センテチゲ(生スケトウダラの鍋/생태찌개)

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センテチゲ생태찌개)は、生スケトウダラの鍋。

センテチゲ

概要

センテ(생태)は生スケトウダラ。チゲ(찌개)は野菜や肉、魚などを煮た鍋料理の総称である。韓国語でスケトウダラのことをミョンテ(明太、명태)と呼ぶが、生の状態であるものを特にセンテ(生太、생태)と称する。対して冷凍したスケトウダラのことは(凍太、동태)と呼び、それを用いた鍋料理はトンテチゲ(スケトウダラ鍋/동태찌개)として区別される。センテタン(생태탕)とも呼ぶ。ぶつ切りにした生スケトウダラを大根、長ネギ、豆腐などとともに煮込み、塩、醤油、粉唐辛子、ニンニク、ショウガなどで味付ける。鮮度のよい白子や卵を加えてもよい。家庭料理として作られるほか、スケトウダラ料理の専門店や、名産地である江原道の郷土料理店、海鮮料理店などのメニューとして提供される。ただし、近年の韓国ではスケトウダラの漁獲が激減しているため、センテチゲはいまや貴重な料理となっている。センテを用いた料理としては、ほかにセンテジョン(生スケトウダラのチヂミ、생태전)、センテクッ(生スケトウダラのスープ、생태국)、センテチリクッ(生スケトウダラの澄まし仕立て鍋、생태지리국)などがある。

エピソード

明太(ミョンテ)の語源

咸鏡北道明川郡に住む漁師の太(テ)氏がとった魚という意味で、明川郡の「明」と「太」氏を合わせて「明太(ミョンテ、명태)」と名前がついたとされる。この逸話は朝鮮時代末期の文官、李裕元(イ・ユウォン、이유원)が1871年に書いた『林下筆記(임하필기)』の第27巻「春明逸史(춘명일사)/明太(명태)」[1]の項目に記されている。その内容は以下の通りである。
明川に住む漁師の中に太氏姓を持つ者がいた。 ある日、魚を1尾釣ったので、村の役所で厨房仕事をする役人を通して地域の長官に差し上げたところ、長官がたいそう気に入って魚の名前を尋ねた。だが、誰も名前を知らず、「漁師の太氏がとった」とだけ答えた。 長官は(明川の太氏がとったので)「明太」と名付けるのがよいと言った。その後、この魚は毎年数千石ずつとれ、全国に広がって「北魚」と呼ばれた。(朝鮮時代中期の文官)閔鼎重(ミン・ジョンジュン、민정중)は「300年後、この魚はいまより貴重になるだろう」と語ったが、その言葉が当たったわけだ。私が(江原道の)元山(ウォンサン、원산)を通ったとき、この魚を見たが、漢江(ハンガン、한강)に積まれた薪のように多く、どれほどか数えることができなかった。【原文1】※丸カッコ内は訳注
【原文1】明川漁父有太姓者。釣一魚使厨吏供道伯。道伯甚味之。問其名。皆不知。但道太漁父所得。道伯曰。名爲明太。可也。自是此魚歲得屢千。石遍滿八路。呼爲北魚。閔老峰之言。三百年後。此魚當貴于今。其言預驗。余過元山。見魚積如五江之峙柴。不計其數。

スケトウダラの主な呼び名

脚注

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目