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2014年7月4日 (金) 13:32時点における版
※この記事はウィキペディアではありません。「韓食ペディア」はコリアン・フード・コラムニストの八田靖史が作る、韓国料理をより深く味わうためのWEB百科事典です。
プデチゲ(부대찌개)は、ソーセージ、ランチョンミートなどの加工肉を韓国式の味付けで調理した鍋。
名称
プデチゲのプデは漢字で「部隊」と書いて軍隊組織の部隊を表す。チゲは鍋料理の総称。「部隊鍋」「軍隊鍋」と訳されることも多い。日本ではブデチゲ、ブテチゲ、部隊チゲといった表記も見られるが、本辞典においては「プデチゲ」を使用する。発音表記は[부대찌개]。
概要
プデチゲはソーセージ、ランチョンミートなどの加工肉を韓国式の味付けで調理した鍋。具は店によってさまざまでベーコン、マカロニ、ペンネ、ベークドビーンズ、スライスチーズといった洋風食材に加え、タマネギ、長ネギ、春菊、ニンジンなどの野菜類、白菜キムチ、ひき肉、豆腐、キノコ、インスタントラーメン、タンミョン(당면、春雨)、チョルミョン(쫄면、でんぷん麺)、餅など多岐に渡る。味付けは牛ベースのスープが多く用いられ、粉唐辛子などで辛く味付けをする。卓上のコンロに鍋を置いて、調理しながら味わうスタイルが一般的だが、食堂においては1人前のプデチゲをトゥッペギ(뚝배기、素焼きの器)で提供することもある。主に専門店で味わう料理だが、居酒屋、食堂などのメニューに載ることもある。
1950~60年代
歴史
プデチゲの由来には諸説あり、必ずしも明確な起源が明らかになっている訳ではないが、朝鮮戦争(1950~53年)後の困窮した時代に米軍基地から流出した缶詰類を韓国式に調理したとの説が有力である。
- 「オデン食堂」の解説
- 1960年に創業し、韓国でもっとも古いプデチゲの専門店とされる「オデン食堂」(京畿道議政府市)では、公式ウェブサイトでプデチゲの由来を以下のように説明している。「米軍は食糧をアメリカから空輸して食べ、その食糧が一部軍隊の外に流れ出た。アメリカ人の食材だったが、韓国人はこれをアメリカ人のように食べはしなかった。朝鮮半島の住民たちの長い伝統料理のスタイルであるタン(スープ)にこれを入れた。そして名前をプデチゲと呼んだ」。[1]
- 【原文】「미군은 음식을 미국에서 공수하여 먹었고, 그 음식이 일부 군대 밖으로 흘러나왔다. 미국인의 음식 재료였는데, 한국인은 이를 미국인처럼 먹지 않았다. 한반도 주민들의 오랜 전통음식 스타일인 '탕'에 이를 넣었다. 그리고 이름을 부대찌개라 하였다.」
- また、同ページではプデチゲを「キムチチゲの一種だ」とも説明し、その成立背景を以下のように分析している。「プデチゲの調理法を見ると、誰かが創案をした料理ではない。 キムチチゲにソーセージやハムを加えたことだけのことだ。 キムチを入れないプデチゲも稀にあるが、多くのプデチゲはキムチとともに煮るので色々な種類のキムチチゲ、すなわち豚キムチチゲ、サンマキムチチゲ、ツナキムチチゲ、イワシキムチチゲ、サバキムチチゲと同じ系統にある料理といえる。 従って、プデチゲはソーセージとハムを比較的容易に入手できる地域で食べ始めた料理だっただろうことを推測できる。 朝鮮戦争以後、米軍はソウル、釜山、仁川、原州、春川、東豆川、烏山、坡州、平沢、城南、水原、議政府、鎮海などなど、朝鮮半島のあちこちに駐留した。 その各米軍駐屯地でソーセージとハムは流れ出ただろうし、従ってプデチゲ、すなわちソーセージハムキムチチゲは朝鮮半島のあちこちで作られ、食べられたことだろう」。
- 【原文】부대찌개의 조리법을 보면, 누군가 창안을 한 음식은 아니다. 김치찌개에 소시지나 햄을 더한 것일 뿐이다. 김치를 넣지 않는 부대찌개도 더러 있지만, 대부분의 부대찌개는 김치와 함께 끓이므로 여러 종류의 김치찌개, 즉 돼지고기김치찌개, 꽁치김치찌개, 참치김치찌개, 멸치김치찌개, 고등어김치찌개와 한 계통에 있는 음식이라 할 수 있다. 따라서 부대찌개는 소시지와 햄을 비교적 쉽게 구할 수 있는 지역에서 먹기 시작한 음식이었을 것을 추측할 수 있다. 한국전쟁 이후 미군은 서울, 부산, 인천, 원주, 춘천, 동두천, 오산, 파주, 평택, 성남, 수원, 의정부, 진해 등등 한반도 곳곳에 주둔하였다. 그 여러 미군 주둔지에서 소시지와 햄이 흘러나왔을 것이고, 따라서 부대찌개, 즉 소시지햄김치찌개는 한반도 여기저기서 끓여 먹었을 것이다.
- 朝鮮時代のソウルには氷庫(빙고)と呼ばれる氷の貯蔵施設が置かれ、これを宮中ではファチェ(宮中式の清涼飲料/화채)などに仕立てて楽しんだ。こうした氷の利用をパッピンスの歴史としてとらえることもあるが、直接的には開化期から日本統治時代にかけて、日本から伝えられたと考えられる。韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』で、「1900年代から輸入の砂糖を利用した洋菓子や各種甘味製品が市販され、在来の餅菓類はやがて退化し、西洋のパン、ケーキ、アイスクリーム、菓子などが嗜好品として根付いていった」[2]と述べている。また、日本の菓子店がチンゴゲ(現在の忠武路2街あたり)にできて、アズキ入りの大福餅などを販売したことにも触れ、日本統治時代にアズキあんが普及したことを示している。また、この時期の甘味としてカキ氷の販売形態についても述べており、「夏にはカキ氷とアイスクリームが人気を集めた。カキ氷販売はリアカーに氷をかく機械を載せて歩き、カンナをかけるように氷を削り、器に盛って真ん中にスプーン1杯の砂糖をうずめ、ビンに入れた赤や黄色のシロップをかけて、スプーンを刺した。アズキを載せたカキ氷もある」[3]と記述している。1910年に初めての製氷工場が釜山にできた[4]ことを考えても、カキ氷が一般に普及したのはその後と考えるのが自然である。
- 【原文】「1900년대부터 수입한 설탕을 이용한 양과자 및 각종 당 제품의 시판으로 재래의 병과류는 점차 퇴화되고 서양의 빵, 케이크, 아이스크림, 과자 등이 기호 식품으로 뿌리 내리게 되었다」
- 【原文】「여름철에는 빙수와 아이스크림이 인기가 있었다. 빙수 장수는 리어카에 얼음 가는 기계를 싣고 다니며 대패질하듯이 얼음을 깎아 내어 그릇에 받아 가운데 설탕 한 숟가락을 묻고 병에 담긴 빨간 물과 노란 물을 흔들어 치고 사시를 꽂는다. 단팥을 얹은 빙수도 있다.」
1980年代
- 1985年12月にソウルの狎鴎亭洞で「現代百貨店狎鴎亭店」のオープンと同時に「ミルタプ(밀탑、Meal Top)」が入店した。東亜日報の記事(2014年6月12日)[5]によれば、オープン当初は生フルーツジュースの店として出発し、やがて凍らせた牛乳で作るミルクピンス(ミルクカキ氷)で人気を集めると、そちらが主力商品になった。「ミルタプ」は現在の韓国においても行列のできる専門店として人気が高い。
1990年代
- フルーツや餅などをたくさん載せた豪華なパッピンスは1990年代に入って登場したとされる。90年代末から、2000年代前半にかけては1999年5月にオープンした「アイスベリー(아이스베리)」が象徴的な存在として人気を集めた。「アイスベリー」ではフルーツのトッピングを選択できるほか、5人前を大きな器に盛り付けたキングオブピンスなどが人気を集めた。
2000年代
- 2004年には低脂肪のヨーグルトアイスが脚光を集め、元祖格の「レッドマンゴー(레드망고)」[6]などが急速に勢力を伸ばした。一時的にパッピンスはその陰に隠れた印象もあったが、ヨーグルトアイスの専門店でもパッピンスを扱っており、ブームの縮小とともに再びパッピンスは夏の代表的な涼味の座を取り戻した。
2010年代
- カフェブームとピンスの多様化
- 韓国では2000年代中盤から後半にカフェブームが沸き起こった。2007年7月から放映されたドラマ『コーヒープリンス1号店』の影響もあり、この頃から個性的なカフェが町に増えるようになった。パッピンスはこうしたカフェにおいても夏季限定のメニューとして人気を集め、また各店がそれぞれの個性を競い合ったことから多様化の道を歩むようになった。2009年7月にソウルの高速ターミナル駅に直結する「新世界百貨店江南店」地下のフードコートでオープンした「パッコンナムチプ(팥꽃나무집)」はイチゴを用いたタルギピンス(딸기빙수)や、黒ゴマ味のフギムジャピンス(흑임자빙수)で人気を集め、2010年にソウルの二村洞でオープンした「東氷庫(동빙고)」は紅茶味のロイヤルミルクティピンスで話題となった。[7]これ以降、パッピンスの種類は爆発的に増え、また夏を迎えるごとにその年の流行が注目されるようになった。
- さらさら食感のピンスが台頭
- また、2012年頃からはさらさら食感のカキ氷が流行し始め、氷を主役としたシンプルなアズキだけのピンスが台頭するようになった。2011年4月に新村でオープンした「ホミルバッ(호밀밭)」や、2012年7月に弘大でオープンした「京城パッチプオンヌモン(경성팥집 옥루몽)」[8]が主な担い手とされる。
2014年
- 2013年に韓国進出を果たした台湾の「Mango ChaCha(망고차차)」を筆頭に、マンゴーを載せたマンゴーピンス(망고빙수)が急速に拡大している。また、釜山で餅カフェからスタートした「ソルビン(설빙)」[9]が店舗数を急速に増やしており、きな粉を振りかけたインジョルミピンス(인절미빙수)が話題となっている。
種類
パッピンスには次のような種類がある。
定番系
- 緑茶アイスクリームを載せたり、緑茶パウダーを振りかけたピンス。
- ミルクピンス(氷ミルク/밀크빙수)
- ミルク味のピンス。または牛乳を凍らせてピンスに仕立てたもの。ウユピンス(우유빙수)とも呼ぶ。
- イェンナルピンス(옛날빙수)
- 直訳では昔風のピンス。アズキだけのシンプルなピンスを指したり、または餅、大福などをトッピングしたものを指すこともある。
フルーツ系
- バナナ、キウイ、イチゴ、スイカなどのフルーツをたくさん載せたピンス。
- タルギピンス(딸기빙수)
- イチゴをトッピングしたピンス。
- マンゴーピンス(망고빙수)
- 角切りのマンゴーや、マンゴーアイスなどをトッピングしたピンス。2013年に台湾からのチェーン店が進出し、2014年にブームとなった。
- メロンピンス(메론빙수)
- メロンをトッピングしたピンス。丸くくり抜いたメロンシャーベットをトッピングしたり、または器のかわりにくり抜いた丸ごとのメロンを用いる場合もある。
ドリンク系
- ミルクティーピンス(밀크티빙수)
- ミルクティー味のピンス。
- コピピンス(커피빙수)
- コーヒー味のピンス。
伝統系
- トッピンス(떡빙수)
- インジョルミ(きなこ餅/인절미)などの餅をトッピングしたピンス。
- スジョングァピンス(수정과빙수)
- 伝統飲料のスジョングァ(シナモン茶/수정과)をかけたピンス。ナツメや松の実、餅などをトッピングする。
個性派系
- ネムビピンス(냄비빙수)
- チゲ用のアルマイト鍋に盛り付けたピンス。
- オレオピンス(오레오빙수)
- 市販菓子のオレオをトッピングしたピンス。オレオを粉状に砕いて全体にトッピングをする。
- チーズピンス(치즈빙수)
- ブロック状にカットしたチーズケーキを載せたり、チーズソースをかけたピンス。
- ティラミスピンス(티라미수빙수)
- ブロック状にカットしたティラミスを載せたピンス。
日本における定着
- ※この項目は八田靖史の独自研究を含んでいます
- 八田靖史による個人的な確認によれば、2001年には東京、新大久保の韓国式洋食店「ボティチノ」てパッピンスを提供していた。新大久保では韓流の到来とともに飲食店が増え、2005年頃からは家庭料理店、カフェ、粉食店、屋台などへもパッピンスの提供が広がっていった。この頃から韓国料理のデザートとしてパッピンスが注目されるようになり、2008年5月には韓国のパッピンス専門店「アイスベリー」が日本進出を果たすに至った。[10]
エピソード
- 歌手のユン・ジョンシン(윤종신)は2001年に「パッピンス」という曲を発表している。2014年6月にはその第2弾として「雪片のピンス~口の中のクリスマス(눈송이 빙수-입속의 크리스마스)」をリリースした。
地域
- 釜山市中区新昌洞(国際市場)
- アズキ、リンゴジャムなどを載せたレトロな屋台式カキ氷。国際市場内に屋台が連なっている。
脚注
- ↑ 의정부 부대찌개의 유래 、オデン食堂公式ウェブサイト、2014年7月4日閲覧
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P167
- ↑ 한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P170
- ↑ 인천냉면, 그리고 추억의 화평동 、仁川新聞(2012年7月15日)、2014年7月1日閲覧
- ↑ 한국 팥빙수, 美본토 첫 진출… “미국인 입맛 사로잡을 것” 、東亜日報(2014年6月12日)、2014年7月1日閲覧
- ↑ レッドマンゴー 、レッドマンゴー(公式ウェブサイト)、2014年7月1日閲覧
- ↑ 東氷庫 、コネスト、2014年7月1日閲覧
- ↑ 京城パッチプオンヌモン 、京城パッチプオンヌモン(公式ウェブサイト)、2014年7月1日閲覧
- ↑ ソルビン 、ソルビン(公式ウェブサイト)、2014年7月1日閲覧
- ↑ 新大久保「アイスベリー新大久保店」で100組目GET。 、韓食生活、2014年7月1日閲覧