ユッケジャン(牛肉の辛いスープ/육개장)
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ユッケジャン(육개장)は、牛肉の辛いスープ。牛のブロック肉を茹でてスープを取り、大豆モヤシ、ワラビ、芋茎、長ネギなどの野菜とともに煮込む。牛肉は細く裂いて具としても使用する。味付けには醤油、塩、唐辛子油、みじん切りニンニク、コショウなどを用いる。ほぼ通年で食べられているが、夏バテを防ぐ滋養の料理としても親しまれ、また葬礼の際に食べる厄払いの料理という側面もある。類似の料理には、牛肉の代わりに鶏肉を使ったタッケジャン(鶏の辛いスープ/닭개장)がある。
名称
ユッケジャンは牛肉の辛いスープ。ユッ(육)は肉(牛肉)、ケジャン(개장)は犬肉のスープ(「ポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)」の項目も参照)。ケジャンを牛肉で代用したことから名付けられた。日本では「ユッケジャンスープ」という表記も見られるが、厳密にはケジャンの部分にスープの意が含まれている。本辞典においては「ユッケジャン」を使用する。発音表記は[육깨장]。
概要
ユッケジャンは牛のブロック肉を茹でてスープを取り、大豆モヤシ、ワラビ、芋茎、長ネギなどの野菜とともに煮込んで作る料理。スープを取った牛肉は細く裂いて具としても使用する。味付けには醤油、塩、唐辛子油、みじん切りニンニク、コショウなどを用いる。たっぷりの具とスープを大き目の器に盛り付け、ごはん、副菜とともに定食の形式で提供されることが多い。家庭料理として作られるほか、定食店でもよく見るポピュラーなメニューであり、また専門店も存在する。
歴史
文献上の記録
ユッケジャンに関する文献上の記録は19世紀末から見られる。20世紀に入ると詳細な調理法が紹介されるようになり、現在のユッケジャンがほぼ牛のモモ肉やスネ肉を使用するのに対し、当時は内臓肉など多様な部位を使用していたことがわかる。ユッケジャンの原型となったケジャンについてはもっと古い史料もあるが、ここでは割愛する。
- 『閨壼要覧』(1896年)の記述
- 延世大学が所蔵する『閨壼要覧(규곤요람)』にユッケジャンの調理法が書かれている。後述の『是議全書』の発刊年代は1800年代末と推定されているが明確ではなく、年代のはっきりした文献としてはこれがユッケジャンの初出である。本書ではその調理法について、「肉を薄く切り醤油とともに水を多く注いで煮込み、薄切りの肉が煮えてとろとろになったら野菜を入れて火を通しコショウを入れる。これはお客様への料理にもよく、また昼食にごはんを炊いてスープと混ぜても食べる」(原文1)と紹介している。
- 【原文1(現代語訳)】「고기를 얇게 썰어 간장과 함께 물을 많이 붓고 끓이되 썰어 놓은 고기가 푹 익어 고기 점이 풀어지도록 끓인 후 야채를 넣어 익히고 후춧가루를 넣는다. 이것을 하면 손님 밥상에도 떠 놓고 또 점심에도 밥을 잘 지어 국에 말아 먹는다.」[1]
- 『是議全書』(1800年代末)の記述
- 1800年代末に書かれたと推測される『是議全書(시의전서)』(原著者不詳)の湯部という項目にはユッケジャンの調理法が紹介されている。「牛肉、頬肉、熱湯でゆがいた肺、腸、ミノ(第1胃)、アワビ、ナマコを入れ、水を多めに注いで柔らかく煮て取り出す。肉は裂き、ほかはすべて短冊に切り、長ネギとセリはさっとゆがいて切っておく。薬味ダレを入れ、油と醤油で味付けをして煮込む。肉団子も入れ、卵も薄焼きにしてひし型に切って上に載せる。コンユッケジャンにカラシを添えても酒の肴によい」(原文2)と記述されている。なお、最後のコンユッケジャン(건육개장)がどのようなものか不明であるが、コンが「乾」であるならば、汁なしで具だけのユッケジャンではないかと推測できる。
- 【原文2(現代語訳)】「쇠고기, 흘떼기, 뜨거운 물에 데친 부아, 창자, 양, 전복, 해삼을 넣고 물을 많이 부어 무르게 삶아 건진다. 고기는 찢고 다른 것은 모두 골패처럼 썰고 파와 미나리는 살짝 데쳐 잘라 넣는다. 갖은 양념을 넣고 기름장으로 간을 맞추어 끓인다. 완자도 넣고 달걀도 얇게 부쳐 비스듬한 네모 모양으로 썰어 위에 얹는다. 건육개장에 겨자를 곁들이면 술안주로 좋다.」[2]
- 『朝鮮料理製法』(1921年)の記述
- 方信栄(방신영)によって1917年に初めて書かれ、その後も増補を重ねた『朝鮮料理製法(조선요리제법)』にはユッケジャンの項目があり、食材や調理法が詳細に書かれている。1921年の版では「ユッケジャンはコムクッ(牛スープ)と同じである。まず長ネギをゆがいて水で新い、よく絞ってから1寸の長さに切り、器に盛って、牛肉とミノ(第1胃)、直腸、小腸、肺、この5種類を釜に入れて真水でじっくり煮て、火が通った後にすべて取り出し、肉は手で細くちぎる。長ネギと一緒に盛った後、醤油と油、すりゴマ、コショウで味を整え、よく揉み込んだうえで肉を茹でた水にもう1度入れてひとしきり煮て食べる」(原文3)と紹介されている。
- 【原文3(現代語訳)】「육개장은 곰국과 같다. 먼저 파를 물에 데쳐서 물에 빨아 꼭 짜가지고 한 치 길이씩 썰어 그릇에 담아 놓고 쇠고기와 양과 곤자손이, 창자, 허파 이 다섯 가지를 솥에 넣고 맹물에 한참 삶아서 다 익은 후에 다 건져 놓고 고기는 손으로 잘게 뜯는다. 파와 함께 담은 후, 간장과 기름, 깨소금, 후춧가루를 간 맞추어 치고 한참 주물어 섞어서 고기 삶은 물에 다시 넣고 한참을 끓여서 먹는다.」[3]
- 『朝鮮無双新式料理製法』(1930年)の記述
- 李用基(이용기)によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法(조선무쌍신식요리제법)』にはユッケジャンの項目がある。「まず長ネギをゆがいて水で洗い、しっかり絞って1寸ずつの長さに切っておく。頬肉、センマイについた肉、膝軟骨と周辺の肉、モモ肉、バラ肉、大腸、小腸、ミノ(第1胃)、直腸、膵臓、脾臓、肺など、いろいろな肉をきれいに洗い、真水で茹でた後、串で刺してみて柔らかくなっていたらすべて引き上げる。内臓以外の肉は手でちいさくちぎっておき、残りは切って長ネギと一緒に混ぜる。醤油、油、すりゴマ、コショウを入れて揉み込んだ後、肉を茹でた水にもう1度入れてひとしきり煮て食べる。辛いコチュジャンを一緒に混ぜてスープの釜に入れてひと煮たちさせてもよい」(原文4)とあり、肉の部位が内臓を含めてより多様になったこと、そして味付けにコチュジャンを使ってもよいとの表現が加わったことが特徴的である[4]。
- 【原文4(現代語訳)】「먼저 파를 데쳐 물에 빨아 꼭 짜서 1치 길이씩 썰어 놓는다. 흘떼기, 광대머리, 무릎도가니, 사태, 쐬약 갈비(소 약갈비), 대창, 곱창, 양, 곤자소니, 이자, 만하, 부아 등 갖은 고기를 깨끗하게 씻고 맹물에 삶은 다음 꼬챙이로 찔러 보아 물렀으면 모두 건져낸다. 살코기는 손으로 잘게 뜯어 놓고 나머지는 썰어서 파와 함께 섞는다. 장, 기름, 깨소금, 후춧가루를 넣고 함께 주물러 섞은 다음 고기 삶은 물에 다시 넣고 한참을 끓여 먹는다. 매운 고추장을 함께 버무려 국물 솥에 넣고 한소끔 끓여 쓰는 것도 좋다.」[5]
1920年代(テグタンバンの流行)
20世紀初頭には大邱式のユッケジャンがソウルなどで流行した。これをテグタンバン(大邱湯飯、대구탕반)、またはテグタン(大邱湯、대구탕)と称し、それぞれ大邱式の湯飯(スープごはん)、大邱式のスープを意味する。一般的なユッケジャンとはやや異なり、牛肉を裂くのではなくごろんと大きく切り、具もワラビや大豆モヤシ、溶き卵などは用いず、大量の長ネギと、ごく少量の芋茎だけを用いる。唐辛子油(고추기름)を使用することなく、牛肉から出る脂だけで仕上げるのも特徴的である。大邱でユッケジャンが発達した理由としては、大邱が盆地地域で夏場は特に暑く、暑さに打ち克つ料理として頻繁に食べられたからと説明されることが多い。現在の韓国では、大邱も含めてテグタンバン、テグタンという名称はほぼ使われておらず、後述するソウルの「朝鮮屋」に残っているぐらいだが、日本の焼肉店、韓国料理店ではテグタンの名で広く定着している。
- 『東亜日報』(1926年)の記述
- 1926年5月14日発行の紙面に「大邱湯飯主人 旧罪が発覚し木浦に連れられる」という見出しの記事が掲載されている。テグタンバンの名称が見られる記録としてはこれが最古である。
- 『別乾坤』(1927、29年)の記述
- 1927年7月1日発行の第7号には「雑同散異 臨時大清潔」という飲食店の衛生状況について述べたコラムにテグタンバンの店が出てくるほか[6]、1929年9月27日発行の第23号には「2日間ソウルをひとしきり観光する法、田舎の友人を案内する路順……」という記事があり、当時ソウルの鍾路にあった「典洞食堂」を紹介しつつ、テグタンバンが20銭であることも記されている[7]。
- 1929年12月1日発行の第24号には「珍品・名品・天下名食八道名食礼賛」という企画があり、全国の名物料理から9種類がそれぞれ独自のコラムとして紹介されている。そのひとつが大邱のテグタンバンであり、執筆者の達城人(大邱の地名である達城郡から取ったと推測される)が「大邱の自慢 大邱の大邱湯飯」というタイトルで、約800字に渡ってテグタンバンの魅力を紹介している。このコラムでは「テグタンバンの本名はユッケジャンである」との記述があって、両者が同じ料理であることや、ユッケジャンのルーツが犬肉料理のケジャンにあるということ、その料理が大邱で発達しソウルまで進出してきたことなど、ユッケジャンにまつわる当時の逸話が詳細に記録されている[8]。
- 「朝鮮屋」の事例
- ソウル市中区乙支路に位置する「朝鮮屋(조선옥)」は1956年創業の老舗焼肉店であり、現在もテグタンの名称で牛肉を煮込んだスープを提供している。現在の韓国においてテグタンバン、テグタンという料理名はまず見ることがなく、料理名としてメニューに残しているのはほぼ唯一といってよい事例である。
1940年代
- イェッチプ食堂の開店
- 大邱市中区市場北路に位置する「イェッチプ食堂(옛집식당)」は1948年創業で、現存するユッケジャンの専門店としてはもっとも古い。
種類
ユッケジャンには次のような種類がある。
- タッケジャン
- タッケジャン(닭개장)は牛肉の代わりに鶏肉を使ったユッケジャン。タッユッケジャン(닭육개장)とも呼ぶ。茹でた鶏肉を裂いて具とする(「タッケジャン(鶏の辛いスープ/닭개장)」の項目も参照)。
- ユッケジャンカルグクス
- ユッケジャンカルグクス(육개장칼국수)は、ユッケジャンのスープにカルグクス(韓国式の手打ちうどん/칼국수)の麺を入れた料理。略称としてユッカル(육칼)とも呼ばれる。食べ方としては以前からあったものの、2000年代後半から2010年頃にかけて話題となって広範な知名度を獲得した。2016年2月には大手食品会社のプルムウォンがインスタントの袋麺「ユッケジャンカルグクス」を販売した。大邱(テグ)にはユッケジャンのスープに素麺を入れたユッククス(육국수)が郷土料理として存在する。
- タロクッパプ
- タロクッパプ(따로국밥)はごはんと汁を別盛りにしたスープごはんの総称(「タロクッパプ(別盛のスープごはん/따로국밥)」の項目も参照)。大邱ではユッケジャン(=テグタンバン)から派生した料理としてタロクッパプを位置づけており、かつてスープにごはんを入れた状態で提供していたものを、客の要望によってごはんを分けて出したのが始まりとしている。現在の大邱におけるタロクッパプは牛肉や牛骨スープでダシを取り、長ネギ、芋がらなどの野菜と一緒に煮込んだ辛いスープという点で共通するが、多くの店でソンジ(牛の血、선지)を具として加えており、その点でユッケジャンと異なる。
- コサリユッケジャン
- コサリユッケジャン(고사리육개장)は豚肉とワラビのスープ。済州島の郷土料理として知られており、チェジュユッケジャン(제주육개장)とも呼ばれる。牛肉ではなく豚肉を煮込んで細く裂き、特産品のワラビとともに煮込んで作る。味付けは塩と醤油で整え、仕上げにはそば粉を振りかけてとろみをつけるのも特徴のひとつである。
日本における定着
日本では戦前に朝鮮半島から渡ってきた人たちがユッケジャンを伝えた。焼肉店にテグタンという名称が受け継がれているのは、在日コリアンに慶尚道出身者が多いことも影響していると考えられる。飲食店ではユッケジャンとテグタンを別に扱っているところもあり、ユッケジャンとテグタンの定義は作り手によってさまざまある。現在はユッケジャンに麺を入れたユッケジャンうどんや、ユッケジャンラーメンといったアレンジメニューを提供する店もあり、また家庭用としてレトルトや、カップスープスタイルのユッケジャンも販売されている。
- モスバーガーの事例
- ファストフード店の「モスバーガー」では2007年3月30日から、季節限定メニューとして緑の看板を配したファストカジュアル業態の「緑モス」にて、「スープごはん ユッケジャン」を発売した。
エピソード
- ユッケジャンと伏日
- ユッケジャンがもともと犬肉料理のケジャンの代用として生まれたことから、ケジャンの現代的な呼び名であるポシンタン(犬肉の鍋/보신탕)や、サムゲタン(ひな鶏のスープ/삼계탕)と同じく、暑さに打ち克つスタミナ料理として伏日(복날)に食べる習慣がある。伏日は三伏(삼복)とも呼び、夏至から数えて3度目の庚の日である「初伏(초복)」と、4度目の庚の日である「中伏(중복)」、立秋後初めての庚の日である「末伏(말복)」の総称であり、1年の中で最も暑い時期とされる。伏日の詳細についてはポシンタンか、サムゲタンの項目を参照。
- ユッケジャンと葬礼
- 韓国ではユッケジャンを葬礼の際に食べる習慣がある。ユッケジャンに入る唐辛子は、陰陽五行思想において人間に災いをもたらす鬼神を遠ざける力を持つとされ、体内に陽の気を取り込むことによって鬼神を避ける意味合いがある。ホ・ヨンマン著の漫画『食客』第8巻では、認知症を患う高齢の女性が自分の葬礼時にユッケジャンを出すため、義理の娘に作り方を教えるというエピソードが収録されている[9]。
- カップラーメン
- 1982年に大手食品会社の農心から大容量のカップラーメン商品として「ユッケジャンサバルミョン(육개장 사발면)」が発売された。現在まで販売されるロングセラー商品である[10]。
- その他のエピソード
- 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2004年7月に初めて大邱を訪れ、大邱のテグタンは本当にあるのか検証を行った。実際にテグタンと書かれたメニューは発見できなかったものの、ユッケジャン専門店の社長からユッケジャンとテグタンの関連性について説明を聞くことができた。一連の話はメールマガジン「コリアうめーや!!第89号」に掲載されている[11]。
地域
- 大邱市
- 大邱市が選定する「大邱10味」の筆頭に大邱ユッケジャンがあげられている。この大邱ユッケジャンには派生したタロクッパプも含まれている。
- 済州道
- 郷土料理のひとつにコサリユッケジャン(豚肉とワラビのスープ、고사리육개장)がある。
飲食店情報
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
<ソウル>
- 朝鮮屋(조선옥)
- 住所:ソウル市中区乙支路15キル8(乙支路3街229-1)
- 住所:서울시 중구 을지로15길 8(을지로3가 229-1)
- 電話:02-2266-0333
- 備考:現在もテグタンの名前で牛肉スープを提供
<大邱>
- クギルタロクッパプ(국일따로국밥)
- 住所:大邱市中区国債報償路571(前洞7-1)
- 住所:대구시 중구 국채보상로 571(전동 7-1)
- 電話:053-253-7623
- 備考:1946年創業のタロクッパプ専門店
- イェッチプ食堂(옛집식당)
- 住所:大邱市中区達城公園路6キル48-5(市場北路120-2)
- 住所:대구시 중구 달성공원로6길 48-5(시장북로 120-2)
- 電話:053-554-4498
- 備考:1948年創業のユッケジャン専門店
- チンコルモク食堂(진골목식당)
- 住所:大邱市中区チンコルモクキル9-1(鍾路2街66-5)
- 住所:대구시 중구 진골목길 9-1(종로2가 66-5)
- 電話:053-253-3757
- 備考:ユッケジャンとともにユッククスも提供
- ハニル食堂(한일식당)
- 住所:大邱市中区慶尚監営キル112-1(布政洞54-5)
- 住所:대구시 중구 경상감영길 112-1(포정동 54-5)
- 電話:053-254-0028
- 備考:タロクッパプ専門店
<地方>
- テファユッケジャン(태화육개장)
- 住所:釜山市釜山鎮区西面文化路18(釜田洞397-21)
- 住所:부산시 부산진구 서면문화로 18(부전동 397-21)
- 電話:051-802-5995
- 備考:釜山では古い歴史を誇るユッケジャン専門店
- ウジンヘジャンクッ(우진해장국)
- 住所:済州道済州市西沙路11(三徒2洞831)
- 住所:제주도 제주시 서사로 11(삼도2동 831)
- 電話:064-757-3393
- 備考:済州島式のコサリユッケジャンを提供
脚注
- ↑ 육개장, 규곤요람(1896) 、韓国伝統知識ポータル、2017年7月5日閲覧
- ↑ 육개장, 시의전서(1800년대말) 、韓国伝統知識ポータル、2017年7月5日閲覧
- ↑ 육개장, 조선요리제법(1921) 、韓国伝統知識ポータル、2017年7月5日閲覧
- ↑ 李用基, 1930, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P61
- ↑ 육개장, 조선무쌍신식요리제법(1936) 、韓国伝統知識ポータル、2017年7月5日閲覧
- ↑ 별건곤 제7호 雜同散異 臨時大淸潔 、韓国史データベース、2017年7月5日閲覧
- ↑ 별건곤 제23호 2일 동안에 서울 구경 골고로 하는 法, 시골親舊 案內할 路順...... 、韓国史データベース、2017年7月5日閲覧
- ↑ 별건곤 제24호 大邱의 자랑 大邱의 大邱湯飯, 珍品·名品·天下名食 八道名食物禮讚 、韓国史データベース、2017年7月5日閲覧
- ↑ ホ・ヨンマン, 2004, 『食客 第8巻』, 金栄社, P174
- ↑ 육개장 사발면 、農心ウェブサイト、2017年7月5日閲覧
- ↑ コリアうめーや!!第89号 大邱のテグタンは本当にあるのだ!! 、韓食生活、2017年7月5日閲覧
外部リンク
- 制作者関連サイト
- 韓食生活(韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
- 八田靖史プロフィール(八田靖史のプロフィール)