「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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:【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
 
:【原文2】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
  
=== 20世紀前半 ===
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=== 1910年代 ===
;1910年代
 
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
 
:1916年10月21日付けの紙面には、「蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て」という記事が掲載されている。釜山署における食中毒への対策を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「釜山には蒲鉾屋が十六軒ある。魚類を使用するので時節柄大(おおい)に注意の必要あるより、釜山署では昨廿日(はつか)全部を喚び出して衛生上の注意を加へたが、従来蒲鉾に用いた魚屑は肥料以外に売る事は出来ぬ事となってゐるにも拘はらず盛んに朝鮮人に売ってゐた者もあったので厳重に今後を戒められた者があった」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更、一部に読み仮名を追加)<ref name="kamaboko01"></ref>
 
:1916年10月21日付けの紙面には、「蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て」という記事が掲載されている。釜山署における食中毒への対策を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「釜山には蒲鉾屋が十六軒ある。魚類を使用するので時節柄大(おおい)に注意の必要あるより、釜山署では昨廿日(はつか)全部を喚び出して衛生上の注意を加へたが、従来蒲鉾に用いた魚屑は肥料以外に売る事は出来ぬ事となってゐるにも拘はらず盛んに朝鮮人に売ってゐた者もあったので厳重に今後を戒められた者があった」(原文に句読点を追加、漢字は新字に変更、一部に読み仮名を追加)<ref name="kamaboko01"></ref>
  
;1920年代
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=== 1920年代 ===
 
*釜山日報の記事
 
*釜山日報の記事
 
:2011年3月8日付けの紙面には、「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」という記事があり、釜山におけるオデンの歴史を紐解いている。記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料とされているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。
 
:2011年3月8日付けの紙面には、「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品」という記事があり、釜山におけるオデンの歴史を紐解いている。記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク(練り製品)、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文3)。この内容は他所でも引用されて韓国、また釜山におけるオデンの歴史を語る重要な資料とされているが、実際にその典拠である『朝鮮の市場』を見てみると、「富平市場(当時は富平町市場)」の項目に該当する記述は見当たらない<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983970/218?viewMode= 朝鮮の市場] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号218、P382)、2017年10月27日閲覧</ref>。
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:1927年9月25日付けの「東亜日報」には、「優良水産製品に補助金を交付」という記事があり、統営郡の優良水産製品として「蒲鉾」があげられている<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1927092500209204010&editNo=1&printCount=1&publishDate=1927-09-25&officeId=00020&pageNo=4&printNo=2539&publishType=00020 優良水產製品에 補助金을交付] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。
 
:1927年9月25日付けの「東亜日報」には、「優良水産製品に補助金を交付」という記事があり、統営郡の優良水産製品として「蒲鉾」があげられている<ref>[http://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1927092500209204010&editNo=1&printCount=1&publishDate=1927-09-25&officeId=00020&pageNo=4&printNo=2539&publishType=00020 優良水產製品에 補助金을交付] 、NAVERニュースライブラリー、2017年10月28日閲覧</ref>。
  
;1930年代
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=== 1930年代 ===
 
*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
 
*『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』の記事
 
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
 
:1933年に帝国飲食料新聞社が出版した『全国飲食料業界大鑑 満鮮の部』という書籍には、「朝鮮業界人名録」として事業者の名簿がまとめられており、「光州の部」に「蒲鉾製造」を取扱品とする「中村支店」という社名が記載されている<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034100/58?viewMode= 全国飲食料業界大鑑 満鮮の部] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号58、P11)、2017年10月27日閲覧</ref>。本書の名簿内で蒲鉾製造とあるのはこの一社だけで、住所は黄金町となっており、現在の光州市東区黄金洞にあったと考えられる。
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