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'''霊岩郡'''(ヨンアムグン、영암군)は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の南西部に位置する地域。本ページでは霊岩郡の料理、特産品について解説する。 | '''霊岩郡'''(ヨンアムグン、영암군)は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の南西部に位置する地域。本ページでは霊岩郡の料理、特産品について解説する。 | ||
== 地域概要 == | == 地域概要 == | ||
+ | [[ファイル:24120803.jpg|300px|thumb|王仁博士遺跡地の王仁博士像]] | ||
霊岩郡は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の南西部に位置する地域。郡の北部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[羅州市の料理|羅州市]]、北東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[和順郡の料理|和順郡]]、東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[長興郡の料理|長興郡]]、南東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[康津郡の料理|康津郡]]、南西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[海南郡の料理|海南郡]]、北西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[木浦市の料理|木浦市]]と接する。人口は5万2395人(2022年12月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2023年1月18日閲覧</ref>。 | 霊岩郡は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の南西部に位置する地域。郡の北部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[羅州市の料理|羅州市]]、北東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[和順郡の料理|和順郡]]、東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[長興郡の料理|長興郡]]、南東部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[康津郡の料理|康津郡]]、南西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[海南郡の料理|海南郡]]、北西部は[[全羅南道の料理|全羅南道]]の[[木浦市の料理|木浦市]]と接する。人口は5万2395人(2022年12月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2023年1月18日閲覧</ref>。 | ||
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+ | *王仁博士(왕인박사) | ||
+ | :王仁(ワンイン、왕인)は、百済時代の4世紀に霊岩郡の郡西面東鳩林里(クンソミョン トングリムニ、군서면 동구림리)で生まれたとされる学者。王仁博士(ワンインバクサ、왕인박사)とも呼ばれる。応神天皇の時代に日本へと渡り、『論語』や『千字文』を伝えたとされている。ゆかりの地である東鳩林里一帯は「王仁博士遺跡地(ワンインバクサユジョクチ、왕인박사유적지)」として整備され、位牌と肖像画を奉安した祠堂や、聖泉(ソンチョン、성천)と呼ばれる井戸、霊月館(王仁博士記念展示館)などがある。また、「王仁博士遺跡地」から2kmほど離れた山中には、王仁博士が籠って学んだとされる石窟の「冊窟(チェックル、책굴)」や、そこに隣接して後世に掘られた「王仁石像(ワンインソクサン、왕인석상)」がある。毎年4月には「霊岩王仁文化祭り(영암왕인문화축제)」が開催される。 | ||
== 食文化の背景 == | == 食文化の背景 == | ||
+ | [[ファイル:23040407.jpg|300px|thumb|犢川テナガダコ料理名所通り(독천 낙지음식 명소거리)]] | ||
+ | 霊岩郡の鶴山面犢川里(ハクサンミョン トクチョンニ、학산리 독천리)には、「犢川テナガダコ料理名所通り(독천 낙지음식 명소거리)」があり、カルラクタン(牛カルビとテナガダコのスープ/갈낙탕)をはじめとしたテナガダコ料理が味わえる。 | ||
== 代表的な料理 == | == 代表的な料理 == |