「サムゲタン(ひな鶏のスープ/삼계탕)」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
45行目: 45行目:
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
サムゲタンの詳細な発祥の経緯は明らかになっていない。サムゲタンの歴史を語る場合、料理としてのルーツになったとみられる[[タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)]]や、ヨンゲペクスク(ひな鶏の水煮、[[영계백숙]])、タックッ(鶏のスープ、[[닭국]])から紐解く場合と、朝鮮時代より富裕層に飲用されていた薬湯の参鶏湯([[삼계탕|삼계탕2]])、または鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])から転じたとする場合があり、この両者を複合的に考えることも多い。人文学者の周永河(チュ・ヨンハ、주영하)は著書『食卓の上の韓国史』の中で、「参鶏湯という食べ物が本格的に飲食店のメニューとして登場するのは、一九五〇年代なかば以降」<ref>周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P101</ref>と述べている。
+
サムゲタンの詳細な発祥の経緯は明らかになっていない。サムゲタンの歴史を語る場合、料理としてのルーツになったとみられる[[タッペクスク(丸鶏の水煮/닭백숙)]]や、ヨンゲペクスク(ひな鶏の水煮、[[영계백숙]])、タックッ(鶏のスープ、[[닭국]])から紐解く場合と、朝鮮時代より富裕層に飲用されていた薬湯の参鶏湯([[삼계탕2|삼계탕]])、または鶏参湯([[계삼탕2|계삼탕]])から転じたとする場合があり、この両者を複合的に考えることも多い。人文学者の周永河(チュ・ヨンハ、주영하)は著書『食卓の上の韓国史』の中で、「参鶏湯という食べ物が本格的に飲食店のメニューとして登場するのは、一九五〇年代なかば以降」<ref>周永河, 2021, 『食卓の上の韓国史』, 慶應義塾大学出版会, P101</ref>と述べている。
  
 
=== 薬湯としての記録 ===
 
=== 薬湯としての記録 ===
:朝鮮時代後期から日本統治時代にかけての文献を見ると、鶏の腹に高麗人参を詰めて煮出し、その汁を薬湯として飲んでいた話が多く出てくる。これを参鶏湯([[삼계탕|삼계탕2]])、鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])、参鶏膏([[삼계고]])、鶏参膏([[계삼고]])、参鶏飲([[삼계음]])などと呼び、薬湯または滋養強壮飲料として富裕層を中心に親しまれた。1920年代頃からはもち米を入れて煮出す製法も見られ、これらがのちに鶏肉、もち米、高麗人参を具とみなす料理へと発展したのではないかと推測できる。以下は見つかった範囲内の史料で、さらにさかのぼる可能性がある。
+
:朝鮮時代後期から日本統治時代にかけての文献を見ると、鶏の腹に高麗人参を詰めて煮出し、その汁を薬湯として飲んでいた話が多く出てくる。これを参鶏湯([[삼계탕2|삼계탕]])、鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])、参鶏膏([[삼계고]])、鶏参膏([[계삼고]])、参鶏飲([[삼계음]])などと呼び、薬湯または滋養強壮飲料として富裕層を中心に親しまれた。1920年代頃からはもち米を入れて煮出す製法も見られ、これらがのちに鶏肉、もち米、高麗人参を具とみなす料理へと発展したのではないかと推測できる。以下は見つかった範囲内の史料で、さらにさかのぼる可能性がある。
  
 
;『霞隠日録』(1856年)の記述
 
;『霞隠日録』(1856年)の記述
61行目: 61行目:
 
=== 日本語の記録 ===
 
=== 日本語の記録 ===
 
;『日本農業雑誌(第7巻第13号)』(1911年)
 
;『日本農業雑誌(第7巻第13号)』(1911年)
:1911年12月に刊行された『日本農業雑誌(第7巻第13号)』には、[[北朝鮮の料理|黄海北道開城市]]在住の松嶽山鷹郎なる人物が執筆した記事「朝鮮人参」が掲載されており、自家調整の薬湯として鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])が紹介されている。
+
:1911年12月に刊行された『日本農業雑誌(第7巻第13号)』には、[[北朝鮮の料理|黄海北道開城市]]在住の松嶽山鷹郎なる人物が執筆した記事「朝鮮人参」が掲載されており、自家調整の薬湯として鶏参湯([[계삼탕2|계삼탕]])が紹介されている。
  
 
:その製法は「白蔘五匁を薄く切り雛の孵化後三月目位のものを矢張り鷄蔘附用と同じ方法で、水一升二合を適當と認むる缸に入れ先の鷄を缸の内に挿し込んで炭又は薪で三時間計り煮て一合五勺位にして之れを布切れで搾り一回に飲ましむる」とあり、前述されている「鷄蔘附」は、上記に「附子(トリカブトの根茎)」を加えたもので、「鷄蔘附」が主に「七、八十歳に至る老人用」として用いられるのに対し、「鷄蔘湯」は主に「五歳乃至十歳位の小児用」としている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1551542/1/24 『日本農業雑誌 7(13)』,日本農業社, 1911年(P29-30)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号25/46)、2024年8月16日閲覧</ref>。
 
:その製法は「白蔘五匁を薄く切り雛の孵化後三月目位のものを矢張り鷄蔘附用と同じ方法で、水一升二合を適當と認むる缸に入れ先の鷄を缸の内に挿し込んで炭又は薪で三時間計り煮て一合五勺位にして之れを布切れで搾り一回に飲ましむる」とあり、前述されている「鷄蔘附」は、上記に「附子(トリカブトの根茎)」を加えたもので、「鷄蔘附」が主に「七、八十歳に至る老人用」として用いられるのに対し、「鷄蔘湯」は主に「五歳乃至十歳位の小児用」としている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1551542/1/24 『日本農業雑誌 7(13)』,日本農業社, 1911年(P29-30)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号25/46)、2024年8月16日閲覧</ref>。
  
 
;『朝鮮風俗集』(1914年)
 
;『朝鮮風俗集』(1914年)
:1914年に刊行された書籍『朝鮮風俗集』(著・今村鞆)には「朝鮮の年中行事」という項目があり、三伏([[삼복]])の食習慣として薬湯の参鶏湯([[삼계탕|삼계탕2]])を以下のように紹介している。「夏の三箇月間、毎日蔘鷄湯卽人蔘を雌鷄の腹に入れて煮出したる液を一椀宛飲用すれば、一年中如何なる疾病にも冒されずと稱し、富者は之を飲用する者がある」<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1848683/1/133 今村鞆『朝鮮風俗集』,斯道館, 1914年(P236)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号133/268)、2024年8月16日閲覧</ref>。
+
:1914年に刊行された書籍『朝鮮風俗集』(著・今村鞆)には「朝鮮の年中行事」という項目があり、三伏([[삼복]])の食習慣として薬湯の参鶏湯([[삼계탕2|삼계탕]])を以下のように紹介している。「夏の三箇月間、毎日蔘鷄湯卽人蔘を雌鷄の腹に入れて煮出したる液を一椀宛飲用すれば、一年中如何なる疾病にも冒されずと稱し、富者は之を飲用する者がある」<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1848683/1/133 今村鞆『朝鮮風俗集』,斯道館, 1914年(P236)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号133/268)、2024年8月16日閲覧</ref>。
  
 
;『朝鮮7月号 (第170号)』(1929年)
 
;『朝鮮7月号 (第170号)』(1929年)
:1929年7月に刊行された雑誌『朝鮮7月号 (第170号)』には、呉晴(オ・チョン、오청)による連載記事「朝鮮の年中行事」の記事があり、三伏(삼복)の項目で鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])を以下のように紹介している。「夏の間鷄蔘湯を多く飮用すれば、元氣が非常によくなり、且つ年中如何なる疾病にも罹らないとて、人々はこれを盛んに飮用する。鷄蔘湯とは、卽ち鷄の腹に人蔘と糯米一勺を入れて煮出した液であるが、富者はこれを殆ど毎日服用するのである」<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557565/1/54 『朝鮮7月号 (第170号)』,朝鮮総督府, 1929年(P96)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号54/79)、2024年8月16日閲覧</ref>。
+
:1929年7月に刊行された雑誌『朝鮮7月号 (第170号)』には、呉晴(オ・チョン、오청)による連載記事「朝鮮の年中行事」の記事があり、三伏([[삼복]])の項目で鶏参湯([[계삼탕2|계삼탕]])を以下のように紹介している。「夏の間鷄蔘湯を多く飮用すれば、元氣が非常によくなり、且つ年中如何なる疾病にも罹らないとて、人々はこれを盛んに飮用する。鷄蔘湯とは、卽ち鷄の腹に人蔘と糯米一勺を入れて煮出した液であるが、富者はこれを殆ど毎日服用するのである」<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/3557565/1/54 『朝鮮7月号 (第170号)』,朝鮮総督府, 1929年(P96)] 、国立国会図書館デジタルコレクション(コマ番号54/79)、2024年8月16日閲覧</ref>。
  
 
=== 類似料理の記録 ===
 
=== 類似料理の記録 ===
79行目: 79行目:
  
 
;『東亜日報』(1968年)の記述
 
;『東亜日報』(1968年)の記述
:1968年7月25日の『東亜日報』紙面には、韓国食文化研究の大家として知られる尹瑞石教授が寄稿した「夏の料理」に関する記事があり、「鶏参湯([[계삼탕|계삼탕2]])」について、「ひな鶏(黄鶏がもっともよい)に高麗人参、もち米、むき栗などを加えてじっくり煮込み、そのまま塩、コショウで味を調えて食べてもよく、または搾ってスープを飲む」<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1968072500209206006 여름料理(요리)] 、NAVERニュースライブラリー、2024年8月17日閲覧</ref>と紹介している。
+
:1968年7月25日の『東亜日報』紙面には、韓国食文化研究の大家として知られる尹瑞石教授が寄稿した「夏の料理」に関する記事があり、鶏参湯([[계삼탕2|계삼탕]])について、「ひな鶏(黄鶏がもっともよい)に高麗人参、もち米、むき栗などを加えてじっくり煮込み、そのまま塩、コショウで味を調えて食べてもよく、または搾ってスープを飲む」<ref>[https://newslibrary.naver.com/viewer/index.naver?articleId=1968072500209206006 여름料理(요리)] 、NAVERニュースライブラリー、2024年8月17日閲覧</ref>と紹介している。
  
 
;「高麗参鶏湯」の開業
 
;「高麗参鶏湯」の開業
30,747

回編集

案内メニュー