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'''楊口郡'''(ヤンググン、양구군)は[[江原道の料理|江原道]]の北部に位置する地域。本ページでは楊口郡の料理、特産品について解説する。
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'''チャジャンミョン'''[[짜장면]])は、韓国式ジャージャー麺。漢字では「炸醤麺」と書き、チャジャン(炸醤、[[짜장]])は炒め味噌、ミョン(麺、[[]])は麺を意味する。韓国語では「[[자장면]]」とも表記する。豚肉、タマネギなどを、チュンジャン(春醤、[[춘장]])という黒味噌とともに炒め、水溶き片栗粉でとろみをつけてチャジャンを作る。これを中華麺にかけて提供し、食べる際は麺とチャジャンがよくからむように、箸で全体をよくかき混ぜて味わう。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされ、韓国では[[チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)]]と並んで中華料理の代表格として人気が高い。主に中華料理店で食べられるほか、粉食店やフードコートでも提供される。インスタント麺としてもチャジャンミョンは多くの商品が販売されている。チャジャンミョンのバリエーションとしては、[[カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)]]や、サムソンチャジャンミョン(3種の海鮮ジャージャー麺、[[삼선짜장면]])、ユニチャジャンミョン(豚ひき肉ジャージャー麺、[[유니짜장면]])、ユスルチャジャンミョン(豚細切り肉ジャージャー麺、[[유슬짜장면]])などがある。また、チャジャンを麺ではなくごはんにかけたものは[[チャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)]]と呼ぶ。
 
 
 
 
== 地域概要 ==
 
楊口郡は[[江原道の料理|江原道]]の北部に位置する地域。市の北部は[[北朝鮮の料理|北朝鮮]]との軍事分界線に面し、東部から南東部にかけては[[江原道の料理|江原道]][[麟蹄郡の料理|麟蹄郡]]、南西部は[[春川市の料理|春川市]]、西部は[[華川郡の料理|華川郡]]、北西部は[[鉄原郡の料理|鉄原郡]]とそれぞれ接する。人口は2万1705人(2022年1月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2022年2月19日閲覧</ref>で、[[江原道の料理|江原道]]ではもっとも少ない。郡の東部は太白山脈(テベクサンメク)の一角を成し、そこから南西方向に伸びる山々が地域全体にまたがる山岳地形である。地域の中心部は中央部にあって、その周囲を楊口西川(ヤングソチョン、양구서천)が流れ、隣接する[[華川郡の料理|華川郡]]にまたがる人工湖の破虜湖(パロホ、파로호)へと注ぐ。[[北朝鮮の料理|北朝鮮]]も含めた国土の中心点が南面桃村里山48(ナムミョン トチョンニ サン サシプパル、남면 도촌리 산 48)の位置にあり、一帯は人体のへそに例えてペコプマウル(배꼽마을、直訳はへその村)と呼ばれる。周辺には天文台やキャンプ場があって観光地として賑わうほか、夏にはペコプ祭り(배꼽축제、直訳はへそ祭り)が開かれる。そのほか代表的な観光地として、民間人統制線区域内に位置する美しい渓谷の頭陀淵(トゥタヨン、두타연)や、朝鮮戦争において激しい戦闘があったことでも知られるパンチボウル (펀치볼)地区などがある。[[ソウル市の料理|ソウル市]]から楊口郡までのアクセスは、高速バスで東ソウル総合ターミナルから楊口市外バスターミナルまで約1時間50分の距離である。
 
 
 
== 食文化の背景 ==
 
山間部の地域であり、オタカラコウ([[곰취]])などの山菜料理や、アスパラガス([[아스파라거스]])などの高原野菜、果樹栽培が盛んである。パンチボウル (펀치볼)地区で生産されるシレギ(干した大根の葉、[[시래기]])が特産品として有名であり、これをシレギナムル(干した大根の葉のナムル、[[시래기나물]])や、シレギタッチム(干した大根の葉と鶏の煮込み、[[시래기닭찜]])、[[テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)]]などに加えたシレギ定食としても提供される。一般的にシレギといえば、[[カクトゥギ(大根の角切りキムチ/깍두기)]]などの大根キムチを作る際、残った葉を有効活用するものだが、パンチボウル地区では大根が大きく育つ手前の段階で収穫し、葉の柔らかさを活かしているのが特徴である。また、楊口郡は江原道の道庁所在地である春川市から東海岸の束草市や襄陽郡に抜ける中間にあり、現在のように高速道路が整備される以前は、移動途中の食事需要が多かった。そこで人気を集めた料理のひとつに郷土料理のオゴルゲスップルグイ(烏骨鶏の炭火焼き、[[오골계숯불구이]])がある。
 
 
 
== 代表的な料理 ==
 
*コムチィチンパン(オタカラコウの蒸しパン/곰취찐빵)
 
*オゴルゲスップルグイ(烏骨鶏の炭火焼き/오골계숯불구이)
 
 
 
== 代表的な特産品 ==
 
*シレギ(干した大根の葉/시래기)亥安面
 
  
== 代表的な酒類・飲料 ==
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== 歴史 ==
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1883年に[[仁川市の料理|仁川市]]で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。彼らの伝えた代表的な中華料理のひとつがチャジャンミョンであり、当初は同胞向けに作って食べたものが、徐々に韓国でもローカライズして浸透した。当時の代表的な中華料理店としては1908年頃に創業した「共和春(공화춘)」があり、1983年に閉店したが、その跡地は現在「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として歴史を伝えている。
  
== 飲食店情報 ==
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*共和春
以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
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:共和春(コンファチュン、공화춘)は、中国・山東省出身の于希光(ウ・ヒグァン、우희광)氏によって開かれた中華料理店。創業年代は1905年と1908年の両説があり(チャジャンミョン博物館では1908年と説明している<ref>[https://www.icjgss.or.kr/jajangmyeon/introduction/history.asp 역사적배경] 、チャジャンミョン博物館ウェブサイト、2019年5月2日閲覧</ref>)、当時は「山東会館(산동회관)」という名称の宿泊施設を兼ねた飲食店であった。店名を「共和春」としたのは辛亥革命によって中華民国が誕生した1912年で「共和国の春」という意味が込められている。韓国における中華料理店の草分けとして長らく愛されてきたが、1983年に閉店。同店の建物は2006年4月に登録文化財第246号として指定されたのち<ref>[http://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do?pageNo=5_2_1_0&ccbaCpno=4412302460000 등록문화재 제246호 인천 선린동 공화춘(共和春)] 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2019年5月2日閲覧</ref>、2012年4月に「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として利用されるに至った。なお、現在のチャイナタウンには「共和春」の後継とされる店がふたつある。ひとつは2004年2月に開店した同名の「共和春」で、かつて「共和春」で料理長を務めていた人物を株式会社共和春フランチャイズの代表イ・ヒョンデ(이현대)氏が招聘し新たに始めたものである<ref>[http://gonghwachun.co.kr/welcome 대표인사말] 、共和春ウェブサイト、2019年5月2日閲覧</ref><ref>[http://www.powerkoream.co.kr/news/articleView.html?idxno=1103983 짜장면의 원조 공화춘, 그 잊혀진 맛을 되살리다 공화춘 이현대 대표] 、月刊パワーコリア(2017年2月15日記事)、2019年5月2日閲覧</ref>。もうひとつは于希光氏の娘であるウ・ランヨン(우란영)氏と結婚したワン・イビョン(왕입영)氏が、「共和春」での修行を経て1980年に開店した「新勝飯店(신승반점)」である<ref>[http://daily.hankooki.com/lpage/life/201708/dh20170819070833138910.htm [주간한국] [이야기가 있는 맛집(289)] ‘신승반점’ 왕애주 대표] 、デイリー韓国(2017年8月19日記事)、2019年5月2日閲覧</ref>。現在「新勝飯店」の代表はワン・イビョン、ウ・ランヨン夫婦の娘であり、また于希光の孫に当たるワン・エジュ(왕애주)氏が受け継いでおり、店名は異なるもののこちらを直系の後継店と考える人も多い。
 
*シレウォン(시래원)
 
:住所:江原道楊口郡南面烽火山路457(桃村里192-13)
 
:住所:강원도 양구군 남면 봉화산로 457(도촌리 192-13)
 
:電話:033-481-4200
 
:料理:シレギジョンシク(干し大根葉の定食)
 
  
 
== エピソード ==
 
== エピソード ==
韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2016年4月に初めて楊口郡を訪れた。パンチボウル地区を訪れ、名産であるシレギ(干した大根の葉、[[시래기]])の柔らかくも滋味深い味わいに感激した。また、そのパンチボウル地区を一望できる乙支展望台(ウルチチョンマンデ、을지전망대)においては、すり鉢状になった独特の地形と、その背後すぐのところに軍事分界線が迫る光景が、まさしく朝鮮戦争と分断の象徴に見えて圧倒された。
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=== ブラックデー ===
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ブラックデー([[블랙데이]])は、チャジャンミョンを食べるイベントデー。2月14日のバレンタインデー([[밸런타인데이]])、3月14日のホワイトデー([[화이트데이]])に縁のなかった人たちが集まり、全身を黒い服装で包み、嫉妬交じりのどす黒い気持ちを共有しながら、真っ黒い食べ物であるチャジャンミョンを味わう黒尽くしの1日を指す。凝る人であればアクセサリーなども黒で統一し、食後にはブラックコーヒーを飲む。単にチャジャンミョンを食べるだけでなく、合コンを兼ねることでカップルが誕生することもある。ブラックデーに付き合い始めたカップルは1ヶ月後の5月14日にローズデー(로즈데이)を迎えてバラを贈り合うなどの習慣もあるが、ブラックデーにチャジャンミョンを食べる友人さえいなかった人は、5月14日のイエローデー([[옐로우데이]])に黄色い服を着て[[カレライス(カレーライス/카레라이스)]]を食べなければならない。
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==== ブラックデーの由来 ====
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;『京郷新聞』(1993年3月15日)の記述
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:1993年3月15日付けの京郷新聞には「"私を困らせたらひどい目に遭う" 『ブラックデー』まで登場("나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장)」という記事があり、百貨店などにおけるホワイトデーの盛り上がりを取り上げたうえで、「今年は『ブラックデー』というまた違った正体不明の記念日が新しく作られ漸入佳境である(올해는 「블랙데이」라는 또다른 정체불명의 기념일이 새롭게 만들어져 점입가경이다)」と伝えている<ref name="kyunghyang">[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1993031500329123009&editNo=12&printCount=1&publishDate=1993-03-15&officeId=00032&pageNo=23&printNo=14701&publishType=00010 "나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장] 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧</ref>。この記事によればブラックデーとは、「普段、自身を困らせている人に"飴を食べろ(俗語で「クソくらえ」「ひどい目に遭え」という意味を指す)"という意味で飴をプレゼントするもの(평소 자신의 속을 썩였던 사람에게 "엿먹어라"는 뜻으로 엿을 선물한다는 것)」であり、また「ホワイトデーをもとに日付も1ヶ月後の同じ日である4月14日と定めたブラックデーは、その名前が示すように、青少年たちにとっては『恐喝性』の愛情表現として受け入れられている(화이트데이를 본떠 날짜도 한달뒤 같은 날인 4월14일로 잡혀있는 블랙데이는 그 이름이 보여주듯 청소년들에게는 「공갈성」 애정표현으로 받아들여지고 있다)」と説明されている。この記事から判断するに、日付は当初から4月14日であったものの、その内容は現在と大きく異なるものであった<ref name="kyunghyang"></ref>。
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;『東亜日報』(1996年2月10日)の記述
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:現在のようにチャジャンミョンを食べる日としてのブラックデーは、1996年2月10日付けの東亜日報に見える。同記事では「最近は『ブラックデー』まで登場した。4月14日のブラックデーはバレンタインデーやホワイトデーに何ももらえなかった『ハズレ男』と『ハズレ女』たちが黒い服を着て、食事も真っ黒いチャジャンミョンを食べ、ブラックコーヒーだけを飲む日だということで名付けられた名称(최근에는 「블랙데이」까지 등장했다. 4월14일인 블랙데이는 밸런타인데이나 화이트데이에 아무것도 못받은 「꽝맨」과 「꽝우먼」들이 검은 옷으로만 차려입고 식사도 시커먼 자장면을 먹고 블랙커피만 마시는 날이라고 해서 붙여진 명칭)」<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1996021000209121007&editNo=45&printCount=1&publishDate=1996-02-10&officeId=00020&pageNo=21&printNo=23108&publishType=00010 "美國(미국)선 밸런타인데이 조용히 지내요" 한국과 달리 남성이 여성에게 꽃-초콜릿 선물] 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧</ref>としている。両記事における2種類のブラックデーに直接の関連性があるかはこれだけで判断できないものの、時代的な変遷から考えると、ホワイトデーに飴を贈る習慣が1990年代前半に「飴を食べろ」という俗語と結びつき、反語としてブラックデーという用語が生まれたところへ、1990年代半ばになってブラックという色からの連想で黒い料理、すなわちチャジャンミョンを食べる日としてさらに転じた可能性は推測できる。
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;『京郷新聞』(1997年3月17)の記述
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:毎月14日にいろいろなイベントデーを行う文化もこの時期から始まったと見られ、5月14日に[[カレライス(カレーライス/카레라이스)|カレーライス]]を食べるイエローデーの記事も1997年には複数見える。1997年3月17日付けの京郷新聞には「新世代たち'愛の14日'熱病(신세대들 '사랑의 14일'열병)」という記事があり、バレンタインデーから始まる「恋人の日」と「相手のいないソロの日」を分類し、「5月14日の『イエローデー』はまだ相手を探せていない人たちが集まってカレーライスを食べる日(5월14일「옐로데이」에는 아직도 짝을 못찾은 사람들이 모여 카레라이스를 먹는 날)」と紹介している<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1997031700329130001&editNo=45&printCount=1&publishDate=1997-03-17&officeId=00032&pageNo=30&printNo=16051&publishType=00010 신세대들'사랑의 14일'열병] 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧</ref>。
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
;関連サイト
 
*[https://www.ygtour.kr/ 양구올구양]
 
 
;制作者関連サイト
 
;制作者関連サイト
 
*[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
 
*[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
 
*[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール)
 
*[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール)
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*[https://itunes.apple.com/us/app/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E9%A3%9F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8/id1220010846?l=ja&ls=1&mt=8 韓国語食の大辞典アプリ版](八田靖史制作の韓国料理専門辞典)
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
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*[[カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)]]
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*[[チャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)]]
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*[[チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)]]
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*[[仁川市の料理]]
 
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*[[カクトゥギ(大根の角切りキムチ/깍두기)]]
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[[Category:外国料理の一覧]]
*[[テンジャンチゲ(味噌鍋/된장찌개)]]
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[[Category:中国料理の一覧]]
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[[Category:京畿道・仁川市の料理]]

2022年2月19日 (土) 03:04時点における版

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この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。掲載されている情報によって被った損害、損失に対して一切の責任を負いません。また、内容は随時修正されます。

チャジャンミョン짜장면)は、韓国式ジャージャー麺。漢字では「炸醤麺」と書き、チャジャン(炸醤、짜장)は炒め味噌、ミョン(麺、)は麺を意味する。韓国語では「자장면」とも表記する。豚肉、タマネギなどを、チュンジャン(春醤、춘장)という黒味噌とともに炒め、水溶き片栗粉でとろみをつけてチャジャンを作る。これを中華麺にかけて提供し、食べる際は麺とチャジャンがよくからむように、箸で全体をよくかき混ぜて味わう。19世紀後半に中国の山東省から伝わったとされ、韓国ではチャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕)と並んで中華料理の代表格として人気が高い。主に中華料理店で食べられるほか、粉食店やフードコートでも提供される。インスタント麺としてもチャジャンミョンは多くの商品が販売されている。チャジャンミョンのバリエーションとしては、カンチャジャン(とろみ抜きジャージャー麺/간짜장)や、サムソンチャジャンミョン(3種の海鮮ジャージャー麺、삼선짜장면)、ユニチャジャンミョン(豚ひき肉ジャージャー麺、유니짜장면)、ユスルチャジャンミョン(豚細切り肉ジャージャー麺、유슬짜장면)などがある。また、チャジャンを麺ではなくごはんにかけたものはチャジャンパプ(ジャージャーごはん/짜장밥)と呼ぶ。

歴史

1883年に仁川市で仁川港(インチョンハン、인천항)が開かれると、中国の山東省などから大勢の中国人が渡ってきた。彼らの伝えた代表的な中華料理のひとつがチャジャンミョンであり、当初は同胞向けに作って食べたものが、徐々に韓国でもローカライズして浸透した。当時の代表的な中華料理店としては1908年頃に創業した「共和春(공화춘)」があり、1983年に閉店したが、その跡地は現在「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として歴史を伝えている。

  • 共和春
共和春(コンファチュン、공화춘)は、中国・山東省出身の于希光(ウ・ヒグァン、우희광)氏によって開かれた中華料理店。創業年代は1905年と1908年の両説があり(チャジャンミョン博物館では1908年と説明している[1])、当時は「山東会館(산동회관)」という名称の宿泊施設を兼ねた飲食店であった。店名を「共和春」としたのは辛亥革命によって中華民国が誕生した1912年で「共和国の春」という意味が込められている。韓国における中華料理店の草分けとして長らく愛されてきたが、1983年に閉店。同店の建物は2006年4月に登録文化財第246号として指定されたのち[2]、2012年4月に「チャジャンミョン博物館(짜장면박물관)」として利用されるに至った。なお、現在のチャイナタウンには「共和春」の後継とされる店がふたつある。ひとつは2004年2月に開店した同名の「共和春」で、かつて「共和春」で料理長を務めていた人物を株式会社共和春フランチャイズの代表イ・ヒョンデ(이현대)氏が招聘し新たに始めたものである[3][4]。もうひとつは于希光氏の娘であるウ・ランヨン(우란영)氏と結婚したワン・イビョン(왕입영)氏が、「共和春」での修行を経て1980年に開店した「新勝飯店(신승반점)」である[5]。現在「新勝飯店」の代表はワン・イビョン、ウ・ランヨン夫婦の娘であり、また于希光の孫に当たるワン・エジュ(왕애주)氏が受け継いでおり、店名は異なるもののこちらを直系の後継店と考える人も多い。

エピソード

ブラックデー

ブラックデー(블랙데이)は、チャジャンミョンを食べるイベントデー。2月14日のバレンタインデー(밸런타인데이)、3月14日のホワイトデー(화이트데이)に縁のなかった人たちが集まり、全身を黒い服装で包み、嫉妬交じりのどす黒い気持ちを共有しながら、真っ黒い食べ物であるチャジャンミョンを味わう黒尽くしの1日を指す。凝る人であればアクセサリーなども黒で統一し、食後にはブラックコーヒーを飲む。単にチャジャンミョンを食べるだけでなく、合コンを兼ねることでカップルが誕生することもある。ブラックデーに付き合い始めたカップルは1ヶ月後の5月14日にローズデー(로즈데이)を迎えてバラを贈り合うなどの習慣もあるが、ブラックデーにチャジャンミョンを食べる友人さえいなかった人は、5月14日のイエローデー(옐로우데이)に黄色い服を着てカレライス(カレーライス/카레라이스)を食べなければならない。

ブラックデーの由来

『京郷新聞』(1993年3月15日)の記述
1993年3月15日付けの京郷新聞には「"私を困らせたらひどい目に遭う" 『ブラックデー』まで登場("나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장)」という記事があり、百貨店などにおけるホワイトデーの盛り上がりを取り上げたうえで、「今年は『ブラックデー』というまた違った正体不明の記念日が新しく作られ漸入佳境である(올해는 「블랙데이」라는 또다른 정체불명의 기념일이 새롭게 만들어져 점입가경이다)」と伝えている[6]。この記事によればブラックデーとは、「普段、自身を困らせている人に"飴を食べろ(俗語で「クソくらえ」「ひどい目に遭え」という意味を指す)"という意味で飴をプレゼントするもの(평소 자신의 속을 썩였던 사람에게 "엿먹어라"는 뜻으로 엿을 선물한다는 것)」であり、また「ホワイトデーをもとに日付も1ヶ月後の同じ日である4月14日と定めたブラックデーは、その名前が示すように、青少年たちにとっては『恐喝性』の愛情表現として受け入れられている(화이트데이를 본떠 날짜도 한달뒤 같은 날인 4월14일로 잡혀있는 블랙데이는 그 이름이 보여주듯 청소년들에게는 「공갈성」 애정표현으로 받아들여지고 있다)」と説明されている。この記事から判断するに、日付は当初から4月14日であったものの、その内容は現在と大きく異なるものであった[6]
『東亜日報』(1996年2月10日)の記述
現在のようにチャジャンミョンを食べる日としてのブラックデーは、1996年2月10日付けの東亜日報に見える。同記事では「最近は『ブラックデー』まで登場した。4月14日のブラックデーはバレンタインデーやホワイトデーに何ももらえなかった『ハズレ男』と『ハズレ女』たちが黒い服を着て、食事も真っ黒いチャジャンミョンを食べ、ブラックコーヒーだけを飲む日だということで名付けられた名称(최근에는 「블랙데이」까지 등장했다. 4월14일인 블랙데이는 밸런타인데이나 화이트데이에 아무것도 못받은 「꽝맨」과 「꽝우먼」들이 검은 옷으로만 차려입고 식사도 시커먼 자장면을 먹고 블랙커피만 마시는 날이라고 해서 붙여진 명칭)」[7]としている。両記事における2種類のブラックデーに直接の関連性があるかはこれだけで判断できないものの、時代的な変遷から考えると、ホワイトデーに飴を贈る習慣が1990年代前半に「飴を食べろ」という俗語と結びつき、反語としてブラックデーという用語が生まれたところへ、1990年代半ばになってブラックという色からの連想で黒い料理、すなわちチャジャンミョンを食べる日としてさらに転じた可能性は推測できる。
『京郷新聞』(1997年3月17)の記述
毎月14日にいろいろなイベントデーを行う文化もこの時期から始まったと見られ、5月14日にカレーライスを食べるイエローデーの記事も1997年には複数見える。1997年3月17日付けの京郷新聞には「新世代たち'愛の14日'熱病(신세대들 '사랑의 14일'열병)」という記事があり、バレンタインデーから始まる「恋人の日」と「相手のいないソロの日」を分類し、「5月14日の『イエローデー』はまだ相手を探せていない人たちが集まってカレーライスを食べる日(5월14일「옐로데이」에는 아직도 짝을 못찾은 사람들이 모여 카레라이스를 먹는 날)」と紹介している[8]

脚注

  1. 역사적배경 、チャジャンミョン博物館ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  2. 등록문화재 제246호 인천 선린동 공화춘(共和春) 、文化財庁国家文化遺産ポータル、2019年5月2日閲覧
  3. 대표인사말 、共和春ウェブサイト、2019年5月2日閲覧
  4. 짜장면의 원조 공화춘, 그 잊혀진 맛을 되살리다 공화춘 이현대 대표 、月刊パワーコリア(2017年2月15日記事)、2019年5月2日閲覧
  5. [주간한국 [이야기가 있는 맛집(289)] ‘신승반점’ 왕애주 대표] 、デイリー韓国(2017年8月19日記事)、2019年5月2日閲覧
  6. 6.0 6.1 "나 속썩이면 엿먹는다"「블랙데이」까지 등장 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧
  7. "美國(미국)선 밸런타인데이 조용히 지내요" 한국과 달리 남성이 여성에게 꽃-초콜릿 선물 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧
  8. 신세대들'사랑의 14일'열병 、NAVERニュースライブラリー、2020年3月14日閲覧

外部リンク

制作者関連サイト

関連項目