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もともとスンドゥブはチゲとしてでなく、出来たてに薬味醤油をかけて食べるものであった。現在のようなスンドゥブチゲは1960年前後に、ソウル市庁近くの小公洞、西小門洞あたりで専門店が増えたことから広まったとされる。これらのエリアは有名繁華街の明洞からも近いため、発祥と明洞として語るケースもままある。その背景としては、近隣に大きな豆腐工場があったため、そこから仕入れをする形で近隣にスンドゥブチゲの専門店が増えたと説明される。 | もともとスンドゥブはチゲとしてでなく、出来たてに薬味醤油をかけて食べるものであった。現在のようなスンドゥブチゲは1960年前後に、ソウル市庁近くの小公洞、西小門洞あたりで専門店が増えたことから広まったとされる。これらのエリアは有名繁華街の明洞からも近いため、発祥と明洞として語るケースもままある。その背景としては、近隣に大きな豆腐工場があったため、そこから仕入れをする形で近隣にスンドゥブチゲの専門店が増えたと説明される。 | ||
− | + | *「小公洞トゥッペギチプ」の開店 | |
:「小公洞トゥッペギチプ(소공동 뚝배기집)」は1962年に小公洞で創業し、現在の韓国においてはもっとも古いスンドゥブチゲ専門店とされる。2代目社長であるホ・ヨンソク氏は「父が店を始める前に市場などでチゲとして販売するケースはあったようだが、店舗として構えたのは『小公洞トゥッペギチプ』が初めて」(八田靖史の取材記録より、2010年2月)と語っており、それを根拠とすれば1950年代後半から1960年代前半にはスンドゥブチゲが料理として存在していたと推測される。 | :「小公洞トゥッペギチプ(소공동 뚝배기집)」は1962年に小公洞で創業し、現在の韓国においてはもっとも古いスンドゥブチゲ専門店とされる。2代目社長であるホ・ヨンソク氏は「父が店を始める前に市場などでチゲとして販売するケースはあったようだが、店舗として構えたのは『小公洞トゥッペギチプ』が初めて」(八田靖史の取材記録より、2010年2月)と語っており、それを根拠とすれば1950年代後半から1960年代前半にはスンドゥブチゲが料理として存在していたと推測される。 | ||
− | + | *「チョンウォンスンドゥブ」の開店 | |
:「チョンウォンスンドゥブ」は1969年に西小門洞で創業した。店では「当時、小公洞、西小門洞の付近には豆腐工場があり、そのため近隣にスンドゥブチゲ店がたくさんあった」(八田靖史の取材記録より、2009年2月24日)と説明している。 | :「チョンウォンスンドゥブ」は1969年に西小門洞で創業した。店では「当時、小公洞、西小門洞の付近には豆腐工場があり、そのため近隣にスンドゥブチゲ店がたくさんあった」(八田靖史の取材記録より、2009年2月24日)と説明している。 | ||
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=== 2003年 === | === 2003年 === | ||
− | + | *「まん馬」の開店 | |
:2003年8月に大阪、堂島で「まん馬」がオープン。日本で店を開いたことについて、岡田正比古社長は「アメリカ旅行をした際、ロサンゼルスのコリアンタウンでスンドゥブチゲと出合ったのがそもそものきっかけだった。初めて食べる味だったが、辛さのなかにもまろやかさとコクがあって美味しい。これを日本に持ち帰ったら人気が出るのでは、との思いから大阪に戻って店を開いた」<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P67</ref>と語っている。 | :2003年8月に大阪、堂島で「まん馬」がオープン。日本で店を開いたことについて、岡田正比古社長は「アメリカ旅行をした際、ロサンゼルスのコリアンタウンでスンドゥブチゲと出合ったのがそもそものきっかけだった。初めて食べる味だったが、辛さのなかにもまろやかさとコクがあって美味しい。これを日本に持ち帰ったら人気が出るのでは、との思いから大阪に戻って店を開いた」<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P67</ref>と語っている。 | ||
− | + | *「OKKII」の開店 | |
:2003年10月に大阪、豊中で「OKKII」がオープン。以前からスンドゥブチゲの店を日本で出したいと考えていた金友香社長は「アメリカで専門店が展開しているのを知り、すぐさま現地での修行を決意。ロサンゼルスの専門店に飛び込みで承諾をもらい、料理のレシピや、提供のノウハウを一つひとつ習得していった」<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P67</ref>と語っている。 | :2003年10月に大阪、豊中で「OKKII」がオープン。以前からスンドゥブチゲの店を日本で出したいと考えていた金友香社長は「アメリカで専門店が展開しているのを知り、すぐさま現地での修行を決意。ロサンゼルスの専門店に飛び込みで承諾をもらい、料理のレシピや、提供のノウハウを一つひとつ習得していった」<ref>八田靖史, 2013, 『韓国料理には、ご用心!』, 三五館, P67</ref>と語っている。 | ||
=== 2004年 === | === 2004年 === | ||
− | + | *「BSD DUBU HOUSE」の日本進出 | |
:2004年6月に名古屋で「BSD DUBU HOUSE」がオープン。 | :2004年6月に名古屋で「BSD DUBU HOUSE」がオープン。 | ||
=== 2005年 === | === 2005年 === | ||
− | + | *「BCD TOFU HOUSE」の日本進出 | |
:2005年11月に東京、新大久保でアメリカに拠点を持つ「BCD TOFU HOUSE」の日本進出1号店がオープン。この時点で「BCD TOFU HOUSE」は韓国、中国、タイなどにも進出していた。日本におけるスンドゥブチゲブームの草創期を担った1軒だが、2010年7月に閉店している。 | :2005年11月に東京、新大久保でアメリカに拠点を持つ「BCD TOFU HOUSE」の日本進出1号店がオープン。この時点で「BCD TOFU HOUSE」は韓国、中国、タイなどにも進出していた。日本におけるスンドゥブチゲブームの草創期を担った1軒だが、2010年7月に閉店している。 | ||
=== 2006年 === | === 2006年 === | ||
==== ドラマ「輪舞曲(ロンド)」の放送 ==== | ==== ドラマ「輪舞曲(ロンド)」の放送 ==== | ||
− | + | ドラマ「輪舞曲(ロンド)」2006年1月15日よりTBS系列で放送された<ref>[http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d1439/ 輪舞曲-ロンド-] 、TBSチャンネル、2015年3月26日閲覧</ref>。このドラマは日韓共同制作であり主役を竹野内豊、ヒロインをチェ・ジウが務めた。劇中でチェ・ジウが扮するユナは、妹のユニとともにスンドゥブチゲの専門店を開き、まだ一般的には馴染みの薄かったスンドゥブチゲという料理を広めるのに貢献した(平均視聴率15.5%)。 | |
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*「チャメ」のオープン | *「チャメ」のオープン | ||
+ | :劇中に登場したスンドゥブチゲの専門店「チャメ(姉妹)」は、東急田園都市線・大井町線の溝の口駅から直結する西口商店街の空き店舗を改装してロケ地とした。また、この店舗はセットでなく、実際に営業をするものとしても作られ、その運営は「牛角」などを展開する外食企業のレインズインターナショナルが担当した。営業はまだドラマが放映中である2006年2月26日に開始し、撮影のある日は臨時休業となるものの、ドラマに出てくる店で実際の料理を味わえるという試みは大きな話題を集めた。また、レインズインターナショナルは系列店舗である「牛角」「牛角食堂」「土間土間」でもスンドゥブチゲとして提供し<ref>[http://www.kansyoku-life.com/2006/03/50.html 西荻窪の「牛角食堂」でスンドゥブチゲ。] 、韓食生活、2015年3月26日閲覧</ref>、またコンビニエンスストアの「am/pm」でも「チャメのスンドゥブチゲ」という商品を販売するなど相乗効果を狙っていった<ref>[http://www.kansyoku-life.com/2006/03/72.html am/pmが「チャメのスンドゥブチゲ」を発売。] 、韓食生活、2015年3月26日閲覧</ref>。溝の口の「チャメ」は2007年5月をもって閉店したが、2006年4月25日に恵比寿でオープンした2号店は、経営元を変えつつ2015年3月現在も「チャメ」の名前で営業を続けている。 | ||
− | + | *「東京純豆腐」のオープン | |
=== 2007年 === | === 2007年 === | ||
− | + | *丸大食品の参入 | |
=== 2012年 === | === 2012年 === | ||
− | + | *「ゼスン食堂」のオープン | |
== エピソード == | == エピソード == |