タッカルビ(鶏肉の鉄板焼き/닭갈비)
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※この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。
タッカルビ(닭갈비)は、鶏肉と野菜を甘辛いタレと絡めて鉄板で炒めた料理。
名称
タッカルビのタッ(닭)は鶏。カルビ(갈비)は肋骨を意味する。ただし、一般的に牛焼肉、豚焼肉の場合は肋骨とその周辺の肉を含めてカルビと称するが、タッカルビにおいては鶏肉の部位を示す訳ではなく、牛カルビや豚カルビのように骨つきの肉にかぶりつく食べ方から名付けられたとされる。日本ではタクカルビ、ダッカルビ、ダクカルビ、鶏カルビといった表記も見られるが、本辞典においては「タッカルビ」を使用する。発音表記は[닥깔비]。
概要
タッカルビはぶつ切りにした鶏肉と、キャベツ、ニンジン、サツマイモなどの野菜を甘辛いタレと絡めて炒めた料理。鶏肉は主をにモモ肉が使われる。店によって一緒に炒める具材はさまざまであり、タマネギ、長ネギ、エゴマの葉といった野菜に始まり、タンミョン(당면、春雨)、チョルミョン(쫄면、でんぷん麺)、うどん、餅、スライスチーズ、テナガダコなどの魚介類がトッピングされることもある。専門店では円形の平たく大きな鉄板を用意し、注文を受けて客席で調理をするスタイルが多い。韓国では専門店で味わう料理だが、日本では韓国家庭料理店などでも提供される。
歴史
1960年代
タッカルビの由来には諸説ある。地方によっても異なるが、1960年頃に発祥したとの説が有力である。
- 春川市の調査
- タッカルビの発祥地を自認し、市内にも専門店を多数有する春川市は2003~4年に発祥の経緯を調査し、以下のように公式的な発表をしている。「春川地域でのタッカルビ誕生に対し調査をした結果、1959年から現在の中央路2街18番地(現、三星生命駐車場と、駐車場のそばにある三星生命の玄関階段の間。その当時はバスターミナルとして使われており、近隣にある現、中央路2街11番地の朝興銀行は江原合乗の終点として使用)に、板で作った小さな豚焼肉店を始めた金永錫さんが、四月革命(1960年4月19日)が起きた年のある日、豚肉を求められず、鶏2羽を買ってきてぶつ切りにし、テジカルビ(豚カルビ焼き)のように作ってみなければならないと言って、終日研究をした結果、鶏肉をテジカルビのように開いてタッカルビを作り、これに味付けをして12時間寝かせ売り始めたのが春川タッカルビが作られた由来と確認する」(原文1)。[1]
- 【原文1】「춘천지역에서의 닭갈비 발생에 대하여 조사한 결과 1959년 지금의 중앙로2가 18번지(현 삼성생명 주차장과 주차장 옆 삼성생명 현관 계단 사이, 그 당시에는 버스터미널로 사용되었으며, 인근에 있는 현 중앙로2가 11번지 조흥은행은 강원합승종점으로 사용됨)에서 판자로 지은 조그만 장소에서 돼지고기등으로 영업을 하던 김영석(金永錫)씨가 1960년 4.19가 일어나던해 어느날 돼지고기 구하기 어려워 닭 2마리를 사가지고 와서 닭을 토막내어 돼지갈비처럼 만들어 보아야 하겠다고 하여, 하루종일 연구끝에 닭을 돼지갈비처럼 발려서 닭갈비를 만들었으며, 이것을 양념하여 12시간 재워서 팔기 시작한 것이 춘천닭갈비가 만들어진 유래로 확인됨.」
1980年代
プデチゲが米軍基地の周辺から、全国に拡大していったのは1980年代からと推定できる。
- 「本明洞プデチゲ」の開店
- 1982年にソウルの明洞で開店した「本明洞プデチゲ」は、ソウルで初めてのプデチゲ専門店と名乗っていた。現在は閉店。
- キム・チャンビョルの報告
- キム・チャンビョルは著書『韓国料理、その美味しい誕生(한국음식 그 맛있는 탄생)』の中でプデチゲの広まった時期について以下のように述べている。「筆者のアンケート調査によれば、80年代中盤までにプデチゲを食べた人は米軍基地の近隣に住んでいたり、または米軍基地と関連した仕事をする人がいる場合に過ぎなかった。 一般的な食堂でプデチゲを食べたという回答は80年代後半以降に限定された」(原文4)[2]。
- 【原文4】「필자의 설문조사의 결과, 80년대 중반까지 부대찌개를 먹어본 사람은 미군기지 인근에 살고 있거나 또는 미군기지와 관련된 일을 하는 사람이 있는 경우에 불과했다. 일반적인 식당에서 부대찌개를 먹었다는 응답은 80년대 후반 이후로만 국한되었다.」
1990年代
- 「ノルブプデチゲ&チョルパングイ」の開店
- 1987年に「ノルブポッサム(놀부보쌈)」として出発した現在の株式会社ノルブは、1992年に「ノルブプデチゲ&チョルパングイ(놀부부대찌개 & 철판구이)」をオープンさせた[3]。
種類
プデチゲには次のような種類がある。
- ジョンスンタン(존슨탕)
- ジョンスンタンはプデチゲとよく似た料理であり、ソウル市龍山区の「パダ食堂(바다식당)」の看板料理として有名。牛骨と牛胸肉のダシをベースとした辛口のスープに、ソーセージ、ランチョンミート、タマネギ、長ネギ、キャベツ、スライスチーズなどの具を入れて作る(インスタントラーメンは入らない)。この料理はアメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領(第36代)に由来し、直訳すると「ジョンソンの鍋」という意味である。命名の由来には諸説あるが、「ジョンソン大統領が米軍基地を訪問した際、偶然プデチゲの味見をして最高の味だと高く評価した」(原文5)[4]という説や、「訪韓中の食事を担当した調理人が、親善の意味を込めて、アメリカの材料を韓国式に調理したのが始まり」(八田靖史の取材記録より、梨泰院「パダ食堂」、2004年7月6日)との説がある。ただし、確かにジョンソン大統領は1966年10月31日から11月2日まで韓国を訪問しているものの、プデチゲを食べたり、プデチゲ風の料理が食事として出たという明確な記録は見当たらない。
- 【原文5】「존슨 대통령이 미군기지를 방문했다가 우연히 부대찌개를 맛보고 최고의 맛이라 호평했다」
- トゥッペギプデチゲ(뚝배기부대찌개)
- トゥッペギで煮込んだ1人前のプデチゲ
エピソード
- 議政府市の「第一市場(제일시장)」では、プデチゲ用の加工肉をプデゴギ(부대고기、部隊肉)の名前で販売している。
- プデチゲに欠かせないランチョンミートは韓国語でハム(햄)と呼ばれる。
地域
- 京畿道議政府市
- 議政府洞にプデチゲの専門店通りがある。
- 京畿道平沢市
- 松炭地区にプデチゲの専門店が集まっており、松炭プデチゲとも呼ばれる。「ファンソチプ(황소집)」「テンチプ(땡집)」「キムネチプ(김네집)」「チェネチプ(최네집)」の4店舗が特に有名。