「英陽郡の料理」の版間の差分

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==== 飲食知味方の特徴 ====
 
==== 飲食知味方の特徴 ====
 
*飲食知味方の題名
 
*飲食知味方の題名
:トゥドゥル村で保管された文書の表紙には、『閨壼是議方(キュゴンシウィバン、규곤시의방)』という題名がつけられている。これは「女性の心得」を意味する言葉であるが、当初からのものでなく子孫によって後日付け加えられたものと見られる。一般的には本文の冒頭に書かれた『飲食知味方』が本書の題名として用いられ、これは「料理の味を知る方法」を意味する。なお、現在の表記法では「음식지미방」となるが、本書には「음식디미방」と記されており、現在の呼び名もそれに則るのが通例である。
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:トゥドゥル村で保管された文書の表紙には、『閨壼是議方(キュゴンシウィバン、[[규곤시의방]])』という題名がつけられている。これは「女性の心得」を意味する言葉であるが、当初からのものでなく子孫によって後日付け加えられたものと見られる。一般的には本文の冒頭に書かれた『飲食知味方』が本書の題名として用いられ、これは「料理の味を知る方法」を意味する。なお、現在の表記法では「음식지미방」となるが、本書には「[[음식디미방]]」と記されており、現在の呼び名もそれに則るのが通例である。
  
 
*唐辛子の伝来と普及
 
*唐辛子の伝来と普及
:『飲食知味方』の大きな特徴のひとつに唐辛子が一切使われていないことがあげられる。中米を原産とする唐辛子は16世紀後半から17世紀初頭にかけて日本を経由して朝鮮半島に伝わったとされ、もっとも古い記録は1614年に書かれた『芝峰類説지봉유설)』に見られる。『飲食知味方』の執筆年代よりも50年以上もさかのぼるが、まったく触れられていないことから考えると、少なくとも英陽郡の周辺ではまだ一般的な食材でなかったとみられる。『飲食知味方』のレシピは唐辛子普及以前の韓国料理を知るうえでたいへん貴重である。なお、唐辛子が料理のレシピに登場するのは、1766年に書かれた『増補山林経済(증보산림경제)』が初めてであり、この時期には普及が進んでいたと考えられる。
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:『飲食知味方』の大きな特徴のひとつに唐辛子が一切使われていないことがあげられる。中米を原産とする唐辛子は16世紀後半から17世紀初頭にかけて日本を経由して朝鮮半島に伝わったとされ、もっとも古い記録は1614年に書かれた『芝峰類説([[지봉유설]])』に見られる。『飲食知味方』の執筆年代よりも50年以上もさかのぼるが、まったく触れられていないことから考えると、少なくとも英陽郡の周辺ではまだ一般的な食材でなかったとみられる。『飲食知味方』のレシピは唐辛子普及以前の韓国料理を知るうえでたいへん貴重である。なお、唐辛子が料理のレシピに登場するのは、1766年に書かれた『増補山林経済([[증보산림경제]])』が初めてであり、この時期には普及が進んでいたと考えられる。
  
 
*現代韓国料理との差異
 
*現代韓国料理との差異
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