「ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)」の版間の差分

39行目: 39行目:
  
 
*内湖冷麺元祖説
 
*内湖冷麺元祖説
:1953年に釜山市牛巌洞に店を開いた「内湖冷麺(내호냉면)」がミルミョンの元祖店として知られる。創業者であるイ・ヨンスン(이영순)氏(姑)と鄭漢金(정한금)氏(嫁)は、1919年に咸鏡南道興南市の興南埠頭近くで創業した[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]の専門店「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を経営していた。1950年に朝鮮戦争が起こると、イ・ヨンスン氏と鄭漢金氏は戦火を避けて釜山まで逃れた。当初は戦争が終わったらまた興南市へと戻るつもりであったが、一時的にと始めた店が結果として現在まで代を継いで続いている。店の入口に掲げられた来歴を示す看板には、鄭漢金氏の語った話として以下のようにミルミョンの由来が説明されている。「その当時はそば粉やサツマイモのでんぷんを入手するのがとてもたいへんでした。高すぎて……。それで米軍基地から小麦粉を手に入れて生地を作ったのですが、食べた人たちが『おー、これはおいしい』と。それで冷麺と一緒に売り始めたんです」(原文1)。なお、創業自体は1953年であるが、ミルミョンを開発して提供を始めたのは翌1954年であった。
+
:1953年に釜山市南区牛岩洞に店を開いた「内湖冷麺(내호냉면)」がミルミョンの元祖店として知られる。創業者であるイ・ヨンスン(이영순)氏(姑)と鄭漢金(정한금)氏(嫁)は、1919年に咸鏡南道興南市の興南埠頭近くで創業した[[ネンミョン(冷麺/냉면)]]の専門店「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を経営していた。1950年に朝鮮戦争が起こると、イ・ヨンスン氏と鄭漢金氏は戦火を避けて釜山まで逃れた。当初は戦争が終わったらまた興南市へと戻るつもりであったが、一時的にと始めた店が結果として現在まで代を継いで続いている。店の入口に掲げられた来歴を示す看板には、鄭漢金氏の語った話として以下のようにミルミョンの由来が説明されている。「その当時はそば粉やサツマイモのでんぷんを入手するのがとてもたいへんでした。高すぎて……。それで米軍基地から小麦粉を手に入れて生地を作ったのですが、食べた人たちが『おー、これはおいしい』と。それで冷麺と一緒に売り始めたんです」(原文1)。なお、創業自体は1953年であるが、ミルミョンを開発して提供を始めたのは翌1954年であった。
 
::【原文1】「그 당시에는 메밀가루나 고구마 전분을 구하기가 너무 어려웠어요. 너무 비싸서... 그래서 미군부대에서 밀가루를 얻어 가지고는 반죽을 했는데 사람들이 먹오보고는 '야~ 이거 맛이 꽤 괸찮다' 그러대요. 그래서 국수랑 같이 팔기 시작했지요」<ref>内湖冷麺店頭の看板、2017年2月13日閲覧</ref>
 
::【原文1】「그 당시에는 메밀가루나 고구마 전분을 구하기가 너무 어려웠어요. 너무 비싸서... 그래서 미군부대에서 밀가루를 얻어 가지고는 반죽을 했는데 사람들이 먹오보고는 '야~ 이거 맛이 꽤 괸찮다' 그러대요. 그래서 국수랑 같이 팔기 시작했지요」<ref>内湖冷麺店頭の看板、2017年2月13日閲覧</ref>
  
30,747

回編集