미할까?] 、YTN、2023年2月13日閲覧</ref>
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:韓国語の慣用表現に「그 정도는 약과(その程度はヤックァ)」があり、この場合のヤックァは「たいしたことではないこと」「たやすいこと」を意味する。一説によれば、かつて貴重品だったヤックァを、来客がなんの遠慮もなしに食べたことに対し、そういう厚顔な人物がほかにもあれこれご馳走を要求せず、ヤックァだけで済んだことをむしろよかったと表現したことが転じて、上記の意味となった<ref>[https://www.ytn.co.kr/_ln/0485_201703130603127411 '그 정도면 약과' 왜 약과가 다행을 의미할까?] 、YTN、2023年2月13日閲覧</ref>。なお、2022年12月にコンビニの「CU」からヤックァ入りアイスクリームの「이정도는약과지(この程度はヤックァだ)」が発売された。
  
 
*タルシル村のヤックァ
 
*タルシル村のヤックァ
:韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2015年10月に[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[奉化郡の料理|奉化郡]]のタルシル村(달실마을)で、安東権氏(안동권씨)の一族が祭祀用として作るハングァ(韓菓、[[한과]])を取材し、そこで食べたヤックァがたいへん美味しく、ヤックァのイメージが変わるほどの衝撃を受けた。
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:韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2015年10月に[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[奉化郡の料理|奉化郡]]のタルシル村(달실마을)で、安東権氏(안동권씨)の一族が祭祀用として作るハングァ(韓菓、[[한과]])を取材し、そこで手作りのヤックァを食べた。層状になった生地はサクサクと軽く、ほどよい甘味とショウガの香りがマッチして、ヤックァのイメージが変わるほどの衝撃を受けた。
  
 
== 地域 ==
 
== 地域 ==
 
*京畿道水原市
 
*京畿道水原市
:[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]のヤックァは古くから名声を誇り、朝鮮時代の文献にもたびたび登場する。朝鮮時代後期の医官、柳重臨(ユ・ジュンニム、유중림)が1766年に増補編纂した『増補山林経済([[증보산림경제]])』には、[[水原市の料理|水原府(当時)]]法と付記されたヤックァのレシピが紹介されている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2557919/1/22 [ (朝鮮) 洪萬選] [著], (朝鮮) 柳重臨 増補, 1766, 『増補山林経済 巻5』] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号21-22)、2023年8月9日閲覧</ref>。また、朝鮮時代後期の学者、丁若鏞(チョン・ヤギョン、정약용)が1818年に書いた『牧民心書(목민심서)』には、[[水原市の料理|水原府(当時)]]のヤックァは国中で有名であり、第16代王の仁祖が病気で食欲をなくした際、使いを送って求めようとしたところ、水原府使の趙啓遠(チョ・ゲウォン、조계원)が朝命なしに私的な要求に応えることはできないと断ったとのエピソードを紹介している<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=GO#dir/node?dataId=ITKC_MP_0597A_1230_050_0040&viewSync2=TR 牧民心書 卷三 / 奉公六條 / 貢納] 、韓国古典総合DB、2023年8月9日閲覧</ref>【原文〓】。
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:[[京畿道の料理|京畿道]][[水原市の料理|水原市]]のヤックァは古くから名声を誇り、朝鮮時代の文献にもたびたび登場する。朝鮮時代後期の医官、柳重臨(ユ・ジュンニム、유중림)が1766年に増補編纂した『増補山林経済([[증보산림경제]])』には、[[水原市の料理|水原府(当時)]]法と付記されたヤックァのレシピが紹介されている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2557919/1/22 [ (朝鮮) 洪萬選] [著], (朝鮮) 柳重臨 増補, 1766, 『増補山林経済 巻5』] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号21-22)、2023年8月9日閲覧</ref>。また、朝鮮時代後期の学者、丁若鏞(チョン・ヤギョン、정약용)が1818年に書いた『牧民心書(목민심서)』には、[[水原市の料理|水原府(当時)]]のヤックァは国中で有名であり、第16代王の仁祖が病気で食欲をなくした際、使いを送って求めようとしたところ、水原府使の趙啓遠(チョ・ゲウォン、조계원)が朝命なしに私的な要求に応えることはできないと断ったとのエピソードを紹介している<ref>[https://db.itkc.or.kr/dir/item?itemId=GO#dir/node?dataId=ITKC_MP_0597A_1230_050_0040&viewSync2=TR 牧民心書 卷三 / 奉公六條 / 貢納] 、韓国古典総合DB、2023年8月9日閲覧</ref>【原文6】。
  
【原文〓】趙啓遠爲水原府使,府之蜜麪,【俗名藥果】 名於國中。仁祖違豫時,御廚無可口者。中官使人求之,公答曰:“州府私獻,非人臣事君之體,非有朝命不可。” 仁祖聞之,笑曰:“雖曰君臣,獨無戚聯之情乎?”
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:【原文6】趙啓遠爲水原府使,府之蜜麪,【俗名藥果】 名於國中。仁祖違豫時,御廚無可口者。中官使人求之,公答曰:“州府私獻,非人臣事君之體,非有朝命不可。” 仁祖聞之,笑曰:“雖曰君臣,獨無戚聯之情乎?”
  
 
*黄海北道開城市
 
*黄海北道開城市
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
{{DEFAULTSORT:やつくあ}}
 
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*[[ヤッパプ(韓国式のおこわ/약밥)]]
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*[[マッククス(冷やしそば/막국수)]]
 
*[[京畿道の料理]]
 
*[[京畿道の料理]]
 
*[[水原市の料理]]
 
*[[水原市の料理]]
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*[[慶尚北道の料理]]
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*[[奉化郡の料理]]
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*[[北朝鮮の料理]]
 
[[Category:韓食ペディア]]
 
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[[Category:餅・菓子・甘味・軽食の一覧]]
 
[[Category:餅・菓子・甘味・軽食の一覧]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 
[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
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[[Category:慶尚北道・大邱市の料理]]
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[[Category:北朝鮮の料理]]
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