「蔚山市の料理」の版間の差分

2,472 バイト除去 、 2016年3月25日 (金) 00:08
36行目: 36行目:
 
=== チョンジャカク(亭子ワカメ/정자각) ===
 
=== チョンジャカク(亭子ワカメ/정자각) ===
 
[[ファイル:15091904.JPG|thumb|300px|飲食店で利川米のごはんを盛り付けているところ]]
 
[[ファイル:15091904.JPG|thumb|300px|飲食店で利川米のごはんを盛り付けているところ]]
:米は利川市の特産品であり「紫彩サル(자채쌀)」という品種(極早生種)は朝鮮時代から長く栽培されてきた歴史がある<ref>[http://www.icheon.go.kr/site/ic/sub.do?key=1848 이천쌀] 、利川市ウェブサイト、2015年9月19日閲覧</ref>。第9代王である成宗の頃から進上米として使われるようになったとされ、利川市は1995年に自治体としては全国で初めて「王様印の利川米(임금님표 이천쌀)」として商標登録をしている。市内には利川米を用いたサルバプチョンシクの専門店がたくさんあるほか、それ以外の飲食店でも利川米を使用する場合が多い。
+
:ヌルプルン水産(늘푸른수산)のオム・ギユン社長によれば「蔚山近海ではかつて出産後の母クジラが岸壁のワカメを食べているのを人々が発見し、クジラが食べるぐらいなら人間が食べても身体によいのだろうと出産後にワカメスープを食べ始めた」との逸話が残っているそうである。
 
 
*韓国観光公社の記述
 
:<span style="color:red">'''※この項目は原文に当たっておらず確認中です'''</span>
 
:韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)では以下のように紹介されている。この逸話は利川府使である卜承貞の残した記録に典拠があるとされるが原文は未確認。
 
 
 
:「この話の始まりは、成宗21年(1490年)にさかのぼります。成宗は、驪州にある世宗の英陵に墓参りを済ませた帰り道、食事の時間となりました。文武百官と女官が恐れ多い思いで利川近辺のご飯とおかずを献上すると、美食家であることを自負していた成宗は、米が他と違うということ気付き問い尋ね、これからこのご飯を献上するように命令しました。」<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/taste/taste_index.jsp?cid=998446&regionCode=31,26 京畿道の味紀行] 、韓国観光公社ウェブサイト、2015年9月19日閲覧</ref>
 
 
 
*朝鮮無双新式料理製法(1924年)の記述
 
:李用基によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法』には「ごはんは白飯がいちばんであり、利川の玉紫光や、通津の密多里がいちばんよい。最近は石抜米というものがあるが、石や籾、稲、砕け米をすべて手で取ったもので、その米がいちばんよい」(原文1)との記述がある<ref>李用基, 1924, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P1</ref>。ここで述べられている玉紫光は米の品種を指すものであり、この時期からブランド米として通っていたことが推測できる。なお、並び称されている通津とは京畿道金浦市通津邑を指し、密多里も同じく米の品種を表す。
 
 
 
:【原文1】「밥은 흰밥이 제일이니 이천 옥자강이나 통진 밀다리가 제일 좋다. 요사이는 석발미라 하는 것이 있는데 돌과 뉘와 벼와 싸라기를 모두 손으로 고른 것으로 그 쌀이 매우 좋다.」。
 
  
 
=== ズワイガニ(대게) ===
 
=== ズワイガニ(대게) ===
30,747

回編集