「下書き用ページ」の版間の差分

編集の要約なし
15行目: 15行目:
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
トッポッキという料理名は18世紀後半から文献上に見られるが、餅を炒めて食べる調理法はそれ以前からも存在し、どの時点を始まりと見るかは諸説ある。古くは醤油味のカンジャントッポッキ([[간장떡볶이]])が主流であったが、現在のようにコチュジャン([[고추장]])のタレに絡めて炒める調理法は1950年代に生まれた。
+
トッポッキはもともと坡平尹氏(パピョンユンシ、파평윤씨)の家門に伝わる料理であり、17世紀頃には存在したとされる。トッポッキという料理名は18世紀後半から文献上に見られるが、餅を炒めて食べる調理法はそれ以前からも存在し、どの時点を始まりと見るかは諸説ある。古くは醤油味のカンジャントッポッキ([[간장떡볶이]])が主流であったが、現在のようにコチュジャン([[고추장]])のタレに絡めて炒める調理法は1950年代に生まれた。
  
 
=== 餅炙の記録 ===
 
=== 餅炙の記録 ===
23行目: 23行目:
 
:朝鮮時代前期の医官、全循義(チョン・スニ、전순의)によって1460年に書かれた食餌療法書『食療纂要(신이찬요)』には「餅」と「炙」の字が並んでいる箇所がある。「餅炙」をトッポッキのルーツと考える場合、この記録を最古とする見解が多く見られる。同書では痔病治療の一環として、下血が止まらない場合の食事として、「キジ1羽を細切りにし、小麦粉をまぶして、塩、山椒、長ネギと和え、餅を作って焼き、酢につけて食べる(野雞一隻 治如食法  細切 着小麪 并鹽椒葱白調和 溲作餠 炙熟 和醋食之)」<ref>[https://mediclassics.kr/books/38/volume/1 食療纂要 > 諸痔 附膓風痔瘻 三十二 >  治痔氣下〓〓〓無力.32.10] 、韓医学古典データベース、2022年3月12日閲覧</ref>としている。この記述は9世紀頃に中国で書かれた『食医心鑑』の内容をもとにしている。
 
:朝鮮時代前期の医官、全循義(チョン・スニ、전순의)によって1460年に書かれた食餌療法書『食療纂要(신이찬요)』には「餅」と「炙」の字が並んでいる箇所がある。「餅炙」をトッポッキのルーツと考える場合、この記録を最古とする見解が多く見られる。同書では痔病治療の一環として、下血が止まらない場合の食事として、「キジ1羽を細切りにし、小麦粉をまぶして、塩、山椒、長ネギと和え、餅を作って焼き、酢につけて食べる(野雞一隻 治如食法  細切 着小麪 并鹽椒葱白調和 溲作餠 炙熟 和醋食之)」<ref>[https://mediclassics.kr/books/38/volume/1 食療纂要 > 諸痔 附膓風痔瘻 三十二 >  治痔氣下〓〓〓無力.32.10] 、韓医学古典データベース、2022年3月12日閲覧</ref>としている。この記述は9世紀頃に中国で書かれた『食医心鑑』の内容をもとにしている。
  
=== 文献上の記録 ===
+
=== 熬餅の記録 ===
トッポッキに関する文献上の記録は19世紀後半から見られる。宮中で食べられていたトッポッキはもともと坡平尹氏(パピョンユンシ、파평윤씨)の家門に伝わる料理であり、17世紀頃には存在したとされる。
+
古文献に見られる「熬餅(オビョン、오병)」をトッポッキのルーツと考える見解がある。漢字の「熬」は「炒める(볶을 오)」との意味である。
 +
 
 +
=== トッポッキの記録 ===
 +
トッポッキに関する文献上の記録は19世紀後半から見られる。
 
;『飲食知味方』(1670年頃)の記述
 
;『飲食知味方』(1670年頃)の記述
 
:張桂香(チャン・ゲヒャン、장계향)によって1670年頃に書かれた『飲食知味方(음식티미방)』にはトッポッキに関する直接の記述はないものの、餅を焼いて食べる料理法が紹介されている。<ref>황혜성(감수), 2000, 『다시 보고 배우는 음식디미방』, 궁중음식연구원, P97、140</ref>
 
:張桂香(チャン・ゲヒャン、장계향)によって1670年頃に書かれた『飲食知味方(음식티미방)』にはトッポッキに関する直接の記述はないものの、餅を焼いて食べる料理法が紹介されている。<ref>황혜성(감수), 2000, 『다시 보고 배우는 음식디미방』, 궁중음식연구원, P97、140</ref>
30,747

回編集