「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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:【原文1】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
 
:【原文1】「일본의 전통 식품인 어묵(가마보코)을 통영에서 만들기 시작하였고」<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P31</ref>
  
=== 文献上の記録 ===
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*釜山日報の記事
ネンミョンに関する文献上の記録は17世紀から見られ、19世紀以降にその数がぐっと増える。
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:釜山日報は2011年3月8日付けの記事「[釜山の老舗] ① '釜山オムク' サムジン食品・ヨンジン食品([부산의 老鋪] ① '부산어묵' 삼진식품·영진식품)」にて釜山とオデンの関係について歴史を紐解いており、記事内では「1924年、朝鮮総督府が発行した『朝鮮の市場』という本に『富平市場は米、オムク、野菜、青果物などが主要な種類を成した』との記録が出てくる。おそらく釜山オムクの歴史を確認できる最初の記録ではないかと思う」と述べている(原文2)。
  
*『谿谷集』(1635年)の記述
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:【原文2】「1924년 조선총독부에서 발행한 '조선의 시장'이란 책에 '부평시장은 쌀, 어묵, 채소, 청과물 등이 주종을 이루었다'라는 기록이 나온다. 아마도 부산어묵의 역사를 확인할 수 있는 최초의 기록이 아닐까 싶다.」
:張維によって書かれた『谿谷集』27巻には「紫漿冷麺」と題された五言律詩がある<ref>[http://db.mkstudy.com/mksdb/e/korean-literary-collection/book/reader/8529/?sideTab=toc&articleId=1046227 계곡집] 、한국문집총간、2017年2月4日閲覧</ref>。冷麺に関する文献上の記録としてはもっとも古く、朝鮮時代中期にはネンミョンが一般的な料理であったと推測される。
 
 
 
*『増補山林経済』(1766年)の記述
 
:17世紀末から18世紀初めにかけて洪萬選(1643~1715年)が編纂した『山林経済』には、「木麦麺法」として木製の押し出し機で作るそば麺の製法が次のように紹介されている。「粉にしたそばに水をかけて殻を取り、布の上に広げて天日で干し、そば粉1斗を準備する。皮をむいた緑豆2升を普通のやり方で粉にする。細い製麺機で押し出して白い麺を作ると味がよい。または細かくひいたそば粉に水をよく混ぜて生地を作り、包丁で切ってもよい」(原文1)。この時代にはすでに押し出し式で作る麺が普及していることがわかる。
 
 
 
::【原文1】「木麥取米作末,水飛鋪布上晒乾一斗,去皮菉豆二升作末如常法,細板壓作白麵味勝,或作末搜水刀切作麫亦佳」<ref>[http://www.koreantk.com/ktkp2014/kfood/kfood-view.view?foodCd=103749 메밀국수] 、한국전통지식포탈、2017年2月4日閲覧</ref>
 
 
 
*『東国歳時記』(1849年)の記述
 
:洪錫謨によって1849年に書かれた『東国歳時記』には、当時の歳時風俗が月ごとにまとめられており、11月の項目にはネンミョンに関する記述がある。文献上におけるネンミョンの記録はこれが初出とされる。「そば麺を大根キムチや白菜キムチを加え、豚肉と和えたものを冷麺と呼ぶ。また、いろいろな野菜や梨、栗、牛肉、豚肉と、油と醤油をそば麺に入れたものを骨董麺と呼ぶ。冷麺は関西地方のものがもっともよい」(原文2)と書かれており、冷麺が冬の季節料理であったことに加え、現在のピビムネンミョンに相当する骨董麺([[골동면]])の存在も見てとれる。もっともよいと書かれた関西地方は、現在の平壌あたりを指すもので、この時代から平壌冷麺の評判が高かったことを示す。
 
 
 
::【原文2】「用蕎麥麵 沈菁菹菹 和猪肉 名曰冷麵 又和雜菜梨栗牛猪切肉 油醬於麵 名曰骨董麵 關西之麵最良」<ref>최대림(약), 1989, 『동국세시기』, 홍신문화사, P121</ref>
 
 
 
*『是議全書』(1800年代後半)の記述
 
:1800年代後半に書かれた『是議全書』(原著者不詳)の麺部という項目にはネンミョン(原文では令麺)、ピビムネンミョン(原文では汨董麺、부븸국슈)、チャンクッネンミョン(原文では장국냉면、肉スープの冷麺を意味する)の調理法が紹介されている。それぞれの記述は以下の通りである。
 
#ネンミョン「澄んでさっぱりとしたナバッキムチ(ダイコンを薄く切り多目の塩水でつけたキムチ、[[나박김치]])や、よくできた[[トンチミ(大根の水キムチ/동치미)]]の汁に蜂蜜を足し、麺を入れて味わう。上には牛肩バラ肉、梨、丸ごと漬けた白菜キムチの3種をすべて千切りにして載せ、粉唐辛子と松の実を振る」(原文3)
 
#ピビムネンミョン「牛肉は細かく刻んだ後、薬味ダレに漬けて炒め、緑豆モヤシとセリは下茹でする。ムク(緑豆などのでんぷんを固めたもの、[[묵]])を和え、薬味ダレを整えておき、麺を混ぜて器に盛り付ける。上には肉を炒めたものと、粉唐辛子と、すりごまを振りかけるが、食卓に供する際には澄まし汁を一緒に置く」(原文4)
 
#チャンクッネンミョン「肉の澄まし汁を冷やして麺を加える。上には塩でさっと漬けてキュウリを洗って絞り、さっと炒めてすりゴマ、粉唐辛子、油、醤油で和えて、細切りにした牛肩バラ肉と一緒に混ぜて載せる。また、その上には糸唐辛子、イワタケ、錦糸卵を載せる。エホバク(カボチャの未熟果実、[[애호박]])もキュウリと同じく炒める」(原文5)
 
 
 
::【原文3】「청신한 나박김치나 좋은 동침이 국에 꿀을 넣어 말아 먹는다. 위에는 양지머리·배·좋은 통김치 세 가지를  모두 채쳐서 얹고 고춧가루와 잣을 뿌린다.」
 
::【原文4】「쇠고기는 다진 후 양념에 재워서 볶고, 숙주와 미나리는 삶는다. 묵을 무치고 양념을 갖추어 넣고, 국수를 비벼 그릇에 담는다. 위에는 고기 볶은 것과 고춧가루와 깨소금을 뿌리는데 상에 낼 때에는 장국을 함께 놓는다.」
 
::【原文5】「고기장국을 끓여 싸늘하게 식혀서 국수를 만다. 위에는 외를 채쳐 소금에 잠깐 절였다가 헹구어 짠 다음에 살짝 볶아 깨소금·고춧가루·유장에 무치고 양지머리 채 친 것을 같이 섞어 얹는다. 또 그 위에는 실고추·석이·달걀 부친 것을 채쳐서 얹는다. 호박도 외와 같이 볶는다.」<ref>이효지 외(엮음), 2004,『시의전서』, 신광출판사, P187</ref>
 
 
 
*『婦人必知』(1915年)の記述
 
:憑虚閣李氏によって1915年に書かれた『婦人必知』では、1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」のネンミョンを紹介している。「トンチミの汁に麺を入れる。大根、梨、柚子を薄切りにして入れ、薄切りの茹で豚と、錦糸卵を載せる。コショウ、梨、松の実を入れると、明月館冷麺と呼ぶ」(原文6)と記述されており、飲食店のレシピを紹介したものとしてはこれが初めてである。
 
 
 
::【原文6】「동치밋국에 국수를 만다. 무, 배, 유자를 얇게 저며 넣고, 제육을 썰고 달걀을 부쳐 채 썰어 넣는다. 후추, 배, 잣을 넣으면 명월관냉면이라 한다.」<ref>이효지 외(엮음), 2010,『부인필지』, 교문사, P192~193</ref>
 
 
 
=== 開化期から日本統治時代 ===
 
朝鮮半島では19世紀末から民間の飲食店が普及し始め、20世紀に入ると冷麺店も誕生した。1910年代にはすでに冷麺店が存在したとされ、1920年代に入って増えていった。
 
 
 
*明月館の開店
 
:1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」でネンミョンを提供していた。
 
 
 
*トンチュン麺屋の開店
 
:釜山で1953年に創業し、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]の元祖店として知られる「内湖冷麺」は、もともと1919年に咸鏡南道興南市で開いた「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を前身とする。
 
 
 
*韓福眞の報告
 
:韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にソウルの敦義洞で創業したという「東洋楼」という店を紹介している。また、1939年に同じくソウルの楽園洞で創業した冷麺店では、[[カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)]]を一緒に販売し、その値段は冷麺の普通が1杯10銭、特製が30銭、カルビグイ1本が20銭であったとしている<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311-312</ref>。
 
 
 
*文一平の日記
 
:独立運動家であり歴史学者でもある文一平は、朝鮮日報の編集顧問として在籍していた1934年当時の日記を残している。1年分の日記には飲食にかかわる記述が多く、中でもネンミョンに触れた日は合計で17日分ある。日記内ではネンミョンを食べた店として「又春屋」、「真平屋」の名前があがっている。月別に見ると12月が5回ともっとも多く、次いで4月が3回、6、8、9月には登場せず残りの月は1~2回である<ref>문일평 지음, 이한수 옮김, 2008, 『문일평 1934년』, 산림출판사, P21-166</ref>。
 
 
 
=== 1940年代 ===
 
[[ファイル:17020507.JPG|thumb|300px|又来屋のネンミョン]]
 
*又来屋の開店
 
:ソウル市中区舟橋洞に位置する「又来屋(우래옥)」は1946年創業で、現存する韓国の冷麺店としてはもっとも古い。
 
*江西麺屋の開店
 
:ソウル市中区西小門洞に位置する「江西麺屋(강서면옥)」は1948年に平安南道江西郡で開店した。朝鮮戦争によって避難し、1953年に京畿道平沢市に店を構えた後、1968年に現在の場所へ移転している。
 
 
 
=== 1950年代 ===
 
朝鮮戦争(1950~1953)によって北部から避難してきた人や、その子孫らが韓国で冷麺店を多く営んでいる。
 
 
 
*五壮洞冷麺通りの形成
 
:ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。1954年には「五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)」が創業している。
 
 
 
*釜山におけるミルミョンの誕生
 
:朝鮮戦争によって多くの人が釜山へと避難した。休戦後もそのまま釜山に留まった人たちは多く、釜山では北部地域の出身者が当時、米軍からの救援物資などで入手のしやすかった小麦粉を用いてネンミョンを作った。これを[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]と呼び、現在は釜山では郷土料理として親しまれている。その発祥は諸説あるが、1953年に釜山の牛巌洞でオープンした「内湖冷麺(내호냉면)」が元祖格として知られる。
 
  
 
== 種類 ==
 
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