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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
− | 文献上の初出は18世紀前半頃であるが、本格的に日本から伝えられたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてと考えられる。韓国では日本から近い釜山がオデンの本場とされており、1876年の釜山港開港を機に、日本人が増加したことがきっかけになった。新聞の報道によれば、1916年にはすでに釜山だけで16軒の「蒲鉾屋」があった<ref>[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1916_10_21_v0005_0800 蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref> | + | 文献上の初出は18世紀前半頃であるが、本格的に日本から伝えられたのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてと考えられる。韓国では日本から近い釜山がオデンの本場とされており、1876年の釜山港開港を機に、日本人が増加したことがきっかけになった。新聞の報道によれば、1916年にはすでに釜山だけで16軒の「蒲鉾屋」があった<ref name="kamaboko01">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1916_10_21_v0005_0800 蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>。1920年代には釜山、統営で製造業者向けの講習会も開催されるなど<ref name="kamaboko02">[http://db.history.go.kr/item/imageViewer.do?levelId=npbs_1925_09_17_v0003_0480 蒲鉾製造講習 二十日より二十日間] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref><ref name="kamaboko03">[http://db.history.go.kr/item/level.do?setId=1&itemId=npda&synonym=off&chinessChar=on&page=1&pre_page=1&brokerPagingInfo=&position=0&levelId=npda_1925_10_02_v0004_1020 慶南水産會에서 蒲鉾講習會(釜山)] 、韓国史データベース、2017年11月2日閲覧</ref>、この時期から広く普及していったと考えられる。 |
=== 文献上の記録 === | === 文献上の記録 === | ||
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=== 20世紀前半 === | === 20世紀前半 === | ||
*釜山日報の記事 | *釜山日報の記事 | ||
− | :1916年10月21日付けの紙面には、「蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て」という記事が掲載されている。釜山署における食中毒への対策を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「釜山には蒲鉾屋が十六軒ある。魚類を使用するので時節柄大(おおい)に注意の必要あるより、釜山署では昨廿日(はつか)全部を喚び出して衛生上の注意を加へたが、従来蒲鉾に用いた魚屑は肥料以外に売る事は出来ぬ事となってゐるにも拘はらず盛んに朝鮮人に売ってゐた者もあったので厳重に今後を戒められた者があった」<ref> | + | :1916年10月21日付けの紙面には、「蒲鉾屋に注意 ▽虎疫予防に就て」という記事が掲載されている。釜山署における食中毒への対策を報じたもので、記事は日本語で書かれており、全文は以下の通りである。「釜山には蒲鉾屋が十六軒ある。魚類を使用するので時節柄大(おおい)に注意の必要あるより、釜山署では昨廿日(はつか)全部を喚び出して衛生上の注意を加へたが、従来蒲鉾に用いた魚屑は肥料以外に売る事は出来ぬ事となってゐるにも拘はらず盛んに朝鮮人に売ってゐた者もあったので厳重に今後を戒められた者があった」<ref name="kamaboko01"></ref> |
*釜山日報の記事 | *釜山日報の記事 | ||
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*釜山日報の記事 | *釜山日報の記事 | ||
− | :1925年9月17日付けの紙面には、慶尚南道統営郡で実施される蒲鉾製造講習の案内が掲載されている。記事は日本語で書かれており、「蒲鉾製造講習 二十日より二十日間」という見出しとともに以下の文章が続く。「(統営)統営郡にては今回当地蒲鉾製造業者のために来る九月二十日より向う八日間の予定を以て蒲鉾製造講習会を開催する事となり、其の要する経費は本道より交附される筈なるが、講習生は当地蒲鉾製造業者及び其他一般希望者等にて、講習種目は関西向き各種製品製造法ならびに輸出向き罐詰製造法等にて、講師としては斯業界の先進地たる愛媛県より統治技術に優秀なる者を招聘する筈である」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更)<ref> | + | :1925年9月17日付けの紙面には、慶尚南道統営郡で実施される蒲鉾製造講習の案内が掲載されている。記事は日本語で書かれており、「蒲鉾製造講習 二十日より二十日間」という見出しとともに以下の文章が続く。「(統営)統営郡にては今回当地蒲鉾製造業者のために来る九月二十日より向う八日間の予定を以て蒲鉾製造講習会を開催する事となり、其の要する経費は本道より交附される筈なるが、講習生は当地蒲鉾製造業者及び其他一般希望者等にて、講習種目は関西向き各種製品製造法ならびに輸出向き罐詰製造法等にて、講師としては斯業界の先進地たる愛媛県より統治技術に優秀なる者を招聘する筈である」(原文に句点を追加、漢字は新字に変更)<ref name="kamaboko02"></ref>。 |
*東亜日報の記事 | *東亜日報の記事 | ||
− | :1925年10月2日付けの記事では、同年9月28日に当時の釜山府南浜町(現在の釜山市中区南浦洞)にて、現地の蒲鉾業者を集めた蒲鉾講習会を慶南水産会という団体が開催したと報じている<ref> | + | :1925年10月2日付けの記事では、同年9月28日に当時の釜山府南浜町(現在の釜山市中区南浦洞)にて、現地の蒲鉾業者を集めた蒲鉾講習会を慶南水産会という団体が開催したと報じている<ref name="kamaboko03"></ref>。 |
*釜山日報の記事 | *釜山日報の記事 |