「利川市の料理」の版間の差分

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'''利川市'''(イチョンシ、이천시)は京畿道に位置する地域。本ページでは利川市の料理、特産品について解説する。
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'''利川市'''(イチョンシ、이천시)は[[京畿道の料理|京畿道]]の南東部に位置する地域。本ページでは利川市の料理、特産品について解説する。
  
 
[[ファイル:15091901.JPG|thumb|400px|利川市内の陶磁器店]]
 
[[ファイル:15091901.JPG|thumb|400px|利川市内の陶磁器店]]
  
 
== 地域概要 ==
 
== 地域概要 ==
利川市は京畿道の南部に位置し、同じ京畿道の安城市、龍仁市、広州市、驪州市、忠清北道の陰城郡と接する。人口は21万1347人(2015年8月)<ref>[http://www.icheon.go.kr/site/ic/boardList.do?boardSeq=18&key=243 주민등록인구] 、利川市ウェブサイト、2015年9月19日閲覧</ref>。韓国を代表する陶磁器の生産地であり、市内には窯元やショップなどの集まる陶芸村がある。温泉地としても知られているほか、朝鮮時代からの米どころとしても有名。朝鮮時代には宮中への献上米を生産していたことから、利川米は今でもブランドとして全国に名を轟かせている。ソウル(東ソウルバスターミナル)から利川市外バスターミナルまでは市外バスで約1時間20分の距離。
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利川市は[[京畿道の料理|京畿道]]の南東部に位置し、北東部から東部にかけては[[京畿道の料理|京畿道]]の[[驪州市の料理|驪州市]]、南東部は[[忠清北道の料理|忠清北道]]の[[陰城郡の料理|陰城郡]]、南部は[[京畿道の料理|京畿道]]の[[安城市の料理|安城市]]、西部は[[京畿道の料理|京畿道]]の[[龍仁市の料理|龍仁市]]、北西部は[[京畿道の料理|京畿道]]の[[広州市の料理|広州市]]と接する。人口は22万2721人(2022年12月)<ref>[https://jumin.mois.go.kr/ 주민등록 인구 및 세대현황] 、行政安全部ウェブサイト、2023年1月30日閲覧</ref>。韓国を代表する陶磁器の生産地であり、市内には窯元やショップなどの集まる陶芸村がある。温泉地としても知られているほか、朝鮮時代からの米どころとしても有名。朝鮮時代には宮中への献上米を生産していたことから、利川米は今でもブランドとして全国に名を轟かせている。ソウル(東ソウルバスターミナル)から利川市外バスターミナルまでは市外バスで約1時間20分の距離。
  
 
== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
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== 代表的な料理 ==
 
== 代表的な料理 ==
利川の特産品といえばまずは米であり、これを利用した定食店が市内にはたくさんある。
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利川市の特産品といえばまずは米であり、これを利用した定食店が市内にはたくさんある。
  
 
=== サルバプチョンシク(利川米の釜飯定食/쌀밥정식) ===
 
=== サルバプチョンシク(利川米の釜飯定食/쌀밥정식) ===
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:韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)では以下のように紹介されている。この逸話は利川府使である卜承貞の残した記録に典拠があるとされるが原文は未確認。
 
:韓国観光公社が配布する『韓国の味紀行』という冊子(WEBでも閲覧可)では以下のように紹介されている。この逸話は利川府使である卜承貞の残した記録に典拠があるとされるが原文は未確認。
  
:「この話の始まりは、成宗21年(1490年)にさかのぼります。成宗は、驪州にある世宗の英陵に墓参りを済ませた帰り道、食事の時間となりました。文武百官と女官が恐れ多い思いで利川近辺のご飯とおかずを献上すると、美食家であることを自負していた成宗は、米が他と違うということ気付き問い尋ね、これからこのご飯を献上するように命令しました。」<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/taste/taste_index.jsp?cid=998446&regionCode=31,26 京畿道の味紀行] 、韓国観光公社ウェブサイト、2015年9月19日閲覧</ref>
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:「この話の始まりは、成宗21年(1490年)にさかのぼります。成宗は、[[驪州市の料理|驪州]]にある世宗の英陵に墓参りを済ませた帰り道、食事の時間となりました。文武百官と女官が恐れ多い思いで利川近辺のご飯とおかずを献上すると、美食家であることを自負していた成宗は、米が他と違うということ気付き問い尋ね、これからこのご飯を献上するように命令しました。」<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/taste/taste_index.jsp?cid=998446&regionCode=31,26 京畿道の味紀行] 、韓国観光公社ウェブサイト、2015年9月19日閲覧</ref>
  
 
*朝鮮無双新式料理製法(1924年)の記述
 
*朝鮮無双新式料理製法(1924年)の記述
:李用基によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法』には「ごはんは白飯がいちばんであり、利川の玉紫光や、通津の密多里がいちばんよい。最近は石抜米というものがあるが、石や籾、稲、砕け米をすべて手で取ったもので、その米がいちばんよい」(原文1)との記述がある<ref>李用基, 1924, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P1</ref>。ここで述べられている玉紫光は米の品種を指すものであり、この時期からブランド米として通っていたことが推測できる。なお、並び称されている通津とは京畿道金浦市通津邑を指し、密多里も同じく米の品種を表す。
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:李用基によって1924年に書かれた『朝鮮無双新式料理製法』には「ごはんは白飯がいちばんであり、利川の玉紫光や、通津の密多里がいちばんよい。最近は石抜米というものがあるが、石や籾、稲、砕け米をすべて手で取ったもので、その米がいちばんよい」(原文1)との記述がある<ref>李用基, 1924, 『朝鮮無双新式料理製法』, 永昌書館, P1</ref>。ここで述べられている玉紫光は米の品種を指すものであり、この時期からブランド米として通っていたことが推測できる。なお、並び称されている通津とは[[京畿道の料理|京畿道]][[金浦市の料理|金浦市]]通津邑を指し、密多里も同じく米の品種を表す。
  
 
:【原文1】「밥은 흰밥이 제일이니 이천 옥자강이나 통진 밀다리가 제일 좋다. 요사이는 석발미라 하는 것이 있는데 돌과 뉘와 벼와 싸라기를 모두 손으로 고른 것으로 그 쌀이 매우 좋다.」。
 
:【原文1】「밥은 흰밥이 제일이니 이천 옥자강이나 통진 밀다리가 제일 좋다. 요사이는 석발미라 하는 것이 있는데 돌과 뉘와 벼와 싸라기를 모두 손으로 고른 것으로 그 쌀이 매우 좋다.」。
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*[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
 
*[http://kansyoku-life.com/ 韓食生活](韓食ペディアの執筆者である八田靖史の公式サイト)
 
*[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール)
 
*[http://www.kansyoku-life.com/profile 八田靖史プロフィール](八田靖史のプロフィール)
*[https://itunes.apple.com/us/app/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E9%A3%9F%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8/id1220010846?l=ja&ls=1&mt=8 韓国語食の大辞典アプリ版](八田靖史制作の韓国料理専門辞典)
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
 
 
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[[Category:韓食ペディア]]
 
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[[Category:京畿道・仁川市の料理]]
 
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