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:西暦488年1月15日、炤知王(ソジワン、소지왕)が南山(ナムサン、남산)のふもとまで出かけたところ、目の前にネズミとカラスが現れ、ネズミは人の言葉でカラスについて行くようにと告げた。ただならぬことと思った王はカラスの導きに従うと、池のほとりで老人から手紙を渡された。手紙には「開けると2人が死に、開けないと1人が死ぬ」と書かれており、王は被害の少ないほうがよいだろうと考えたが、臣下のひとりが2人とは庶民であり、1人は王のことであると進言したため手紙を開けて読むことにした。するとそこには「射琴匣(琴の箱を射よ)」と書かれていた。王宮に戻って琴の箱を弓矢で射ると、そこには妾と密通する僧侶が王を暗殺しようと隠れていた。命を救われた王はカラスの導きに感謝し、1月15日を「烏忌日(オギイル、오기일)と定め、黒いごはんを捧げる日とした。これがのちのヤッパプである。 | :西暦488年1月15日、炤知王(ソジワン、소지왕)が南山(ナムサン、남산)のふもとまで出かけたところ、目の前にネズミとカラスが現れ、ネズミは人の言葉でカラスについて行くようにと告げた。ただならぬことと思った王はカラスの導きに従うと、池のほとりで老人から手紙を渡された。手紙には「開けると2人が死に、開けないと1人が死ぬ」と書かれており、王は被害の少ないほうがよいだろうと考えたが、臣下のひとりが2人とは庶民であり、1人は王のことであると進言したため手紙を開けて読むことにした。するとそこには「射琴匣(琴の箱を射よ)」と書かれていた。王宮に戻って琴の箱を弓矢で射ると、そこには妾と密通する僧侶が王を暗殺しようと隠れていた。命を救われた王はカラスの導きに感謝し、1月15日を「烏忌日(オギイル、오기일)と定め、黒いごはんを捧げる日とした。これがのちのヤッパプである。 | ||
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+ | :新羅の都であった[[慶尚北道の料理|慶尚北道]][[慶州市の料理|慶州市]]には逸話の舞台になった池があり、書出池(ソチュルジ、서출지)と呼ばれている。 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == |