「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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=== 1930年代 ===
 
=== 1930年代 ===
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*釜山日報の記事
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:1931年1月17日付けの紙面には、「咸興地方に於ける蒲鉾の需要増加 統営産品が大持て」という記事が掲載されている。統営産の蒲鉾人気を報じたもので、全文は以下の通りである。「(咸興)咸興地方に於ける蒲鉾の需要は人口の増加に伴ふて著るしく激増。地元産品のみでは充分需給調節を計る事は不可能である為、仁川方面から釜山、統営等の生産品が続々入荷され、相当の取引値段で消化されているが、此の中で品質から味に至る迄、最も賞用されてゐるのは統営産品で、釜山地方で製造されるものは逐年品質は勿論、味の点も落ちて行くと云ふので需要家筋は統営産品々々と其入荷を待ちつつあるの現状である」
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*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
 
*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
 
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
 
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
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