「タッカルビ(鶏肉の鉄板焼き/닭갈비)」の版間の差分
63行目: | 63行目: | ||
*チーズタッカルビ(치즈닭갈비) | *チーズタッカルビ(치즈닭갈비) | ||
:ピザ用のシュレッドチーズを加えたタッカルビ | :ピザ用のシュレッドチーズを加えたタッカルビ | ||
+ | |||
+ | == 日本における定着 == | ||
+ | 90年代に韓国で流行したのを受け、90年代後半から2000年代の初めにかけて、日本にもタッカルビが持ち込まれた。中でも2000~01年にかけては専門店がオープンしたり、ファミリーレストランの「デニーズ」がメニューに加えるなど、ブームの様相を呈した。このとき、タッカルビでなく「ダッカルビ」との表記も多く使われたため、現在でもダッカルビと表記するケースは多い。 | ||
+ | |||
+ | *2000年には東京、新大久保で「玄の家」というタッカルビ専門店がオープンした。 | ||
+ | *2001年には東京、西新宿の新宿アイランドタワー地下1階で「春川ダッカルビ」という店や、渋谷のセンター街で「元祖春川村」といった店がオープンした。 | ||
+ | *2002年2月には味の素から「Cook Do Korea!ダッカルビ用」が、ミツカンから「アジア元気食堂〈タッカルビ丼〉」が発売され、家庭でも手軽にタッカルビを味わえるようになった。 | ||
== エピソード == | == エピソード == | ||
*韓食ペディアの執筆者である八田靖史は1997年2月25日に初めてタッカルビを食べ、当時の日記に「にわとりカルビは非常に美味しかった」との感想を残している。 | *韓食ペディアの執筆者である八田靖史は1997年2月25日に初めてタッカルビを食べ、当時の日記に「にわとりカルビは非常に美味しかった」との感想を残している。 | ||
− | |||
− | |||
== 地域 == | == 地域 == |
2014年9月4日 (木) 13:59時点における版
※この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。以下の内容は八田靖史の独自研究を含んでいます。
タッカルビ(닭갈비)は、鶏肉と野菜を甘辛いタレと絡めて鉄板で炒めた料理。
名称
タッカルビのタッ(닭)は鶏。カルビ(갈비)は肋骨を意味する。ただし、一般的に牛焼肉、豚焼肉の場合は肋骨とその周辺の肉を含めてカルビと称するが、タッカルビにおいては鶏肉の部位を示す訳ではなく、牛カルビや豚カルビのように骨つきの肉にかぶりつく食べ方から名付けられたとされる。日本ではタクカルビ、ダッカルビ、ダクカルビ、鶏カルビといった表記も見られるが、本辞典においては「タッカルビ」を使用する。発音表記は[닥깔비]。
概要
タッカルビはぶつ切りにした鶏肉と、キャベツ、ニンジン、サツマイモなどの野菜を甘辛いタレと絡めて炒めた料理。鶏肉は主をにモモ肉が使われる。店によって一緒に炒める具材はさまざまであり、タマネギ、長ネギ、エゴマの葉といった野菜に始まり、タンミョン(당면、春雨)、チョルミョン(쫄면、でんぷん麺)、うどん、餅、スライスチーズ、テナガダコなどの魚介類がトッピングされることもある。専門店では円形の平たく大きな鉄板を用意し、注文を受けて客席で調理をするスタイルが多い。韓国では専門店で味わう料理だが、日本では韓国家庭料理店などでも提供される。
歴史
1960年代
タッカルビの由来には諸説ある。地方によっても異なるが、1960年頃に発祥したとの説が有力である。
- 春川市の調査
- タッカルビの発祥地を自認し、市内にも専門店を多数有する春川市は2003~4年に発祥の経緯を調査し、以下のように公式的な発表をしている。
- 「春川地域でのタッカルビ誕生に対し調査をした結果、1959年から現在の中央路2街18番地(現、三星生命駐車場と、駐車場のそばにある三星生命の玄関階段の間。その当時はバスターミナルとして使われており、近隣にある現、中央路2街11番地の朝興銀行は江原合乗の終点として使用)に、板で作った小さな豚焼肉店を始めた金永錫さんが、四月革命(1960年4月19日)が起きた年のある日、豚肉を求められず、鶏2羽を買ってきてぶつ切りにし、テジカルビ(豚カルビ焼き)のように作ってみなければならないと言って、終日研究をした結果、鶏肉をテジカルビのように開いてタッカルビを作り、これに味付けをして12時間寝かせ売り始めたのが春川タッカルビが作られた由来と確認する」(原文1)。[1]
- 韓国観光公社の記述
- また、同様の記述は韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)にも見られ、そこでは以下のように紹介されている。
- 「1960年代初め、春川の中央路のある掘っ立て小屋で主に豚肉料理出していたいた金氏夫婦がいました。ある日豚肉が手に入らなかった夫婦は、鶏2羽を買ってテジカルビ(豚のカルビ)のように料理しました。鶏肉をテジカルビのように広く伸ばし、かたまりのまま焼いて切って食べると一風変わった味がしました。その後、甘いタレに鶏肉を漬け込んでおいてからテジカルビのように焼いて出したところ、酒のつまみとして人気を呼ぶようになりました。このようにして誕生した『タッカルビ(鶏肉と野菜のピリ辛鉄板焼き)』は、噂で春川全域に広がり、1960年末頃には練炭の上に鉄板をのせタッカルビを焼いて出す『タッカルビ屋台』が流行しました。タッカルビは他の焼き料理に比べて値段が安かったため、休暇中の軍人や京春線の列車に乗り春川や江村に遊びに来た大学生にも好まれました。タッカルビ一つの値段が100ウォンしかしなかったため、『大学生カルビ』または『庶民カルビ』という名前も付きました」[2]
- ファン・ギョイクの報告
- コラムニストのファン・ギョイクは著書『味について行ってみる(맛따라 갈까 보다)』の中で、タッカルビは当初、タップルコギ(닭불고기)と呼ばれていたとし、春川明洞タッカルビ通りの親睦団体「ケミョン会(계명회)」会長の言葉として、「1961年、楽園洞に『ウソンタップルコギ』という店が初めてタップルコギという名前の看板を掲げた」(原文2)との話を載せている。[3]
- 【原文1】「춘천지역에서의 닭갈비 발생에 대하여 조사한 결과 1959년 지금의 중앙로2가 18번지(현 삼성생명 주차장과 주차장 옆 삼성생명 현관 계단 사이, 그 당시에는 버스터미널로 사용되었으며, 인근에 있는 현 중앙로2가 11번지 조흥은행은 강원합승종점으로 사용됨)에서 판자로 지은 조그만 장소에서 돼지고기등으로 영업을 하던 김영석(金永錫)씨가 1960년 4.19가 일어나던해 어느날 돼지고기 구하기 어려워 닭 2마리를 사가지고 와서 닭을 토막내어 돼지갈비처럼 만들어 보아야 하겠다고 하여, 하루종일 연구끝에 닭을 돼지갈비처럼 발려서 닭갈비를 만들었으며, 이것을 양념하여 12시간 재워서 팔기 시작한 것이 춘천닭갈비가 만들어진 유래로 확인됨.」
- 【原文2】「61년 낙원동에‘우성 닭불고기’집이 최초로 닭불고기란 이름의 간판을 내걸었다」
1970~80年代
- ファン・ギョイクの報告
- 前掲書の中で、タッカルビの歴史についても時代ごとの考察をしており、1960年代については前述した内容とほぼ共通する。1970年代以降について、以下に引用する。
- 「70年代初めまでのタップルコギは、今のタッカルビとは違ってドラム缶の中に練炭を入れ、その上に焼き網を載せて味付けをした鶏肉を焼いて食べた」(原文3)[3]
- 「70年代の中盤を過ぎ、ドラム缶の上から焼き網が消え鉄板が上がった。 それと共に野菜と餅が入り始め、肉を食べた後にごはんや麺を加えて食べるようになった。 これと時を同じくしてタッカルビという新しい名前が登場した」(原文4)[3]
- 「80年代に入ると、タッカルビの人気はまさに爆発的だった。 特にテレビの『味に沿って道に沿って』のような番組に紹介されてからは、春川における古くからの郷土料理であるマッククスに次ぐ名声を得始めた」(原文5)[3]
- 【原文3】「70년대 초까지의 닭불고기는 지금의 닭갈비와는 달리 드럼통 안에 연탄을 넣고 그 위에 석쇠를 올려 양념한 닭고기를 구워 먹었다.」
- 【原文4】「70년대 중반을 넘기면서 드럼통 위에 석쇠가 퇴장하고 철판이 올랐다. 그러면서 야채와 가래떡이 들어가기 시작하고 고기를 먹고 난 다음 밥이나 국수를 비벼 주게 되었다. 이와 때를 같이 하여 닭갈비라는 새로운 이름이 등장하였다.」
- 【原文5】「80년대 들어 닭갈비의 인기는 가히 폭발적이었다. 특히 텔레비전의 '맛따라 길따라' 류의 프로그램에 소개되고 난 후부터는 춘천의 오랜 향토 음식인 막국수에 버금가는 명성을 얻기 시작했다.」
1990年代以降
90年代に入ってからはソウルを中心として全国に専門店ができていった。
種類
タッカルビには次のような種類がある。
- ヘムルタッカルビ(해물닭갈비)
- 魚介類を加えたタッカルビ
- ナクチタッカルビ(낙지닭갈비)
- テナガダコを加えたタッカルビ
- チュクミタッカルビ(주꾸미닭갈비)
- イイダコを加えたタッカルビ
- カレータッカルビ(카레닭갈비)
- カレー味のタッカルビ。特にカレー味と名乗らなくても味付けにカレー粉を用いる店もある。
- チーズタッカルビ(치즈닭갈비)
- ピザ用のシュレッドチーズを加えたタッカルビ
日本における定着
90年代に韓国で流行したのを受け、90年代後半から2000年代の初めにかけて、日本にもタッカルビが持ち込まれた。中でも2000~01年にかけては専門店がオープンしたり、ファミリーレストランの「デニーズ」がメニューに加えるなど、ブームの様相を呈した。このとき、タッカルビでなく「ダッカルビ」との表記も多く使われたため、現在でもダッカルビと表記するケースは多い。
- 2000年には東京、新大久保で「玄の家」というタッカルビ専門店がオープンした。
- 2001年には東京、西新宿の新宿アイランドタワー地下1階で「春川ダッカルビ」という店や、渋谷のセンター街で「元祖春川村」といった店がオープンした。
- 2002年2月には味の素から「Cook Do Korea!ダッカルビ用」が、ミツカンから「アジア元気食堂〈タッカルビ丼〉」が発売され、家庭でも手軽にタッカルビを味わえるようになった。
エピソード
- 韓食ペディアの執筆者である八田靖史は1997年2月25日に初めてタッカルビを食べ、当時の日記に「にわとりカルビは非常に美味しかった」との感想を残している。
地域
- 江原道春川市
- 「明洞タッカルビ通り」など市内各地にタッカルビ専門店の密集地域がある。
- 江原道洪川郡
- 江原道春川市とともにタッカルビ発祥地のひとつと考えられている。
- 江原道太白市
- 「種類」の項目を参照
- 江原道旌善郡
- ファンギタッカルビが有名。韓方のひとつでもあるファンギ(キバナオウギ)は旌善郡の特産品。