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'''オデン'''([[오뎅]])は、おでん。日本語のおでんという言葉が、韓国でも定着して使われている。オデン([[오뎅]])は料理名だけでなく、オデンに使用される練り製品の総称としても使用される。主に屋台料理として町中で販売され、練り製品を串に刺して煮込み、薬味醤油をつけて食べるのが一般的である。居酒屋などではオデンを鍋料理として提供し、[[オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)]]という名前で呼ぶ。
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'''オデン'''([[오뎅]])は、おでん。日本語のおでんという言葉が、韓国でも定着して使われている。オデン([[오뎅]])は料理名だけでなく、オデンに使用される魚肉練り製品(揚げかまぼこ)の総称としても使用される。主に屋台料理として町中で販売され、棒状ないし板状の揚げた練り製品を串に刺して煮込み、好みによって薬味醤油をつけて食べるのが一般的である。居酒屋などではオデンを鍋料理として提供し、これを[[オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)]]という名前でも呼ぶ。
  
 
== 名称 ==
 
== 名称 ==
 
[[ファイル:17020502.JPG|thumb|300px|平壌の冷麺店「玉流館」]]
 
[[ファイル:17020502.JPG|thumb|300px|平壌の冷麺店「玉流館」]]
オデンは、日本語の「おでん」に由来する。料理名であるとともに、魚の練り製品のこともオデンと呼ぶことが多い。韓国語の固有語では練り製品をオムク([[어묵]])とも呼ぶ。本辞典では「オデン」を使用する。発音表記は[오뎅]。
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オデンは、日本語の「おでん」に由来する。料理名であるとともに、魚肉練り製品(揚げかまぼこ)のこともオデンと呼ぶことが多い。韓国語の固有語ではオムク([[어묵]])とも呼ぶ。オムクの「オ(어)」は魚を意味し、ムク(묵)はでんぷんなどを固めた食品を意味する。韓国ではオデンが日本語であることから、固有語であるオムクに置き換えることが推奨されてもいるが<ref>[https://www.korean.go.kr/front/mcfaq/mcfaqView.do?mcfaq_seq=3835 '오뎅'의 순화어] 、国立国語院ウェブサイト、2017年11月3日閲覧</ref>、本辞典では広範に使用されている「オデン」を使用する。発音表記は[오뎅]。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
オデンは魚の練り製品を串に刺し、煮干し、昆布、大根などを煮込んだスープで煮込んで作る。日本のおでんにルーツがあるが、韓国では主に屋台料理として発達し、[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]などとともに、小腹を満たすための軽食として定着している。日本料理のおでんに比べると具の種類が少なく、練り製品を主として、稀に餅やコンニャクが同じく串に刺した状態で加わる程度である。練り製品としてはきりたんぽのような棒状に成形したもの、薄い板状に仕上げたものの2種類が大半であり、板状のものはジグザグに折り畳んで串に刺す。大根、卵、はんぺん、ちくわといった日本で定番の具はまず見かけない。
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オデンは魚肉練り製品(揚げかまぼこ)を串に刺し、煮干し、昆布、大根などを煮込んだスープで煮込んで作る。日本料理のおでんにルーツがあるが、韓国では主に屋台料理として発達し、[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]などとともに、小腹を満たすための軽食として定着している。日本料理のおでんに比べると具の種類が少なく、練り製品を主として、稀に餅やコンニャクが同じく串に刺した状態で加わる。練り製品としてはきりたんぽのような棒状に成形したもの、薄い板状に仕上げたものの2種類が大半であり、板状のものはジグザグに折り畳んで串に刺す。大根、卵、はんぺん、ちくわといった日本で定番の具はまず見かけない。
  
 
=== 食べ方 ===
 
=== 食べ方 ===
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*オデンの汁
 
*オデンの汁
:オデンの汁は屋台においてスープがわりに飲まれる。紙コップやプラスチックのひしゃくが用意されており、オデンや他の料理を注文した客は自由に飲んでよいことになっている。韓国でも屋台のオデンは冬の風物詩であり、オデンの汁が恋しくて屋台に足を運ぶと語られることも多い。
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:オデンの汁(오뎅 국물)は屋台においてスープがわりに飲まれる。紙コップやプラスチックのひしゃくが用意されており、オデンや他の料理を注文した客は自由に飲んでよいことになっている。韓国でも屋台のオデンは冬の風物詩であり、オデンの汁が恋しくて屋台に足を運ぶと語られることも多い。
  
 
*薬味醤油
 
*薬味醤油
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=== 食材としての利用 ===
 
=== 食材としての利用 ===
韓国では魚の練り製品のこともオデン(またはオムク)と呼び、さまざまな料理に利用する。そのまま野菜と炒めたものは、オデンボックム(練り製品の炒め物、오뎅볶음)と呼んで家庭での常備菜や飲食店での副菜として多く用いられる。[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]や、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]といった料理の具に加えることも多い。
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韓国では魚肉練り製品(揚げかまぼこ)のこともオデン(またはオムク)と呼び、さまざまな料理に利用する。そのまま野菜と炒めたものは、オデンボックム(練り製品の炒め物、오뎅볶음)と呼んで家庭での常備菜や飲食店での副菜として多く用いられる。[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]や、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]といった料理の具に加えることも多い。
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
オデンに用いられる練り製品(オムク)に関する文献上の初出は18世紀前半だが、本格的に日本から伝えられたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてと考えられる。韓国では日本から近い釜山がオデンの本場とされており、1876年の釜山港開港を機に、日本人が増加したことがきっかけになった。新聞の報道によれば、1916年にはすでに釜山だけで16軒の「蒲鉾屋」があり<ref name="kamaboko01">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1916_10_21_v0005_0800 蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>、1920年代には釜山、統営で製造業者向けの講習会も開催されるなど<ref name="kamaboko02">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1925_09_17_v0003_0480 蒲鉾製造講習 二十日より二十日間] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref><ref name="kamaboko03">[http://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&itemId=npda&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&position=0&levelId=npda_1925_10_02_v0004_1020 慶南水産會에서 蒲鉾講習會(釜山)] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>、この時期から広く普及していったと考えられる。また、1920年代後半のソウルには料理としてのオデンを販売する屋台が登場している。
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オデンに用いられる魚肉練り製品(揚げかまぼこ)に関する文献上の初出は18世紀前半だが、本格的に日本から伝えられたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてと考えられる。韓国では日本から近い[[釜山市の料理|釜山市]]がオデンの本場とされており、1876年の釜山港開港を機に、日本人が増加したことがきっかけになった。新聞の報道によれば、1916年にはすでに[[釜山市の料理|釜山]]だけで16軒の「蒲鉾屋」があり<ref name="kamaboko01">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1916_10_21_v0005_0800 蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>、1920年代には[[釜山市の料理|釜山]]、また同じく南部の港町である[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[統営市の料理|統営]]にて製造業者向けの講習会も開催されるなど<ref name="kamaboko02">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1925_09_17_v0003_0480 蒲鉾製造講習 二十日より二十日間] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref><ref name="kamaboko03">[http://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&itemId=npda&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&position=0&levelId=npda_1925_10_02_v0004_1020 慶南水産會에서 蒲鉾講習會(釜山)] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>、この時期から広く普及していったと考えられる。また、1920年代後半の[[ソウル市の料理|ソウル]]には料理としてのオデンを販売する屋台が登場している。
  
 
=== 文献上の記録 ===
 
=== 文献上の記録 ===
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=== 19世紀後半 ===
 
=== 19世紀後半 ===
 
*韓福眞の報告
 
*韓福眞の報告
:韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 には、19世紀後半頃の水産加工品についての記述があり、「日本の伝統食品であるカマボコを統営で作り始め」たとしている(原文2)。[[統営市の料理|統営市]]は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]に属し、南海岸に面する港町である。その典拠については書内で明らかにされていない。
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:韓福眞著『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』 には、19世紀後半頃の水産加工品についての記述があり、「日本の伝統食品であるカマボコを統営で作り始め」たとしている(原文2)。[[統営市の料理|統営]]は[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]に属し、南海岸に面する港町である。その典拠については書内で明らかにされていない。
  
 
:【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
 
:【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
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=== 1920年代 ===
 
=== 1920年代 ===
1920年代に入ると練り製品の製造はさらに盛んとなる。また、1920年代後半にはソウルで料理としてのオデンも屋台で販売された。
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1920年代に入ると練り製品の製造はさらに盛んとなる。また、1920年代後半には[[ソウル市の料理|ソウル]]で料理としてのオデンも屋台で販売された。
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
:2011年3月8日付けの紙面には、「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」という記事があり、釜山におけるオデンの歴史を紐解いている。記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料とされているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。
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:2011年3月8日付けの紙面には、「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」という記事があり、[[釜山市の料理|釜山]]におけるオデンの歴史を紐解いている。記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料とされているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。
  
 
:【原文3】「1924년 조선총독부에서 발행한 '조선의 시장'이란 책에 '부평시장은 쌀, 어묵, 채소, 청과물 등이 주종을 이루었다'라는 기록이 나온다. 아마도 부산어묵의 역사를 확인할 수 있는 최초의 기록이 아닐까 싶다.」<ref>[http://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20110308000220 [부산의 老鋪] ① '부산어묵' 삼진식품·영진식품] 、釜山日報、2017年10月28日閲覧</ref>
 
:【原文3】「1924년 조선총독부에서 발행한 '조선의 시장'이란 책에 '부평시장은 쌀, 어묵, 채소, 청과물 등이 주종을 이루었다'라는 기록이 나온다. 아마도 부산어묵의 역사를 확인할 수 있는 최초의 기록이 아닐까 싶다.」<ref>[http://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20110308000220 [부산의 老鋪] ① '부산어묵' 삼진식품·영진식품] 、釜山日報、2017年10月28日閲覧</ref>
  
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
:1925年9月17日付けの紙面には、慶尚南道統営郡で実施される蒲鉾製造講習の案内が掲載されている。記事は日本語で書かれており、「蒲鉾製造講習 二十日より二十日間」という見出しとともに以下の文章が続く。「(統営)統営郡にては今回当地蒲鉾製造業者のために来る九月二十日より向う八日間の予定を以て蒲鉾製造講習会を開催する事となり、其の要する経費は本道より交附される筈なるが、講習生は当地蒲鉾製造業者及び其他一般希望者等にて、講習種目は関西向き各種製品製造法ならびに輸出向き罐詰製造法等にて、講師としては斯業界の先進地たる愛媛県より統治技術に優秀なる者を招聘する筈である」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更)<ref name="kamaboko02"></ref>。
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:1925年9月17日付けの紙面には、[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[統営市の料理|統営]]で実施される蒲鉾製造講習の案内が掲載されている。記事は日本語で書かれており、「蒲鉾製造講習 二十日より二十日間」という見出しとともに以下の文章が続く。「(統営)統営郡にては今回当地蒲鉾製造業者のために来る九月二十日より向う八日間の予定を以て蒲鉾製造講習会を開催する事となり、其の要する経費は本道より交附される筈なるが、講習生は当地蒲鉾製造業者及び其他一般希望者等にて、講習種目は関西向き各種製品製造法ならびに輸出向き罐詰製造法等にて、講師としては斯業界の先進地たる愛媛県より統治技術に優秀なる者を招聘する筈である」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更)<ref name="kamaboko02"></ref>。
  
 
*東亜日報の記事
 
*東亜日報の記事
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;ソウルのコンニャク売り
 
;ソウルのコンニャク売り
:釜山や統営を中心に練り物製造の文化が発達したのに対し、ソウルでは1920年代後半から屋台で料理としてのオデンを扱った。作家、趙豊衍(조풍연)の回顧によれば、当時は「天ぷらと肉、それにコンニャクの三種類」を大鍋で扱ったとしている<ref name="tenpura">趙豊衍, 1995, 『韓国の風俗-いまは昔-』, 南雲堂, P37</ref>。それぞれの具についての説明はないが、西日本でも揚げた練り製品を天ぷらと呼ぶ地域があるように、ここでの天ぷらも練り製品であると考えられる。
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:[[釜山市の料理|釜山]]や[[統営市の料理|統営]]を中心に練り物製造の文化が発達したのに対し、[[ソウル市の料理|ソウル]]では1920年代後半から屋台で料理としてのオデンを扱った。作家、趙豊衍(조풍연)の回顧によれば、当時は「天ぷらと肉、それにコンニャクの三種類」を大鍋で扱ったとしている<ref name="tenpura">趙豊衍, 1995, 『韓国の風俗-いまは昔-』, 南雲堂, P37</ref>。それぞれの具についての説明はないが、西日本でも揚げた練り製品を天ぷらと呼ぶ地域があるように、ここでの天ぷらも練り製品であると考えられる。
  
 
*趙豊衍の報告
 
*趙豊衍の報告
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=== 1930年代 ===
 
=== 1930年代 ===
1930年代に入ると釜山、統営といった南部の港町だけでなく、幅広い地域での蒲鉾製造が行われるようになった。
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1930年代に入ると[[釜山市の料理|釜山]]、[[統営市の料理|統営]]といった南部の港町だけでなく、幅広い地域での蒲鉾製造が行われるようになった。
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
:1930年12月13日付けの紙面には、「忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出」という記事が掲載されている。忠南大川とは現在の忠清南道保寧市大川洞を指し、この地域にあった「高木商店」の蒲鉾人気を報じている。記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(天安)忠南大川は将来忠南唯一の漁港として嘱目されて居るだけありて魚類は非常に豊富であるので、同地高木商店の蒲鉾は大川名物として大(おおい)に賞賛せられ京南沿線各地京龍地方は勿論、南は大邱、北は遠く満州に迄搬出されて、需要益々増加するので製造元の高木商店は天手古舞(てんてこまい)の繁忙を極めて居るとのこと」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更、一部に読み仮名を追加)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1930_12_13_v0007_1160 忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
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:1930年12月13日付けの紙面には、「忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出」という記事が掲載されている。忠南大川とは現在の[[忠清南道の料理|忠清南道]][[保寧市の料理|保寧市]]大川洞を指し、この地域にあった「高木商店」の蒲鉾人気を報じている。記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(天安)忠南大川は将来忠南唯一の漁港として嘱目されて居るだけありて魚類は非常に豊富であるので、同地高木商店の蒲鉾は大川名物として大(おおい)に賞賛せられ京南沿線各地京龍地方は勿論、南は大邱、北は遠く満州に迄搬出されて、需要益々増加するので製造元の高木商店は天手古舞(てんてこまい)の繁忙を極めて居るとのこと」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更、一部に読み仮名を追加)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1930_12_13_v0007_1160 忠南大川名物の蒲鉾 遠く満州迄進出] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
  
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
:1931年1月17日付けの紙面には、「咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て」という記事が掲載されている。統営産の蒲鉾人気を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(咸興)咸興地方に於ける蒲鉾の需要は人口の増加に伴ふて著るしく激増。地元産品のみでは充分需給調節を計る事は不可能である為、仁川方面から釜山、統営等の生産品が続々入荷され、相当の取引値段で消化されているが、此の中で品質から味に至る迄、最も賞用されてゐるのは統営産品で、釜山地方で製造されるものは逐年品質は勿論、味の点も落ちて行くと云ふので需要家筋は統営産品々々と其入荷を待ちつつあるの現状である」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1931_01_17_v0007_1030 咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
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:1931年1月17日付けの紙面には、「咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て」という記事が掲載されている。[[統営市の料理|統営]]産の蒲鉾人気を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「(咸興)咸興地方に於ける蒲鉾の需要は人口の増加に伴ふて著るしく激増。地元産品のみでは充分需給調節を計る事は不可能である為、仁川方面から釜山、統営等の生産品が続々入荷され、相当の取引値段で消化されているが、此の中で品質から味に至る迄、最も賞用されてゐるのは統営産品で、釜山地方で製造されるものは逐年品質は勿論、味の点も落ちて行くと云ふので需要家筋は統営産品々々と其入荷を待ちつつあるの現状である」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更)<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1931_01_17_v0007_1030 咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>
  
 
*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
 
*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
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:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の[[光州市の料理|光州市]]東区黄金洞にあったと考えられる。
  
 
*東亜日報の記事
 
*東亜日報の記事
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練り製品を製造する業者は日本人の経営が多かったが、終戦後は韓国人の経営へと移行した。1953年創業の「サムジンオムク」をはじめ、現在まで営業を続ける老舗メーカーもある。
 
練り製品を製造する業者は日本人の経営が多かったが、終戦後は韓国人の経営へと移行した。1953年創業の「サムジンオムク」をはじめ、現在まで営業を続ける老舗メーカーもある。
 
*サムジンオムクの創業
 
*サムジンオムクの創業
:釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク(박재덕)氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。
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:[[釜山市の料理|釜山市]]影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、1950年に蓬莱市場にて練り製品の製造を始めた。創業者のパク・ジェドク(박재덕)氏は日本で練り製品(オムク)の技術を学んでおり、市場の露店から事業を始めて、1953年には「サムジン食品」という名前で会社として立ち上げた。現在の韓国に残る練り製品のメーカーとしてはもっとも古い。
  
 
=== 1960年代 ===
 
=== 1960年代 ===
1960年代に入ると釜山では居酒屋で大皿に盛り付けた日本式のオデンを提供する店が登場し始めた。練り製品や牛スジ、魚介などを具とした大皿料理のオデンは釜山の郷土料理として地位を確立している。
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1960年代に入ると[[釜山市の料理|釜山]]では居酒屋で大皿に盛り付けた日本式のオデンを提供する店が登場し始めた。練り製品や牛スジ、魚介などを具とした大皿料理のオデンは[[釜山市の料理|釜山]]の郷土料理として地位を確立している。
  
 
;釜山における日本式オデンの台頭
 
;釜山における日本式オデンの台頭
 
*マラトンチプの新メニュー
 
*マラトンチプの新メニュー
:1959年に釜山市釜山鎮区釜田洞で開店した居酒屋「マラトンチプ(마라톤집)」は、店名でもありマラソンを意味する「マラトン(海鮮チヂミ、마라톤)」と、再建を意味する「チェゴン(海鮮野菜炒め、재건)」というユニークなネーミングの料理を創業からの看板メニューとしている。現在の場所に移転した1963年より大皿料理のオデンを新メニューとして追加し、こちらも現在まで人気料理のひとつとして支持を受けている<ref>[http://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20110412000235 [부산의 老鋪] ⑥ 마라톤] 、釜山日報、2017年10月29日閲覧</ref>。
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:1959年に[[釜山市の料理|釜山市]]釜山鎮区釜田洞で開店した居酒屋「マラトンチプ(마라톤집)」は、店名でもありマラソンを意味する「マラトン(海鮮チヂミ、마라톤)」と、再建を意味する「チェゴン(海鮮野菜炒め、재건)」というユニークなネーミングの料理を創業からの看板メニューとしている。現在の場所に移転した1963年より大皿料理のオデンを新メニューとして追加し、こちらも現在まで人気料理のひとつとして支持を受けている<ref>[http://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20110412000235 [부산의 老鋪] ⑥ 마라톤] 、釜山日報、2017年10月29日閲覧</ref>。
  
 
*白光商会の開店
 
*白光商会の開店
:釜山市中区南浦洞に位置する居酒屋「白光商会(백광상회)」は大皿料理のオデンを看板料理としている。看板には「60年伝統」の文字があり、1950~60年代の開店と推定される。
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:[[釜山市の料理|釜山市]]中区南浦洞に位置する居酒屋「白光商会(백광상회)」は大皿料理のオデンを看板料理としている。看板には「60年伝統」の文字があり、1950~60年代の開店と推定される。
  
 
*ミョンソンフェッチプの開店
 
*ミョンソンフェッチプの開店
:1968年に釜山市東区水晶洞にて、刺身店の「ミョンソンフェッチプ(명성횟집)」が開店した。この店ではオデンを自慢料理にしており、オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)や、オデンペッパン(おでん定食、오뎅백반)が人気を集めている。
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:1968年に[[釜山市の料理|釜山市]]東区水晶洞にて、刺身店の「ミョンソンフェッチプ(명성횟집)」が開店した。この店ではオデンを自慢料理にしており、オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)や、オデンペッパン(おでん定食、오뎅백반)が人気を集めている。
  
 
;京畿道での事例
 
;京畿道での事例
 
*オデン食堂の開店
 
*オデン食堂の開店
:1960年に京畿道議政府市議政府洞で開店した「オデン食堂(오뎅식당)」は、オデンを販売する屋台としてスタートした。現在は韓国でも元祖格の[[プデチゲ(ソーセージ鍋/부대찌개)]]専門店として有名だが、店名は創業当初のまま「オデン食堂」としている。
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:1960年に[[京畿道の料理|京畿道]][[議政府市の料理|議政府市]]議政府洞で開店した「オデン食堂(오뎅식당)」は、オデンを販売する屋台としてスタートした。現在は韓国でも元祖格の[[プデチゲ(ソーセージ鍋/부대찌개)]]専門店として有名だが、店名は創業当初のまま「オデン食堂」としている。
  
 
=== 2000年代 ===
 
=== 2000年代 ===
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=== 2010年代 ===
 
=== 2010年代 ===
 
*オデンコロッケ(オムクコロッケ)のブーム
 
*オデンコロッケ(オムクコロッケ)のブーム
:釜山市影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、練り製品の中に具を詰めて揚げた「オムクコロッケ(어묵고로케)」を2014年より発売した。韓国におけるコロッケ([[고로케]])とは日本の芋コロッケなどとは異なり、パン生地に具を詰めて揚げた揚げパンの一種を意味する。韓国では2012年末からコロッケのブームがあり、それがオムクコロッケの背景にもなっている。
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:[[釜山市の料理|釜山市]]影島区蓬莱洞に本社を置く「サムジンオムク(삼진어묵)」は、練り製品の中に具を詰めて揚げた「オムクコロッケ(어묵고로케)」を2014年より発売した。韓国におけるコロッケ([[고로케]])とは日本の芋コロッケなどとは異なり、パン生地に具を詰めて揚げた揚げパンの一種を意味する。韓国では2012年末からコロッケのブームがあり、それがオムクコロッケの背景にもなっている。
  
 
== 種類 ==
 
== 種類 ==
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;オデンボックム
 
;オデンボックム
:オデンボックム(오뎅볶음)は、魚の練り製品をフライパンなどで炒めたもの。ボックム([[볶음]])は炒め物を表す。練り製品のみならず、タマネギやニンジンなどの野菜も加えることが多い。家庭で作られる惣菜のひとつで、飲食店では副菜のひとつとして登場することが多い。
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:オデンボックム(오뎅볶음)は、練り製品をフライパンなどで炒めたもの。ボックム([[볶음]])は炒め物を表す。練り製品のみならず、タマネギやニンジンなどの野菜も加えることが多い。家庭で作られる惣菜のひとつで、飲食店では副菜のひとつとして登場することが多い。
  
 
;オデンウドン
 
;オデンウドン
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:辛いタレで煮込んだパルガンオデン(ヤンニョムオデン)が有名。ワタリガニを加えて魚介の風味を効かせ、大量のモヤシと一緒に提供するのが特徴。西門市場の名物としても知られる。
 
:辛いタレで煮込んだパルガンオデン(ヤンニョムオデン)が有名。ワタリガニを加えて魚介の風味を効かせ、大量のモヤシと一緒に提供するのが特徴。西門市場の名物としても知られる。
 
*釜山市
 
*釜山市
:韓国ではオデンの本場として知られる。老舗の練り製品メーカーや、大皿にたくさんの具を盛り付ける日本風の老舗オデン店が多数存在する。
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:韓国ではオデンの本場として知られる。老舗の練り製品メーカーや、大皿にたくさんの具を盛り付ける日本風の老舗オデン店が多数存在する。釜山で製造された練り製品は釜山オデン(부산오뎅)、または釜山オムク(부산어묵)とも総称されブランド化している。
  
 
== 飲食店情報 ==
 
== 飲食店情報 ==
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