「ヤックァ(蜜入りの揚げ菓子/약과)」の版間の差分

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:ヤックァを語る際に、「韓菓(ハングァ、[[한과]])」、「油蜜菓(ユミルグァ、[[유밀과]])」といった用語の使い分けで混乱を招くことがままある。
 
:ヤックァを語る際に、「韓菓(ハングァ、[[한과]])」、「油蜜菓(ユミルグァ、[[유밀과]])」といった用語の使い分けで混乱を招くことがままある。
:韓菓は伝統菓子の総称であり、油蜜菓は韓菓の中のひとつである。韓菓にはほかに、ユグァ(油菓、小麦粉や米粉の生地を揚げて蜜や炒り米を貼った菓子、[[유과]])、チョングァ(果物や野菜の蜜漬け、[[정과]])、カンジョン(穀物を蜜で固めた菓子、[[강정]])などがある。
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:韓菓は伝統菓子の総称であり、油蜜菓は韓菓の中のひとつである。韓菓にはヤックァのほかに、ユグァ(油菓、小麦粉や米粉の生地を揚げて蜜や炒り米を貼った菓子、[[유과]])、チョングァ(果物や野菜の蜜漬け、[[정과]])、カンジョン(穀物を蜜で固めた菓子、[[강정]])などがある。
 
:油蜜菓は小麦粉や米粉の生地を練って油で揚げ、蜂蜜や水飴などを絡めた菓子を総称する。ヤックァは油蜜菓の中の代表的なひとつである。油蜜菓にはほかに、マンドゥグァ(半月型の揚げ菓子、[[만두과]])、タシックァ(型を用いた揚げ菓子、[[다식과]])、メジャックァ(生地を手綱型にねじった揚げ菓子、[[매작과]])などがある。
 
:油蜜菓は小麦粉や米粉の生地を練って油で揚げ、蜂蜜や水飴などを絡めた菓子を総称する。ヤックァは油蜜菓の中の代表的なひとつである。油蜜菓にはほかに、マンドゥグァ(半月型の揚げ菓子、[[만두과]])、タシックァ(型を用いた揚げ菓子、[[다식과]])、メジャックァ(生地を手綱型にねじった揚げ菓子、[[매작과]])などがある。
 
:高麗時代、朝鮮時代の文献には、ヤックァとして登場するものだけでなく、油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)と書かれたものも多い。これらはヤックァとほぼ同義であるが、厳密には他の菓子をも含む総称である。ヤックァの歴史を紐解く場合はこれらの表記で書かれた文献も参照する必要があり、結果としてヤックァの話をしながらも油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)などの用語が混在するため注意が必要である。
 
:高麗時代、朝鮮時代の文献には、ヤックァとして登場するものだけでなく、油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)と書かれたものも多い。これらはヤックァとほぼ同義であるが、厳密には他の菓子をも含む総称である。ヤックァの歴史を紐解く場合はこれらの表記で書かれた文献も参照する必要があり、結果としてヤックァの話をしながらも油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)などの用語が混在するため注意が必要である。

2024年7月2日 (火) 23:04時点における版

この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。
ヤックァ

ヤックァ약과)は、蜜入りの揚げ菓子。

名称

市販のヤックァ

ヤックァは漢字で「薬果」と書いて、ヤッ(薬、약)は蜂蜜やゴマ油など栄養価の高いものが入っているということ。クァ(果、과)は「果物」を意味する(後述する「語源」の項目も参照)。菓子の「菓」ではなく、果物の「果」が正しい[1]。日本語ではヤッカなどの表記も見られるが、本辞典では「ヤックァ」を使用する。発音表記は〔약꽈〕。

  • 日本語訳
端的な訳として定着した事例は確認できず、「〇〇な揚げ菓子」「〇〇な伝統菓子」といった説明調の訳や、似た菓子になぞらえて「韓国式ドーナツ」「蜂蜜クッキー」などとする訳が見られる。「伝統的な」「小麦粉生地の」「花模様の」「蜜入りの」「蜂蜜入りの」といった補足を加えることも多い。本辞典では当初「小麦粉生地の揚げ菓子」を用いていたが、生地にもち粉を加える調理法があることや、名称の由来に蜂蜜がかかわっていることなどを考慮して「蜜入りの揚げ菓子」と変更した(2023年8月9日)。「蜂蜜入りの~」としなかった理由は、蜂蜜のかわりに水飴や溶かした砂糖を加える調理法もあるからである。

概要

伝統茶店で提供されるヤックァ(写真右)

小麦粉に蜂蜜、ゴマ油、酒、ショウガ汁などを混ぜて生地を作り、花模様などに成形して油で揚げ、全体に蜂蜜や水飴を絡める。主材料にもち粉を加える場合や、形状を四角形に仕立てたもの、ナツメや松の実などを飾りとしてあしらったものなどもある。韓国の伝統菓子としてはもっとも代表的なひとつであり、著名な作家、歴史家の崔南善(チェ・ナムソン、최남선)は、1946年に出版した『朝鮮常識問答(조선상식문답)』で、ヤックァについて「朝鮮でこしらえる菓子の中で一番高級なものである」と語っている[2][3]。日常の間食として親しまれるほか、伝統的な祝い膳や、儀礼膳、祖先を祀る祭祀膳にも用いられる。伝統菓子店、餅店、スーパー、コンビニなどで広く販売されており、伝統茶店やカフェで提供されることもある。近年はアイスクリームや生クリームを載せて食べたり、他の菓子類と融合させるなど、新たな楽しみ方も見出されている。かつて高麗の都であった黄海北道開城市が本場として知られ、四角形に作ったものはケソンヤックァ(開城式のヤックァ、개성약과)とも呼ばれる。京畿道水原市の郷土菓子でもある。

韓菓>油蜜菓>ヤックァ

マンドゥグァ
ヤックァを語る際に、「韓菓(ハングァ、한과)」、「油蜜菓(ユミルグァ、유밀과)」といった用語の使い分けで混乱を招くことがままある。
韓菓は伝統菓子の総称であり、油蜜菓は韓菓の中のひとつである。韓菓にはヤックァのほかに、ユグァ(油菓、小麦粉や米粉の生地を揚げて蜜や炒り米を貼った菓子、유과)、チョングァ(果物や野菜の蜜漬け、정과)、カンジョン(穀物を蜜で固めた菓子、강정)などがある。
油蜜菓は小麦粉や米粉の生地を練って油で揚げ、蜂蜜や水飴などを絡めた菓子を総称する。ヤックァは油蜜菓の中の代表的なひとつである。油蜜菓にはほかに、マンドゥグァ(半月型の揚げ菓子、만두과)、タシックァ(型を用いた揚げ菓子、다식과)、メジャックァ(生地を手綱型にねじった揚げ菓子、매작과)などがある。
高麗時代、朝鮮時代の文献には、ヤックァとして登場するものだけでなく、油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)と書かれたものも多い。これらはヤックァとほぼ同義であるが、厳密には他の菓子をも含む総称である。ヤックァの歴史を紐解く場合はこれらの表記で書かれた文献も参照する必要があり、結果としてヤックァの話をしながらも油蜜菓(油蜜果)、蜜菓(蜜果)などの用語が混在するため注意が必要である。

語源

ヤックァの語源は「ヤッ(薬)」と「クァ(果)」のそれぞれに背景があり、文献上の記録も豊富であるため、両者を分けて詳述する。

薬(약)の語源

ヤックァの「ヤッ()」は漢字で「薬」と書いて薬を意味する。薬食同源(약식동원)の思想から、韓国では身体によいものを「薬()」と表現することが多い。類例にヤッパプ(薬ごはん=韓国式のおこわ/약밥)、ヤクス(薬水=湧水、약수)、ヤクチュ(薬酒=薬酒、清酒、약주)、ヤッコチュジャン(薬コチュジャン=モチ米を材料にトウガラシを多めに入れ作った良質のコチュジャン、약고추장)などがある。ヤックァに用いる小麦粉、蜂蜜、ゴマ油はいずれも栄養価が高く、かつては貴重な食材であった。ヤックァを「薬」と表現する理由については朝鮮時代の文献でも多く解説されており、代表的なものに以下がある。
『芝峰類説』(1614年)の記述
朝鮮時代中期の学者、李睟光(イ・スグァン、이수광)が1614年に編纂した『芝峰類説(지봉유설)』にはヤックァについての記述があり、「蜜果のことを薬果と呼ぶ。麦は四季の精力を受けて育ち、蜂蜜は百薬の長、油は虫を殺すことができる」【原文1】とその薬効を紹介している。
【原文1】蜜果謂之藥果者 麥爲四時之精 蜜是百藥之長 油能殺蟲故也
『雅言覚非』(1819年)の記述
朝鮮時代後期の学者、丁若銓(チョン・ヤクチョン、정약전)が1819年に書いた語源研究書『雅言覚非(아언각비)』にはヤックァについての記述があり、「我が国の言葉では蜜を薬と呼ぶ。ゆえに蜜酒を薬酒、蜜飯を薬飯、蜜果を薬果と呼ぶ」【原文2】と説明している。
【原文2】按東語蜜謂之藥 故蜜酒曰藥酒 蜜飯曰藥飯 蜜果曰藥果

果(과)の語源

ヤックァは後述する「歴史」の項目でも触れるように、三国時代から高麗時代にかけて仏教とのかかわりの中で普及が進んだ。茶菓子や仏教行事の宴会食として用いられたほか、祖先を祀る祭祀膳にも捧げられたが、仏教では殺生を禁じるため、魚肉の代わりとして油蜜菓(蜜を絡めた揚げ菓子、유밀과)が用いられた。朝鮮時代前期の学者、成俔(ソン・ヒョン、성현)が1525年に刊行した『慵斎叢話(용재총화)』には、「蜜果(=油蜜菓)はすべて鳥や動物の形に作って用いる」【原文3】と書かれており、単なる代替ではなく形状を模して作っていたことがわかる。同様に祭祀用の果物を模して作ることもあり、朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)は著書『星湖僿説(성호사설)』の中で、果物の「果」がヤックァの名称として残ったと説明している(下記参照)。現代でも祭祀膳(제사상)の5列目には、一般に「棗栗梨柿(ナツメ、クリ、ナシ、カキ、조율이시)」と総称される果物と並んでヤックァなどの韓菓(한과)が配置される。
【原文3】蜜果皆用鳥獸之形
『星湖僿説』(1760年頃?)の記述
朝鮮時代後期の学者、李瀷(イ・イク、이익)が1760年頃に書いたとされる百科事典『星湖僿説(성호사설)』には、ヤックァに関する記述があり、以下のように名称のルーツと形状の変化について述べている。
「このような菓子を我が国の人は通称『造果』と言うが、たいてい本物の果物ではなく偽物として作ったものを世間ではすべて『造果』と呼ぶ。 推測するに、最初は小麦生地で果物の形を真似て作ったもののようだ。 それでこのような名前を持つようになり、後世の人たちがその形に習って作るのに、丸いと器に高く積み上げられないため、四角く切って作ったのだが、果物という名前はそのまま残っている。 今日の風俗でも祭祀を行うときには、この『造果』を果物の間に並べることから見て、よりいっそう推察できる」[4]【原文4】
【原文4】此類東人又通謂之造果凡非真而假為者俗諺皆謂之造意者其初以蜜麪造為果品之形扵是有是名後人妨其形圓不能累髙故方㘦為之而果之稱猶存也今祀享陳扵果品之間則尤驗矣
『古芸堂筆記』(1792~1793年頃?)の記述
朝鮮時代後期の学者、柳得恭(ユ・ドゥッコン、유득공)が1792~1793年にかけて書いたとされる『古芸堂筆記(고운당필기)第3巻』には、「俗語改正」と題された文章があり、「油と蜂蜜を加えて揚げた小麦粉の生地を『薬果(ヤックァ)』と呼ぶが、もともと薬ではなく、かといって果物でもない。蜜に漬けた果物を『正果(チョングァ)』と呼ぶが、であれば蜜に漬けていないものは『邪果』であるか?」[5]【原文5】と批判的に述べている。
【原文5】油蜜煎麪曰“藥果”,旣非藥也,又非果也。以蜜漬果曰“正果”,不漬蜜者爲邪果耶?

歴史

慶尚北道奉化郡のタルシル村で作られているハングァ(伝統菓子)のセット。中央がヤックァ

三国時代

三国時代に中国から仏教とともに喫茶の習慣が伝わり、茶に添える菓子類が盛んに作られるようになった。直接的な記録はないが、『三国遺事』の「駕洛国記」に王族の祭祀を行う際の供物として「菓」の文字が書かれていること[6]や、『三国史記』「新羅本紀」にて神文王3年(683年)2月に王妃を迎える際の礼物として米、油、蜂蜜など菓子作りに必要な素材が含まれていること[7]が根拠として多く掲げられる。
朝鮮時代後期の学者、:李瀷(イ・イク、이익)が1760年頃に書いたとされる百科事典『星湖僿説(성호사설)』には、ヤックァに関する記述があり、中国戦国時代(紀元前5~3世紀)の政治家、屈原のまとめた詩集『楚辞』内の「招魂賦」にあげられた3種の菓子、粔籹、蜜餌、餦餭のうち、粔籹がパッケ(蜜入りの揚げ焼き菓子、박계)、蜜餌がヤックァ、餦餭は飴菓子に相当するのではないかと述べている[8]。この考察を正しいとすれば、ヤックァのルーツは中国戦国時代までさかのぼるとも考えられる。

高麗時代

高麗王朝は仏教を手厚く保護し、国家的な行事として燃灯会や八関会といった仏教儀式を行った。こうした大々的な行事の宴会食に油蜜菓は多く用いられ、また王族や両班らの私的な宴会や祭祀においても盛んに作られた[9]。1296年には、忠烈王(第25代)が王太子(のちの忠宣王、第26代)の婚姻に際して元まで赴いた際、宴席に油蜜菓を持参したことが『高麗史』に記されている[10]。当時の元では高麗の文化が「高麗様」と呼ばれて流行したが、油蜜菓も「高麗餅(コリョビョン、고려병)」の名前で人気を博した。
一方で、油蜜菓は小麦粉、油、蜂蜜など、当時としてはたいへん高価な材料ばかりを使っていたため、国家の財政逼迫を招く一因ともなり、贅沢と浪費を戒める意味から高麗王朝ではたびたび禁止令を出した。『高麗史』には1192年[11]、1282年[12][13]、1310年[14]、1333年[15]、1353年[16]、1391年[17]に油蜜菓を禁じた記録が残り、その後の朝鮮時代においても何度となく禁止令が出されている。

朝鮮時代

ヤックァに関する記録は朝鮮時代の文献に数多く見られる。『飲食知味方(음식디미방)』、『閨閤叢書(규합총서)』、『是議全書(시의전서)』といった有名な料理書にレシピが掲載されているほか、『芝峰類説(지봉유설)』、『星湖僿説(성호사설)』といった百科辞典的な書籍では語源や歴史的背景について紹介されている。朝鮮王朝の公的な記録にも残り、宮中での宴会料理や、王への進上品としても用いられていたことがわかる。『朝鮮王朝実録(조선왕조실록)』には1424年10月(世宗6年)に、第4代王の世宗が狩りに出た際、臣下からヤックァを献上された記録が残っている(未確認メモ:油蜜菓ではなく「ヤックァ(薬果)」として書かれた文献的な記録はこれが初出ではないだろうか?)[18]

現代

ヤックァマドレーヌ

2020年代

2020年代の前半より、YouTubeなどの動画サイトにおいてヤックァを扱ったモッパン(食事動画、먹방)が流行した。ヤックァの食感を活かしたASMR動画や、アイスクリームや生クリームをトッピングして食べる動画が人気を集め、トレンドのアイテムとして注目されるようになった。中でも、人気YouTuberのヨスオンニ チョン・ヘヨン(여수언니 정혜영)氏が2021年3月15日に投稿した動画[19]は、京畿道議政府市の伝統菓子店「匠人韓菓(장인한과)」のパジヤックァ(形の崩れたヤックァ、파지약과)を全国的な人気商品に押し上げるきっかけとなり、後にオンライン購入の難易度から「ヤッケッティング(ヤックァとチケットを購入することを意味するチケッティングの合成語、약켓팅)」という流行語を生むにも至った。2021年11月24日に放送されたKBS「統合ニュースルームET(통합뉴스룸ET)」では、KB国民カードの売上高データをもとに、2021年に店舗数や売上高の伸びた4料理として、マーラータン(麻辣湯、마라탕)、ロゼソース(로제소스)料理、トゥルギルムマッククス(エゴマ油そば/들기름막국수)とともにヤックァを取り上げた[20]
その後もヤックァのブームは拡大し、2022~23年にはヤックァをアレンジしたスイーツがカフェやコンビニなどに急増した。ヤックァをクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子と組み合わせたものや、ヤックァ味のアイスクリーム、ヤックァをトッピングしたピンス(かき氷/빙수)などが話題を集めている。

種類

  • モヤックァ(四角いヤックァ、모약과
ケソンヤックァ(開城式のヤックァ、개성약과)とも呼ばれる
  • ヨニャックァ(柔らかいヤックァ、연약과
  • テヤックァ(大サイズのヤックァ、대약과
  • チュンヤックァ(中サイズのヤックァ、중약과
  • ソヤックァ(小サイズのヤックァ、소약과

日本における定着

韓国スーパー、韓国食材店でヤックァが販売されている。2023年の春頃から韓国でのブームを受けて、東京、新大久保のカフェを中心に自家製のヤックァや、ヤックァを用いたスイーツが販売され始めた。

エピソード

ヤックァ入りアイスクリーム
  • その程度はヤックァ
韓国語の慣用表現に「그 정도는 약과(その程度はヤックァ)」があり、この場合のヤックァは「たいしたことではないこと」「たやすいこと」を意味する。一説によれば、かつて貴重品だったヤックァを、来客がなんの遠慮もなしに食べたことに対し、そういう厚顔な人物がほかにもあれこれご馳走を要求せず、ヤックァだけで済んだことをむしろよかったと表現したことが転じて、上記の意味となった[21]。なお、2022年12月にコンビニの「CU」からヤックァ入りアイスクリームの「이정도는약과지(この程度はヤックァだ)」が発売された。
  • タルシル村のヤックァ
韓食ペディアの執筆者である八田靖史は、2015年10月に慶尚北道奉化郡のタルシル村(달실마을)で、安東権氏(안동권씨)の一族が祭祀用として作るハングァ(韓菓、한과)を取材し、そこで手作りのヤックァを食べた。層状になった生地はサクサクと軽く、ほどよい甘味とショウガの香りがマッチして、ヤックァのイメージが変わるほどの衝撃を受けた。

地域

  • 京畿道水原市
京畿道水原市のヤックァは古くから名声を誇り、朝鮮時代の文献にもたびたび登場する。朝鮮時代後期の医官、柳重臨(ユ・ジュンニム、유중림)が1766年に増補編纂した『増補山林経済(증보산림경제)』には、水原府(当時)法と付記されたヤックァのレシピが紹介されている[22]。また、朝鮮時代後期の学者、丁若鏞(チョン・ヤギョン、정약용)が1818年に書いた『牧民心書(목민심서)』には、水原府(当時)のヤックァは国中で有名であり、第16代王の仁祖が病気で食欲をなくした際、使いを送って求めようとしたところ、水原府使の趙啓遠(チョ・ゲウォン、조계원)が朝命なしに私的な要求に応えることはできないと断ったとのエピソードを紹介している[23]【原文6】。
【原文6】趙啓遠爲水原府使,府之蜜麪,【俗名藥果】 名於國中。仁祖違豫時,御廚無可口者。中官使人求之,公答曰:“州府私獻,非人臣事君之體,非有朝命不可。” 仁祖聞之,笑曰:“雖曰君臣,獨無戚聯之情乎?”
  • 黄海北道開城市
開城市はヤックァが大きく発展した高麗時代の都であり、現代でも開城市の郷土料理として知られる。朝鮮民主主義人民共和国料理サイトでは、開城・京畿道地方の料理として、ケソンヤックァ(開城式のヤックァ、개성약과)の項目がある[24]。ケソンヤックァは四角く作るのがひとつの特徴であり、モヤックァ(角のあるヤックァ、모약과)とも呼ばれる。

飲食店情報

以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。

  • Dosikhwa(도식화)
住所:ソウル市麻浦区臥牛山路17キル19-9(西橋洞409-19)
住所:서울시 마포구 와우산로17길 19-9(서교동 409-19)
電話:0507-1342-7937
料理:ヤックァマドレーヌ
  • マンナダン(만나당)
住所:ソウル市江南区論峴路175キル61(新沙洞550-9)
住所:서울시 강남구 논현로175길 61(신사동 550-9)
電話:010-8654-3312
料理:ヤックァ
  • 五嘉茶西大門文化日報店(오가다 서대문문화일보점)
住所:ソウル市中区セムナン路22(忠正路1街68)
住所:서울시 중구 새문안로 22(서교동 409-19)
電話:02-732-7800
料理:ヤックァピンス(ヤックァかき氷)
  • オボクトッチプ(오복떡집)
住所:ソウル市城東区聖徳亭キル32(聖水洞1街142-3)
住所:서울시 성동구 성덕정길 32(성수동1가 142-3)
電話:02-461-7789
料理:ヤックァソルギ(ヤックァ蒸し餅)

脚注

  1. 약과 、国立国語院「標準国語大辞典」、2023年8月9日閲覧
  2. 崔南善 著, 相場清 訳, 1965, 『朝鮮常識問答 朝鮮文化の研究』, 宗高書房, P35-36
  3. 조선상식문답(館外利用無料図書の検索結果) 、韓国国立中央図書館、2023年7月25日閲覧
  4. 星湖僿説 / 第4巻萬物門(粔籹蜜餌) 、韓国古典総合DB、2023年7月2日閲覧
  5. 古芸堂筆記 第3巻/俗語改正 、韓国古典総合DB、2023年7月24日閲覧
  6. 三国遺事 > 巻 第二 > 紀異第二 > 駕洛国記 > 伽耶滅亡以後の伽耶王たちの祭祀(가야 멸망 이후 가야왕들의 제사) 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧
  7. 三国史記 > 新羅本紀 第八 > 神文王 > 金欽運の娘を夫人として迎えるために結納を取り交わす(김흠운의 딸을 부인으로 맞이하기 위해 납채하다) 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧
  8. 星湖僿説 / 第4巻萬物門(粔籹蜜餌)) 、韓国古典総合DB、2023年7月2日閲覧
  9. 『韓国文化史10巻』(자연과 정성의 산물, 우리 음식 > 제2장 국가 의례의 음식 > 3. 왕과 왕비가 혼인하다) 、国史編纂委員会(우리역사넷)、2023年7月22日閲覧
  10. 高麗史 > 世家 巻第31 > 忠烈王22年 > 11月 > 王太子が晋王の娘と結婚(세자가 진왕의 딸에게 장가들다) 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  11. 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  12. 高麗史 > 世家 巻第29 > 忠烈王8年 > 9月 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  13. 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  14. 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令 、韓国史データベース、2023年7月22日閲覧
  15. 高麗史 > 世家 巻第35 > 忠粛王(後)2年 > 陰3月 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  16. 高麗史 > 世家 巻第38 > 恭愍王2年 > 8月 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  17. 高麗史 > 志 巻第39 > 刑法 二 > 禁令 、韓国史データベース、2023年7月23日閲覧
  18. 朝鮮王朝実録(世宗実録 世宗6年10月2日) 、朝鮮王朝実録、2023年7月24日閲覧
  19. SUB)먹방 VLOG)엽떡로제떡볶이&허니콤보&노랑고래 차돌떡볶이 인생약과 아귀찜&버터치킨&대왕치즈스틱 디저트파티 빵어디까지먹어봤니 크로플 틈새떡볶이 신상과자들 MUKBANG 、여수언니 정혜영[Yeosu Unnie]チャンネル、2023年8月9日閲覧
  20. [ET ‘마라’부터 ‘약과’까지…올 유행 음식템은?] 、KBSニュース、2023年8月9日閲覧
  21. '그 정도면 약과' 왜 약과가 다행을 의미할까? 、YTN、2023年2月13日閲覧
  22. [ (朝鮮) 洪萬選 [著], (朝鮮) 柳重臨 増補, 1766, 『増補山林経済 巻5』] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号21-22)、2023年8月9日閲覧
  23. 牧民心書 卷三 / 奉公六條 / 貢納 、韓国古典総合DB、2023年8月9日閲覧
  24. 개성, 경기도지방의 료리 、朝鮮料理、2023年8月9日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目