サムゲタン(ひな鶏のスープ/삼계탕)
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サムゲタン(삼계탕)は、ひな鶏のスープ。
名称
サムゲタン(삼계탕)は漢字で「参鶏湯、蔘鶏湯」と書き、サム(삼)は高麗人参(인삼)、ゲ(계)は鶏、タン(탕)はスープを表す。かつてはケサムタン(鶏参湯、계삼탕)とも呼んだ。サムゲタンのサム(삼)は1字で高麗人参を意味する「蔘」を用いるのが正しいが、一般的には「参鶏湯」が広く使用されている。カタカナでは「サンゲタン」と表記する例も見られる。本辞典においては「サムゲタン」を使用する。発音表記は[삼계탕/삼게탕]。
- 日本語訳
- 料理名が、高麗人参、鶏、スープを意味するため、「高麗人参と鶏のスープ」、あるいは「高麗人参と鶏の鍋」といった訳がまず考えられる。そのうえで鶏は生後30~45日程度のものを用いるので、単に鶏とせず、「ひな鶏」「若鶏」といった用語に置き換えることも多い。やや説明調であるが、「鶏の腹に高麗人参やもち米、ナツメなどを詰めて煮込んだ料理」と調理法に触れる例も多く見られる。本辞典では簡潔さを優先して「ひな鶏のスープ」としているが、料理名からも高麗人参は不可欠の食材なので、できればそちらも加えるのが望ましい。
- 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、「高麗人参とひな鶏のスープ」を多く使用している。サムゲタンはかつて「ケサムタン(鶏参湯、계삼탕)」とも呼ばれたが、高麗人参のほうを重要視して、「鶏」と「参」の順序を入れ替えたとのエピソードがあるため、「ひな鶏と高麗人参」ではなく順序に配慮しながら「高麗人参とひな鶏」と訳すのが正しいとも主張している[1]。
ケサムタン(鶏参湯)
- サムゲタンは、かつてケサムタン(鶏参湯、계삼탕)と呼ばれたが、高麗人参のほうを重要視して、サムゲタンと入れ替えたとのエピソードがある。この話は1989年に作家の趙豊衍(チョ・プンヨン、조풍연)が出版した『ソウル雑学辞典(서울 잡학 사전)』から引用されることが多く、同書では「ケサムタンが『サムゲタン』になったのは高麗人参が大衆化し、外国人たちが高麗人参の価値を認めるようになって、サムを上に置いて名称を変えたものと考えられる」[2]と述べられている。
概要
サムゲタンは、ひな鶏の腹にもち米、高麗人参、ナツメ、ニンニク、銀杏などを詰めて煮込んで作る。味付けはごく薄い塩味にとどめ、食べる人が卓上の塩やコショウを好みで加える。主に専門店で食べられるメニューであるが、一般の食堂でも出すところがある。夏負けを防ぐスタミナ料理として食べられることが多く、ポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)とともに、伏日(복날)に食べる料理として知られる。伏日は三伏(삼복)とも呼び、夏至から数えて3度目の庚の日である「初伏(초복)」と、4度目の庚の日である「中伏(중복)」、立秋後初めての庚の日である「末伏(말복)」の総称であり、1年の中で最も暑い時期とされる。類似の料理としては、ハーフサイズのパンゲタン(半羽のサムゲタン/반계탕)や、烏骨鶏を用いて作るオゴルゲタン(烏骨鶏のサムゲタン/오골계탕)がある。
食べ方
- 味付けは薄味にとどめてあることが多く、好みによって卓上の塩やコショウを加えて食べる。小皿に入って塩が出てくることもあり、鶏の身をつけて食べてもよい。丸ごとのひな鳥を用いるため、慣れないと食べ方が難しいが、スプーンで突き崩して解体しておくと食べやすい。一例として、まず背中の中心にスプーンを突き入れて前後に分け、次いで関節の継ぎ目から左右のモモ肉、手羽肉を外すと食べやすい。中には全体を細かく突き崩して身をほぐし、スープやもち米と一体化させて食べる人もる。韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、身をほぐしながらヤゲン軟骨を発掘するのを密かな楽しみとしている。
- 高麗人参酒
- 専門店では、サムゲタンを頼むとおちょこ1杯程度の高麗人参酒(인삼주)がついてくる。食前酒として飲むものだが、アルコールが苦手であったり、昼から飲むのが気になる場合は、無理に飲まなくてもよく、あるいはスープに入れてしまう方法もある。
ひな鶏
- 生後30~45日程度のひな鶏(4~500g程度)を用いることが多い。一般的に広く使用されているのは「ペクセミ(백세미)」と呼ばれる交配種で、産卵鶏(산란계)のメスと肉鶏(육계)のオスを掛け合わせている。ペクセミが流通する以前は、ウンチュ(雄雛、웅추)と呼ばれる産卵鶏のオスを使用することも多かった。ウンチュは卵を産まないオスの有効活用であり、脂が少なく、身も締まっているが、淡泊な味わいとしっかりした食感がサムゲタンには合っているとされて重宝された。しかし、肉鶏に比べて産卵鶏は成長するまでの飼育期間が長く、そのぶん飼料代などがかかるため、期間を短縮するために品種改良されたのがペクセミである。ペクセミのペクは漢字の「白」、セミは英語で半分を意味する「semi」に由来し、英語では「white semi broiler」と呼ぶ。専門店によっては地鶏(토종닭)を使用する場合もある。
具
- ひな鶏のほか、高麗人参(인삼)、もち米(찹쌀)、ナツメ(대추)、栗(밤)、銀杏(은행)、ニンニク(마늘)、クコの実(구기자)、松の実(잣)などを用いる。高麗人参は6年根を最高級とするが、一般的には3~4年根を使用することが多い。韓方材のキバナオウギ(황기)や鹿角(녹각)などを一緒に煮込むことも多く、具のように入って出てくる場合もあるが、食用とするものではない(そもそも固くて食べられない)。
- ナツメは食べてもよい?
- 具として入っているナツメは、他の食材から毒となる悪い成分を吸うために入れられているため、食べないほうがいいとのうんちくがある。これは根拠のない俗説であり、食べてもまったく問題はない。
伏日(복날)
- 伏日(ポンナル、복날)は、「初伏(チョボク、초복)」「中伏(チュンボク、중복)」「末伏(マルボク、말복)」の総称。夏至から数えて3度目の庚(かのえ)の日を初伏、4度目の庚の日を中伏、立秋を過ぎて最初の庚の日を末伏と呼び、これを総称して「三伏(サムボク、삼복)」とも呼ぶ。伏日は陰陽五行思想に基づいた習慣であり、1年の中でもっとも暑い時期であることから、強い陽気に押されて陰気が地表近くに「伏」せている「日」を指す。陰気が濃密になることにより、人間に害をなす鬼神が横行しやすくなるため、体調を崩す(夏負けする)と考えられる。その対策として栄養価の高い料理を食べることが推奨され、伏日の代表的な料理には、サムゲタンや、タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)、タッカンマリ(丸鶏の鍋/닭한마리)、ユッケジャン(牛肉の辛いスープ/육개장)、ポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)、チュオタン(ドジョウ汁/추어탕)などがあげられる。伏日はほぼ10日間隔となるが、暦の関係で中伏と末伏は20日間隔になることもあり、これを越伏(ウォルボク、월복)と呼ぶ。末伏は立秋と重なることもある。よく似た習慣として日本の土用丑があるが、十干十二支に「庚」と「丑」の組み合わせはなく、伏日と土用丑が重なることはない。
- 伏日が庚の日であるのは陰陽五行思想をもとに、庚が五行(木・火・土・金・水)の「金」、五季のうち夏が「火」に相当し、「火克金(火は金属を溶かす=火が強まると金が弱まる)」の考え方から、庚の日はもっとも盛夏の影響を受ける日とされる。伏日には弱まった「金」の要素を補充することが好ましく、いずれも「金」に相当する五畜の「犬」、五菜の「葱」、五味の「辛味」を掛け合わせたポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)が、かつては伏日の代表的な料理であった(各要素は資料によって異なる場合がある)。しかし、近年は犬肉を食肉とすることへの忌避が強まったことから、韓国ではサムゲタンなどの鶏料理や、ポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)の犬肉を牛肉で代替したユッケジャン(牛肉の辛いスープ/육개장)などを食べる人が多い。朝鮮民主主義人民共和国では、伏日にポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)を食べる習慣が残っている。
- 2024年以降の伏日
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- 2024年7月15日(月)、7月25日(木)、8月14日(水)
- 2025年7月20日(日)、7月30日(水)、8月9日(土)
- 2026年7月15日(水)、7月25日(土)、8月14日(金)
- 2027年7月20日(火)、7月30日(金)、8月9日(月)
- 2028年7月14日(金)、7月24日(月)、8月13日(日)
- 2029年7月19日(木)、7月29日(日)、8月8日(水)
- 2030年7月14日(日)、7月24日(水)、8月13日(火)
- 2031年7月19日(土)、7月29日(火)、8月8日(金)
- 2032年7月13日(火)、7月23日(金)、8月12日(木)
- 2033年7月18日(月)、7月28日(木)、8月17日(水)
歴史
サムゲタンの詳細な発祥の経緯は明らかになっていない。サムゲタンの歴史を語る場合、類似の料理であるタッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)や、ヨンゲペクスク(ひな鶏の水煮、영계백숙)、タックッ(鶏のスープ、닭국)などをルーツと考えて紐解く場合と、朝鮮時代より富裕層に飲用されていた薬湯の参鶏湯(삼계탕)、または鶏参湯(계삼탕)から転じたとする場合があり、この両者を複合的に考えることも多い。人文学者の周永河(チュ・ヨンハ、주영하)は著書『食卓の上の韓国史』の中で、「参鶏湯という食べ物が本格的に飲食店のメニューとして登場するのは、一九五〇年代なかば以降」[3]と述べている。
薬湯としての記録
- 朝鮮時代後期から日本統治時代にかけての文献を見ると、鶏の腹に高麗人参を詰めて煮出し、その汁を薬湯として飲んでいた話が多く出てくる。これを参鶏湯(삼계탕)、鶏参湯(계삼탕)、参鶏膏(삼계고)、鶏参膏(계삼고)、人鶏参膏(인계삼고)、参鶏飲(삼계음)などと呼び、薬湯または滋養強壮飲料として富裕層を中心に親しまれた。1920年代頃からはもち米を入れて煮出す製法も見られ、これらがのちに鶏肉、もち米、高麗人参を具とみなす料理へと発展したのではないかと推測できる。以下は見つかった範囲内の史料で、さらにさかのぼる可能性がある。また、いずれの史料においても薬湯を煮出したあとの鶏肉や高麗人参をどうするかは記述がないが、全体が溶けてほぐれるほどに煮込んで一緒に飲んでいたり、あるいは別途食べたりしているのであれば、結果として現代のサムゲタンとあまり変わらないとも考えられる。
- 『霞隠日録』(1856年)の記述
- 朝鮮時代後期の両班、李愚錫(イ・ウソク、이우석)は1854年から1903年までの日記を残しており、これを筆写してまとめた『霞隠日録(하은일록)』には、1856年6月25日(陽暦では7月26日)に人参鶏膏(인삼계고)を煎じて父に3度飲ませたとの記述がある[4]。この日は中伏(중복)に当たる。
- 『続陰晴史』(1887年)の記述
- 朝鮮時代末期の政治家、金允植(キム・ユンシク、김윤식)の日記『続陰晴史(속음청사)』には、1887年9月16日の朝に参鶏膏(삼계고)を飲んだことが書かれている[5]。
- 『避乱録』(1894年)の記述
- 『避乱録』は甲午農民戦争(1894~95年)で、忠清南道公州市から避難をした光山金氏(광산김씨)のある人物が残した記録である。避難の途中で体調を崩した妻に、参鶏飲(삼계음)を飲ませたとの記述がある[6]。
日本語の記録
- 『日本農業雑誌(第7巻第13号)』(1911年)
- 1911年12月に刊行された『日本農業雑誌(第7巻第13号)』には、黄海北道開城市在住の松嶽山鷹郎なる人物が執筆した記事「朝鮮人参」が掲載されており、自家調整の薬湯として鶏参湯(계삼탕)が紹介されている。
- その製法は「白蔘五匁を薄く切り雛の孵化後三月目位のものを矢張り鷄蔘附用と同じ方法で、水一升二合を適當と認むる缸に入れ先の鷄を缸の内に挿し込んで炭又は薪で三時間計り煮て一合五勺位にして之れを布切れで搾り一回に飲ましむる」とあり、前述されている「鷄蔘附」は、上記に「附子(トリカブトの根茎)」を加えたもので、「鷄蔘附」が主に「七、八十歳に至る老人用」として用いられるのに対し、「鷄蔘湯」は主に「五歳乃至十歳位の小児用」としている[7]。
- 『朝鮮風俗集』(1914年)
- 1914年に刊行された書籍『朝鮮風俗集』(著・今村鞆)には「朝鮮の年中行事」という項目があり、三伏(삼복)の食習慣として薬湯の参鶏湯(삼계탕)を以下のように紹介している。「夏の三箇月間、毎日蔘鷄湯卽人蔘を雌鷄の腹に入れて煮出したる液を一椀宛飲用すれば、一年中如何なる疾病にも冒されずと稱し、富者は之を飲用する者がある」[8]。
- 『朝鮮7月号 (第170号)』(1929年)
- 1929年7月に刊行された雑誌『朝鮮7月号 (第170号)』には、呉晴(オ・チョン、오청)による連載記事「朝鮮の年中行事」の記事があり、三伏(삼복)の項目で鶏参湯(계삼탕)を以下のように紹介している。「夏の間鷄蔘湯を多く飮用すれば、元氣が非常によくなり、且つ年中如何なる疾病にも罹らないとて、人々はこれを盛んに飮用する。鷄蔘湯とは、卽ち鷄の腹に人蔘と糯米一勺を入れて煮出した液であるが、富者はこれを殆ど毎日服用するのである」[9]。
類似料理の記録
- タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)
- タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)は、丸鶏を茹でて食べるという簡便な調理法であり、古くから食べられていたと考えられる。文献史料の一例として、1795年に朝鮮王朝第22代王の正祖(정조)が水原華城まで出かけたときの記録である『園幸乙卯整理儀軌(원행을묘정리의궤)』に、恵慶宮洪氏の食事として「陳鶏白熟(진계백숙)」が記載されている[10]。陳鶏(진계)とは老鶏のことである。なお、同じ食膳に若鶏を蒸した「軟鶏蒸(연계증)」も並んでいる。
1950~60年代
- サムゲタンを提供する外食店の登場は、1950年代半ば以降とする情報が多い(具体的な史料は未確認)。1950~60年代の新聞記事を読む限り、この時代はまだスープを飲むことに重きが置かれている印象が強いものの、1968年に書かれた記事には、煮込んだ鶏を「そのまま塩、コショウで味を調えて食べてもよく、または搾ってスープを飲む」(下記参照)と両者を併記したような記述が出てくる。あくまでも推測ではあるが、1960年代は養鶏産業が拡大した時期でもあり、サムゲタンの外食メニュー化が進んだことも重なって、富裕層向けの薬湯から一品料理への転換が進んだのではないかと考えられる。
- 『東亜日報』(1968年)の記述
- 1968年7月25日の『東亜日報』紙面には、韓国食文化研究の大家として知られる尹瑞石教授が寄稿した「夏の料理」に関する記事があり、鶏参湯(계삼탕)について、「ひな鶏(黄鶏がもっともよい)に高麗人参、もち米、むき栗などを加えてじっくり煮込み、そのまま塩、コショウで味を調えて食べてもよく、または搾ってスープを飲む」[11]と紹介している。
- 「高麗参鶏湯」の開業
- ソウル市の中区西小門洞(チュング ソソムンドン、중구 서소문동)に本店を構える「高麗参鶏湯(고려삼계탕)」は、現存するもっとも古いサムゲタンの専門店として知られる。1960年に明洞で創業ののち、1978年に現在の場所へと移転した[12]。
種類
- 追加素材の種類
- その他
- パンサムゲタン(반삼계탕)とも呼ぶ。
- 味付けに粉唐辛子を加えたもの。パルガンサムゲタン(赤いサムゲタン、빨간삼계탕)とも呼ぶ。
- サムゲタンのように鶏の腹にもち米を詰めてローストする。これを「焼きサムゲタン」のように表現することもある。
- ヘシンタン(海鮮と丸鶏の鍋、해신탕)
類似料理との差異
- タッペクスクと比較される類似料理にタッカンマリ(丸鶏の鍋/닭한마리)と、タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)があり、主に以下のような差異がある。
料理名 | タッカンマリ | サムゲタン | タッペクスク |
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鶏のサイズ | 700g~1.2kg程度の鶏を用いて1羽が2~4人前となる | 3~500g程度のひな鶏を用いて1羽が1人前となる | 700g~1.2kg程度の鶏を用いて1羽が2~4人前となる |
具 | 野菜や餅を一緒に煮込み、漢方材を足すこともある | 腹にもち米や漢方材を詰めて煮る | 基本的には鶏だけを煮て漢方材を加える |
味付け | 鶏を辛いつけダレで味わう | 薄い塩味、好みで塩を足してもよい | 鶏を塩、コショウで味わう |
提供方式 | 金ダライのような鍋で煮ながら味わう | 1人前のトゥッペギ(뚝배기、素焼きの器)に盛り付ける | 鶏だけを大皿に盛り付ける |
料理の後 | 残ったスープにカルグクスやごはんを入れる | 特になし | 煮汁で粥を作る |
日本における定着
雑誌記事などを見る限り、少なくとも1970年代末には、焼肉店などでサムゲタンを提供していたことが確認できる。韓国で1960~70年代に外食メニューとして普及したことを考えると、より時代がさかのぼる可能性はある。
- 「グレイス」の創業
- 1985年6月に東京、麻布十番でサムゲタン専門店の「グレイス」が創業した[13]。
地域
脚注
- ↑ 八田靖史, 2023, 『ラジオ まいにちハングル講座 2023年7月号(韓食ものがたり)』, NHK出版, P94
- ↑ 趙豊衍, 1989, 『ソウル雑学辞典(서울 잡학 사전)』, 正東出版社, P431
- ↑ 周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P101
- ↑ 한국사료총서/霞隱日錄/霞隱日錄 一/丙辰/六月 、韓国近代史料データベース、2024年8月12日閲覧
- ↑ 한국사료총서/續陰晴史 上/續陰晴史 卷一/高宗 24年 丁亥 5月~12月/高宗 24年 丁亥 9月 、韓国近代史料データベース、2024年8月17日閲覧
- ↑ 避亂錄 피난록(prd_0066_081) 、東学農民革命史料アーカイブ、2024年8月12日閲覧
- ↑ 『日本農業雑誌 7(13)』,日本農業社, 1911年(P29-30) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号25/46)、2024年8月16日閲覧
- ↑ 今村鞆『朝鮮風俗集』,斯道館, 1914年(P236) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号133/268)、2024年8月16日閲覧
- ↑ 『朝鮮7月号 (第170号)』,朝鮮総督府, 1929年(P96) 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号54/79)、2024年8月16日閲覧
- ↑ 【PDF】園幸乙卯整理儀軌(巻4饌品/粥水剌十一日、P327、1行目〈132/200〉) 、デジタル蔵書閣(韓国中央研究院)、2024年8月16日閲覧
- ↑ 여름料理(요리) 、NAVERニュースライブラリー、2024年8月17日閲覧
- ↑ 고려삼계탕/브랜드 소개 、高麗参鶏湯公式ウェブサイト、2024年8月16日閲覧
- ↑ 祝30周年記念 、グレイス公式ウェブサイト、2024年8月20日閲覧
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)