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:可麻甫串(かまぼこ) | :可麻甫串(かまぼこ) | ||
:ボラやスズキ、タイを薄切りにする。また、牛肉と豚肉、キクラゲ、イワタケ、シイタケ、ナマコなど、さまざまな材料と、長ネギ、唐辛子、セリなどの薬味を刻んで具を作る。薄切りにした魚1層に、具を1層載せ、また魚を1層、具を1層と載せて3~4層を載せた後、巻物のように丸く巻いて片栗粉の衣をつけて沸騰した湯で茹で、包丁で薄切りにする。魚肉と具が交互に巻かれているのがまるで太極模様のようである。これをコチュジャンにつけて食べる。具として入れたさまざまな薬味を5色にそれぞれ分けて作っても、包丁を入れたときに模様が美しく見える(原文1)。 | :ボラやスズキ、タイを薄切りにする。また、牛肉と豚肉、キクラゲ、イワタケ、シイタケ、ナマコなど、さまざまな材料と、長ネギ、唐辛子、セリなどの薬味を刻んで具を作る。薄切りにした魚1層に、具を1層載せ、また魚を1層、具を1層と載せて3~4層を載せた後、巻物のように丸く巻いて片栗粉の衣をつけて沸騰した湯で茹で、包丁で薄切りにする。魚肉と具が交互に巻かれているのがまるで太極模様のようである。これをコチュジャンにつけて食べる。具として入れたさまざまな薬味を5色にそれぞれ分けて作っても、包丁を入れたときに模様が美しく見える(原文1)。 | ||
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+ | {{quotation|{{lang|zh-Hant|斯羅國,本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘。普通二年,其王名募秦,始使隨百濟奉表献方物。其國有城,號曰健年。其俗與高麗相類。無文字,刻木為範,言語待百濟而後通焉}} | ||
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+ | 斯羅國は元は東夷の[[辰韓]]の小国。[[魏 (戦国)|魏]]の時代では新羅といい、[[宋 (南朝)|劉宋]]の時代には斯羅というが同一の国である。或るとき韓に属し、あるときは[[倭]]に属したため国王は使者を派遣できなかった。普通二年(521年)に募秦王(法興王)が百済に随伴して初めて朝貢した。斯羅国には健年城という城があり、習俗は高麗(高句麗)と類似し文字はなく木を刻んで範とした(木簡)。百済の通訳で梁と会話を行った。|}} | ||
{{quotation|{{lang|zh-Hant|【原文1】 | {{quotation|{{lang|zh-Hant|【原文1】 |