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=== 阿羅伽倻の歴史 === | === 阿羅伽倻の歴史 === | ||
[[ファイル:24012903.jpg|thumb|300px|咸安博物館]] | [[ファイル:24012903.jpg|thumb|300px|咸安博物館]] | ||
− | :阿羅伽倻(アラガヤ、아라가야)は、現在の咸安郡を中心として[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[昌原市の料理|昌原市]]、[[宜寧郡の料理|宜寧郡]]、[[晋州市の料理|晋州市]] | + | :阿羅伽倻(アラガヤ、아라가야)は、現在の咸安郡を中心として[[慶尚南道の料理|慶尚南道]]の[[昌原市の料理|昌原市]]、[[宜寧郡の料理|宜寧郡]]、[[晋州市の料理|晋州市]]の一部に存在した伽耶諸国のひとつ。1281年に高麗時代の僧侶、一然(イリョン、일연)によって編纂された歴史書『三国遺事(삼국유사)』には、「阿羅伽耶は現在の咸安」と記されている<ref>[http://db.history.go.kr/id/sy_001r_0020_0120_0020 三国遺事 巻1 紀異第一/五伽耶] 、韓国史データベース、2024年2月24日閲覧</ref>。561年に新羅との戦いに敗れて滅亡した。中心地であった咸安郡には、阿羅伽倻の時代に作られた末伊山古墳群(マリサン コブングン、말이산 고분군)が残るほか、隣接する咸安博物館には古墳群とその周辺から出土した土器や馬鎧(말갑옷)などが展示されている。咸安郡では阿羅伽倻こそが「我が町の伽耶」として大切にされており、伽耶諸国の位置付けについて「前期伽耶の代表は金官伽耶と阿羅伽耶。後期の代表は大伽耶と阿羅伽耶。前期と後期にまたがって伽耶を代表するのは阿羅伽耶だけ」との主張をしばしば耳にする(八田靖史の取材記録より、2023年11月27日)。 |
*伽耶古墳群(가야고분군) | *伽耶古墳群(가야고분군) |