「河東郡の料理」の版間の差分

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:郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)には、竹と野生の茶の木が混生する地域があり、828年に初めて茶の栽培を行った地域として「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」と呼ばれる。その典拠は三国時代の歴史書『三国史記(삼국사기)』にあり、新羅の興徳王(흥덕왕、第42代)が朝貢の使臣を唐に派遣したところ、茶の種子を持ち帰ってきたため、王命によって智異山(チリサン、지리산 ※原文では「地理山」と表記)に植えたと記録されている<ref>[http://db.history.go.kr/id/sg_010r_0060_0150 三國史記 권 제10 신라본기 제10/흥덕왕 3년 12월)] 、韓国史データベース、2024年2月23日閲覧</ref>。使臣の名前は大廉(デリョム、대렴)とだけ書かれており、姓は不明であるが、当時の記録で姓が省略される場合は「金(キム、김)」姓が多いことから金大廉(キム・デリョム、김대렴)と紹介されることもある。大廉が茶の種子を植えた場所は諸説あるものの、花開面は智異山の南部に位置しており、立地的にも齟齬がないことから有力な地域として広く認められている。
 
:郡北西部の花開面(ファゲミョン、화개면)には、竹と野生の茶の木が混生する地域があり、828年に初めて茶の栽培を行った地域として「茶始培地(チャ シベジ、[[차 시배지]])」と呼ばれる。その典拠は三国時代の歴史書『三国史記(삼국사기)』にあり、新羅の興徳王(흥덕왕、第42代)が朝貢の使臣を唐に派遣したところ、茶の種子を持ち帰ってきたため、王命によって智異山(チリサン、지리산 ※原文では「地理山」と表記)に植えたと記録されている<ref>[http://db.history.go.kr/id/sg_010r_0060_0150 三國史記 권 제10 신라본기 제10/흥덕왕 3년 12월)] 、韓国史データベース、2024年2月23日閲覧</ref>。使臣の名前は大廉(デリョム、대렴)とだけ書かれており、姓は不明であるが、当時の記録で姓が省略される場合は「金(キム、김)」姓が多いことから金大廉(キム・デリョム、김대렴)と紹介されることもある。大廉が茶の種子を植えた場所は諸説あるものの、花開面は智異山の南部に位置しており、立地的にも齟齬がないことから有力な地域として広く認められている。
  
:茶始培地は現在、近隣にある古刹の双渓寺(サンゲサ、쌍계사)が所有しており、その管理は大韓民国大韓名人(第15-448号)であり、茶店「法香茶園(법향다원)」代表のイ・サンヨン(이쌍용)氏が担当している。茶始培地で摘んだ茶葉は名人が9度に分けて釜炒りを行ったのち、双渓寺に納品されるほか、一般にも販売される。これを始培地茶(シベジチャ、[[시배지차]])と呼ぶほか、竹林の露で育った茶として竹露茶(チュンノチャ、[[죽로차]])との名称もある。発酵茶(パリョチャ、[[발효차]])の生産も行う。
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:茶始培地は現在、近隣にある古刹の双渓寺(サンゲサ、쌍계사)が所有しており、その管理は大韓民国大韓名人(第15-448号)であり、茶店「法香茶園(법향다원)」代表のイ・サンヨン(이쌍용)氏が担当している。茶始培地で摘んだ茶葉は名人が9度に分けて釜炒りを行ったのち、双渓寺に納品されるほか、一般にも販売される。これを始培地茶(シベジチャ、[[시배지차]])と呼び、その中でも竹林の下で育った茶の木から摘んだものは竹露茶(チュンノチャ、[[죽로차]])と呼ばれて珍重される。熟成過程を経た発酵茶(パリョチャ、[[발효차]])の生産も行う。
  
 
:郡内では[[ノクチャ(緑茶/녹차)]]をパンや菓子、[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)|マッコリ]]などに利用するほか、ノクチャネンミョン(緑茶冷麺、[[녹차냉면]])の生産も行われている。
 
:郡内では[[ノクチャ(緑茶/녹차)]]をパンや菓子、[[マッコリ(韓国式の濁酒/막걸리)|マッコリ]]などに利用するほか、ノクチャネンミョン(緑茶冷麺、[[녹차냉면]])の生産も行われている。
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